14話 HOT LIMIT
テコ入れ? 違うな、ただひたすらに筆者が書きたかっただけだ。
――どうして僕はここにいるのだろうか?
今日この場にやって来て最初に頭に浮かんだ思考がこれだ。原因は分かる、要因も分かる、ただ納得できない僕がいるだけだ。単純に言ってしまうと僕はここに来たくはなかった。なのに来てしまった。僕が望む希望と起こってしまった現実の差に納得がいかないのだ。
天を仰げば真っ青でどこまでも続いていそうな青空が広がって、白い雲が点々と浮かんでいる。太陽はさんさんと地上に光を投げかけて気温は現時点で摂氏三十度を超えている立派な真夏日だ。太陽のまぶしさに当てられて立ちくらみしそうになる。日本だとニュースで熱中症に注意するよう呼びかけが行われそうだ。月詠人の僕の肉体にはこの日差しはかなりキツイ。
目を地上に戻せば、遙か彼方に水平線が見える広大な海が広がっていた。さらに手前には島と半島に囲われた入り江の光景、港としてもビーチとしても良好な立地になっている。さらに手前には人工的に造成されたビーチが広がって、多くの人で賑わっていた。なるほど、モデル元だったシアトルとは違って水温が高いので夏場のレジャーとして海は好まれているのか。
この場所を確認しよう。ここはジアトー郊外にある観光地で保養地で別荘地で高級住宅街、要するに海浜リゾート地である。一応はジアトー市にギリギリ入っている土地ではあるが先の戦いでの被害はほとんど無く、リゾートシーズン真っ直中の現在は多くの人で賑わっている。
そんなところになんで僕は来ているのだろうか? 僕は夏の行楽なら山派だというのに。しかも、こんな格好で……。
「我ながら、コレは無いな」
空を見上げていた目線がどんどん俯角を下げていき、最後に自身の体を見下ろした。
水着である。上下に分かれているセパレートタイプで、色は黒一色に白いラインが縦に一本入っているシンプルなデザインだ。ビキニのように露出度のあるものではなく、どちらかと言えば競泳タイプに見えるスタイルで本格的に泳いでもポロリとかはしない作りになっている。上はこの身体になってから使っているスポーツブラみたいな形状、下は男性用にも使われていそうなパンツタイプのセットだ。
正直この世界に来てからここまで薄着になって人前に出るのは初めてで、非常に心許ない気分になっている。さらに言うと、ピッチリと体にフィットした水着は『ルナ』の少女らしい細く繊細な体のラインを強調するので徐々に気恥ずかしくなってくる。以前ゲアゴジャでドレス姿になってパーティーに出た時があったが、その時に通じる感情が湧き上がってきた。
こうも女の子らしさを前面に出した格好というのはかなりの時間が経過した今でさえ慣れない。ここ最近、普段着にしているのは黒のドレスシャツにチノパンかカーゴパンツといった性別を意識しない物が中心だっただけに尚更だ。
蛇足だが、戦いの時に着ているゲーム時代からの装備である黒いワンピースについては、戦闘服だという意識が強くて気にならない。あれも割と体のラインが出ているのに、人の意識というのは複雑怪奇なものだ。
「ルナー! こっちこっちーっ! 早く早く! ハリーハリー!」
ビーチの向こう側、波打ち際から大声で壱火が僕を呼んでいる。周囲にいる人達から注目を集めてしまっていてもお構いなしだ。彼女が着ている紅い水着が遠目でも鮮やかに映っている。
僕よりも大胆なデザインのモノを着ているのに恥ずかしがっている様子は見られない。ドレス時も思ったけど、彼女の精神的タフネスさは特筆に値する。
声をかけられている僕も周りから視線を集めている。壱火と違って僕はお構いなしに堂々と出来るほど神経が太くないので、さっさと移動して彼らの視線から逃げだした。その途中、もう何度も思ったフレーズが口からこぼれ出た。
「……本当にどうしてこうなったのだろうか?」
目に入り込む強い日差しが僕には憎らしく思えた。
◆
二スカリーでの仕事を終えて三日ほど経ったその日、僕は仕事に使った道具や車両のメンテナンスをしていた。
