第23章
「あなたの方がスパイに向いているんじゃない?」
私はルーディー君と一緒にターリャ姉様達の後を少し離れて歩きながらそう言うと、彼は肩をすくめた。
「認識阻害の魔法を使えば誰だってスパイになれるよ」
「そんなことはないでしょ。目の前の人、情報部の人なんでしょ。でも向いてないと思うわ。
すっかりターリャ姉様に夢中になっていて、完全に任務を忘れている時があるもの。いくら魔法使えたとしてもあれじゃ意味ないわ。
それに比べてルーディー君は、どんな時も冷静沈着で感情に左右されないもの。それにいつでも先を見据えているしね」
近頃なんとルーディー君は、エストラード協和国で出版された政治学の本を読んでいる。
隣国は大陸の中で一番進んでいる民主的な国なのだ。
おそらく彼はツーホーク領が独立した後のことを考えているのだ。
壊すのは簡単だが、そこから再建するのはかなり難しい。壊した後のことを考えてから行動しないと、ただ混乱を招くだけだと、以前彼は言っていた。
本当にすごいよ、ルーディー君は。
「君の言葉を聞いていると、僕はまるで感情のないロボットかなにかみたいに聞こえるよ。
僕だって人並みに心はあるよ。君にもし何かあったら、きっとパニックになってあらぬ失敗を起こす可能性はあるんだよ」
「ロボットって何?」
「えっ? 質問はそこなの?
ロボットっていうのはね、まあ、人間の形をした人形みたいなものだよ。まあ、猫型や犬型もあったけど……」
「あら、そうなんだ」
「仕方ない。まだ九歳なんだから、もう少し我慢、我慢……」
「何が我慢なの?」
私が聞いてもルーディー君は、いつものわざとらしい笑顔でなんでもないよ、と言った。
「それにしても、あの人、ターリャ姉様のことをまだ白龍姫だと思っているのかな?
それとも違うとわかっているのに、単に好きだから付き合っているのかしら?」
姉と並んで歩いているリョーグと名乗っている令息は、相変わらずにこにこしながらターリャ姉様の一方的なおしゃべりを聞いて頷いている。
おそらく我が家の情報を聞き出そうとしているのだろう。
でも、うちの家族は大事なことはターリャ姉様の前では何一つ話していない。
それは決して姉様を信用していないからではなく、危険にさらしたくないからだ。
知らないことは話せないものね。
でも、姉様の漏らした一言に、私は思わず足が止まってしまった。
「そういえばね、うちに泥棒が入ったのよ。怖いわ」
「何か盗まれたのかい?」
「ええ。宝石箱を。それもかなり大きくて重いものを。
きっと何人もの人で運んでいったのだと思うわ」
「失礼なことを言うようだけれど、君の家って、その……それほど余裕がないって聞いていたけれど、そんな財宝があったならどうしてそれを売らなかったの?」
「父様の宝物だったの。中身は知らないけれど。だから、絶対に手放したくないって昔言っていたわ」
「宝物……
それで犯人は見つかったのかい?」
「いいえ。警らの人が言うには、あまりにも鮮やかな手口だから、よその国のかなり大掛かりな犯罪組織が絡んでいるに違いない。だから、見つからないんじゃないかって。
盗賊達が侵入したと思うと怖くて、家中の鍵を替えてって、私頼んだの。
でも母様はどうせもう取られるものなんてないわ、なんて呑気なことを言っていうのよ。
そして、ただでさえ姉様達の準備で物入りなのにって、渋い顔をされちゃったわ」
リョーグさんは一瞬、先を越された! しまった! みたいな顔をしたけれど、慌てて心配そうな顔を作ってこう誤魔化したわ。
「それは大変だったね。でも、大事な嫁入り前の娘が四人もいるんだから、出費も仕方ないよね」
と。
「ルーディー君はスパイだけじゃなくてやり手の泥棒になる素質もあるみたいね。
大掛かりな犯罪組織どころか、たった一人であの封印箱を聖地まで運んだんだものね」
私は本気でそう褒めたのだけれど、ルーディー君は珍しく嫌そうな顔をした。
まあそうだよね。ルーディー君のような清廉な人間に、泥棒の素質があるなんて失礼よね。
盗み見や盗み聞きだって好きでやっているわけじゃないんだし。
全ては私達庶民から悪人や危険な人を排除して、平和な社会を再構築するという、崇高な理想のためだもんね。
まあ、それはともかく、ターリャ姉様に彼氏ができたと知って、母様の角の入ったあの大きな封印箱を聖地に移しておいて正解だったわ。
ルーディー君は強化魔法を使って軽々と自分の体より大きな封印箱を持ち上げると、そこからさらに認識阻害魔法を使ったみたいで、すっと姿が見えなくなってしまった。
私は先導するように母様の実家へと向かい、洞窟の中に入った。
最近はルーディー君もこの洞窟から聖地へ行く。けれど大きな封印箱は狭い穴を通り抜けられないのはわかっていた。
そのため、ルーディー君は初めて逢った時のように空を跳んだのだ。
よくこんな大きくて重い箱を持って跳べたものね。
聖地に足を踏み入れると、すでにルーディー君は石碑の側に立っていた。
凄い。凄すぎるわ。
私は改めて尊敬の念を抱いて彼を見つめた。その凛々しいすっとした立ち姿はまさしく騎士様。私のヒーローだった。
ターリャ姉様の思い人は、本当に彼女のヒーローになってくれるのだろうか?
最初の目的はともかく、これからどうするつもりなのだろうか?
姉様を傷付ける真似だけはしてほしくない。姉様達の尾行をしながらそう願った私だった。
しかしその後、リョーグさんはとんでもない事態を引き起こし、姉様の初恋は木っ端微塵に吹き飛ぶことになったのだ。
彼は真の悪人ではなかったと思う。いや、中途半端だったのがいけなかったのではないだろうか?
国からの命令に忠実に従うか、反逆罪覚悟で命令に逆らってでも恋人を守るか。それを決断できていれば彼ももっとましな結末を迎えられたと思う。
九歳だった私が言うのもなんだけれど、まあ、まだ十六では難しかったのかもしれないなあ、なんて思った。
誰もがルーディー君みたいに確固たる信念を持って判断できる人なんて、大人でもそうそういないんじゃないかな、って思うし。
だって、尊敬していたマータン=メシトウ先生でさえ、今さら?と驚くような行動をその後とったのだから。




