59.ドナーへの手紙
そうだ、提供者さんへ手紙を書こう。
裕介が臍帯血移植している姿を見て、俺は唐突にそう思った。
提供者さんの骨髄液が体の中に入ってから、一ヶ月と二週間ほど経っている。体調はいいし、血液検査の結果も上々だ。そろそろ返事をしておかないと、『もしかしたらダメだったんじゃないか』って心配させちゃうかもしれない。
俺は事前に母さんに買ってもらっていたレターセットを取り出して、目の前に準備する。
「うわぁ、なに書こう。出だしってどう書いたらいいんだっけ……前略、とか?」
いざ書こうとすると、初っ端から躓いてしまった。ありがとうって気持ちだけはいっぱいあるけど、ありがとうを百回書いた手紙を貰っても困るだけだろうし。
自分の気持ちを上手く伝えられるか、不安だ。
「なんか拝啓とか前略とか入れると堅苦しくなるよなぁ……いいかな、別に……あっちは俺のこと十代の少年としか知らないみたいだし」
こっちの詳しい年齢を伝えるわけにはいかないし、まぁ多少お馬鹿な文章を書いても問題ないだろう。
そう決めたけれどやっぱりなかなか筆は進まず、書き上げるのに丸一日掛かった。
作文を書いても見直しなんかしなかった俺が、生まれて初めて推敲ってやつをして書いた手紙だ。これで大丈夫か、ちょっと誰かに見てもらいたい。
そんな風に思っていたら、看護士さんが中に入ってきた。手には紙袋を持っていて、中身は何なのか聞かなくてもすぐにわかる。山チョー先生の作ったテキストだ。たまに山チョー先生はこうして看護師さん経由で持ってきてくれる。
「はい、これ預かってきたよ」
「ありがと! 山チョー先生、もう帰っちゃった??」
「元気そうなら顔を見たいからって、清潔室の扉の前で待ってるわよ」
「よっしゃ」
俺は手紙と点滴ポールを持って、病室を飛び出した。
その瞬間、「よーー!!」とデカイ声がして、清潔室の扉の方を確認する。ガラスの向こう側で山チョー先生は、目がなくなってしまうんじゃないかと思うくらいの笑顔で、大きく手を振ってくれていた。
「山チョー先生!」
「おー、元気そうだな、ハヤト! よかった!」
点滴ポールを持ったまま小走りで近付き、書いたばかりの手紙をバンッとガラスの扉に張り付けるように見せる。
「ちょっとこれ、読んでくれ!」
「な、なんだぁいきなり……手紙?」
「うん、俺に骨髄液を提供してくれた人へのお礼の手紙なんだけど……これでいいかどうか、見てほしいんだ」
「どれどれ。もうちょっと手紙を上げてくれ」
俺は言われた通りに手紙を山チョー先生の目線まで上げて、両手で扉に押し付ける。
両腕を組んで、俺の書いた手紙をじっと見つめる先生。なんかテストの採点をされるより緊張するな。
山チョー先生は少しの間口を閉じ、その後で大きく頷いてくれた。
「うん、いいと思うぞ! ハヤトの気持ちがしっかり書かれてる、いい手紙だ!」
「ホント? 直した方がいいところとかない?」
「こういうのは、大人が変にテコ入れしない方がいい。ハヤトの思いを、そのまま相手に伝えてやれ!」
「うん!!」
山チョー先生からオッケーが出されて、俺の体は羽が生えたように軽くなる。
人に感謝の気持ちを伝えられるのは嬉しいし、相手の反応を見られるわけじゃないんだけどすごく楽しみだ。
これを読んだ提供者さん、喜んでくれるかな。提供してよかったって、思ってくれるかな。
想像すると顔がにやけて幸せな気分になる。
返事は多分すぐには来ないだろう。一年以内にたった二往復しか出来ない貴重な手紙だ。向こうも少し期間をおいて送ってくるに違いない。
俺はその手紙を、骨髄バンク経由で提供者さんに送ってもらった。いつか来るだろう提供者さんからの手紙を、ゆっくりと待つことにしよう。
手紙を送ってもらうよう手配した後、俺は病室の窓から街を見渡す。
この日本のどこかに、俺の提供者さんがいる。赤の他人だけど、同じDNAを持った人がこの世の中にいるんだ……。
そう思うと、なんだか景色がとても優しく見えて。
ふわりと舞った初雪さえも、とても暖かく感じた。
感謝の気持ちが、ちゃんと届きますように。
信号待ちをしている郵便車を見つけて、そっと祈る。
そして何度も書き直した手紙の下書きに手を伸ばすと、もう一度目を走らせた。
『初めまして。僕はあなたに骨髄を提供してもらった者です。
骨髄液と手紙が届いた時はありがたくてうれしくて、涙が出そうになりました。
移植は無事にすんで、準無菌室から出ることもできました。
体調はとても良くて、順調だと思います。
僕は退院したら、やりたいことがあります。それは、幼い頃から続けているサッカーを頑張ることです。
将来は、プロのサッカー選手を目指しています。
その夢を追いかけられるのも、ドナーさんのおかげです。
僕に骨髄をくれて、本当に本当にありがとうございました!』
骨髄液を提供してもらったことで、俺の血は提供者さんと同じものになったんだ。
この血に恥じない生き方をしよう。
絶対に絶対にプロのサッカー選手になって、有名になった時にこう言うんだ。
『俺がサッカー選手になれたのは、骨髄を提供してくれた人のお陰です』って。
手紙だけの感謝じゃ足りない。もっともっと伝えたい。
それが俺の、もうひとつの夢になった。




