81.マツバの家へ
旅行は、夏休みが終わった後の九月の土日を利用することになった。夏休み中は、もうどこも予約がいっぱいだったからだ。
運転手兼引率に父さん、そして俺と智樹、真奈美とその友達の篠原さとりだ。篠原も合唱部で、俺たちと同じクラスだから、智樹や俺とも比較的仲がいい。
「じゃあ、忘れ物はないか!? 行くぞ!!」
運転手の父さんは、朝から気合いが入っていた。遠いから、朝五時からの出発だ。
途中で休憩を挟みながら、俺たちは石川県を目指して走った。
無事に金沢に入って兼六園に着くと、まずはその広さにみんなは目を剥いた。
どうせ行くなら遊園地の方がいいって言ってた智樹も、大きな根上松を見たときには「来てよかったなぁ」と呟いていたくらいだ。
真奈美や篠原たち女子軍も、徽軫灯籠を見てはステキ、霞ヶ池を見ては絶景だと写真を撮りまくっていた。
「ここはなぁ、冬がまたいいんだ。雪が積もると景色が一変する。大きくなったら、またいつか来てみるといいぞ」
父さんはそう言いながら、どこか懐かしそうに目を細めている。
「颯斗君のお父さん、ここに来たことがあるんですか?」
「ああ。実はここには新婚旅行で来たことがあるんだよ」
篠原の問いに、照れ臭そうに笑う父さん。うげー、気持ち悪い。ノロケかよ。
真奈美や篠原は「ステキですね」とかなんとか言っていて、ただのお世辞だってのに、父さんは嬉しそうにしている。
けど、新婚旅行かぁ。折角だから俺は、国内より海外に行きたいな。
……まぁ、まだまだ先の話だけど。
兼六園を堪能して金沢城も見た後、俺たちは早々に旅館に入った。そして、みんなには自由に過ごしてもらって、俺だけが出掛ける準備をした。
「じゃあ、ちょっと行ってくる」
「なぁ、やっぱり父さんも……」
「颯斗、私も……っ」
名乗りを上げた二人に、俺は首を横に振って答えた。
「ごめん、やっぱり敬吾と二人でゆっくり話したいんだ。夕飯までには戻るから、みんなは楽しんでて」
まだなにかを言いたそうにしていたけど、結局なにも言わずに送り出してくれた。
敬吾の家に近い旅館を取ったから、歩いて行ける距離だ。スマホでマップを確認しながら歩いてたら、難なく敬吾の家に着けた。
目の前の一軒家は、うちと同じくらいの大きさだ。それだけでさらに親近感が湧く。
「……よし」
一呼吸置いてから、俺はその家のチャイムを鳴らした。どうやら待ち構えていたようで、インターホンを通さずにいきなり扉が開く。
「……ハヤト?」
「うん。初めまして、敬吾」
俺と同い年くらいの男子が出てきたから、確信的に名前を呼びあった。
敬吾は嬉しそうに顔を崩すと、「いらっしゃい」と家に招き入れてくれる。
真っ先に仏壇に手を合わせ、持ってきた菓子折りをお供えさせてもらった。
もう少ししたら母親が帰ってくると言って、敬吾がお茶を出してくれる。
「遠いとこ、わざわざありがとう」
「いや、マツバとの約束だったしな。後で墓参りも行きたいんだけど」
「うん、案内するよ。その前に、兄貴の写真を見てやって」
そう言って敬吾は「これ兄貴の端末」と言ってタブレットを見せてくれた。
その中の写真には、制服を着ているマツバが、友達であろう人物と一緒に映っている。
「ああ、こっちがマツバだろ?」
「よく分かったね」
「敬吾にそっくりじゃんか」
「そうかなぁ?」
写真の中のマツバはキリッとしていて、自信に満ち溢れている。敬吾はもうちょっと優しげな感じではあるけど、顔の作りはよく似ていた。
写真を次々にフリックしていくと、マツバがいかに友達が多かったのかがわかる。男も女も関係なく、みんなが集まって撮っている写真の中心は、いつもマツバだ。
「マツバって、こんな奴だったんだな。俺の想像そのままだ」
やっぱり、会いたかったな……と思うと、涙が出てきそうになって無理矢理飲み込んだ。
さらに次を見ていくと、今度は病院のベッドの上でピースしている写真に変わった。
