69.黄色ブドウ球菌
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夜八時の携帯が鳴った。
十二時間ごとに免疫抑制剤を飲まなきゃいけないから、忘れないようにセットしているアラームの音だ。
頭を起こすと、ほんの少しだけ寝る前よりはマシな気がした。電気をつけると食事を置いてくれていたけど、食べる気がしない。薬だけ飲んで、またベッドに潜った。
「颯斗君、八時だけど薬飲んだ?」
看護師の徳澤さんが確認に来てくれた。俺は布団の中から「うん」と力の出ない声で返事をする。
「先生の指示で、点滴から抗生剤を入れさせてもらったからね。ちょっとは楽になった?」
「うーん……多分……」
「ご飯はどう?」
「いらない……」
「わかった、下げとくね」
徳澤さんはいつものように体温や血圧を測った後、点滴を確認して出ていった。
熱が下がって元気を取り戻したのは、それから二日後だった。もっと長引くかもと思っていたから、この程度で済んでホッとする。
明日は、本来なら退院するはずだった日だ。もう元気だから退院したいなぁ……。
そんなことを考えていたら、小林先生が入ってきた。
「お、顔色はいいですね。どうですか?」
「うん、もう大丈夫そう」
「ならよかった。ああ、発熱の原因がわかりましたよ。黄色ブドウ球菌です」
「黄色……ブドウ球菌?」
なんかよく聞く名前だよな。食中毒のやつじゃなかったっけ。
「どこからか入ったのか、それとも元々持っていたものなのかはわかりませんけど、これはカテーテルトラブルになりかねないので、今日はもうカテーテルを抜いてしまおうと思います」
「へ?」
「この菌は、カテーテルにくっつきやすいんですよ。抗菌薬だけではどうしようもないので、カテーテルを抜去します」
「いつ??」
「今からです、行きましょう」
「ええーーっ」
あれよあれよと言う間に病室を出て処置室に連れていかれる。
退院前にカテーテルを抜く処置をするのはわかってたけど、今日するとは思ってもみなかったから、どうしても心がついていかない。入れた時もそうだったけど、抜く時もやっぱ怖いよ!!
「お、颯斗君、ようやくカテーテル取れるなぁ〜!」
処置室では大谷先生が待ってましたとばかりに笑っていて、逆に俺の顔は曇っていたと思う。
「今日やるなんて聞いてないよ……」
「まぁまぁ、カテーテルとってスッキリしよな!」
「ううー」
俺は傍にいた看護師の園田さんに促されて、ベッドに横になる。
やだなぁ……まぁ一生カテーテル入れておくわけにもいかないし、仕方ないんだけど。でも、憂鬱になるのは仕方ないと思う。
入れた時と同じように胸に局所麻酔を打たれる。その注射をされてるって思うだけで気分が悪くなる俺はヘタレなんだろうか……。
あとは目を閉じて時間が過ぎるのを待つだけだ。まあ、ドレープを掛けられてるから目を開けててもなにも見えないんだけど、気持ちの問題。いくら目を瞑ってても、首の辺りでなにかされているのはわかるんだけどな。
俺の体になにかをされてる感覚が嫌過ぎる。医者とか看護師とかが職業の人の神経は、一体どうなってんだ。俺には絶対なれねー。
「大丈夫、颯斗君。気分は悪くない?」
「気分は悪くないけど……っ」
「けど?」
園田さんの問いに、『怖い』とは言えなかった。一応、男のプライド。
「もう後は、こっちを抜いて、縫うだけですからね」
「……縫う!?」
縫うって、針と糸で!? なにそれやだ怖い。でも縫わなきゃ穴が空きっぱなしってこと? それもヤダ。
目をぎゅっと瞑って、とにかく早く終われと祈っていると、しばらくして「終わりましたよ」と声を掛けられた。
自分では見られないけど、傷はテープで保護されてるみたいだ。
「お疲れ様、頑張りましたね」
「麻酔切れるまで、病室で静かに寝ててなー」
「じゃ、点滴入れておきますね」
小林先生がそう言って、俺の左腕にプスっと点滴針を刺した。
ようやく点滴生活からおさらばかと思っていたのに……やっぱり退院するまで必要なのか。
「じゃあ、戻ろうか」
園田さんが俺をストレッチャーに乗せて部屋まで送ってくれる。なにかあったらすぐ呼んでって、ナースコールを目の前に置いてくれた。
「お風呂や着替えの時には呼んでね。胸に通してる時と違って、点滴を外さないと着替えができないから」
「あ、そっか」
手に点滴をしてるから、袖をくぐらさなきゃいけなくなる。自分で点滴の管を外せないから、いちいち呼ばなくちゃならないんだな。面倒臭い。
「じゃあ、なにかあったら呼んでね」
「うん、ありがとう」
園田さんが出ていった後、いつもぶら下がっていたカテーテルのあたりを見た。
なんにもない。スッキリしている。
今まであったものがなくなるって、なんか不思議な感じだ。いや、元々はない方が普通なんだけど。
毎日ネックレスをしている人が急にしなくなったら、こんな感じなのかなって思った。まぁ俺はネックレスなんかしないから、その感覚が合っているかどうかは謎だけどな。
逆に左手が鬱陶しくなったけど、退院までの辛抱だ。もうちょっと、もうちょっと。
カテーテルを抜いたら、一気に退院が近付いた気がして。
俺はほっと息を吐き出した。




