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再び大地(フィールド)に立つために 〜中学二年、病との闘いを〜  作者: 長岡更紗


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73.小児病棟を出て

 四ヶ月ぶりに、小児病棟の扉を開けて出た。

 まだ病院内だから開放感はないけど、気持ちはドキドキして落ち着かない。


「あら、颯斗君! 退院!? 」


 何度もお世話になった補助士のオバちゃんが話し掛けてくれた。


「うん、今までありがとう、オバちゃん!」

「よかったねぇ〜、長かったもんねぇ」


 本当に嬉しそうに言ってくれるから、俺も嬉しくなってくる。

 毎週シーツ交換してくれる人達や、清掃してくれる人、それに会ったことはないけど調理師さんや栄養士さん、薬剤師さん。事務方や、他にもたくさんの人たちが病院を支えてくれているんだろう。

 みんな、みんなに感謝だ。直接お礼は言えないけど、心の中ではありがとうを伝えておく。

 オバちゃんと別れてから、俺はエレベーターを三階で止めた。ここにも挨拶をしておかなきゃいけない人がいた。


「よーっす! 山チョー先生!」


 俺は院内学級の扉を開けると、砕けた口調でそう話しかける。すると後ろから母さんに頭を叩かれてしまった。


「こら、先生になんて言い方をするの!!」

「いてー」

「おー、ハヤト! とうとう退院かぁ!?」


 山チョー先生がいつもの底抜けの明るさで、ニカニカとやってくる。


「先生、息子がお世話になりました。颯斗のために色々プリントまで作ってくださったそうで……」

「いえいえ、それが仕事ですから! よかったなー、ハヤト! これ土産だ、持ってけ!!」


 ドサっと紙袋を渡される。もう見なくてもわかるけど、一応確認してみた。


「やっぱり最後までプリントかよぉおお!?」

「勉強頑張れよ!! サッカーも勉強も恋愛も、全部諦めるんじゃない! 欲張れ!! わかったか!?」

「おうっ」


 山チョー先生の気持ちがわかった俺は、拳を前に繰り出して。

 目の前に出された先生の拳に、ゴツっと当てる。


「こんなプリントなんか、あっという間にやっつけてやるからな!!」

「よっしゃ、その意気だ!」


 山チョー先生は『お前ならやれる』とでも言いたげに、俺のつるっぱげの頭をグリグリと撫で回した。


 プリントの入った紙袋を持って院内学級を出ると、今度はリハビリテーション科に向かう。ここにもスゲェお世話になった人がいるんだ。

 でも、目的地に着く前に、その人に会うことができた。


「塚狭先生!」

「え? 颯斗君!」


 塚狭先生は隣にいる患者さんを支えながら、廊下を歩いていた。リハビリの一環で、今から外を散歩しに行く途中だったようだ。

 塚狭先生は、俺の隣にいる母さんに気付いて会釈している。母さんも同じように頭を下げていた。


「先生、今までありがとう! 俺、今日で退院だから!」

「そうだったね。わざわざお礼を言いに来てくれたの? ありがとう! これからもサッカーは続けるんだよね?」

「もちろん!」

「あはは、好きなことを頑張るのが、一番のリハビリだよ。頑張ってね、退院おめでとう!」

「ありがとう、塚狭先生!」


 あまりリハビリの邪魔をしちゃ悪いだろうと、俺は短めに切り上げて手を振った。塚狭先生も嬉しそうに手を振ってくれる。

 歩けなくなって絶望を感じた時に、若いと回復も早いから大丈夫と、不安を蹴っ飛ばしてくれたのが塚狭先生だ。

 はたから見れば、ちょっと恥ずかしいようなリハビリでも、俺に合わせて張り切ってやってくれたのが印象深い。これからもああやって、みんなを楽しませながらリハビリの仕事を続けていってほしいな。

 本当にいい先生に出会えて、よかった。


 塚狭先生と別れてから、ようやく会計のところに行く。手続きはもう母さんがやってくれていたようで、あっという間に終わった。


「行こう、颯斗」


 母さんに促されて、出口の方に向かう。まだ少し寒いからと、マフラーを巻いてくれた。俺以外にマフラーを巻いている人なんて、見当たらなかったけど。

 出入り口を前に、俺の胸は高鳴りを沈められなかった。

 ようやく、ようやくこの時が来た。


 病院の扉を一歩、踏み出す。


 吹き抜ける風は、やっぱり部屋の中より冷たくて。

 でも、その自然を感じられたことに……季節を感じられたことに、鳥肌が立ってくる。


「どうしたの、颯斗。やっぱり寒い? もう一枚着る?」

「……ううん、大丈夫」


 なんでもない季節の風が、こんなに懐かしくて愛おしいものだったとは、今まで気付かなかった。

 太陽の下を歩くことも。当たり前のようで、当たり前じゃなかった。

 たったこれだけのことなのに、涙が出るほど嬉しい。


「今まで、ありがとう母さん……」


 俺は、いつの間にかそんな言葉を紡いでいた。すると母さんは少し笑って、俺のツルペタ頭に手を置く。


「頑張ってくれてありがとう、颯斗」


 そう、言ってくれた。

 俺は改めて病院を振り返る。


 小児科の小林先生に、大谷先生。

 リハビリテーション科の塚狭俊明先生。

 院内学級の山チョー先生。

 保育士の志保美先生、沙知先生。

 不妊外来の永峰先生。

 放射線治療科の日下先生。

 薬剤部の菅原部長。


 看護師長の盛岡さん。

 担当看護師の園田さん。

 それに徳澤さんや仲本さん、多くの看護師さん。


 補助士のオバちゃん、清掃士さん、栄養士さん、調理師さん、事務関係の人も……


 病院の人にはたくさんお世話になった。

 それこそ、何度お礼を言っても足りないくらいに。


「ありがとうございましたーーッ!!」


 俺が唐突に声を上げると、警備員さんや周りの人が驚いてこっちを見ている。

 母さんが「バカッ」と俺の肩を叩いて、ペコペコと顔を赤くしながら頭を下げていた。


「もうっ、颯斗! なにいきなり大声を出してるの!」

「俺、声小さくなっちゃったなぁ。もっとでかい声出せたのに……」

「あれだけ出せれば十分ですっ! もう、帰るわよ!!」


 逃げるようにその場を去る母さんに、俺もついていく。

 駐車場に懐かしい車が止まっていて、助手席に乗り込むとマフラーを外した。


「疲れたり、気分が悪くなったりしたら早めに言ってね。すぐに止まるから」

「わかった。多分大丈夫だよ」


 俺の言葉を聞いてから、母さんは車を発進させる。

 駐車場の料金を払って外に出ると、病院の全貌が見えてきた。

 俺のいた病室はどこだろう。大きな病院ではそれもわからなかったけど。

 守やユキ、桃花……他にもたくさんの人が、まだまだここに入院している。


 どうか、みんなも元気に退院できますように……。


 俺はそう願いながら、お世話になった病院を後にした。

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