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-18-『魔将友情パワー』


 呪文に応じて球体はカタッと揺れた――すると、空気層にゆがみが生まれ、渦が巻かれていく。オーブを中心として、魔導の吸引力が発揮された。


 排水溝に流れていく流水ようだ。空気に奔流が走る。


 しゅうううと泡が弾けるような音が鳴り。

 各方向から集結する泥砂色の魔力が【渇きのオーブ】に集まっていく。イドルはぽろりと玉を手から取り落とした。


 生気という生気が根こそぎ略奪され、体勢を維持できなかったのだ。


 喉が渇き、地面に頭がぶつかった。


 それはレイセンだけでなく、イドルやペルシャナルまで力を及ぼした。

 二人とも青白い顔でぐったりと玉座近くの階段で重なって倒れている。


「なっ、何が……」


「イドルよ。ご苦労であった」


 とことこと歩いていくコダヌキ。

 【渇きのオーブ】を両手で持っている。


「ディクロス様……?」


「【渇きのオーブ】は魔力を吸収する。そして余の復活のためには大量の魔力が必要だったのだ。貴様らエネルギーさえこうして食えば、かつての半分ほどのレベルまで戻る」


 ガリッと【渇きのオーブ】を噛むディクロス。


 すると。体内へ輝かしい何かが流れ込んでいく。

 ぶくぶくと身体が膨らんでいき、体積が一気に増加した。


 最初は人の背を越える大タヌキ。続いてぐにゃぐにゃと肉体が変化した。


 かつての――銀髪黄眼の魔王の姿へと収まる。


 それは十代のペルシャナルが歳を取り、二十代へと変化したらこうなるだおる、という女魔王の姿だった。


 着衣はシースルのネグリジェであり、洗練された色気あるものへと変わっていたが。


 思いがけぬ主の復活に戸惑いながらもイドルは訴えた。


「なっ、ま、まさかディクロス様……そんなっ!」


「そう、お前の予想通りだイドル」


 ディクロスの鷹揚な返事は悪い予感を的中させた。


 まさか、そんな、あり得ない――イドルは信じられない、という顔をしたあとに震える声で謎を解いた。


「う、ウィキペディアに虚偽の記載をしたんのですね!」


「ふっ、余は魔王ぞ。造作もないことであったわ」


「皆が見てるものなのに! なんてことを!」


 それはたった一行の騙し討ちだった。


【渇きのオーブ】とは。


 対象一名に効果を発揮するのではなく、全体に効果を発揮する代物だったのだ。


 ウィキペディアは誰でも編集可能なネットの百科事典。


 それがわかっていながら、イドルは鵜呑みにしてしまったことを後悔した。


 ディクロスはインターネットにうといふりしていたのだ。

 こんなにも簡単なことが、見抜けなかった。


 ディクロスもまた己の所業に罪悪感を覚えているのか、表情を僅かに翳らせ、ふぅっと官能的なため息こそ漏らしたが後悔は感じていなさそうだ。


「許せイドル。真の魔王の復活には必要だったことなのだ。

 さて、ペルシャナルよ。余がほんの少し統治を怠っただけでこの状況だ。

 勝手に和平は結ぶ、勝手に軍は縮小する。

 魔将たちも腑抜けにさせる……さてさて、どうしてくれようか」


 力なく倒れたペルシャナルにツカツカと迫る。


 途中、落ちている【キラーポーン】を見咎めて、拾うとかがり火に投げ込んで廃にした。


「……ママ上。やっとくたばったと思うとったのに……」


「もう百年はお前は地下でお勉強だ。礼儀作法と節度と帝王学を骨の髄まで叩き込んでくれるわ」


「やじゃ。遊びたいのじゃ……せっかく楽しかったのに……もう地下牢暮らしはいやじゃ」


「聞き分けのないことを言うな! 我が軍を遊びで使いおって! これからもっと厳しく教育してやる。手始めにお前のスマホとパソコンを没収させてもらおう」


「はうわっ! そっ、そんな……やじゃ! 死ぬ! 余が死んでしまう! 助けてレイセン! イドル!」


 この世が終わったかのような顔でわんわんと泣き叫ぶ。


 魔王であり、教育ママであるディクロスに逆らえる者はこの場にはいない。


 ペルシャナルは片腕を掴まれ、ずるずると連れていかれようとしたが。


「待てよオバサン」


