-16-『決戦の日は悪天候ばかりではない』
その日の魔王城の上空には澄んだ青空が広がっていた。
天候は快晴。心地よい微風も吹き、外壁付近の植込みには春の花が咲き乱れている。
イドルたち一行は玄関門に仁王立ちする五メートルサイズの首なし騎士――顔なじみの門番兵に手を挙げて挨拶し、玄関部である門城を突破した。
そうして迷路のように入り組む城内に入ったところで、ドローンを従えたレイセンは大きく首を捻った。
「んー……おにーさん。なんかこれ……ちょっと違うんじゃない?」
「何が?」
「いや今日ってピクニック日和じゃん? 魔王討伐の雰囲気じゃないっていうか、ぜんっぜん殺伐としてないよね」
「天候まで俺たちの都合よくいかないだろ」
気持ちの良い青空を見上げて、燦々と輝く太陽の光に目を細める。
雰囲気を盛り上げるためにおどろおどろしい背景が必要なのかもしれないが、わざわざ魔術で暗雲を呼び寄せるのも億劫だった。
イドルにしても何か重要な意味があって魔王を討伐に向かうわけでもない。
単に動画のネタで倒しに行くだけであって、世界平和とか、倒れた仲間のためとか、そういう大義とか使命とかが一切ない。
更に反逆心も名誉欲も支配欲もなかった。
当然のことながら背負うものはないのでユルユルである。
「あと、てめえー、そう、デュラハンのお前だよ。
魔王城の門番がなんで顔パスさせてんだよ。
ああ、確かにあたしたちを素通りさせなかったらそれはそれでイラつくけど、今日はちょっと違うから侵入者として扱えよ」
「レイセン様、無茶ぶりですよ。戸惑ってらっしゃるじゃないですか」
魔王城の守備役となるレベル80の最上級モンスター『白金色のデュラハン』。
自身を指差して確認を取ると、可哀相になるくらい狼狽した。
両手を突きだして首をぶるぶると振る。
自分の倍以上レベルがある魔将と戦うのはちょっとした自殺であり、しかも同士討ちでなんの意味もない犬死となる。
「てーか、緑頭。お前のリュックから顔を出してるタヌキなんなんだよ。ほんとピクニックじゃねーんだぞ」
「タヌサクは普段はおとなしくていい子なんですけど、今日は凄くわがままっていうか、私の足首にすがりついてしつこく鳴くんですよ。何かの前兆かなって思いまして。ほら、動物って感覚鋭いじゃないですか」
「きゅーん」
リュックから顔を出しているコダヌキ。
魔王ディクロスが愛らしい目つきでレイセンに媚を売っているのを見てイドルは目頭を熱くさせた。
レイセンは小動物を凝視しながら頬をかき、くるっと背中を向ける。
「まあ、解体して昼飯にすればいっか」
「きゅ、きゅーん!」
ディクロスの悲痛な鳴き声は無視され、レイセンが先行しようとするとザザッと地が滑る音がして黒い影が前方に回り込んだ。
「ん? デュハラン? やる気になったの?」
首なし騎士は太い腕で胸甲をがばっと開く。がらんどうな空間を晒す。
真っ暗闇だが混沌が渦巻いており、転移魔方陣の一種だと思われた。
「そう言えば、こいつを倒すと魔王城の本丸に直接ダイブできる仕組みになっていたな。何千年前かそこらに、勇者パーティーが大体四人なのに魔王城に棲む数百匹のモンスターと戦わせるのもどうなのかと一時期、問題になってできたと聞く」
「へぇー……そうなんだ。おにーさん、これ使っていい?」
「いいが、それは難点が」
「とぅ!」
――あるんだが。
言い終わらない内にレイセンはデュラハンの腹の中に飛び込んだ。
イドルはやれやれと額を押さえ、エメリアと目線を合わせる。
「難点ってなんです?」
「遺物なので調整がおかしくてランダムジャンプなんだ。パーティーがばらばらになる」
「なるほど。どうしましょう?」
「まあ便利ではあるので使うか」
「えっ、敵地ですよね?」