僕ら五人が拠点にしている建物は元が工場だっただけに建物内は広く、五人の人間がゆったりと過ごせる住空間を作ってもまだ空間が余っている。そういった所はガレージにして車両を保管したり、工具を使って作業する本格的な作業スペースにしていた。
僕はそのガレージで仕事で使った車両の整備をしていた。この世界はゲーム時代とは違って使った武器や防具は消耗する。現実には当たり前と言えば当たり前の話なのだが、なまじゲーム時代の要素が色濃く残っているせいで、使った物の手入れを怠るというのは良く聞く話だったりする。そのせいで最近は武器や車両の稼働率が落ちているというのもクララさんから聞いたことがあった。
命を預ける道具を蔑ろにすれば、その先には哀れな末路しか無い。それを少しでも心得ていれば使った後の道具の手入れの重要さは言わずもがなだ。
二スカリーから帰った翌日に使った武器は全て手入れを施し、翌日にはダメージがあった防具をクララさんの紹介で専門家に見てもらい、そして現在は二スカリーまでの距離を往復した車両の整備に時間を当てていた。
時刻は昼下がりの午後二時ぐらい。午前から始めた車両の整備はほぼ終わろうとしている。すでにパオとジープの二台の点検と整備は終えて、マイバイクのM20の点検整備が終われば一連のメンテナンスは終了だ。
M20はモデル元からして軍用バイクのため頑丈で、空冷単気筒のエンジンは手入れもしやすい。盗賊達が一時強奪して乗っていたけど変なクセとかは付けられていないので一安心だ。
この世界の工業製品は、最盛期だった頃の日本と比べると一段から二段ほどは劣る。定期的なメンテナンスは必要だし、日常的に点検と手入れも欠かせない。この軍用バイクも例外ではなく、頑丈と言っても伝説的なかの名車スーパーカブみたいな丈夫さは流石に無い。日頃のマメな手入れは大切で、それが出来ないならそもそもこの世界では車を所有しない方が良い。
バイクの各部を点検して、必要なら潤滑油を差し、汚れをブラシとウェスで落とし、レンチで増し締めする。無舗装の地面を走ったせいか、思いの他汚れがあってボルトに緩みがあった。汚れは部品のヒビや割れを見落とす原因になるので積極的に落としていく。
無心でブラシを動かし、ウェスで磨き、ボルトをレンチで締める。こういう物を手入れする時間は結構好きだ。余計な事を考えずただ作業に没頭出来て、成果として道具のパフォーマンスが向上する。良い事ずくめだ。
この日の気温も摂氏三十度越えの真夏日。日本のように湿度は高くないため蒸し暑さは感じられないが照りつける太陽光はその分強烈だ。作業をしているガレージの窓とシャッターは全開にして、最近買ったばかりの扇風機も全力稼動しているが全く涼しく無い。ほとんど無意識に手の甲で額を拭えば、じっとりと汗ばんだ感触が感じられた。
昼に休憩をとってからそろそろ二時間。再度休憩を入れるには頃合だろう。そう考えた僕は作業を中断してリビングへと向かった。
デニムパンツにシャツといういつもの私服の上に着ていた作業用の前掛けを取って、油で汚れた手をウェスでざっくりと拭う。もちろん充分に汚れは取れていないけど、後から本格的に洗えばいいので良しとした。
ガレージとリビングを繋ぐ扉を開けば、穏やかな風が吹いてきた。その涼しさに思わず目を細める。どうも気付かない内にかなり暑さにやられていたらしい。早く涼まねば、そう考えて僕はリビングに入った。
入って、後悔した。
「……」
「……」
「……あ、ルナ。メンテナンスは終わったの?」
「いや。でもあと少しで終わる。今は休憩を入れようと思ったのだけど」
「そ、そう。じゃあ私、飲み物持ってくるね。麦茶があるから、それで良い?」
「ああ、けれどこの二人は?」
「……そっとしておこう」
空気が重かった。リビングにいたマサヨシ君、水鈴さん、壱火の三人は僕が来るまでずっと沈黙状態で時間を過ごしていたらしい。主にマサヨシ君と壱火がこの場の空気を重たくしている原因で、水鈴さんはそれに巻き込まれた被害者の立場だった。僕が現れると逃げるようにキッチンへと足早に行ってしまう。後から思えば、この時の水鈴さんは僕も巻き込むつもりだったらしい。