「むっ……レイセンか。そうか、忘れておったわ。そちも余を謀殺した罪でペルシャナルと同様に監獄百年コースにしてくれるわ」


 ぐぐっと力を込めてレイセンは立ちあがろうとしたが、睨むことしかできないようで肘をついて顔を上げるのが精一杯といった具合だ。


 それでも負けん気を起こしているのか口だけはとまらない。


「動画の撮影中なんだ……あたしとペルペルと、イドルのおにーさんの遊びさ……」


「だから? そんなものに熱上げるなど、いい大人のすることではない」


「動画つっても……色々あるんだ。ライブ配信や生放送っていうのかな……リアルタイム映像を送ることもできる。今日は……特別なんだ。魔王との最終決戦だったからな……だからさ、そうしたんだ……」


「何が言いたい?」


 ディクロスが尋ね返すと、ふっと刃風が薙いだ。


 水色の剣が首を捉えようとする寸前、右腕でガードする。攻撃して来た者をじろりと見つめ返すと、目つきの鋭い騎士装の男が一人。


 手には【一頭両断剣】を握りしめている。


「助けが来るってことだよ。ディクロス様よぉー……こいつはねーよ。部下を騙して力を得るっつーのは……ちょっと気に食わねえ展開だなぁ」


「ブラドリオか。余に反逆する気か?」


「てめえが魔王だと、また人魔戦争になっちまうだろ?」


「当たり前だ。闘争こそ土地と民を護る唯一の方法である。戦わぬ者とは奪われる者よ」


 答えに満足したブラドリオは何かを諦めたように乾いた笑みを浮かべ、刃を翻して正眼に構えを取る。


「俺は勇者様だからな……邪悪な魔王が現れたら、倒さなきゃならねえ。例え、勝てないとわかっていても、立ち向かわなきゃいけねえポジションなんだよ」


 表情を引き締めて静謐な対峙。


 つぅーっと冷や汗をかきつつも瞳には勇気と力があった。


「では死――むっ」


 床に大きな影が差し、ディクロスは後ろを振り向くと両手拳を握り合わせ、振り下ろしてくる巨漢。


 自分の身長と同じサイズの一撃はパワフルで重苦しく、躱し切れずディクロスは破砕された床と一緒に埋め込まれる。


 ぶわっと土煙が舞い、クレーター状の穴ができる。


 ダメージは届かない。髪の毛が埃まみれになったディクロスは鬱陶しそうに頭を振った。


「ドッド、お前もか」


「若者のやることにワシら年寄りがあれこれ申しても、反発するだけですぞ」


「余はまだ若い!」


 空気をビリビリと振動する。

 気迫に押されてブラドリオとドッドは後ずさりした。


 余裕がなさが歳を取っている証拠だが、誰も指摘できずに固唾を飲む。


 大きく息を吐いたディクロスは両手を広げた。


 足先から帯状のベールが幾つも浮かび上がってくる。

 それらは平べったく漆黒の魔力の波動でもあり、ディクロスの攻防手段でもある結界刀と呼ばれるものだった。


 術者の意思に従って変幻自在。

 通常時はうねうねと蛇のように動き、威嚇行動をする。


「まあいいや、俺に合わせろよクソジジイ。ここで殺っちまうぞ」


「やれやれ。ようやく気楽な引退暮らしができると思うとったんだがな」


 魔将二人は気合の雄叫びを上げ、特攻気味に立ち向かっていく。


 伏せているイドルは這いつくばりながらも、自分の装備している肩甲や胴鎧にひびの入っていくのを見つけた。


 身に着けていた【身代わりの鎧】が今頃になって効力を発揮し始めている。


 すぐには効かなかったのは修繕してあったせいか。


 反作用でそれなりに力は回復してきたが、今のまま立ち向かっても死ぬだけだ。


「おにーさん……あたしとペルペルはしばらく、駄目だ。この【キラーポーン】を使って」


 倒れたままのイドルに息絶え絶えのレイセンがずりずりと腕の力だけで寄ってきて、腕を伸ばした。


 手の平にはちっぽけな魚の骨が置かれている。


 恐らく本物の【キラーポーン】


 だということは、レイセンはペルシャナルを殺すつもりがなかったということになる。


「レイセン」


「あたしもウィキペディアを操作したんだ……奪われるのを防ぐためにね。本物は出汁なんか出ないんだ。ディクロスをやっつけたとき、奴は必ず復活すると言ってた……だから、肌身離さず隠してて……ごめん」