「動画内だけの話だ。その証拠に従軍モンスターたちが俺たちを遠巻きに眺めている」
エメリアは城壁の影や長城の手すりとなる凹凸部分に目を配った。
なるほど、アンデッド系や異形動物系、人食い植物系から巨大昆虫系のモンスターたちが自分らを興味津々に顔を覗かせ、こちらを盗み見ている。
魔王城に勤務ともなれば人語を解する者がほとんどだ。
ならば命令もないのに積極的に〝覇権争い〟の騒動に関わりたくないのも人情。
現にレイセンにデュラハンは絡まれている。
本来ならばモンスターの間でもそれなりの顔役だというのに。
「撮影のために強そうなの何体か派手にぶち殺さないんですか?」
「無益な殺生はしたくないな」
「イドル様ってよく魔王軍の魔将になれましたよね」
「面接、頑張ったからな」
「面接あるんですね」
「当たり前だ。強さも重要だが、あまたの魔族の上に立つ者としてしっかりとした信念と心構えがなければならん」
「ちなみにそーいうのがなさそうなレイセン様はどうやって通ったんですか?」
「そのときは俺が面接官だった」
エメリアは微妙な顔を尻目に、イドルはマントをたびかせて転移魔方陣に飛び込んだ。
転移ゲートを越え、膝をついて着地したイドルは茶褐色の石畳を見据えた。
昼間の明るさから一転して薄闇。
立ちあがって左右を見回すと錆びた鉄格子。
かび臭く湿っぽい臭いが漂っている。
地下五階の牢獄エリアだ。
火の玉を手の平に浮かべると、ポッと薄暗闇にほのかな光が宿った。通路に沿ってかがり火は設置されているが間隔は短い。光源としての役目は不十分。
後続のエメリアの姿はない。先陣を切ったレイセンの姿も。
物音も少ない。何かが這うような音や布地が擦れる音が聞こえるだけだ。
「……かえって、遠くなってしまったかな」
この場所は太古から制御不能のモンスターや反逆者を閉じ込める地下牢。
魔王軍の暗部とも言える。
移動していくと、それなりに高レベルのモンスターが幽閉されていた。
奇妙な唸り声を上げているガス状生命体もいれば、力なくベッドで横たわっている魔人もいる。
百目を持つ奇形スライムがイドルを捉え、眼球が追ってくる。
追跡するような足音が暗闇となった後ろから聞こえる。
立ち止まると、霧散した。
牢獄結界がなければ戦うことにもなったかもしれない怪物たち。
「ゾッとするな」
歩きながらイドルは冷や汗をかいた。
平時なら足を運ぼうとも思わない薄気味悪いエリアだ。
骸骨が笑っているようなケタケタとした笑い声が前方から聞こえてきた。
距離は近い。おぞましい瘴気が気流となって吹き荒れてくる。
肌身にまとわりつく生ぬるい風。警戒したイドルは自然に原始の姿を取った。
いつでも全力がふるえる体勢であり。
体中から炎を巻き散らす精霊体である。
「まいったな。これは俺よりも強いな……」
自身の生存本能を感じ取ってイドルは進むことをためらった。
格上と対峙するのはどんな生物でも避けるものだ。
だが、強い好奇心も湧いてくる。
地下牢に閉じ込められた魔将よりも強い存在とは一体なんなのか。
「……明るい」
曲がり角からは明かりが射していた。壁からそっと首を伸ばす。
「ほほう……笑えるのぉ……しかし、このエロ広告が邪魔……むっ、画面に広がった」
牢屋の一室はそこだけがガラリと変わり、鉄格子で仕切られているものの花柄の壁とぬいぐるみで彩られたファンシーな部屋模様になっていた。
パジャマ姿でこたつの中に入っている人影が一つ。
艶やかな銀髪をカーペットに広げ、横になってノートパソコンのキーボード叩きながらポテトチップをバリバリ食うペルシャナルの姿がある。
イドルは名状しがたい感情が心に湧いてくるのを理解し、元の姿に戻った。
こちら側に気が付いていないのか。
ボーっと虚ろげな顔つきでサイトを見つめ、時が止まっている。
