承前・章前
・TS(性転換)要素を初めとした地雷要素が今回も多数埋設されております。苦手な方はご注意を
・暴力および流血描写がある予定です。同じく苦手な方はご注意を
・以上のことを踏まえ、用法用量を守り正しく読みましょう
この日、黒辺七夫の朝は動かしたままのパソコンの前から始まった。
眠気が抜けきらない頭でぼんやりと記憶を手繰ると、報告書作成のためにパソコンの前に着き、作成した報告書を電子メールで依頼者に送信した辺りまで思い出せた。
スリープ状態のパソコンを起して液晶画面を見てみるとネットのブラウザが開かれている。ウィンドウに表示されているコンテンツはいずれも共通してあるニュースを映している。
どうやら寝落ち直前までネットでニュースを漁っていたようだ。素直に寝床に入れない自身の悪癖に黒辺は自嘲してしまい、パソコンの電源を落とす。
座ったままで寝たせいで体のあちこちが痛みを訴えている。黒辺はそんな抗議を何とか無視してまず最初に空腹を満たすことにした。
地方都市の空洞化が目立つ中心市街地。そこに建つ古い雑居ビルが彼の住居兼事務所だ。空洞化が進んでいるだけに朝のラッシュ時だというのに外からの騒音は少ない。
簡単に作ったベーコンとスクランブルエッグにトースト、不足しがちな野菜は市販のジュースで補う内容だ。
仕事用も兼ねるデスクに朝食を置いて着席、トーストにマーガリンを塗る前に手近にあったリモコンでテレビをつけた。
『――次のニュースです。集団失踪事件から今日で三ヶ月が経ちました。警察庁の発表によると失踪者だと判明している数は十万人、不明ながらもこの事件での失踪者の可能性が高いと思われる数も合わせると二十万人に昇ると見られています。失踪者に関する手がかりは依然として掴めておらず、失踪者の親族からは不満の声が上がっています。これに対し警察庁は――』
朝のニュースが画面に現れ、キャスターが今日もこのニュースを取り上げている。無理もない、と黒辺は内心思いつつトーストにマーガリンを丹念に塗る作業に入った。
日本国内の不特定多数の人間が極めて短期間の内に十万人以上もまとめて失踪した事件。マスコミで報じられて早三ヶ月が経過しても手がかりは無く、ニュースの熱はまだ引きそうにない。
画面では失踪者の親が行方を眩ました娘を案じる場面が映されている。こんな風に姿を消した人を心配する場面が日本全国で十万以上、途方もなく巨大な事件なのだ。
マーガリンを厚塗りされたトーストをパクつきながら、リモコンでチャンネルを変えてみても同じ様な報道が流れている。言ってしまえばこの国の人口がいきなり十万人以上も減ったのだ。報道の熱はまだしばらく続きそうだった。
朝食を終えて食器を洗っていると、黒辺の携帯端末にメールの着信があった。仕事柄メールはすぐ確認する。
送信相手は依頼人。昨日の内に送った報告書に目を通した旨が書かれており、引き続き依頼の続行と経費の送金をしたと追記されていた。
ネットで自分の口座を確認してみると確かに送金されている。今抱えている案件はこれだけなので否やは無い。承諾と送金の礼をメールにして返した。
今日の予定もこの案件に集中して取り組もうと思っている。それは失踪した人物の捜索、報道されている集団失踪者の一人である。
黒辺七夫の職業、個人興信所の経営。有り体に言えば私立探偵だ。
探偵という職業が持つイメージはフィクションと実情とはかけ離れている。そんなことは少し知識をかじるだけでも分かるだろう。
殺人事件を推理したりしないし、ましてや銃器でドンパチなんてしない。個人や企業を相手に依頼された調査を行い、それを報告するのが仕事だ。少なくとも日本ではそれ以上のことは決してやらない。
調査内容はお決まりの浮気調査、企業の信用調査、そして人探しである。
日本の年間の行方不明者数は集団失踪事件の行方不明者数と同じ毎年十万人近く。それら行方不明者を探すのに警察はほぼ動かないし動けない。そういった仕事は黒辺のような人間に回ってくるのが大抵なのだ。
