間章 タヌサク
思うところもあって、イドルは自らのダンジョンを『火口ダンジョン』と改名した。
モンスターを火属性で統一し、序盤は低級モンスターを配置して攻略の道筋を作ってやった。
安易に宝箱を置くとすぐに持っていかれるので、レイセンから生成魔術を習ってモンスターの死体から金貨が取れるように改良した。
トラップも不意打ちや防ぐのを難しいものはやめ、事前にヒントを与えることにした。
硫黄臭の苦情もあったので、通路の換気だって忘れない。
工夫はしている。
徐々にダンジョン経営に慣れてきたのかもしれない。
そのかいもあってか、徐々に探索に訪れる冒険者は増加してきた。
そうなると変人も入ってくるもので、ダンジョン内で道具屋やレストランを開きたいと、申し出てくる者まで現れてきた。
集客できるならと許可したものの、腑に落ちない。
「観光地か何かと勘違いされてないだろうか……」
「観光地みたいなもんじゃないですか。なんか近隣に宿場町が作られてましたよ。温泉出てますしね。ここ」
湯気が漂う岩盤風呂にタイル張りの床。
鏡面を前にして湯椅子に腰掛けたイドルは、同じくバスタオル姿のエメリアに背中をゴシゴシと洗われながら、経営しているダンジョンの在り方について悩みをかかえていた。
「そもそもなぜ、人間はダンジョンなどに潜りたがるんだろうな。モンスターと戦うことを危険だと考えないのか。生命を脅かす行為だぞ」
「そりゃあ、未知への好奇心とか……富とか、名声ですかね。怪物を倒して、財宝ゲットですよ」
「そんな思考か」
応えつつ、背後を見やる――鏡越しだが、成育してきた乳房がどうしても目に入る。
視界に入ると、暴力的なものさえ感じてしまう。
鼻歌まで口ずさんで機嫌がいい。
入浴介助までやると言ってきたのは、明らかに温泉設備ができたことへの喜びだった。
使用人扱いしても問題はないのだが、自分から申し出るのは珍しい。
しかしながら時折、ぴたりと二の腕の柔らかい部分が皮膚に密着して落ち着かない気分になる。
「だが〝ダンジョン動画〟を見てしまえば、その未知というもなくなるのではないか」
「ネタバレですね。でも視聴者も純粋無垢な冒険者ってわけじゃないですよ。イドル様の動画、五万再生してますけどほとんどの人がごく普通の人だと思います。あ、前向いてください」
「やめろ。前は自分で洗う……普通の人間がなぜ〝ダンジョン動画〟など見る? 意味のないことだろう」
スポンジを受け取り、首回りを擦っていると後ろのエメリアは得意げに語った。
「わかってませんねー。追体験ですよ。誰だって冒険したいですけど、時間や準備資金も必要ですし、モンスターに立ち向かえるほど肉体を鍛えているわけじゃないです。だから動画を見ることで撮影している人と一緒にわくわくドキドキするんですよ」
「……追体験か……なぜペルシャナル様はそんなものを……」
つぶやいた疑問は答えを得られるはずもなく、虚空に消える。
身体を丁寧に洗浄し、二人で使うには過分な広さがある湯船に足先を沈めた。
地下施設なので風景というものが楽しめないが、代わりに浴槽の壁には湿気防止シートに包まれた巨大モニターが埋め込まれている。
イドルが湯に浸かって足を伸ばしてくつろいでいると湯船から突然、ざばっと金髪が浮かび上がってきた。
「でもさー、あたしも色々見たけど、面白いあったよ」
「お前はどっから現れた」
水中眼鏡を装着し、シュノーケリングを咥えたレイセンが顔を出した。
肌にぴっちりと食い込むウェットスーツまで着ている。
キョロキョロと周りを確認し、モニターを見つけて顔を明るくした。
すっとイドルの唇に指を添え、にんまりする。
「細かいことはいーじゃん。まあ、おにーさんもあたしのお勧めの〝ダンジョン動画〟を視聴してみなよ。はい、ぽちっとな」
どこからか取り出されたリモコンが操作されてモニターに電源が点く。
インターネットにアクセスする。『グングン動画』内の〝ダンジョン動画〟を検索すると総数は一万を越えている。
全体で見れば多いが、関係のない物を含めての動画数だ。
人気順に変えればミリオン越えのしている作品もあるので根深い人気の高さを窺わせる。
タグは〝廃墟〟〝遺跡〟〝鉱山〟〝冒険〟〝巣穴〟〝実況〟といった具合か。
燦然と一位を飾っているのはお世辞にも英雄たちと言えるようなパーティではなかった。
四人は武器も防具もみすぼらしい。
いかにも急ごしらえで固めたような手荷物を持っていて、自分たちは最近まで農夫をやっていたと告げた。
ダンジョン動画を撮影するのは僅かな広告料を貰うためであって、応援してくれると嬉しいと語っている。
