67.地震
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お腹空いたなぁ、と時計を見ると午後三時だった。もうそろそろおやつの時間だとワクワクして待っていると、仲本さんがトレーを持って入ってきてくれる。
「おやつの時間でーす!」
「わーい、今日はなに?」
「リンゴのゼリーだね」
「ゼリーかぁ〜」
俺が肩を落として見せると、仲本さんはアレ? という顔をした。
「ゼリー嫌いだっけ?」
「いや、大好き」
「今日はゼリーの気分じゃなかったのかな?」
「うん、今日はガッツリお腹に溜まるものが食べたかった」
「そんなの、今まで病院にいて、出たことないでしょ」
「ないね!」
仲本さんの笑い声に合わせて、俺も笑った。
病院で出されるおやつはクッキー一枚だとか、アイスクリームだとか、ゼリーだとかが多い。
「まぁ、食べ盛りの中学生には物足りないだろうね」
「うん、全然。ごちそうさま!」
「ええっ、もう食べたの!?」
「ゼリーは飲み物!!」
「アハハッ、確かにね! トレー持っていくよ」
仲本さんはたった今持ってきたトレーを持ち帰ってくれた。
でもやっぱり、ゼリーなんかじゃお腹は膨らまない。なんか食べたいなぁと棚の中を開けるも空っぽだった。夕飯までまだ時間があるし、なんか少し食べておきたい。
そう思っていたらノックの音が飛び込んできた。
「はい?」
「ハヤトくーん、売店に行くけど、なにか買って来てほしいものある?」
お、ナイスタイミング! 木下さんが売店に行くのに声を掛けてくれた。もちろん頼むに決まってる。
俺は扉を開けると同時に声を上げた。
「ポテトチップス買ってきて! 小さ目の袋のでいいから、三つくらい」
「わかった、他には?」
「水が三本と、コーラ一本」
「ポテトチップス三袋、水が三本にコーラが一本ね! わかった!」
そう復唱すると、財布片手に清潔室を出ようとする。その木下さんの背中に向かって声を掛けた。
「木下さん、裕介は? 一緒にいた方がいい?」
「大丈夫、今一人で機嫌よく遊んでるから。じゃあ、買ってくるねー」
「うん、いってらっしゃい」
木下さんが清潔室の扉を開けて出て行くのを見守っていると、桃花が出てきた。それと同時にユキと母親の田内さんも出てきて顔を見合わせている。トレーを持っているところを見ると、返しにいくつもりで出てきたんだろう。
「あ、ユキちゃん! 田内さん、今からプレイルームでユキちゃんと遊んでいいですか?」
「ええ、もちろん。ね、ユキ」
「うん、モモカちゃんと遊ぶー!」
ユキと桃花はにっこりと笑い合って、仲良くプレイルームに行ってしまった。ほんっと仲良くなったな、あの二人。俺の存在を忘れないでくれよ……。
ちょっとショボンとしながら、部屋に戻ってベッドに転がる。
木下さんは今頃売店に着いた頃かな、と思った瞬間だった。
微かに、ベッドが揺れる。
「……ん?」
その直後、ドンッという激しい揺れと、病棟中からキャアアと叫ぶ悲鳴が上がった。地震だ。
「うわっ、デカイ……ッ!!」
いきなり地震とか、どうしていいかわからずにパニックになる。
とにかく点滴ポールを引っ掴んで、洋服ダンスから離れたところで揺れが収まるのを待った。どこからかガシャンとなにかが割れた音がする。その度に遠くの方で悲鳴が上がった。
怖い……早く収まってくれ……ッ!!
