60.出られないストレス
俺の病院での一日は、朝起きてご飯を食べた後、大体先に風呂に入っておく。
風呂から出てスッキリした頭でしばらく勉強して、飽きてきたら運動がてら清潔室内を歩き回る。散歩というには短い距離だけど、やらないよりはマシだ。それにも飽きたら病室に戻ってスマホを弄ることが多い。
リハビリの塚狭先生は朝のうちに来ることもあるし、昼からの時も、場合によっては夕方になってからの時もある。
基本的に俺の病院での生活は、勉強か、スマホでゲームか、その辺を歩き回ることだけだ。山チョー先生が歴史漫画の本を貸してくれて読んだりしてるけど、これは遊びになるのか勉強になるのか、微妙なところだな。でも楽しんで歴史を覚えられるのは有難い。
その借りた本を読み終えると、俺は本を置いた。トイレに行こうとカーテンを開けると、向かいの病室の裕介と木下さんを小窓から見ることができた。でもなんか、様子が変だ。裕介は泣いてるし、木下さんは必死な顔をしている。
俺はトイレは後回しにして急いで部屋を出ると、裕介の部屋の扉を覗いた。
「どうしたんだ、裕介!?」
「出る、出るぅぅうううっ」
「こら、開けちゃダメッ!!」
目の前の扉がほんの少し開いたのを見て、俺は慌てて閉めた。どうやら裕介が外に出ようと、必死にドアを開けようとしているみたいだ。木下さんは裕介を扉から引き剥がそうとしていて、その度に扉が開きそうになる。
「お外出るーーーーッ」
どうやら、ずっと病室にいるのが限界を迎えたみたいだった。
そうだよな……病室から一歩も出られないって、本当にストレスだよな。気持ちはわかる。わかるんだけど……。
「裕介、もうちょっとだけ部屋で頑張ろう! な! もうちょっとしたら出られるようになるから!」
「今出るのーーーーッ」
そう叫んで扉を開けようとグイグイ引っ張ってくる。裕介は今、一番大事な時だ。準無菌室から外に出て感染症にでもなったら、本当に命に関わってしまうことになる。
俺は開けてあげたい気持ちをグッと堪えて、取っ手をギュッと握りしめて出られないようにするしかなかった。
裕介から見た今の俺は、すっごい嫌な奴に映ってるだろうな。
「あーげーでー!! ハヤドおにぢゃ、あげでーーっ!!」
泣きながら訴えられると、ものすごい罪悪感だ。なんだか俺が裕介を虐めてるみたいで、胸がチクチク痛む。
「ごめんな、裕介……っここを出られたら、いっぱいいっぱい遊んでやるから……」
「いーまーあそぶーーーーッ! うわぁあああんっ」
ガタガタと扉が揺らされる。木下さんも中々裕介を扉から引き剥がせないようで、「外はバイ菌いっぱいだから、お部屋で遊ぼう!」と説得するも、まったく応じようとはしてくれない。
俺は中には入れないから、ここで扉を押さえるのが精一杯だしどうしようもなかった。
「木下さん、ここは俺が押さえてるから、ナースコールして!」
「ええ? こんなことでナースコールしていいのかな……」
「なに言ってんだよ、人手がいるだろ! 早く呼んで!」
「わ、わかった!」
木下さんが扉から離れると、裕介は遠慮なくグイグイ扉を開けようとしてきた。もうすぐ五歳になろうかっていう子どもの力は結構侮れない。一ミリだって開けまいと、俺も必死で押さえつける。
「颯斗君、大丈夫!?」
すぐに看護師さんが二人やってきて、手早く消毒を済ませて手袋やエプロンを準備すると、そこを避けるようにと促された。看護師さんは中に入った途端、二人掛かりで扉から裕介を引き剥がしてベッドの方へと連れていっている。さすがというか、手慣れた対応だ。
「そっかー、お外出たかったのかぁ。出たいよねぇ」
「でも、お外に出るときは、先生に聞いてからにしようね。約束してくれる?」
看護師さんもあの手この手で説得しようとしているけど、裕介はやっぱり「お外出るぅうー」とグシグシ泣いているだけだ。それでも少し落ち着いたのか、泣き声が小さくなって看護師さんたちが出てくる。
「裕介、どう?」
「うーん、やっぱり出たがってるけど、我慢してもらうしかないからね」
「そうだよなぁ……」
俺にできることってないんだろうか。気持ちはここにいる誰よりもわかってやれるって自信があるのに、具体的にどうすればいいのかって言われると、中々良いアイデアが浮かんでこない。
それでも必死に考えて捻くり出した俺は、ひとつお願いをした。
「志保美先生か沙知先生に、裕介の好きそうな絵本を持ってきてって頼んでもらえない?」
「わかった、言っておくね」
そう言って看護師さんたちが清潔室を出ていくと、すぐに沙知先生がやって来てくれた。清潔室の扉を少しだけ開けて、頼んでた絵本を渡してくれる。プレイルームに置いてあるものだ。
「何冊いるのかわからなかったから、とりあえず二冊だけ」
「うん、ありがとう!」
沙知先生にお礼を言うと、裕介の病室前に再び行き、そっと声を掛ける。
「裕介、絵本読んでやろうか。沙知先生に借りてきたぞ」
「えほん〜?」
「ああ、でも扉は開けるなよ。大人しく聞いてるなら読んでやる」
「ユウくんねぇ、消防車の本がいい〜」
そう言われて手元を見ると、二冊とも消防車の本だった。さすが、よくわかってるよな、保育士さんは。
「消防車の本、あるぞ! 来い、読んでやるから」
俺の言葉に裕介はトテテテッとやってきて、扉の小窓の前で俺を見上げた。もう扉を開けようとはせずに、俺の手の中にある消防車の本を見てキラキラしている。俺は膝を折って目線を裕介の高さと同じにすると、二冊とも読んでやった。読み聞かせは割と得意だ。妹に何度もせがまれて読んでやってたからな。
読み終えると「もう一回」というので、また読んであげる。「もう一回」を五回も繰り返され、ようやく納得してくれたようだ。
「ありがとうね、ハヤト君」
後ろで見守ってくれていた木下さんが、申し訳なさそうに苦笑いをしている。
「別にいいよ、どうせ暇だし。しっかし裕介、本当に消防車好きだなぁ〜」
「うん、ユウくん、消防車になるのー」
「っぶ、そうだったな!」
そういえば、俺の昔のオモチャに消防車があったはずだ。香苗は興味なくてほとんど使ってないし、今度母さんに頼んで持ってきてもらおう。
「ほら、ユウくん。ハヤトお兄ちゃんにありがとうは?」
「ハヤトおにちゃ、ありあと!」
「おお、また沙知先生に違う本を持ってきてもらって、読んでやるからな!」
「わぁい!」
めちゃくちゃ喜ぶ裕介を見て、この日から俺の日課がひとつ増えた。
それは勉強、ゲーム、散歩、それに加えて、裕介に毎日絵本を読むこと、だった。




