43.希望が恐怖に
この体を支配している感情がなんなのか、自分でわかっている。
つららで突き刺されるような、鋭く冷たい恐怖……それだけだ。
マツバが、死んだ。
同じ病気で年の近かったマツバ。
退院したら会えるもんだって思ってた。
治療をしていて、体調の悪かったことはあったけど。それでも長く入院していると、死の恐怖は薄れていたんだ。このまま普通に退院できるんだろうって。
いつしか俺は、この病気が死の可能性を含むものだってことを忘れてしまっていた。
怖い。
そうだった。
死ぬこともあり得るんだ。
今まではそれなりに順調だったけど。
放射線治療も特に副作用はなく無事に過ごしてはいるけれど。
次の骨髄移植ではどうなるのか……誰にもわからないんだ。
怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
死ぬのがなにより怖い。
苦しんで苦しんで苦しんで、つらい思いをして死ぬのなら、なにもしない方がマシだ。
二十四度という快適な温度の病室で、俺はガクガクと震え続けた。口元はカチカチと音がなり、目からは涙がとめどなく溢れ続ける。
マツバが亡くなったというのに、その死を悼むどころか自分のことしか考えられない。情けなくて申し訳なくて、自己嫌悪と恐怖で目の前は真っ暗な状態のままだ。
暗闇から真っ逆さまに突き落とされるような、そんな感覚。
「颯斗くん……颯斗くん!」
呼び声に引き戻されるようにハッと前を見ると、目の前にはいつの間にか小林先生と大谷先生まで来ていた。
「小林、せんせい……」
「話は木下さんと園田さんから大体聞きました」
そう言われて、俺はスッと小林先生から目を逸らす。
なにを言われるか想像はついた。小林先生の瞳は、悲しい色で染まっていたから。
「骨髄移植をしないって言ったそうですが、本当ですか?」
「…………うん……」
俺が虫の羽音よりも小さな声で肯定すると、小林先生よりも先に大谷先生が口を開いた。
「折角ここまで来たんよ!? ようやくここまで来て、あと少し……な!? もうちょっと、もうちょっとだけがんばろ!!」
「……っ、やだ……っ」
もうちょっとって……そのもうちょっとで死んじゃったら、どうするんだよっ!!
俺の手は、バカみたいにブルブル震えている。先生たちの困っている雰囲気が、俺の方にまで伝わってくる。
「……同じ白血病の子が亡くなったと聞きました。怖いのはわかるけど、颯斗くんもそうなると決まったわけじゃない。むしろちゃんと骨髄移植を受けた方が、生きられる可能性はずっと高い」
淡々とした小林先生の説明。
俺だって、頭じゃわかってるんだ。治療を受けなきゃ、どうなるかもわかってる。
けど、わかっていても気持ちが付いていかない。
死ぬのが嫌な気持ちは変わらない。でもGVHDのつらさは、マツバのブログを見て知ってるんだ。
一日に何リットルもの下痢をするなんて、どれだけつらかったと思う? どれだけの痛みと苦しみを味わったんだろう。
生きられる可能性が高くても、死ぬ可能性だってあるじゃないか。俺がマツバのようにはならないって保証は、どこににもないじゃないか!!
「なぁ? 颯斗くん。今回を逃したら、またドナーさんを探し直しになるかもしれんのよ。移植はやれる時にやっとこ!」
「大谷先生の言う通りですよ。また治療をしたいと思った時に、すぐにできるものじゃないんです」
もう俺は、先生たちの言葉を聞きたくなかった。
誰も俺の気持ちをわかってくれない。
骨髄移植って希望が、恐怖に変わってしまったこの気持ちを。
嫌だ、もうなにも考えたくない。
「颯斗君……っ」
俺は寝転んで布団を被り込む。すべてを拒否する姿勢をとった。
どうせ先生たちは他人だ。園田さんたち看護師だって、木下さんや斎藤さんだって、俺が苦しもうが死のうが、知ったこっちゃないんだ。お悔やみの言葉ひとつ言えばそれで終わるんだろ!?
「先生……」
園田さんが先生たちにどうするかを伺うように言葉を発した。すると誰かの溜息がひとつ漏れて。
「少し、一人にしてあげましょう。園田さん、颯斗君が落ち着くまで、半時間置きに様子を見てあげて下さい」
「わかりました……」
そう言ってみんなは病室を出ていったようだった。




