38.リナの退院
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「っへー、綺麗に取られたノートだな! 彼女だってぇ?」
「っそ」
山チョー先生の言葉に俺はそっけなく答えた。ニヤつきは隠せてなかったかもしれないけど。
ちょっと字が小さいけど見やすくまとめられているノートは、真奈美の人柄が現れているようで俺も鼻が高い。
「生意気だな、まだ十三歳のくせに!」
「もう十四だって!」
わきゃわきゃと山チョー先生と軽いパンチを繰り出しあっていると、ガラリと教室の扉が開いた。そこにはリナが立っている。
「お、リナ。院内学級来て大丈夫なのか?」
俺の疑問のリナは嬉しそうに頷いた。
「うん、先生たちに挨拶もしたくて」
「挨拶? お、もしかして退院か?!」
山チョー先生の言葉に、リナは顔を綻ばせて。
「うん! 明後日、退院するのー!」
退院。その言葉を聞いた途端、目頭が熱くなる。
リナが、ようやく……ようやく退院できるんだ。
今年の三月から約八ヶ月間、ずっと病院で過ごして来たリナ。本当なら友達と走り回ってただろうのに、それもできずに髪も無くして、病気と闘ってきたんだ。
「良かったな、リナ……っ」
「頑張ったなーー、リナ!!」
俺と山チョー先生の言葉にエヘヘと照れ臭そうに笑って、リナは小学校担当の先生の方へと歩いていった。授業を受けていくんだろう。
八ヶ月間の勉強の遅れっていうのは大変だよな。院内学級だって、毎日通えるわけじゃないし。
やばいな、俺もマジで勉強しとかないと、高校受験が怖い。こんな状態でスポーツ推薦とかいう夢は見られないし。
くっそー、サッカーばっかしてないで、もうちょっと勉強しておけば良かった。今からでも間に合うかなぁ。
「そんじゃ、ハヤトは今からテストするぞ!」
「っげ、マジかっ」
山チョー先生は嬉しそうにニヤニヤしている。
俺は溜め息を吐いて渡されたテストと睨めっこを始めた。
***
「で、何点だったの? ハヤトくん」
「……いや、まぁそれより池畑さん、リナが明後日退院だって聞いたけど」
俺とリナは院内学級を終えて小児病棟に戻ってきた。テストは目の前ですぐに採点されて結果はわかっているけど、人に言えるような点数じゃないから誤魔化す。
「あ、リナから聞いたの? ちょっと熱が出たりして、退院の日が中々決まらなかったんだけどようやくね。今まで本当にありがとうね、ハヤトくん」
「いや、俺の方こそ! リナや池畑さんがいてくれたから、一人じゃないって思えて心強かったし!」
「本当? なら良かった! ハヤトくんもこれから大変だと思うけど、移植頑張ってね!」
「うん、ありがとう池畑さん」
俺も礼を言うと、池畑さんは今から売店に夕飯を買いに行くと言って清潔室を出ていった。それを見送ったあと、俺はリナへと視線を下げる。
「病室に戻るか?」
「……うん」
あれ? と思いながらも俺は自分の病室の扉に手を掛ける。でも部屋に入る直前で「待って!」とリナに呼び止められてしまった。
「ん? どうした、リナ」
「……ハヤトお兄ちゃん……」
やっぱりなにかリナの様子がおかしい。俺は振り返りながら腰を落とし、リナと視線を合わせた。けどリナはなにも話そうとせず、口を真一文字に結んでしまっている。
「なんかあるんだろ? 気にせず話してみろって」
「……ママに、言わない?」
「え? うん、わかった。池畑さんには内緒だな」
「お兄ちゃんにもダメだよ!」
「拓真兄ちゃんにも? 約束する、絶対言わない」
なんだろう。リナの言いたいことを察せずに少し首を傾げると、リナはようやく本題に入ってくれた。
「リナね、退院嬉しいよ。パパやお兄ちゃん達とまた一緒に住めるし……」
「うん」
「でもね……」
俺から視線を逸らし、俯いたリナの目には涙が溜まっていて。
「リナ……小学校行くの、怖いなぁ……」
そう言って、また口を噤んだ。
ああ、そうだよな。リナは小学一年生だけど、入学前に入院になっちゃったから一度も学校には通ったことがないんだ。不安になって当然だと思う。
もう今は十一月で、仲の良いグループとかとっくに出来上がっちゃってるだろう。その中に、初めて行く場所に一人で飛び込んで行かなきゃいけないんだ、リナは。
大丈夫、だなんて安易なことは言えなかった。リナの髪は今も見えない。帽子を脱いだところを見たことはないからわからないけど、きっとツルツルの状態のはずだ。
『なんで髪がないの?』っていうちょっとした疑問を言われることも、リナにとってはつらいかもしれない。……女の子だもんな。
ましてや子どもって遠慮容赦なく言うから、悪気がなくてもリナの傷付くような言葉を言ってくる可能性は十分にある。
「幼稚園の時の友達とか、いないのか?」
「いるけど、仲の良かったお友達は同じクラスにいないみたい」
「……そっか」
俺の場合は中学で色んな奴らと仲良くなって、『学校に帰る』って感じだけど、リナはまったく違うんだよな。
未知の世界へ飛び込まなきゃいけないようなもんなんだ。俺ももし中学入学直前に入院してたりしたら、学校に行くのは嫌だったと思う。
「学校行くの、怖いよな……」
「……うん……っ」
リナは体を強張らせ、ギュッと拳を握っている。
「最初は馴染めないかもしれないけど、勇気出して行ってみろ! つらい治療を乗り越えて来たんだ。リナは同学年の誰にも負けない強い子だって、俺は知ってる。だから誰になに言われても、胸を張ってればいいんだ!」
「ハヤトお兄ちゃん……」
「それにな、学校ってそんなに怖いもんじゃないんだぞ。リナならすぐに友達もできる。俺がここに来て真っ先に声を掛けてくれたのって、リナだったしな!」
リナが明るく声を掛けてくれたおかげで、俺はここでの生活を楽しめるんだってわかったんだ。明るいリナなら、きっとすぐに友達もできるはず。
──でも、もしも。
「もし、リナを虐めてくるやつがいたら、すぐに池畑さんや拓真兄ちゃんに言うんだぞ。リナがちゃんと伝えれば、絶対になんとかしてくれる。拓真兄ちゃんたちに言いにくい時は、俺に電話をかけてくればいいからな」
「ハヤトお兄ちゃんに?」
「うん。リナと一緒にどうするか考えるから。わかったか? ちゃんと電話するんだぞ」
必死にそう伝えると、リナは真っ直ぐに顔を上げてからコクンと頷いてくれた。その顔には少し笑顔が戻っていてホッとする。
それにしても、家族には言わないでくれって……子どもなりに心配させることがわかって気遣ってたのかな。ここで過ごしてると大人の顔色を見ることも多いしな。その気持ちは、わかる。
「ハヤトお兄ちゃん、ありがとう。ハヤトお兄ちゃんも治療頑張ってね!」
「うん。リナも学校、頑張ってな!」
「わかった!」
最後に元気な言葉を聞けて良かった。そりゃあ勿論心配はしてるけど、リナならきっと大丈夫だって信じてる。つらい治療をいっぱい乗り越えてきてるんだからな。大変なことの後には、きっと幸せが待ってるはずだ。
だから頑張れ、リナ。
その二日後、リナは笑顔で退院していった。
俺に『ありがとうハヤトおにいちゃん。たいいんしたらパンかいにきてね』っていう手紙を残して。




