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暗い面持ちで視線を落とす兼弘を横目で見やり、曽根も又、小さく頷いて言葉を継いだ。
「警察は先例の無い犯罪に、えらく困惑したらしい。追跡調査に悪戦苦闘した挙句、最後は犯人が嘘をついていると決めつけた」
「嘘?」
「事件の少し前から、インターネットの掲示板で『財団』にまつわる都市伝説が流れていてね」
「又、ネットですか」
「黎明期だったんだよ、色んな意味で」
「……はぁ」
「今思えば、あのアメリカの同時テロは、人の世がカオスへ呑まれる不吉な号砲だったのかも知れない」
「その混沌に、警察も対応しきれなかったんですね」
「ああ、捕まった犯人はみな都市伝説の影響を受けたか、便乗する愉快犯の思惑に乗せられたという結論にしちまった訳さ。
以降、『財団』を名乗る者の暗躍が途絶えた事もあって、捜査は事実上終結した」
「都市伝説の具体的な内容は? やっぱり、アラブのテロリストですか?」
「いや、もっとブッ飛んでる。ある億万長者が、末期ガンで悶死する寸前、ヒトの本性が闇である事を証明したいと言い出して、その莫大な財産を馬鹿げた目的へ捧げたっていうんだ」
「はぁ!?」
「ある意味、究極の愉快犯さ。何の見返りも求めず、ただ心の奥に燻る闇を解放させる為だけに巨万の富を寄贈、忠実な管財人のグループへ託した」
「つまり、それが『財団』の正体だと言うんですね」
「フフッ、世の中には幾らでもイカれた金持ちがいる。一人くらい死に際にそんな遺言を残したとしても俺は驚かない」
「……本当に得体の知れない話」
「『財団』が急に消えたのは、捜査一課から事件を引き継いだ公安が秘密裏に処理し、情報を隠蔽したからだという説もある。
まあ何を信じようと、泊君、君の自由さ。どうせ、遠い昔話。どうあがいても、真相なんか判らないんだから」
兼弘は溜息をつき、窓の方を見た。
御三階櫓からの絶景で陰鬱になりそうな気持ちを駆り立てようとしたのだが、俄かに黒雲が生じ、鮮やかな空の青は失われようとしている。
「君さ、もしかして、この送り状で何か危ない物とか、受け取った?」
曽根の唐突な質問を受け、兼弘の身体が凍りついた。
「お、何だ、図星かい?」
「……いや、そんな事ありませんけど、でも曽根さんならどうします?」
「爆弾や銃が送られてきたら? うん、すぐ警察へ届けるのが一番だろうが」
そこまで言い、曽根は首を傾げてニッと笑った。
「意外と、しばらく手元においておくかもなぁ。人の命を易々と奪える力……そんなのがあったら、気持ちに余裕ができるだろ」
「余裕、ですか」
「憎たらしい奴でも、何時でも殺せると思えば、気持ちに余裕が生じてくる。許す気になれなくても、その場はお茶を濁して済ませそうな気がする」
「……はぁ」
「国と国の関係に言い換えるなら、抑止力って奴だろうな。絶対に使えない反面、あるだけで決定的対立を回避できる最終兵器さ」
「……曽根さんみたいに幸せな余生を送る人なら、そんなの必要ないでしょう」
「フフ、誰が幸せだって?」
「奥さんとも、いつだって仲が良いし」
「見た目と中身が同じとは限らないぜ。特に夫婦の間は……」
格子窓から市街を見下す曽根の眼差しに、ほんの一瞬冷たい光が宿り、兼弘の背筋を凍らせた。
『財団』の真偽がどうあれ、多分、解き放たれるべき悪意はこの世に満ちているに違いない。
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