今回の事件でも警察は個別の対応は諦めており、もっぱら失踪者の共通事項であるゲーム『エバーエーアデ』、その開発販売と運営を行った企業に捜査の手を進めているようだった。
だからここでも個別の調査は興信所、探偵の仕事になっていた。他人の不幸、不信を飯の種にする因果な仕事。だからだろう、今回の様な出来事に遭遇してしまう。
この人探しの依頼を受けたのは仕事である他にも個人的な事情も含んでいる。簡潔に言えば失踪した人間が黒辺の友人でもあるからだ。
勝又太一。中学からの付き合いで、いまだに交友のある旧友だ。
◆
身なりを整えた黒辺は愛車の旧式ミニを転がして街へ繰り出す。これまでの調査では勝又太一とその息子、勝又総司の行方に関する新たな進展は見られなかった。よって次からは切り口を変えてみようと思ったのだ。
失踪者が共通してプレイしたゲーム『エバーエーアデ』関係については警察が動いているので探偵はお呼びではない。彼が調査するのは対象個人の周辺人物からだった。
勝又は十年ほど前に妻を亡くして以来、息子と二人で父子家庭をやってきた。依頼人は勝又の弟、黒辺自身も兄弟セットで交友してきたので馴染みは深い。探る点は勝又の活動範囲から。職場、息子の学校、行きつけの飲み屋、今でも顔を出しているボクシングジム、良く行く店と多岐に渡る。
話を聞く相手も数多い、太一の親族、妻の方の親族、息子の交友関係、職場の同僚、ボクサー時代の同期、等々すでにして聞き込み人数は百人に届こうとしていた。
黒辺が勝又の行方を捜索していると話せば皆協力的で、一様に勝又とその息子の行方を心配していた。この辺りに彼の人徳が窺える。
だが、聞き込み相手が協力的であっても人探しは難航していた。調査を進めるほどある日、ある時間を境に勝又とその息子はこの世からふっつりと煙のように消えてしまった印象が黒辺には感じられた。
交流のある同業者にも連絡を取って、別の失踪者についても聞いてみたが黒辺の件と似たような具合だという。何の痕跡も残さず世間から姿を消した。ここまでで黒辺が分かったのはこの位であった。
そこで今回からは少し調査相手を変えてみた。調べるのは勝又と同じ失踪者、複数の失踪者を調べ上げ『エバーエーアデ』以外にも共通事項や共通人物を見出してみようというのだ。
黒辺が拠点にしている地方都市周辺でも失踪者の数は百件程はある。地道な調査は慣れっこでも今から気疲れしそうだった。
市町村合併でかなり広くなった地方都市を旧式ミニで東奔西走。失踪者の関係者に連絡を入れて面接、話を聞いてメモを取り、ボイスレコーダーに記録して、許可を得てから写真撮影と一通りの記録を残す。
関係者の多くは協力的なのが幸いして短時間でこれら聞き込みの数は積み上がっていく。失踪者を案じる気持ちがその協力的な態度の根底にあると思えば、黒辺は素直に喜べなかった。
順調に数を消化していても時間は確実に経ち、日の長い夏場でも夜に入る時間帯になった。これ以上は聞き込みするには不適切な時間になる。黒辺は早々に見切りをつけて事務所に戻ることにした。
けれどその前に最後の一件、と黒辺はミニのハンドルを切った。
最後の一件としたところにはアポなしで訪れていた。と言うよりアポを取る相手がどこにも居ないのだ。
市街地の外縁部、少し歩けば田畑が広がっている一方で郊外型大型店舗が軒を連ねているような土地にポツンと一件の住宅が建っていた。周辺の住宅から少し離れており、平屋作りの家がコンクリート塀に囲まれている姿は侵入者を拒むようだ。黒辺は手近な路肩にミニを止めて助手席に広げた資料を漁る。
ここの住人が失踪者になっており、その人物が一人で暮らしているため今は空き家になっているのが目の前の住宅である。最初から一人で暮らすこと前提なのか、周辺の広々とした土地に対して家の大きさはこぢんまりとしていた。
同業者から取り寄せた資料によると、ここに住んでいた住人に家族や親戚は無く、仕事にも就いていないので仕事関係の知人もいない。正真正銘の天涯孤独の人物らしい。