 騙されていたことはショックだったが、すんなり受けとめることができた。


 ディクロスとは違い、悪意がないせいか。


「レイセン」


「ごめんね、騙してたんだ。敵と味方わかんなかったから、ペルペルを殺そうって誘ってみて、本気にする反逆者を探してたんだ。一番強力なおにーさんがこっち側だと確信が持てなくて……結局、ディクロス寄りになるって疑ってたんだ」


「俺は……すまないレイセン。お前の言うとおりだ。ディクロス様に従ってしまったんだ。こんなことになるだなんて思わなかった」


 深く恥じ入りながら【キラーポーン】を受け取った。


 平和な日々に安らぎを感じ、平穏のためと願いながらした行為が次の戦いの呼び水となってしまった。

 レイセンは仕方ないなぁと言いたげに眉尻を和らげる。


「わかってるよ……魔将なら、そうするよね。でもね、あいつはペルペルをずっと隔離してたんだ。それがあたしは少し可哀相でさ……このまま行くと、また人魔戦争になっちゃうかぁ……ごめんね。最初から打ち明けるべきだったね。おにーさんもペルペルを護ろうとしたんだから」


「いや、俺もお前を信じていなかった。だからこんなことになっている」


 信じるべきだったのだ。


 目に見えるものだけを信じた結果、こんな事態を招いてしまった。


 魔王の意向に漫然と従うのではなく身近にいるレイセンを信じて、その友達のペルシャナルを信じてさえいれば。


「責任は取る。俺が命にかえてもディクロス様を倒そう」 


 ぼろぼろに砂粒と化して朽ちた【身代わりの鎧】を脱ぎ捨て、力を取り戻したイドルは立ちあがった。肩甲と銅鎧はなくなり、上衣だけが残る。


 少しでも身軽になりたくてマントの留め具も外し、よろめきながら戦っている三人に近寄った。


 謁見の間は惨憺たる有様だ。

 あちこちの壁に穴が開けられ、光が射しこんでいる。


 床は焼け焦げ、砕け、巨大な瓦礫がそこらじゅうに散らばっている。


 ブラドリオは【一頭両断剣】を巧みに用い、相手の魔術を破砕しながら果敢に剣戟を加えているが、あと一手が足りない。頭部を狙おうとすればハエでも払うように結界刀に弾き飛ばされている。


 ドッドは巨体を駆使した猛攻撃は重量感はあるが、それがかえって仇となり、近づいては標的となって一撃食らって倒される。魔術で八本生やしていた腕は残り三本まで削られていた。