キッチンに向った水鈴さんから視線を横に移動させると、リビングの中央にあるソファで膝を抱えて座っている壱火、さらに横に移動させると窓際に置いた椅子にマサヨシ君が座って外を眺めていた。二人に共通しているのは暗い表情を浮かべているところだ。
普段は僕達五人の中で一位、二位を争うように明るいムードメーカー二人が揃って落ち込んでいる。そのせいか、この場の空気も陰性を帯びているような錯覚を覚えてしまう位だ。
僕からは何と声をかけたものか分からない。元より人付き合いの苦手なタイプだと自覚している。過去の職業で言えばコミュ力が高いと思われそうだが、その時は仕事上の付き合いと割り切っていたからだ。今のように公私ともに、となると初めての経験だ。接し方が少し分からない。
結局僕は水鈴さんの言う通りに沈黙を守って、壱火が座っているものとは別のソファに座って水鈴さんが戻って来るのを待った。
「ただいま。はい、麦茶」
「ありがとう。それで、この二人はまだ落ち込んでいる、と」
「ええ、初めての仕事であんな結果だもの。正直に言うと私も尾を引いているわ。あれからまだ三日しか経っていないし」
「そう、か」
確かにあんな結末があっては落ち込むのが普通だろう。依頼内容だった魔獣の駆除は成功させたし、依頼を出したクライアントも集落の被害を重く見たジアトーの政府なので報酬の支払い滞納や拒否も無いだろう。僕としては報酬さえキチンとしていれば不満は無いし、気持ち的な問題もすでに切り換えが出来ている。けれどマサヨシ君や壱火は僕ほどに割り切れていないのだろう。
戦いにこそ慣れはしても、助けたはずの人から拒絶されるのは精神的にキツイはずだ。ヴィルヘルミナの最期も影響しているだろう。彼女に関して同情はしないが哀れには思う。違う選択肢を知らなかった、選べなかったがためにあの最期なのだから。
けれども二人には出来るだけ早く気持ちに決着を着けて欲しい。次の仕事へ移るのに支障が出るだろうし、こういう出来事だってこれが最後ではない。起こるたびに長く落ち込まれても仕事仲間としてやりにくい。酷な言い方になるが、現実というのは待ってはくれない。
その決着を着ける具体的な方法は分からない。気持ちの問題である以上は個人個人で異なるはずだから。こちらが出来る事はほとんどないのかもしれないな。そんな風に考えながら水鈴さんから貰った麦茶をあおった。ほどよく焙煎された香ばしい風味が喉を抜けていく感触が心地よい。……ん? そういえば麦茶ってこの世界に元からあっただろうか? 割と日本のイメージなのだが。
重い空気を忘れようとしているせいか、自分の思考が脇道に逸れていく。現実逃避とも言う。
「けど、壱火に関してならちょっと事情が違うけど」
「ふむん?」
「あの子、暴走した件でレイモンドから報酬の減額を言い渡されたのが辛かったみたい」
「ああ、お小遣いを減らされた子供か」
「酷いよ二人とも! でも事実だから言い返せねえ!」
ニスカリーで壱火が暴走した件での処分は減給という形で落ち着いた。なるほど、だから落ち込んでいたのか。
今後仕事を引き受け、貰った報酬は基本的に僕達五人で当分に分配する方向で全員が納得している。五人で分配しても余りが出たり、今回の様に誰かが減給のペナルティを受けるなどして余剰がでた場合はチーム全体の予備費という形で貯蓄される。お金に関してそんな風に話がまとまっていた訳だけど、壱火はその貯蓄金最初の入金者になった。
こうやって騒ぐだけの気力があるなら、壱火の精神的立ち直りは早いだろう。問題はマサヨシ君か。壱火が騒いだせいでリビングが賑やかになったのに、彼は窓の外を見ている姿勢のままだ。重症、と言うべきだろう。
「ただいま、って賑やかだな」
「あ、おかえり父さん。報酬は貰えた?」
「問題無くスムーズにな。ヴィルヘルミナの事で揉めるかと思ったが、どうやら向こうにとっても痛恨事で報酬を渡してきた担当者がその話題を避けていたよ」
「じゃあ、最初に決めていた通りに五人で分配だね」
「そうだ。そしてお前の減給分はキチンと差し引いて置くから心配するな」
「ちくしょーっ!」