「一人、剣じゃなくてクワを持ってるぞ。こいつら大丈夫なのか? 農民のまま冒険者になるのか? いいのかこれは?」
「まあまあ、見ていって」
農夫パーティーたちの最初の動画は、目を覆わんばかりの惨憺たるものだった。
へっぴり腰でモンスターに立ち向かい、ボコボコにされて逃げ帰るというもので、〝入り口動画〟とも揶揄されていた。動画も乱れることが多く、はらはらと心配になるような間抜けな行動をしてはトラップというトラップに引っかかる。
視聴者にも笑い者にされていた。
なぜ、なんで、どうして、こうやってしないのか――突っ込みという突っ込みを入れられて精神は穴だらけにされていただろう。
しかし彼らはまったく諦めなかった。
ガッツだけは人一倍あったのだ。
他の冒険者たちに馬鹿にされながら、農場警備のアルバイトや酒場の皿洗いをしながら溜めた資金でダンジョンに潜った。
当時のダンジョンは当然のことながら宝箱がそのままなど、滅多にないことである。
たとえクエストがあっても冒険者の収入は乏しいものだ。
偶然、隠し部屋を発見して手つかずの魔石が手に入ったときは全員で喜びのダンスを踊ったし、手ごわいモンスターと戦うときは創意工夫を用いた。
彼らは地道にコツコツとレベルを上げていき、成長していった。
たまに喧嘩や失敗、誰が誰の女と寝たとか、痴情のもつれあったが――同郷の者たちで構成されているかいもあり、苦難を乗り越えていった。
だがあるとき、順調だった四人に神の無慈悲な試練が訪れた。
メンバーの死亡である。
「僧侶のヒコベエが死んだぞ……なんでネームドモンスターと戦ったりしたんだ!」
「いけると思ったんだろうね」
感情移入していたイドルが湯面を拳で叩いた。
ばしゃりと飛沫が舞う。レイセンは腕組みしてうんうんと頷く。
それから動画の投稿期間は空白ができていた。
残された三人には考える時間が必要だったのだ。
そもそも資金集め目的で初めたことであり、適度に動画収入があることが会話に出てくるようになった。
動画の説明文ではコメントの返信、マイリスト登録やチャンネル登録に感謝すること文言を見かけるようになっている。
もはや貧乏農夫ではない。
世話を焼きたがりな視聴者に指摘されるまでもなく。
ダンジョンを巡るための装備や道具も整っている。
満たされてしまったメンバーとしては冒険をやめるのは頃合いだったのだ。
戦士のゴスケも酒場の娘と酔った勢いで事故を起こし、結婚した。
家庭ができてしまったのだ。
わんぱくな子供もいる。
いつまでも冒険で食っていくのは難しかった。
次の動画では彼らはCDデビューすると語った。方向性を誤ってきていた。
少し動画で人気が出たからといって、なぜ芸能界に入ろうとするのか。それから半年が経過し、CDは全然売れなかったのか〝ダンジョン動画〟に回帰した。
再び画面の中に現れた四人は空々しい口調で再びダンジョンへの意気込みを語っている。
「元通り四人いるぞ。ヒコベエ死んだんじゃなかったのか?」
「まあ、CDデビューするときに同情票が必要だったんだろうね。やっぱり芸能界は魔物ばかりだよ」
「視聴者を騙していいのか……」
「いいのいいの。面白ければ」
「めっちゃコメントで叩かれてるんだが。集中砲火だぞ」
「まあ、これが『グングン動画』で創立初期の〝ダンジョン動画〟だよ。このあとも傑作なのが、バンド活動に参加できなかったタコベエがそのことを密かに根に持って、ダンジョン探索中にメンバーを崖から突き落として逮捕されるの。最高にロックな展開だったよ」
「話題になればなんでもいいわけじゃないだろう……」
「でも、面白いでしょ。ペルペルが好きになるのもわかるでしょ。あの娘はね――」
「イドル様、のぼせますよ」
少し離れたところでぶすっとしていたエメリアが助言した。一人だけ蚊帳の外に置かれているのをすねていたのか、つんけんとしている。
イドルは頷き、風呂から上がって脱衣所に向かった。レイセンはエメリアに向かって意味ありげに嘲笑すると、再びシュノーケリングをかぷっと咥えて湯船に潜り姿を消す。
エメリアは瞬の魔将の神出鬼没ぶりをおののきながらもベーッと舌を出した。
スリッパを履き、寝間着で居住エリアの廊下を移動していると、イドルはキッチンから薄明りが漏れているのを見つけた。
ドアが開きっぱなしだ。
天井の換気口からの送風でふらふらと揺れている。
住人であるエメリアはまだ入浴をしているし、今日は自分もキッチンに足を運んだ覚えはない。
一瞬だけ侵入者を想像したが、その可能性はすぐに打ち消した。警報アラームは鳴っていないし、相当腕の立つ者でなければこのエリアまで到達できない。
「消し忘れか……」
近づくにつれ、カリカリとネズミが齧るような音が聞こえてきた。
