第18章 父親視点②
一晩過ぎても胸の痛みは治まらなかった。痛み止めも効かず、俺は悶絶した。そこで夜になって、やむなく軍医は強烈な睡眠薬を処方してくれた。
そしていつの間にか眠ってしまい、夢を見た。
一人の少女が数人の男達に拉致されて馬車に連れ込まれた。
俺は慌てて馬車に向かって走って行ったが、馬車は走り出した。
体力強化魔法を使ってそれを追おうとしたのだが、なぜか距離は離れるばかりで、やがて見失って俺は絶望してその場に立ち尽くした。
「彼女を助けねば!
なぜこんな所でへばっているんだ。立ち上がって後を追え!」
激しく動揺しながらも己に鼓舞しようとしたところで俺は目を覚ました。
しかし夢か現か分からずに暫く混乱していた。
ちょうどその時にドアをノックする音がして、衛生兵が顔を出した。
「具合はどうですか? 面会人が来ているんですが、会えますか?」
「面会人?」
同僚かと思って俺は頷いた。しかし、入って来たのは思いも寄らない人物だった。
「ケント、久しぶりだな」
「ショータン先輩! どうしたんですか、王都に来るなんて」
意外な人物の登場に俺は驚いた。客というのが学舎に通っていた頃散々世話になった、領主の息子だったからだ。
「私は学園の卒業後に官吏になって王城勤めをしているんだよ。知らなかったのか?」
「知りませんでした。てっきり領都に戻っているとばかり思っていました。嫡男だし」
「それを言うなら私も、君が騎士団に入っているとは思いもしなかったよ。
去年、卒業したら王城勤めをしないかと誘おうと思って学園に連絡したら、そんな学生はいないと言われて驚いたよ。
そして実家へ連絡したら、君が騎士団に入ったと聞かされたんだ。
それですぐに会いに行ったが、君は遠征中だということで面会が叶わなかったんだよ」
「すみません。全然知りませんでした。
ご足労おかけした上に連絡もせずに申し訳ありませんでした」
俺は先輩に平謝りした。あんなに世話になっておきながら、騎士団に入ったことさえ報告もしていなかった不義理を申し訳なく思った。
騎士団に入ってからは毎日が慌ただしく、その日その日のことで精一杯だったので、過去のことや故郷のことを考える余裕が全くなかったのだ。
そう。今朝あの少女の夢を見るまでは、故郷の人間なんて誰も思い出さなかった。
夢の中に現れた少女は、学舎時代の二つ年下の後輩で、同じ生徒会の仲間だった。
今では平民の娘だったが、祖父の代までは伯爵位を持つ名門中の名門の由緒正しい家のお嬢様だった。
名前はヒラリス=オーリス。
プラチナブロンドのサラサラヘアーに大きな赤い瞳をした絶世の美少女。
陰で皆から白龍姫と呼ばれていたオーリス家の長女。
彼女を好きにならない者などいなかったと思う。
彼女は家柄の良い美少女というだけではなく才女であり、なおかつ明るく優しい誰とでも親しくなれるような女性だったからだ。
つまり俺とは正反対の人物だった。
彼女はいつも仏頂面の俺にも優しく声をかけてきた。俺が「ああ」とか「なんだ?」くらいしか反応しなくても全く気に掛けることもなく、他の役員達と分け隔てなく接してきた。
彼女はよく手作りの菓子を持参してきて、みんなに配っていた。ところが俺のだけ他の菓子より大きい気がした。
俺に同情しているのかと少し腹ただしく思っていたら、俺のいないところで他の仲間達にこう言っているの聞いた。
「ワントゥーリ先輩って、私の体重の二倍はあると思うのよ。だから食べる量も倍だと思うわ。
だってクッキーを手で掴むと豆粒の大きさに見えるんだもの」
「たしかにね。普通の量だと全く食べた気がしないでしょうね」
「でしょう? だから先輩の分は大きめにしてるのよ。
男の子は運動量が多いから、夕食までお腹がもたないと弟達が言っていたし」
彼女はそう笑っていた。同情なんかじゃないと分かって嬉しくなった。
それからというもの、彼女のことが気になって仕方がなくなった。ずっと顔を見ていたいと思ったし、あの鈴を転がしたような声を聞いていたいと願った。
しょせん俺もその辺の奴らと変わらないちょろい男だったのだと自覚した。
しかし、俺なんかに好きになられても迷惑だろうと考えて、彼女に不要な用件で話し掛けるような真似はしなかった。
そもそも彼女の香りを嗅ぐだけで堪らない気分になるので、できるだけ距離を取ろうとしていた。
ところが、ある日父親がこんな事を言い出したんだ。
「お前、ヒラリス=オーリス嬢と知り合いだそうだな。何も言わないから、今日人からそれを聞いて驚いたぞ」
会話なんて全くないのだから当たり前だろう。馬鹿なのか?