ジアトー政府に報酬を受け取りに行っていたレイモンドが帰ってきた。報酬の受け渡しは問題なく進行し、最初に提示された金額がちゃんと支払われていた。僕もヴィルヘルミナの一件で何か言ってくるかと思っていたけど、その話題で突かれたくないのは向こうの方だったらしい。魔獣駆除のために雇った転移者の中に盗賊達の仲間が紛れ込んでいたのだから。
レイモンドが持っていたバッグからまとまった数の紙幣を取り出して、僕達に均等に分配していく。ついでに減給処分を受けている壱火の前に配られたお金の数は他よりも三割減である。彼女は目減りしているお金を不満そうな顔をして睨んでいた。そういう顔をする位なら独断専行は止めて欲しい。
あ、報酬というワードで思い出した。レイモンドには聞き忘れた事があった。
「レイモンド、魔獣の皮や牙とかは?」
「ああ、それもクララや雪の嬢ちゃんに紹介してもらった幾つかの店で大体捌けた。どこも魔獣由来の素材が少なくなっていたからな結構な高値になった。その売上金がこっちだ」
「今回の仕事の報酬並はあるか。これも最初に決めていた通りに分配で」
「分かった」
今回の仕事で僕らは数多くの魔獣を仕留めてきた。その成果物としてこれまた数多くの肉や皮、骨や爪牙に角などといった素材を手に入れた。
こうして簡単に素材を手に入れたと言っているが実態は大変なもので、仕留めた獲物をナイフで次々と解体していく作業の連続だった。ニスカリーの現地で解体した物もあるけど、バッグでこちらに持ち帰って後で解体した物も数多い。重量と容積をある程度無視してしまえるバッグの存在はこの世界では本当にありがたく思え、転移者が持つチートの一種だろうと僕は思っている。
もちろん大量の獲物を僕一人で全部解体出来るはずもないので、持ち帰った獲物はレッスンも兼ねて僕ら全員で作業に当たった。昨日には全ての獲物の解体が終わって、今日はレイモンドがお金になりそうな部位を報酬の受け取りがてら市街地まで売りに出ていたのだ。
ゲームだと自動的に処理されるリザルト部分だけど現実になると重労働だ。僕は慣れているからまだ大丈夫だけど、他のみんなの様子を良く見てみるとどこか疲れた様子が残っている。肉体面はともかく精神面での疲労が抜けきっていないらしい。
それなりに積まれた紙幣の束はさっさと私用のバッグにしまう。同時にその内金庫でも購入しようかな、と頭の隅で考える。後は、そう報酬も手にした事だし休暇は長めに取ろう。疲れはキッチリ抜いておきたい。そんな風に思考を展開しながら残っていた麦茶を飲んでいると、横にいた壱火がにわかに騒ぎだした。
「よーし! みんな海に行こう!」
……何故ここで海が出てくる? そんな僕の思考と似たり寄ったりの考えが浮かんだのか、この場に居る全員が呆れたような表情で壱火を見やっていた。落ち込んで上の空になっていたマサヨシ君さえも壱火の声に振り向いているくらいだ。
みんなからの視線の集中砲火を受けて怯んだ様子を見せた壱火は、さらに言葉を継ぎ足して話を続けた。
「ほ、ほら、仕事終わったし休暇に入るんだよね? だったらみんなで海に行かない? って話をしたかったんだ。この街って海のリゾートとかすごく盛んなんだよ。雪とか元幻獣楽団の政府関係者に聞いたら、観光業にも力を入れているって。だったら地元のボク達も参加したいなー、なーんて……ダメ?」
「休暇は必要だからダメではないが、海か」
「あれ? 父さんってカナヅチだっけ? 泳いでいるところ見たことないけど」
「トレーニングの一環で水泳はしたことがあるから一応泳げるぞ。この身体では試したことはないから不安があるんだ」
「だったら、試す意味でも行こうよ。もし泳げなくてもワイワイやっていれば楽しいって」
「うん……そうだな、良さそうだ。次の仕事はまだ入っていないし、大丈夫だろう。水鈴はどうする?」
「え、私? そうね、良いんじゃないかな。リフレッシュになるでしょうし。でも水着は?」
「お金入ったから買おうよ。街で職人の人が色々作ってて、今のシーズン水着が売れるとあってバリエーションが豊富なんだって」
「へぇ……面白そう」
「でしょでしょ、よし、ボク思い切りセクシーな水着買っちゃおう!」
「何!? 待て壱火、あまり過激なのはダメだぞ」
「なんでさ」
