5.アリの王様と魔女の風
食事がすっかり終わった後、いよいよツクツク法師が、ここから先の話をし始めました。
ここから虹の橋のふもとまでは、オオミズナギドリの言う通り、もう少しと言う事でした。黒土の森を抜けて、その先の八又杉までゆけば、そこからは、次の迎が来るのです。そしてそのお迎えと言うのが、モモイロインコのヒナだと、ツクツク法師は言いました。
「ヒナちゃんが、来てくれるの!?」
「左様にございます。が……」
ツクツク法師の顔が強張ります。
「黒土の森で、ヒアリとフシアリが戦争をしているのだ。法師殿は、だからワシを呼んだのであろう?」
「左様。王様には、たとえヒアリやフシアリでも、手出しはできないと」
「うむ、その通りじゃ。ワシは、王様だからな」
がっはっはと、王様アリは自信満々に笑います。
それでもツクツク法師の顔は固いままです。それは当然のことです。王様は良いとしても、自分やサクラが攻撃されない保証はありません。アリの戦いは激しいものと、ツクツク法師も聞いています。しかしツクツク法師にしても、その合戦場を横切るには、王様を頼るしか他に作戦が思いつかなかったのです。他の道――例えば、攻撃的なスズメバチの村や、なんでも食べるアライグマの里なんかを通るよりは、まだ、アリの戦場を抜けた方が良いと、ツクツク法師は判断したのでした。
王様は、サクラと法師の不安顔を見ると、また、がっはっはと笑って、言いました。
「ワシは王様だぞ。王様には家来がいる。何も、わしたちだけで行くわけでは無い。ほら、出てこい」
王様アリがそう言うと、ププーと、ラッパの音が鳴り響きました。
すると、茂みの間から次々に、アリたちが出てくるのです。そのアリたちは皆、大あごに葉っぱを加えて、旗のように掲げています。その葉には、噛み後の点々で、王冠のマークが刻んであります。
「ほれ、お前たちの分だ」
王様はそう言うと、法師とサクラにも、彼らと同じ葉っぱを渡しました。
サクラは法師と顔を見合わせると、他のアリの家来たちと同じように、葉っぱを頭の上に振り上げました。ツクツク法師もそれに倣います。それで、王様も満足して、大仰に笑い、「では、参るぞ」と号令をかけ、進み始めました。
黒土の森は、まさにヒアリとフシアリが戦っている最中でした。
どちらのアリも、その外骨格は赤さび色の光沢で、虫と言うよりは、先頭ロボットです。顎と顎をがっちりと嚙み合わせて、投げ飛ばし合っています。黒土の戦場では、アリたちが転げまわり、飛び交い、突撃のラッパの音と、顎と顎がぶつかる火花のような音であふれていました。
「がっはっは、結構、結構」
王様はしかし、全くためらうことなく、戦場に足を踏み入れました。
こうなっては、サクラたちも、後に続くしかありません。
わあっと、ヒアリとフシアリの取っ組み合い。勇ましい時の声、敗走の足音。
いたるところで、戦いが起きています。
ところが、本当に王様だけは、ヒアリもフシアリも避けて通るのです。そして、王冠を刻んだ葉っぱ掲げるアリの家来たちのことも。まるで見えないバリアが貼られているかのように、王様アリの大名行列が通ると、どんなに盛んに戦い合っていても、アリたちはぴたりと争うのをやめ、行列が通るのを待っているのです。
「すごい、本当に、襲って来ない」