これまでの職歴に自衛隊、その後にアメリカの民間軍事会社というかなり特殊な経歴を持っているが十年以上前に離職、その後はどこにも務めていない。当時の同僚も大半は海外で、自衛隊員の方もコネが少ないため期待できない。
これが普通の案件だったら調査線上に浮かんだ途端に怪しむべき人物なのだが、生憎と今回は普通ではない。黒辺のそこそこ頼りになる勘も事件に巻き込まれた一被害者だと告げている。
ミニから降りた黒辺は一先ず住宅をグルッと一周してみようと歩き出した。空き家とは言え不法侵入で捕まりたくない。
こぢんまりとした住宅なだけにあっという間に一周してしてしまう。調査の手がかりとなるものも当然として無く、無駄足としか言い様がなかった。それでもそんな無駄を積み重ねて結果を拾い上げるのが探偵という仕事だと黒辺は承知している。軽く溜め息一つ吐いただけで気持ちを切り換えた。
それにしても、と一周したばかりの住宅を振り返り彼は思う。見事に独りで完結して他者を受付けない家だ。
頑丈なコンクリート塀に囲まれた平屋の家。窓は鉄格子か窓用のシャッターで閉ざされ、玄関も鉄格子のドアの奥にあって鍵が三つ付いていた。各所に監視用のカメラもあって、そこらの銀行よりもセキュリティが高そうだ。
加えて屋根にはソーラーパネル、傍を流れる用水路にも家庭用の小型水力発電機、家庭用蓄電池も見かけたので自前で電力を賄えそうだ。水も井戸水をくみ上げるポンプと貯水槽を見かけたので万全なのだろう。
さらに書類によると、猟銃としてライフルと散弾銃も所有しているとある。篭城戦でもする予定があるのだろうか。
犯罪と災害に備えていると言えば分からなくはないが、ここまで過剰だと偏執狂じみたものを黒辺は感じてしまう。ふと昔のモンスターパニック映画に出てくる登場人物を思い出した。
サバイバリストでガンマニアなその登場人物は終末に備えて核シェルター付の家に武器や食料を備蓄していた。まさかこの家も地下に核シェルターがあったりするのだろうか? などと詮もないことを考えつつ、黒辺はミニに戻って帰り支度に移った。個人的には興味が湧いた場所だが抱えている案件には関係が薄い。もう来る機会もないと思われる。
ミニに乗った黒辺はキーを回してエンジンをかける。直列四気筒エンジンが目覚め、ヘッドライトに加えて追加の補助ランプが前面を明るく照らす。ギアを入れてさあ発進、というところで衝撃が襲った。
「ぐあっ、な……動物?」
発進して幾らも走らない内に車の前に小さな影が飛び出して轢かれた。一瞬見えたシルエットは人型ではないので人身事故ではないと胸をなで下ろした黒辺だが、今度はミニのダメージが気になった。クラシックカーの分類に入るので愛着もあって大切に乗りたい。
車から降りてまず確認したのは車の前面の確認。轢いたのは小型生物だったためか、大したダメージはない。ただ四連の追加ランプの一つが割れているのには悪態をつきたくなる。
舌打ちしつつ、いきなり飛び出してきた馬鹿なナマモノの姿を見ようと首を巡らした。
「なんだ、これ。恐竜? まさか」
ミニのライトに照らされたその生き物は、車にはねられたダメージですでに息絶えて路面に転がっていた。
問題はその姿。長い尾を抜けば大きさ五〇㎝ほどの小さな体は鳥に似ているが、黒辺の目には映画で見た恐竜を思わせる姿形をしている。もちろん恐竜の訳がないと浮かんだ考えを打ち消したが、見慣れない生物であることは確かだ。
しばらくこの死骸をどうするかと考えた黒辺だったが、車から出した証拠品収集用のポリ袋に死骸を入れるとしっかり口を締めて後部座席に放り込んだ。知り合いに大学の研究室に所属している人間がいたので、これを渡そうと思ったのだ。あわよくば謝礼とかで破損した追加ランプの修理費を賄えればという打算もあっての行動だった。
正体不明の死骸を載せたミニはこうして市街地へと帰っていく。その後ろを人ならざる複数の目が見ていたことに黒辺は最後まで気が付かなかった。