そこから動けずに固まっていると、ようやく揺れが落ち着いてきた。
「はぁ、はぁ……」
詰まらせていた空気を必死に取り込む。部屋の中を見てみると、シャープペンがいくつかと、歯ブラシや歯磨き粉、それを入れていたコップも床に散らばっていた。
「ゆ、裕介は……っ!!」
ユキと桃花は田内さんや保育士さんと一緒にいるから大丈夫だ。けど木下さんは売店に行ってしまって、裕介は今、一人。
俺は急いで部屋を出ると、裕介の病室に飛び込んだ。
「裕介、大丈夫か!?」
遠慮もなくカーテンを引く。でもベッドの上には誰の姿もなくて。
「裕介、裕介!?」
点滴はある。俺がその点滴の行方を追おうとしたその時。
「ぷはー」
裕介が、出てきた。ベッドの下から。
「裕介!!」
「じしん、すごかったねぇ〜」
なんと、にこにこ顔で裕介が出てきたんだ。ほっとすると同時に、脱力してしまう。
「大丈夫か? 怖かっただろ?」
「じしんの時はねー、机の下に隠れるのー」
「おー、よく知ってたな!」
「ほいくしょで、ひなんくーれんしたよー!」
「避難訓練な。よし、偉かったぞ!!」
裕介は得意そうに笑っている。どこも痛そうなところはないみたいだし、裕介自身が怖がってないから大丈夫だろう。
床に散らばっていたおもちゃを拾おうとしたら、ガラッと扉が開いた。
「ユウくん、大丈夫!?」
看護師の徳澤さんが飛び込んで来ると同時に、質問を浴びせられる。
「颯斗君も来てくれてたの?! 二人とも、怪我はない!?」
「うん、俺も裕介もなんともないよ」
「ないよー」
「なにか割れた物とかは?」
「俺の部屋に割れ物は置いてないし、ここも大丈夫そう」
「よかった。点滴は……二人とも大丈夫そうね。じゃあ、他の病室を回ってくるから」
「うん、行ってらっしゃい」
徳澤さんは俺たちの無事を確認すると、すぐに次の病室に向かっていった。
何度か割れた音もしてたし、持ち込みしてたコップやお皿が落ちた人もいたのかもしれない。
裕介の部屋にも、おもちゃだけじゃなくて、コップが転がっていた。プラスチックのコップだったから、割れてなかったけど。
「はー、それにしても怖かったなぁ」
「ユウくん、怖くないよー」
「本当か? 大物だなー!」
十四年間生きてきて、いっちばん大きな地震だった。ここが十階だったから、余計に揺れただけかもしれないけど。
「木下さんが戻ってくるまで、一緒に遊ぼうな」
「じゃあ、お店やさんごっこしゅるー!」
「よっしゃ」
そうやって裕介と遊んでいたら、すぐ帰ってくるだろうと思っていたけど、木下さんは五分経っても帰って来なかった。
まさか、怪我とかしてないよな……と不安に思っていると、十分を過ぎてようやく木下さんが戻ってきた。それも汗だくで。
「ぜぇ、はあ、はあ、はあ……」
「ど、どうしたんだよ、木下さん! 大丈夫!?」
「は、颯斗君……裕介、無事!?」
「おかあしゃーん! じしんすごかったねー!」
木下さんはにこにこ顔の裕介を見て、俺と同じように脱力している。
「こ、怖かったでしょ? 一人にして、ごめんね……」
「ああ、裕介なら大丈夫だよ。ちゃんとベッドの下に入って、俺が来るとにこにこして出てきたから」
「はあ、はあ、そう……ふうう……」
木下さんはよろよろしながら冷蔵庫に手を伸ばしている。そしてお茶を手に取ると、ガブガブ飲み干して、ようやく一息つけたようだった。
「どうしたんだよ、そんなになって……」
「いや、エレベーターが地震で止まっちゃって……階段しか使えなくて。裕介が泣いてるんじゃないか、点滴が引っ張られて外れちゃったりしてるんじゃないかって思うと、もう不安で不安で……」
どうやら十階まで、階段で駆け上がってきたらしい。お疲れ様でした。裕介なら楽しそうにしてたから、慌てる必要もなかったんだけどな。まぁ俺も慌てて裕介の病室に飛び込んだから、気持ちはわかるけど。
木下さんは裕介を抱きしめて、ベッドの下に隠れていたことを褒めていた。
「それで木下さん、ポテトチップスは?」
「あ、ごめん! 売店に着いた途端に地震が起こっちゃって、買わずにそのまま戻ってきちゃった! もう一回行ってくるね!」
「ああ、エレベーターが復旧してからでいいよ。バタバタしてたらお腹空いたのどっかいっちゃったし」
「そう? ごめんねー」
木下さんが戻ってきたので廊下に出ると、桃花の部屋が掃除されていた。どうやら桃花の部屋のコップが割れてしまっていたらしい。ちょうどプレイルームに行ってたから、怪我はなかったみたいだけど。
補助師のオバちゃんと、掃除のオバちゃんが忙しそうなところをみると、他の病室でも、割れ物を置いていた人がいたみたいだ。
その掃除の様子を見ていたのは、桃花とユキと田内さん。
「みんな、大丈夫だったか?」
そう声を掛けると、桃花はこくんと頷いてくれた。
「でも、コップが割れてしまいました」
ちょっと落ち込んでいるのを見たユキが、自分の部屋に入っていった。そして戻ってきたユキの手にはコップが握られていて、それを桃花に渡している。
「……くれるの?」
コクコクと頷くユキ。桃花が確かめるように田内さんを見ると、田内さんはニッコリと笑って『貰ってあげて』と目で合図している。
「ありがとう、ユキちゃん……」
そう言って、桃花はズズッと鼻を鳴らした。
桃花はつらかったし、怖かったんだろうな。
入院したばかりで、母親もいない場所で、いきなり地震に遭って。部屋に置いてあったコップが割れて、迷惑かけてしまったと思っていたんだろう。それで萎縮していたのかもしれない。
俺はなるべく明るい声と顔で、声を掛けた。
「これだけの地震で済んでよかったな! みんなが無事なのが一番だ! だろ?」
そう言うと、田内さんは「そうね」と笑って、ユキもウンウンと頷いている。
「……はい」
桃花も、少しだけ微笑んでそう言ってくれた。
地震は怖い。でも、桃花の心にも体にも、そんなに深い傷は付いていなさそうでホッとした。
もう二度と、でかい地震なんか起こりませんように……。




