61.神様
ぺらりと一枚ページをめくって、そこに書いてあるひらがなばかりの本を声に出して読む。
すでに日課となっている、裕介への読み聞かせだ。もちろん、俺と裕介の間には扉が一枚隔たってるんだけど。
「……こうして消防車は太郎の命を救って、みんなに感謝されたのでした、おしまい!」
「もういっかいー!」
「またかぁ? この本、何度目だよ……」
ちょっとうんざりしつつも、もう一度最初のページを開く。ずっと同じ本を読んでて飽きないのかな。俺は別の、読んだことのない本を読みたいけどな。
そんな風に考えていたら、清潔室に知らない人がイケメン看護師の仲本さんと一緒に入ってきた。小さな女の子と、その母親らしき人だ。仲本さんが俺の姿を見て話しかけてくる。
「あ、颯斗君。新しい子が入るから、仲良くしてあげてね」
そう言われたので一旦本を閉じ、その親子の方に向き直った。清潔室に入ってくるってことは、なんの病気かは知らないけど、それなりに重い症状の子のだろう。
年齢は五歳くらいかな。リナのように明るい感じじゃなくて、少し引っ込み思案な感じがする。
「初めまして。島田颯斗です」
「颯斗君は小児病棟で一番の古参なんで、頼りになりますよ」
仲本さんにそんな風に紹介されてしまった。
そうか、俺、一番の古株なんだなー。って、あんま嬉しくないぞ。
「そうなんですね。田内と言います。この子はユキ。よろしくお願いします」
「よろしく、田内さん。よろしくな、ユキ!」
俺の声にユキはビクッとして、田内さんの後ろに隠れてしまった。まぁ仕方ないよな、いきなりこんな所に連れてこられて、元気に挨拶しろって方が無理ってもんだ。
俺はちらっと扉の向こうを見た。裕介が角度的に見えないユキを必死に覗こうとしている。ユキも病気でここに来てるんだから喜んじゃいけないのはわかってるけど、裕介と同じ年代の子が来てくれたのは正直有難いな。
「ユキ、ここにもお友達がいるんだ。よかったら、覗いてみてくれないか?」
そうお願いして手招きするもユキは動かず、結局母親の田内さんと一緒に移動してきた。裕介の見える距離まで移動してもらうと、ユキは母親の後ろからチラッと顔を出して様子を伺っている。
「裕介、ユキちゃんだってさ。ここは初めてみたいだから、色々教えてやってくれよ」
「ゆきしゃーーん! ゆきだるま?」
「いや、雪だるまは関係ないから……ユキ、この子は裕介だ。年も近いと思うし、よかったら毎日ここから声を掛けてやってな」
「ここから?」
俺の言葉に不思議そうな声をあげたのは田内さんだ。
「うん。まだちょっと、病室から出られないんだ。裕介は」
「そうなんですか……こんにちは、裕介くん。この子はユキ。仲良くしてね」
「わかったー!」
ユキは結局なにも言わなかったけど、裕介は新しい子が来て嬉しそうだった。守が退院してから、やっぱりちょっと寂しそうだったもんな。ユキと仲良くやれたらいいけど。
そんな挨拶が済んだ、次の日のことだ。
俺がいつものように裕介に絵本を読んでやろうと部屋を出ると、病室にいる田内さんとユキの様子が、廊下から見えてしまった。ユキはどうやら泣いているみたいだ。痛い、痛いって声が聞こえてくる。
ああ、痛みがある病気なのか……つらいよな。痛いのも吐き気がするのも、全部つらい。
「うあああん……あああーーんっ」
「もうちょっと、もうちょっとしたら治まってくるからね……っ」
泣き叫ぶユキと、悲しそうな田内さんの声。どっちも苦しいよな……。
「痛い、痛いよぉ……神様に痛いのやめてって言って、お母さん!」
「わかった、言っとくね! 神様、もう痛いのやめてあげてください……っ」
「全然治らないーーーーッ」
ユキはシクシク泣きながら怒っている。
「痛い……なんでぇ? なんにも悪いことしてないのにぃ……っ」
その言葉に、胸が締め付けられる思いがした。そう……そう思っちゃうんだよ。
俺も、なんにも悪いことしてないのにって……そんなに悪いこと、なんかしたか? って思った。
神様を──恨んだ。
「なんで、神様、来てくれないの……?」
「ユキ……」
神様は、自分のところには来てくれない……。
人は絶望を感じた時、多分誰もがそう思ってしまうんだ。
ユキの言葉に少し沈黙した後、田内さんは話し始めた。
「ユキ。神様はね、元気な子ばかりを作れないんだって。何人かに一人、病気を持った子や、障害を持った子を作らなきゃいけないんだって」
「なんで、それが、わたしなのーっ!」
見ちゃいけないって思いながら、カーテンが開け放たれたままの病室をつい覗いてしまう。なかでは田内さんがユキをギュッと抱きしめていた。
「神様はね、乗り越えられない試練は与えないって言ってたよ。神様がユキに病気を与えてくれたのはね、ユキなら乗り越えられるって神様がわかってるからだよ。他の子には無理なことを、ユキなら大丈夫って神様が信じてくれたから、ユキに病気を回したんだろうね」
神様は、乗り越えられない試練は与えない……本当かな?
本当だったらいい。本当で……あってほしいと心から願う。
「びょーき、ヤだぁああっ」
「うん、いやだね。けど、絶対大丈夫だから。病気になったことに意味はあるの。ユキは必ず乗り越えられるから。お母さんが一緒にいるから。乗り越えようね」
「うわぁああんっ」
結局、最後にはユキは泣いてしまってたけど。
でもきっと大丈夫。ユキの心には届いたはず。
少なくとも、俺の心には……届いたから。
俺はその場をそっと離れ、裕介の病室をトントンと叩く。
いつものように嬉しそうに裕介がやってきて、俺を見上げた。
その顔を見たら、どうしても黙っていられなくて。
「裕介、俺らも絶対乗り越えような……!」
「うんー!」
なんにもわかってないであろうその笑顔に、俺はぶっと笑ってしまった。
「よし、なんの本にする?!」
「しょーぼーしゃのほーん!」
「またそれかよ!」
いつもと変わらない裕介の答えに、今度は声を上げて笑う。
神様、見てろよ。
俺達は絶対に、試練を乗り越えてみせるからな。




