91.その光を浴びて
大きな建物を目の前にして、俺は一つ深呼吸をする。俺の心は、高揚していた。
足を踏み入れたのは、テレビ局だ。
結婚式が終わって五ヶ月が経った、四月の始め。
ある報道番組のコーナーに、俺は出演することになった。
昨今は、白血病になる人が増えているらしい。
昔は十万人に一人と言われてた白血病が、今では十万人に六人から七人もの人がなる病気なんだとか。
有名なスポーツ選手や芸能人がこの病気になって、ニュースに取りざたされることも少なくない。
そこで、この三月で完治した俺に、オファーがきた。
アンゼルード全陸に入ってプロ生活を始めて、ちょうど一年の節目の時期。俺は当然、快諾した。
今日は俺の経験を語れるチャンスだ。
そして、礼を言える最大のチャンスでもある。
中に入ってカメラが回り始めると、インタビュアーが次々と俺に質問をしてくる。
俺はそれに、包み隠さずすべて答えた。
苦しかったことも。動けなくなったことも。
同じ白血病仲間のマツバが死んで、絶望しかけたことも。
そんな時、家族や仲間や病院の人達に助けられた。
力をもらえた。
絶望の中、必死になって助けようとしてくれる人たちが、そこにはいた。
何度も輸血して、その度に献血をしてくれている人達にも感謝したこと。
輸血パックは、誰が提供してくれた物か俺にはわからないけど。
多分、ものすごい数の人にお世話になったんだ。
それらを伝えた後、俺はインタビュアーに二通の手紙を取り出してみせた。
「俺は、本当にたくさんの人に支えられてきました。名前を上げればきりがないくらい、大勢の人に応援してもらって。特に、頂いたこの二通の手紙は宝物です」
「それは、どなたからのお手紙ですか?」
「俺に骨髄液をくれた、ドナーさんからです」
俺は語った。
最初に決まっていた提供者さんが、なんらかの事情で提供できなくなってしまったこと。移植日まで時間がない中、この提供者さんが了承してくれたことを。
「手紙には、〝僕が君の一番のサポーターだ〟と書いてくれていました。俺がこうして元気になってサッカー選手になれたのは、骨髄を提供してくれたドナーさんのお陰です」
潰えそうになった夢と希望と元気な体を与えてくれたのは、間違いなく提供者さんのお陰で。
会えることはないとわかっていたから、こうやって公共の電波に乗せてお礼を言うのが夢だった。
もちろん、この番組を見てくれているとは限らない。サッカーなんて興味ないかもしれない。
俺に骨髄液を提供したのが自分だなんて、気付く可能性は低いだろう。
それでも俺は言い続ける。
伝わっているかどうかわからなくても、この感謝の心をずっと持ち続けるために。
収録が終わって何日かすると、その番組が放送された。
一緒にテレビを見ながら朝飯を食べていた真奈美が、「本当にあの時は頑張ったね……」と少し心を痛ませたように呟いた。
「そうだな。でも頑張れたのは、みんながいてくれたお陰だから」
俺が笑顔を見せながら言うと、真奈美の痛みを帯びていた顔は優しくほころんだ。
中学二年のほとんどを病院で過ごしたあの日々を、俺は一生忘れないだろう。
吐き気と闘って、苦しみと闘って、絶望がすべてを覆い尽くそうとしたこともあった。
でも忘れちゃいけない。
苦しかったのは、俺だけじゃなかったんだ。
周りにいた人たち、すべてが。同じように苦しんで、そして必死になって救おうとしてくれた。
立場は違えど、手段は違えど。
俺を想っていてくれてたことに変わりはない。
あの日々がいい経験だったなんて言えるのは、俺が生きているからで。
マツバのことを思うと、今も胸が痛い。
それでも俺は、当時の経験のお陰ですごく成長できたと思ってる。
少なくとも、病気をしていなければ、こんなに周りに感謝をすることはなかっただろう。
プロになる夢を叶えていたとしても、自分の力だけで成し遂げたと驕っていたかもしれない。
病気なんか、誰だってなりたくない。
でも、俺にとっては必要なことだったんだ。
病気になったからこそ、見えたことがたくさんあったから。
テレビは俺のインタビューに答える声をバックグラウンドに、高校の頃の全国大会の試合がダイジェストで流される。
高校一年、高校二年、そして高校三年の全国制覇。
テロップには、〝仲間達と夢を叶えた瞬間〟と書かれてある。
映像はアンゼルード全陸へプロ入りが内定した時の合同記者会見へ。
そしてJリーグでプレイするダイジェストへと。
直近の試合でゴールを決めて、吠え猛る俺の画像で静止された。そして画面の半分が切り替えられて、インタビュー時の俺の姿が映し出される。
『俺がこうして元気になってサッカー選手になれたのは、骨髄を提供してくれたドナーさんのお陰です』
テレビの中の俺は、本当に嬉しそうにそう言って締めくくられた。
最後に明日の伊利ファレンテイン対アンゼルード全陸の試合のテロップが映し出されて宣伝される。
アウェーの試合だから、今日現地入りして明日の水曜にナイター試合だ。客がたくさん入るといいな。
「颯斗、明日はお義母さんたちと応援に行くからね」
「おう、応援頼むな!」
毎試合ではないけど、誰か彼かは試合を観に来てくれる。
全力で応援してくれる、俺のサポーターたちだ。
だから俺も、全力でそれに応える。
恩返しをしてるつもりはない。
俺は欲張りだからな。
みんなが喜ぶこと、全部やってやる。全部叶えてやるんだ。
いつもバランスを考えてくれているご飯を食べ終わると、俺はおもむろに立ち上がった。
「じゃあ、行ってくる!」
「はい、いってらっしゃい」
真奈美の柔らかな声に送られて、俺は家を出る。
空は雨だった名残の雲間から光が差し込み、幾筋にも増えていく。
そして未来が開けるように、太陽の光がすべての大地を照らす。
俺はその光を浴びて。
「よし」
気合いの言葉を放つと、拳に力を入れて歩き始めた。
これからなにがあろうとも。
何度も、何度でも、俺は。
再び、大地に立つために。