「最初は元気だったんだよ。抗がん剤で気分の悪い日もあったみたいだけど、そこまで酷くはなかったんだ。酷くなったのは……僕の骨髄を移植してからだった」
「……敬吾」
「ああ、ごめん、大丈夫。ハヤトに僕の骨髄でダメだったなら、他の誰でも無理だったって言われて、そうかもしれないって思えて。悔しいけど、苦しいけど……これが兄貴の運命だったのかなって、最近はようやくそう思えるようになってきたから」
「……そっか」
そう言って見せる敬吾の笑顔には、力が全然なくて。
家族を亡くした悲しみは、多分いつまで経っても消えてなくなることはないんだろう。
俺はなにも言えずにまたタブレットをフリックした。
ずっと病院の中にいるマツバは、移植後から一気に痩せてげっそりとした顔に変わっている。
そして最後の写真には……俺にもわかるほどの明らかな死相が出ていた。
俺は自分の拳をギュッと握りしめる。
つらかったよな、マツバ……。
苦しくて、痛くて、悔しくて、悲しくて。
やりたいことだって、いっぱいあったはずだ。
生きたいって……ただ生きたいって、望んでただけなのに……っ。
黙りこくってしまった俺の正面から手が伸びて、敬吾がタブレットの電源を落とす。
なにを言おうか。気の利いた言葉でも言えればいいんだけど、俺なんかに言う権利はないような気がして。
少し居心地の悪い沈黙が続いていた時、玄関の方から「ただいま」という女の人の声がした。
「あ、お母さんが帰ってきたんだよ。お帰り、お母さん。ハヤトが来てるよ!」
敬吾がそう声をあげると、「まぁまぁ!」と声の主がパタパタと音を立てながら近づいてきた。
リビングの扉が開かれる。そこには優しそうなおばさんがいて、俺を見て目を細めた。
「いらっしゃい、ハヤトくん! よく……よく来てくれたわねぇ……っ」
まるで、以前会ったことがあるかのように、うんうんと頷きながらそう話しかけてくれる敬吾の母親。
そのおばさんが、俺に近付いたかと思うと、ギュッと俺の手を握った。俺は少し驚いて、目の前のおばさんを見つめる。
「頑張ったわねぇ、ハヤトくん……よかった……元気になって、ほんっとうによかった……っ!」
初めて会ったっていうのに、おばさんは涙を流さんばかりに喜んでくれて。
ぎゅうっと強く握ってくれている手が、心からそう思っているって伝えてくれる。
「ありがとう、おばさん」
「お礼を言うのはこっちよ。ずっと、ずっと仁志を応援してくれてて、ありがとうね。あの子、途中からいきなり看護師になるんだって言い出して……だから頑張るんだって、最期まで一生懸命に生きてくれたのよ」
おばさんの言葉に我慢ができなくなって、じわじわと視界が涙に侵される。
あの時俺が聞いたマツバの夢。それが、少しでも生きる気力に繋がっていたのなら、嬉しい。
「ハヤトくん、仁志に会いにきてくれてありがとう。あの子は夢を叶えられなかったけど、あなたはしっかりこの手で掴んでね」
優しくてあったかい手に包まれて、とうとう俺の涙は滑り落ちる。
言葉では答えられず、コクコクと一生懸命に首を縦に振った。
生きたくても生きられなかったマツバ。
やりたいことを叶えられなかったマツバ。
世の中には、そんな人がたくさんいるんだろう。
人はいつか死ぬ。
高齢者も赤ちゃんも……今日健康な人だって、明日事故に遭って死ぬかもしれない。
俺だって今は寛解状態だけど、じいさんになるまで生きられる保証は、どこにもないんだ。
そう考えた時、唐突に山チョー先生の言葉が頭に響いた。
〝サッカーも勉強も恋愛も、全部諦めるんじゃない! 欲張れ!〟
そうだ。生きているうちは、欲張ってしまおう。
一生懸命に生きるって、多分、きっと、そういうことなんだ。
そうやって生きないと、マツバに向ける顔がない。
俺はそんな風に感じた。
「仁志のために、泣いてくれてありがとう」
顔を上げると、今度はおばさんの方がポロポロ涙を流していて。
俺は逆に手を取ると、今度はギュッと握り返した。