とんとん拍子どころかジェットコースター並の急速さで話が海行きにまとまってしまった。僕が口を出す間は全く無かった。壱火がレイモンド、水鈴さんの二人を話に乗せてあっという間に場の空気を変えてしまった。
さっきまでの重い空気はガラリと変わり、一気に夏のバケーションモードに突入、リビングの気温が上がったような気さえする。壱火のムードメーカーとしての才能はかなりのものだろう。呆れを通り越してもう一種の尊敬の念さえ湧いてきた。
そしてもう一人のムードメーカーはと言うと、
「海か……」
「行こうぜマサヨシ! ここから海なんて直線で何㎞もないし、今もビーチでキャッキャウフフな光景だって繰り広げられているかもだぞ。今年の夏は今年しか無いんだぞ。何時行くの? 今でしょ!? だよ」
「そのネタ、古くないか?」
「いいんだよ、言いたかっただけだし。よしマサヨシ、お前は強制参加な。逃げようとしても追っかけるのでそのつもりで」
「はぁっ!? なんでオレだけ強制なんだよ」
「だって、じめじめ暗くしているから日干しにしてやろうかと思って」
「それ言ったら、お前もさっきまで減給処分のせいで落ち込んでいただろ!」
「良いんだよボクは。もう立ち直ったから」
「なんて都合の良い開き直り」
壱火に乗せられてあれよあれよと海行きに参加する形になっていた。とても強引に、けれど不思議と不快にならない壱火の誘い文句。もうあれだ、TVショッピング番組のMCでもやらせてみたらどうだろうか? きっとジャパネットタ○タの社長に迫る人材になるのではなかろうか?
そんな我ながら戯けた事を考えていたら、壱火の矛先がいよいよ僕の方向に向いた。
「ね、ね、ルナはどうする? 行くよね海」
「僕は夏は山派」
食い気味に近寄ってきた壱火に対し、僕は端的に言葉を返した。実際に乗り気ではないし、先も言ったが山派なのも本当だ。
「えー、山って三日前にそこから帰ってきたよね」
「あれは仕事、休暇で行くならまた別」
「でも山に行ってどうするの? 登るの?」
「登山も良いけど、トレッキングや森林浴、温泉もあれば良いね。ああ、そういえばここなら狩猟もありか」
「なーんか、年寄り臭い」
「……年、寄り?」
山でやる事を語ってみたら、年寄り臭いとの返答を貰ってしまった。これには少し、いやかなり、いやいや大いにショックを受けた。
確かに若いと言われるほどの歳ではないけれど、年寄り呼ばわりにはまだ遠いと思っていた。だが、壱火にとっては大差無いのだろう。そういえば僕も幼い頃はそれなりに歳を取った人を十把一絡げにおじさん、おばさん呼びをしていた記憶がある。若々しい年代にとって二十代も四十代も変わりないのかもしれない。
そんな具合に未経験のショックに打ちひしがれている間に壱火はさっさと話を進めていた。
「そんなルナをボクが海派に改宗してしんぜよう。てな訳でルナも参加ヨロ。この後ボクら三人で水着を買いに行こ、セクシーな感じの奴で浜辺の視線を三人で独占じゃ」
「え?」
「街までの足にパオ使いたいけど、大丈夫? ああ、整備終わったんだ、ありがとう。よし、善は急げで早速行こう」
「え?」
「ダイジョーブ、もう買う店も目星つけているから。ルナも水鈴も期待していて。じゃ、父さんにマサヨシ、夜までに帰ってくるから留守番よろしく」
「え?」
僕が「え?」と戸惑いの声を出す度に壱火が状況を強引に動かしていた。気が付けば僕と水鈴の手を引いてガレージに止めていたパオのところに来ていて、僕を手早く運転席に乗せると、自身は水鈴と一緒に後部座席に座っている。僕も水鈴も不意打ち気味に行動されたので対処する間もない。こんな事に転移者の超人能力を使うとは思いもよらなかった。
どこぞの奇妙な冒険に出てくる真紅の王のごとき吹っ飛ばしぶりだ。この強引さは見事すぎて内心で賞賛してしまう。
「よし、ルナ、ごー」
「………………分かった」
これは議論するだけ無駄だ。そう悟ってしまった僕は観念していた。壱火の隣に座る水鈴が可哀想な者を見る目で見てくるのがバックミラーに映ったが、目を逸らして見なかった事にした。