不審に思いながらもキッチンに足を踏み入れると、テーブルの足下に灰褐色の毛玉がうずくまっていた。
半開きの冷蔵庫の庫内灯に照らされているのは小動物。
体長三十センチくらいか。ふわふわの毛にまんまるとした胴長短足。丸みを帯びた尻尾はひょこひょこ揺れ、三角の耳は小刻みにぴくぴく動いている。
たぬきだ――気配を感じ取ったのか振り向いた。
突き出た鼻の上にはつぶらな黒瞳。きらきらのおめめをしている。
「確か、エメリアのペットのタヌサクだったか」
サイズは小さい。まだ子供のたぬきだ。そういえば飼い始めたばかりだと言っていた。
この悪戯者をどうしようかとイドルが黙って見つめていると、
「イドルよ。久しぶりだな」
「おっ、しゃべった……久しぶりだと? まあ、勝手に冷蔵庫を漁るとは何事だ」
「余の顔を見忘れたか」
尊大な態度でコダヌキは凛々しい顔つきを作った。
なんだこいつ、と思ったもののイドルは記憶を辿った。おぼろげにこの雰囲気を思い出していく。
コダヌキには異様なオーラがある。思わず膝を屈してしまいそうな圧力。
これはそう、魔王城で恐れながらも拝謁した貴人――まさか。
「あっ、あっ、あなた様は……魔王ディクロス様っ!」
叫び声はほとんど悲鳴だった。すぐさま両手の平を床につけてひれ伏した。
顔は全然似てなかったが本人に違いない。
「な、何ゆえ、かような姿に……」
「話せば長い。余は死に、その魂は森に住む母たぬきの母胎に入った。転生するためには肉の身体は必要だったのでな。そして、ぬくぬくと森で暮らしていくはずが悪質なペット業者の箱罠に引っかかり、お前の従者であるエメリアたんに購入されたのだ」
「えっ、エメリアたん……ですか」
「うむ。そして栄養補給をしながら復活のときを待っていた。たぬきとて百年の時を刻めば魔力を帯びるのでな。そうして時期を待っていたのだが……やはり、魔王軍の現状は目にあまるものがあるな」
パクッと魚肉ソーセージを噛む。
夜の冷蔵庫漁りは威厳はカケラもなかったが、相手は魔王だ。文句は言えない。
「もしや、人間族や亜人族と和平を結んだことでございましょうか?」
「それもある。魔族とは戦いの民である。日和見主義などもってのほかよ。そしてときにイドルよ、お前は何をしておる。畏れ多くも魔王軍の一軍を預かる軍団長であり、魔将の一人でありながらここ最近、何をしていた?」
「おっ、面白〝ダンジョン動画〟を作っておりました」
「馬鹿者がぁあああああああ! 貴様! それでも魔将か! 軍団の日常訓練や拠点の建設、災害地の救助活動や領土の防衛などお前のすべき仕事はたんまりあるだろうがっ!」
「は、ハハアッ!」
返す言葉がない――ディクロス(たぬき)の一喝にイドルはすくみあがった。
正直、ここのところずっと長期休暇気分でいたのだ。
ダンジョン暮らしもゆとりあるスローライフみたいなものでゆったりしていた。
「しっ、しかしディクロス様……ご息女であるペルシャナル様のご命令でして」
「あれは世に出すのはまだ早かったのだ。わがまま放題の馬鹿娘に育ってしまった。優秀な家庭教師をつけ、様々な稽古事を習わせても未熟なままよ」
「で、では……ディクロス様。魔王軍にご帰還なさるのですね?」
「いや、それはその……無理だ。現在の余のレベルは……2だ」
「に、2でございますか」
言い淀んで顔そらすディクロスは全盛期のレベル3250に比べれば、いつ死んでもおかしくない瀕死のようなものだった。
魔族は力のあるものに従うのが本能的に定まっている。
現在のディクロスではとてもではないが魔王軍を従えることはできない。
「帰ったところで余はペルシャナルに殺される。それならまだいいが、幽閉されて生かさず殺さず、永遠に地下牢獄に閉じ込められるやもしれん」
「い、偉大なるディクロス様にそのようなことなど……」
そうは言ったものの、裏付けがあるのかディクロスは俯き加減で暗い顔をしていたのでそれ以上フォローを入れることはできなかった。
親子関係には確執がある。そう言えば仲の良いところを見た記憶がない。
「それでイドルよ……魔王退治の〝ダンジョン動画〟なるものを作っているらしいな」
「あ、あれはあくまで悪ふざけでございまして。演劇のようなものでございます」
「わかっておる。お前は忠誠心が厚く、見通しが利く目を持っているからな。しかし、レイセンが絡んでおるらしいな」
「はい」
ふぅーとディクロスは吐息をつき、小さな両手を胸元に運んで腕組みした。
「いかんな。あやつだけは本気でペルシャナルを殺すつもりだぞ」
「……馬鹿な。何を根拠におっしゃるのですか?」
「余を討ったのがレイセンだからだ」