しばらくしていると、すっと腰に片手をやった。
なぜか腰を浮かせ、ズボンと肌の間に親指を差し込み、ずるずると足先に降ろしていく。
「ペルシャナル様」
「ふわっ! なっ! イドル貴様! 何をしとるか! ここは乙女の寝室じゃぞ!」
「いえ、どう見ても牢屋です。何をしてらっしゃるのですか」
「べ、べっ、別にぃー! 何もしとらんわぁ! 熱いから! 熱いからちょっと脱ごうとしとっただけよっ! 決して不埒なことをしようとしとったわけではない!」
これ以上にないほど顔を真っ赤にし、もぞもぞと両手をこたつの中に突っ込んでズボンを穿き直す。うぅーと唸って歯ぎしりしながら睨むのもやめない。
あえてイドルはこの件を追求しないことにした。
無為やたらに思春期を刺激してはいけない。
「そうですか。それでその、おやすみのところに申し訳ないのですが、俺は魔王退治に来たんですが」
「むっ……あれ? 今日だった?」
「今日です」
ペルシャナルはカレンダーをふいっと視線をやる。日付を見て下顎をストンと落とし、大げさに驚愕した。いそいそと立ち上がり、クローゼットを開けて着替えようとしたのでイドルは背を向けた。
「なぜこのようなところに住んでらっしゃるのですか?」
「むっ? 前々からずっとここじゃぞ」
背中の向こうから衣擦れの音が響く。
思い返せば、魔王になる前のペルシャナルとはそれほど関わり合いになったことがない。
イドルとしても魔王の娘に近づくのは避けていたこともある。
変に邪推されても立場は危うくなるし、心ない噂を流される可能性も考慮した。
「牢屋に住まわされていたのですか?」
「うむ。命令だったのでな……来る日も来る日も勉強させられ、訓練とやらでここの住人と戦わされたのじゃ……インターネットがなければ死んでおったわ」
ディクロスの教育方針はスパルタ式。
深窓の令嬢というイメージがあったわけではないが、箱入り娘という認識はあった。
自由奔放に振る舞い、動画サイトで遊んでいるのも、日頃から圧迫されたことが反動になっていたのかもしれない。
「余は旅系の動画を視聴するのも好きなのじゃが……様々な秘境に赴く〝ダンジョン動画〟が好きでな。こんな部屋に閉じこもっていると、外での冒険に憧れる。
まあ、実際に余がクエストしたりしたら恐らくモンスターの大半が逃げてしまうし、面白味もなくなってしまうじゃろうが」
魔王が一般の冒険者に憧れるなどあり得ないことだ。
だが、こういう環境に置かれてしまっていたのなら読書して物語の中に浸るように、仮想空間へ没入するのもおかしくはない。
そしてあくまで楽しい遊びとして終わらせるのならば。
現実に悪影響を残すわけにはいかない。
「レイセンと話されましたか?」
「ああ、打ち合わせしたぞ。序盤はマジバトルで盛り上げる。
頃合いを見て、余が偶然床に転がっていたバナナに足を滑らせ、その隙を狙ったレイセンが起死回生で【キラーポーン】を使って勝利するといった流れじゃ……よし、もうよいぞ」
そのバナナはどこから出てきたんだ――疑問を挟んでもよかったが、パジャマから普段のビキニアーマーに着替えたペルシャナルは上機嫌そのもので突っ込みにくかった。
鼻歌を口ずさみながら鏡台の前に座って髪をすいている。
「【キラーポーン】を使われたら危険ではありませんか?」
「はははっ、偽物を使うに決まっておろう」
「もしも本物だとしたら?」
「イドル」
天然毛のブラシを落とし、ペルシャナルは振り向いた。
「信じよ」
よく通る声で告げられる。このときだけは、妙に威厳があった。君主の貫禄と呼ぶべきか。
単に信じるだけで何もかもがうまくいくならどんなにいいことか。
何かしら、安心材料がなければ無条件には信じられない。
「では鍋を借りてもよろしいでしょうか」