車のキーは差したまま、なのですぐにでも出発が出来る。燃料も充分、何時かのようにガス欠の恐れはない。イグニッションキーを回すとエンジンはすぐさま目を覚ました。エンジンに異音無し、油温、水温、バッテリー、問題無し。ダッシュボードの上に増設した計器類は全て正常値を示している。整備に不備は無い。
ギアを入れて発進。一路目指すのは市街地の店。もうこの時点で参加しないという選択肢は諦めていた。
――以上、回想終了。この後にあったことはもう誰にでも想像のつく出来事ばかりなので割愛する。
とりあえず、きわどい水着を着るような羽目にならずに済んで安心するべきだろうか。いや、こうしてビーチに引っ張り出された時点で負けか。それ以前に壱火に乗せられた時点で負けだという説もある。何にしろ今更どうこうしても後の祭りだ。
海行きの提案があったのが昨日。昨日の夜までには全ての準備が終わってしまい、今日の朝には出発である。この世界に来てからスピーディーに物事が運ぶのは何度も見たけど、昨日今日のイベントはトップクラスに早かった。
ビーチサンダルを履いた足で歩けば、熱い砂の感触が伝わってくる。リゾート地なだけあって良く整備させれた砂浜はゴミや漂流物も無く綺麗だ。海風はビーチに来た海水浴客のはしゃぎ声が一杯乗っている。ざっと見渡せば数百、あるいは千に届くだろう人々が水着姿で波間に遊んでいる。ここだけ見れば日本のシーズン中の海水浴場みたいだ。
人の多さに早くも気勢を削がれる。山が良かったな、などと選択は諦めても後悔は残っていた。
「ルーナー、はようはよう」
「了解、今行く」
再度壱火の呼ぶ声がする。見れば彼女はぴょんぴょん飛び跳ねながらこっちに手を振っていて、それが周囲の目を余計に集めてしまい、本当にビーチでの注目の的になっている。彼女の隣では水鈴さんが居心地悪そうにして立っているのも見える。その姿もやはり水着だ。
軽く手を振り返して返答すると、これ以上注目を浴びない内にとさっさと二人の元へと向う。気が付けば、僕の口からは苦笑が漏れていた。
そう苦笑だ。来たくはなかったと今でも思うし、まだ納得は出来ないし後悔も残るものの、これが嫌な気分ではないと思えるようになっていた。壱火の強引だけれど不快ではなく陽気な誘いは、あの重かった空気を払拭して僕達を揃ってここまで引っ張り出すほどの威力を発揮したのだ。
確かにあのまま各自休暇を取るより、強引に何かイベントを作ってしまうのは有効な手だった。あの暗いムードを引きずらないよう開放的な気分になれる場所で行楽、考えてみれば海という選択も良い物に思えてきた。
壱火はどこまで考えていたかは不明だけど、今回はファインプレーなのかもしれない。
「よーし、来たね。じゃあ今からマサヨシの野郎を悩殺し隊を結成しまーす」
「何、それ。私、男を悩殺したくはないけど。どうせなら……ルナとか?」
「二人とも勘弁して欲しい」
本当にどこまでが考えの内に入っていたのか分かったものではない。こういうのも一種の天然なのかもしれない。自覚があるのかないのか不明ながら、周囲を振り回す才覚があって、周囲の人間はいつの間にか振り回される立場になってしまう。壱火の場合はそれが善性のもので、相手を不快にさせないオトクな性質だ。こんな難儀な性分の僕でさえ巻き込まれてしまった。もういっそ見事と言うしかない。
ここまで来てしまった以上、ジタバタしたところでどうしようもない。腹は括った、今日は楽しもう。今回の件は壱火の一人勝ちだ。
「悩殺云々は別として、二人と合流するのは賛成する。行こうか」
「OK、ばばんって感じに見せつけよう! ルナの場合、こう腰に手を当てて堂々とする感じで」
「それは、やらない」
「えぇ、じゃあ水鈴は?」
「マサヨシをどうこうという話がなかったら、良かったと思いまーす」
「Oh、なんてこったい」
主に壱火が中心になり、賑やかにマサヨシ君とレイモンドが待つ合流地点へと歩いていく。
僕はようやく気持ちに強引な決着を着けたけど、マサヨシ君はどうなんだろうか? 願わくば彼にとってこの遠出が良い息抜きになればと思う。
夏の暑い風が肌を撫でて過ぎ去っていく。ジアトーは様々な意味で暑い、あるいは熱い季節となっていた。