サクラは、防獣ガラスなしで、サファリパークのライオンの群れの中を横切っている心地でした。アリとはいえ、今のサクラにとっては一匹一匹が、巨大です。人間サイズの時に出くわす大型犬よりも、ヒアリもフシアリも、大きいのです。しかもどちらのアリも、戦うためだけに作られたマシーンのような、見るからに危険な形をしています。
サクラは、息を潜めながら、王様のすぐ後を歩きました。
ヒアリやフシアリの鋭いあごに噛まれたら、ひとたまりもありません。
しかし作戦は、最初から最後まで、上手くいきそうでした。森の終わりが、見えてきたのです。足元の黒土は、茶色の、コーヒーの粉の色に変わります。それが、黒土の森の出口です。
もう少し。
サクラは息をつきました。
ところが、その時でした――。
びょおおっと、音が鳴るよう大風が、黒土の森に吹きました。風は、一度ではありません。北から南、西から東、そして今度はその逆に。アリたちは体を低くして、ガチリと土に足を喰い込ませて耐えます。風のごうごうという音の間から、サクラは微かに、魔女の笑い声を聞いた気がしました。
「サクラ殿、捕まって下さい!」
サクラは、風に顔を背けながら、ツクツク法師の杖に掴まりました。法師は杖を地面に突き刺し、体を低くしました。サクラモ、飛ばされないように必死です。
そのような大風でしたから、家来のアリも、そしてサクラたちも、持っていた葉っぱを風にさらわれてしまいました。風がやむと、アリたちの戦いが、再び始まります。しかし今度は、家来も、王様の家来である証拠の葉を持ちません。そして、サクラとツクツク法師も。
そうなると、ヒアリもフシアリも、王様アリの家来だろうが何だろうが、構わず襲い掛かって来ます。彼らにとっては、味方以外は全員敵なのです。
家来アリたちは、八の子を散らしたように、方々に逃げます。
王様は攻撃されませんが、家来が逃げたことに驚愕し、「何ということだ」と、頭を抱えます。
サクラは、それどころではありません。ヒアリが、襲ってきたのです。サクラは、ガシャン、ガシャンと、凶悪に開閉する顎を避け、逃げました。しかし敵は、ヒアリだけではありません。フシアリも、構わずサクラを攻撃します。
「おさがり下さい!」
ツクツク法師は、転んだサクラの前に立ち、その杖でフシアリの牙と打ち合います。
幾度か打ち合った後、法師の杖先がフシアリの足の節に突き刺さりました。フシアリはたまらず飛び上がり、逃げていきました。
「すごい!」
サクラは立ち上がって、ツクツク法師を褒めました。
しかしここは戦場です。二人はすぐに、他のアリたちの包囲されてしまいました。片方はヒアリ、片方はフシアリ。その睨み合いの真ん中に、サクラと法師がいます。二人は、身動きが取れません。王様はもう、どこかへ行ってしまいました。
「セミさん、何か作戦は!?」
「もはや、万事休す」
じりじりと、ヒアリとフシアリの睨み合いの距離が狭まってゆきます。ツクツク法師の袈裟の袖はヒアリの顎を掠め、サクラの胸元には、フシアリの顎の先が迫ります。ツクツク法師とサクラは、背中をピタリとくっつけ、息を吸い込みます。
ここまでかと、サクラも諦めかけたその時でした。
ズン、ズン、と地面が揺れます。その揺れは、ズン、ズンと、だんだん大きくなってきます。
アリたちは互いに顔を見合わせて、揺れの発生源に視線を向けます。
何だろうと、サクラとツクツク法師も顔を見合わせます。
ズン、ズン。
音と揺れが大きななって来ます。
ズン、ズン、と、その振動にアリたちの身体も宙に浮かびます。
そして――。
ドシン!
