54.お正月
「明けましておめでとう!」
俺の元日は、園田さんのその一言から始まった。
ずっと病室にいるせいか、全然正月って感じがしないんだけどな。
部屋はずっと快適温度を保ったままだし、七月に入院してから季節感がまったくない。
「明けましておめでとう、園田さん。夜勤お疲れ様」
「ありがとう。挨拶しておいてなんだけど、これから引き継ぎして帰るね。颯斗君、良いお正月を」
「良いお正月をって言われたって、いつもと変わんないけどな。園田さんは今日なにするんだ? 初詣?」
「帰って寝る!」
「なんだよそれ。拓真兄ちゃん誘って行ってくれば?」
「ちょ、無理!! ハードル高すぎる!!」
拓真兄ちゃんはアクティブだから、どこへでも誰とでも付き合ってくれそうだけどな。用事がなければ、だけど。
「じゃあ俺が電話……」
「やめて!! これは本当に!! 夜勤明けで酷い顔してるし、無理!! 無理だから!!!! 私は帰って寝るの!!」
園田さんの必死の形相に、半笑いで携帯を置いた。そんな酷い顔してないのにな。園田さんは色々と気にし過ぎだと思う。
「わ、わかったよ。電話はしないけど、おめでとうメールくらいしておけば?」
「そんな、友達なわけでもないのに、メールなんか……」
「そんなこと言ってたら折角電話番号を教えてもらったのに意味ないじゃん。理由がある時にメールしなくてどうするんだよ」
「そうだけど……メールしていいと思う?」
いや、だからなんでそこで尻込むかなぁ? メールなんて入力して送信するだけなのに。
「していいよ。いいに決まってるし! これ、俺からの宿題な。後でちゃんと送信したか確認するから」
「えーーーーっ」
「いっつも俺に頑張れ頑張れって言ってる人が、頑張らないでどうするんだよ?」
「うう……」
俺の言葉に「それとこれとは違う」と小声でブツブツ言いながらも、最終的には「わかった」と頷いていた。この二人、放っておいたら絶対くっつかないだろ……まったく。
「じゃあなー、頑張ってー!」
「うーっ」
たまには頑張ってと言われる立場も分かってもらおうか。俺は病室を出て行く園田さんをニヤニヤと見送った。
でも、一緒に初詣は無理だろうな。拓真兄ちゃんの住んでる海近市はここから二時間近く掛かる。拓真兄ちゃんならそんなこと気にせずに『じゃあ今から行く』って電車乗って来そうではあるけど。
さて、どうなるか……今度の園田さんの出勤日を待とう。
そんなことを考えていると、病室の外から「ハヤトおにちゃー」と聞こえて来た。裕介の声だ。俺はベッドを降りて扉の小窓を覗く。そこには、いつもはパジャマ姿の裕介が、子ども用のカッターシャツとサスペンダー付きの黒いズボンを履いている。隣にいる母親の木下さんも、部屋着っぽい服装じゃなくて割とカッチリしたスタイルだ。
「え、なに、裕介退院!?」
「あはは、違う違う。お正月だから気分だけでも味わおうかと思って」
「ああ、それでか。ビックリしたー」
「折角着替えたから挨拶に出てきたんだ。まぁ、もう清潔室にはハヤト君しかいないんだけどね。ほら、裕介、明けましておめでとうは?」
「あけししておめとー!」
「おー、おめでとう! 今年もよろしくな!」
「こちらこそ、宜しくね!」
それだけ言うと、二人は病室に帰っていった。他に挨拶に行けるところがないっていうのは寂しいな。でも裕介は今、清潔室から出られなくなってるから仕方ない。
俺は元日なのにパジャマのままだな。ちょっと着替えるか? や、どうせ誰にも会わないし、いいか。
……いや、やっぱり着替えよう!!
俺は洋服ダンスの中から、外泊から戻ってきたときの服を取り出した。まぁただのTシャツとジーパンなんだけど。
でもそれに着替え終えると、なんだか気持ちがパリッとした。うん、俺のところにも新年がきた。そんな感じがする。
「よし、なんか今年の目標を決めよう!」
唐突に思い立って、俺は紙とペンを手に持って少し悩んだ。
そして決まると一気にペンを走らせる。不思議なことにひとつ出てくるとあれもこれもと出てきてしまい、一枚の紙にいくつもの目標が並んでしまった。
父さんや母さんや香苗と一緒に暮らす。
サッカー部に復帰してレギュラーとる。
夏には真奈美と海へ行く。
リナん家のお店でカレーパンを買って食べる。
敬吾と一緒にマツバの墓参りに行く。
高校受験のための勉強を頑張る。
再発しない!!
「よしっ」
もう目標というより、願望になっちゃってる気がするけど気にしない。
俺はこれを全部叶えるために頑張るんだ。
この紙をどこか目立つところに貼りたかったけど、余計なものは置くなと言われているので仕方なく引き出しに仕舞った。
とりあえず今できそうなことは……勉強、か……。
やっぱ今の目標は、明日から頑張るということで……いや、ダメだ! 今決めたんだ、今実行だ!!
俺は山チョー先生に貰ったプリントを取り出した。けど、それに取り掛かる直前、コンコンとノックの音がして誰かが入ってくる。
「颯斗君お待たせ。朝ごはんの時間でーす」
男の人の声。今日の担当看護師は仲本さんらしい。そういや今日はいつもよりちょっと来るのが遅かったな。お腹すいた。
「うわ、元旦から勉強? 偉いなー」
「うん、でも後でする」
そう言いながら俺はたった今出したばかりのプリントを片付けた。これはご飯を食べた後でするんだ。本当だ、嘘じゃない。
「今日の朝食はすごいよー」
仲本さんはいつものキラキラ笑顔をさらに輝かせながら、テーブルの上に御膳を置いてくれる。
「じゃーーん」
「わ、すごい!! お節料理だ!!」
腰の曲がったエビ、八角形に切られた里芋の煮物、黒く輝くような豆、白と赤のかまぼこに美味しそうな伊達巻、それに熱さを知らせる湯気を立てる雑煮まである。
「病院で食べられるとは思ってなかった!」
「調理師さんがみんなに喜んでもらうために作ってくれたんだよ」
「うん! 調理師さん、ありがとうっ! いただきまーす!!」
箸を取るのももどかしく、俺は伊達巻を口の中に放り込む。エビも煮物も豆も、全部美味しかった。ずっとこってり食だったから気付かなかったけど、いつの間にか味覚障害は治っていたみたいだ。
ズルッとすすった雑煮の汁は、涙が出そうなほど美味しい。喉を通って胃に到着すると、体も温まってホッと息が出た。
「めっちゃ美味しい……」
本当に泣きそうになってしまったので、餅にかぶりついてそれを誤魔化す。
調理師さんって普段に会うことはないけど、こうしてずーっと食事を作り続けてくれてるんだもんな。
栄養士さんも、それぞれに合わせたメニューを考えてくれる。そしてその細かな対応を、調理師さんがしてくれているんだ。
俺は目の前のお節料理を、栄養士さんと調理師さんに感謝しながら食べ進めた。