「親しくしてもらっているのか?」
「同じ生徒会役というだけだよ。ろくに会話もしたことないよ」
「お前、生徒会役員なのか?」
何を言っているんだ今さら。三年前から役員をしているのに。
「お前、ヒラリス=オーリス嬢の近くにいて胸がどきどきしてたり苦しくなったりしないか?」
正直ドキンとしたが、その他諸々の男達のように彼女に、自分までその夢中になっている取り巻きの一人だと思われるのもしゃくだったので
「なんだそれ? するわけがないだろう。彼女は仕事仲間なんだぞ。そんな不謹慎な気持ちになるわけがないだろう。
そもそもなぜそんなことを聞くんだ?」
「お前が白龍姫の守り人なら、主であるヒラリス=オーリス嬢に心が反応するはずだからだ」
「何を言っているんだ。ヒラリス嬢が白龍姫だなんて言うのは単なる噂だろう」
俺が呆れたようにそう言うと、父親はふんと鼻を鳴らし、俺を見下すような目で見た。
「あれは噂なんかじゃない。オーリス家がかつて伯爵家だったのは、他国からの目を誤魔化すためであり、事実上王家と同じたった。
そしてその王家であるオーリス家を我がワントゥーリ家、そしてキンペリー家とメシトウ家が支えるという体制で国を維持してきたのだ」
父の話によると我が家を含む四家は神や精霊の子孫だったらしい。人間と混じり合ううちに、やがてその姿は人間の姿になっていった。
しかし、国が危機的状態になる度に先祖返りする者が現れて立て直してきたのだという。白龍姫とその守り人として。
彼らはたとえ距離が離れた場所にいたとしても、皆以心伝心で助け合うのだという。
しかも仲間は匂いで分かると言われているらしい。
匂い……
その言葉に大きなショックを受けた。たしかに彼女の香りを嗅ぐと堪らない気分になった。
あれは異性に対する自然な反応かと思っていたのだが、そうではなくて守り人としての本能だったのか?
彼女への思いは恋愛感情ではないということなのか?
結婚は絶対にしないが、せめて恋くらいは人並みにしてみたいと思い始めていた。
しかし、やはり自分はこの血に翻弄されるだけで、本当の恋はできない人間なのだろうか。
違う。俺は守り人として彼女を大切にしたいと思っていたわけじゃない。
純粋に一人の男として彼女を好きなんだと俺は思いたかった。
だからこれまで以上に彼女から距離を取った。そして彼女と離れたくて王都へ出のだった。
その後、友人や先輩に何度か女性を紹介してしてもらった。
しかし、結局誰とも付き合うことはなかった。ヒラリス=オーリス嬢の姿が脳裏から離れなかったからだ。
そんな過去のことを思い出しながら、俺はショータン先輩に訊ねた。
「今日はどうされたのですか?」
「体調が悪いと聞いたがどんな具合なんだ?」
「一昨日の夜、呼吸困難になるくらいの胸痛に襲われたのです。心臓も肺も異常はないと言われたのですが、とにかく痛くて苦しくて。
痛み止め効かなくて、昨夜は強い睡眠薬を処方してもらってようやく眠れました」
「やはりそうか……」
ぼそっと先輩は呟いた。そして一人納得して頷いていた。
「やはりとはどういう意味ですか?」
「実は私も一昨日の夜、君と同じ症状が出たんだ。まあ、君ほど強烈ではなかったが。
そして昨日、学園に在学中のハルトン=キンペリーから電話がかかってきたんだ。
胸騒ぎがする。ヒラリス=オーリス嬢に何かあったんじゃないかって」
それを聞いて俺は瞠目した。