「おいっ! イドル、フォローしやがれ! このババア伊達にババアだけあって強ぇ!」


「うぬぅ、硬いのぉ」


 助力が来たと見て、体勢を立て直しに後方ジャンプして寄ってきた二人。


 その肩にすかさず手を回す。


「二人とも待て、作戦会議だ」


「何?」


「この際、なんでもやるぞ」


 顔を寄せ合い、密談を開始する。


 幸い、余裕しゃくしゃくなディクロスは王座の前に立ったまま腕組みし、待ちに入っていた。


「三人の合体奥義で一気にカタをつけよう。なんかこう、飛び道具系の技はないか? 合体させて、いっけぇええええ、みたいなノリと友情パワーでいけそうなの」


「駄目だイドル。俺の奥義は向上系だ」


「ワシも体当たり系じゃ」


「くそっ。仕方ない。お前ら二人が突っ込み、ディクロス様の手足に抱きついて動きを封じろ。俺の最大級の極大魔術である『炎神陣』でお前らごと焼却する」


「待てよ。さっきまで友情パワーを使おうとした奴の言動とは思ねえぞ」


「イドルよ。お主その、たまに目的のためなら手段を選ばないところあるよな」


 自己犠牲ルートも駄目ということになり、三人はひそひそ声で熱い議論を交わした。


 誰かが先に死んで秘められた才能が発揮されてパワーアップする系も考慮されたが、そんなことができるなら最初からそうしろよ、という反論も生まれる。


 ディクロスは待ち疲れてきたのか、ふわぁとあくびをして口許に手をやる。

 パンパンッと両手を叩いた。


「来ないならさっさと皆殺しにしてしまうぞ」


 議論していた三人は押し黙った。

 ババッと横に広がる。

 それぞれ最大級の奥義を駆使するためか、距離が空いた。


 ディクロスの推定レベルは1500。三人は合算しても1000は届かない。


 レベル差を覆すには奥義を尽くすしかない、


「『修羅殺』」


「『捻突神風掌』」


「『炎神陣』」


 結局――ヤケクソになった三人は好き勝手に奥義をぶつけることを選択した。


 周りの影響を度外視することでそれぞれの最大級の攻撃力を発揮する。


 ある意味では男らしいその計画は急ごしらえとはいえ、それなりに連携が取れていた。男たちは同じタイミングで散開し、雄叫びを上げながら攻撃の動作を取る。


 ブラドリオは右方向から、ドッドは左方向から、イドルは中央突破。


 目標は暗黒のベールに包まれた結界刀を砕き、ディクロスを倒すことだ。


 しかし。


 どこの世界でも本気を出した者に対しては本気を出すのが礼儀である。


「ぬるいわっ!」


 右から襲い掛かったブラドリオはハンマーを象った結界刀に横殴りで弾かれた。


 壁にめり込んで沈黙する。


 キリモミ状に猛回転してぶつかりに行ったドッドはあっさりと手の平で受け止められ、天井へ放り捨てられて串刺しになった。


 イドルの火炎魔術は魔方陣を展開し、相手を薄膜の結界内に閉じ込め、超高温で焼却する術法であったのでディクロスを一時的に封印して焼くことには成功したが。


「やはり駄目か!」


 手応えはなく。効いている様子はない。予想の範囲ではある。


 素体に戻ったイドルは火の粉を飛ばしながら駆け、ディクロスの腹部に向け、最後の武器を繰りだした。


 奥義はあくまで気休めだ。


 本命は接近して【キラーポーン】を突き刺すことなのだから。


「お前の動きなど読めているわ」


 結界刀が火炎の魔術を霧散させた。

 嘲笑を浮かべるディクロス。迎え撃つ結界刀が無数の槍へと変化した。


 立ち向かってくるイドルに五本の漆黒の槍が襲い掛かる――が。


「なっ!」


 それは些細な移動法に過ぎない。


 身から出た〝飛び火〟を利用して原初体である炎の精霊として顕現する技。


 それでも相手の隙を突く一瞬の隙さえあればいい。ガードされたとしても構わない。


 ディクロスの背後に回ったイドルは至近距離から【キラーポーン】を刺す。


 はずだった。


「うおっ!」


 刹那の会合。一瞬の隙を狙って踏み込んだイドルは――。

 バナナの皮で滑った。

 足が取られ、豪快につるんと転び、倒れる。


 その拍子に【キラーポーン】は手から離れて壁へと飛んでいく。


「そっ、そんな……」


 これはあんまりな喜劇だ。

 バナナの皮で滑るなんて、そんな、馬鹿な決着のつけ方があるものか。


 だが現に倒れているのは自分だ。最後の手だった。これがうまくいかなければ、他にどうすることもできない。


 間抜けすぎる。いくら己を呪っても取り戻すことはできない。


「今のは驚いたぞイドルよ。見事だったが、お前には運命が足りなかったようだな」


 地を這って結界刀がうねり、イドルの全身を羽交い絞めにした。


 縄と化したその武器は身をぎっちり締め上げる。苦痛のうめき声を漏らしながらイドルは抵抗する術を失ってしまった。 


「クククッ、余の勝ちよ。ふっ、フハハハハハハハハハッーーーー!!」


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