一段と凄まじい揺れと共に、大きな何かが、上から降って来ました。
アリたちも、ツクツク法師も、そしてサクラも、黒土の上に倒れ込みました。
倒れたサクラは、体を持ち上げて、上を見上げました。
まず視界に入ったのは、風船のように張った大きな袋でした。黒い模様の入った、白い大きな袋。その袋が、ぷうっと、大きく膨れたり、しぼんだりしています。
「乗りな」
袋が、低い声を出しました。
いえ、その袋は、カエルでした。大きな、ウシガエルでした。
サクラとツクツク法師は、言われるままに、ウシガエルの背中に乗りました。背中に乗ってしまえば、さすがのアリたちも、その上までは襲ってきません。ごつごつしたウシガエルの身体ですが、サクラとツクツク法師が背に登り終えると、ウシガエルは皮膚からべったりとした粘液を出して、万が一にも襲ってくるアリがいても、体を登れないように備えました。
それからウシガエルは、サクラの持っている手綱の糸を、ハエを捉える時の素早さで舌で捕まえで、自ら口に食みました。サクラは手綱を握り、手綱を持っていないツクツク法師に言いました。
「私に掴まって!」
ツクツク法師はサクラの後ろに跨って、サクラの背中にぎゅっと掴まりました。
「行くぜ」
ウシガルはそれだけ言うと、太くてバネのような後ろ足を伸ばしました。
ピョーーンと、大ジャンプです。
着地は前足から。
そして、後ろ足が地面に着くと、ドシンと、地面が振動します。
ピョン、ピョン、ピョンと、ウシガエルはアリの戦場を跳んで進みました。
ウシガエルの背中から見ると、黒土の森の、アリの戦いが一望出来ました。アリの軍隊とアリの軍隊の戦いが繰り広げられています。その中に、アリの王様もいました。王冠を被り、肩を落としています。それでもアリが王様を攻撃することはありませんが、一匹になって、なんだか寂しそうな王様です。
「王様!」
サクラは、ウシガエルの上から、王様に声を掛けました。
ふと、王様はサクラの声に触角を動かし、そして、ウシガエルの上のサクラを見つけました。
「おぉ! 無事であったか!」
王様は声を張り上げて返事をしました。
「私たちは、大丈夫!」
「うむ、そのようだな! それに、なんとあっぱれな牛車じゃ! 褒めて遣わすぞ!」
それからサクラは、手を振りってアリの王様にお別れを言いました。
黒いアリの王様も、二本の右手でサクラに手を振りました。
そうしてウシガエルはサクラを乗せて、戦場の黒土の森を離れました。
黒土の森を抜けて、アリたちの戦いの音も遠くに聞こえなくなりました。
ウシガエルはサクラとツクツク法師を降ろしました。
「本当に危ないところだったよ。ありがとう」
サクラは、ウシガエルに言いました。
ウシガエルの真正面に立つと、その顔は大迫力です。体の横まである、皿の様な大きな口。そして、顔からぴょこりと飛び出た目。その黒目に見下ろされると、動けなくなってしまいそうです。
「危なくなったら助けるように頼まれてたんだ。八っつぁんに」
「ハっつぁん?」
「ハチクマのはっつぁんだ。あの野郎、今回は自分に役が回ってくるって思っていたらしい。お前が王様の方を選んだから、悔しがってたぞ」
ウシガエルにそう言われると、ツクツク法師は、あっと小さく声を上げました。
法師は、その手があったことに今気が付きました。ハチクマがいれば、狂暴なスズメバチの村でもへっちゃらです。ハチはどのハチも、例えそれが、大きな顎と強力な毒の針を持った巨大バチでさえ、ハチクマと聞けば、その名前を聞いただけで一目散に逃げていくのです。そんなハチクマが一緒なら、歩いてスズメバチの村を横断できたことでしょう。
ただ、ハチクマは、たまに、おやつ代わりにセミも食べるので、ツクツク法師は、きっと助けてくれないだろうと思い込んでいたのでした。
「それじゃ、俺はここでおいとまするぜ。ここには、長居したくないんだ」
「何か、あるの?」
サクラが訊ねると、ウシガエルはバツが悪そうに瞼を薄くして、こっそり答えました。
「ここから先はヘビの森なんだ。鳥連中はそれでも、美味い果物があるとかでやってくるが、俺にはそんな度胸はねぇ。あの目で睨まれたら、竦んじまうぜ。だから、そうなる前に尻尾巻いてとんずらよ」
「尻尾なんて無いのに?」
「あぁ、はっは、いや、ガキの頃の癖だ」
ウシガエルはそれだけ言い残すと、黒土の森の方へ引き返して行ってしまいました。
ここから先はヘビの森――それを聞いたツクツク法師は、首を横に振りました。
ウシガエルが行ってしまった後、サクラは法師に声を掛けました。
「どうしたの?」
すると法師は答えました。
「そんな森があると、拙僧は聞いておりませぬ」
「え?」
「拙僧は、黒土の森を抜けた先に八又の杉があると、そう承知していたのです。ヒナ殿も、そう申していました」
ツクツク法師は、うっそうとしたヘビの森の奥を、悔しそうに見角でした。
「確かに、ヘビは、怖いかなぁ……」
サクラも、ヘビの森と聞いて、その森に入る気にはなりません。
アリでさえあんなに恐ろしいのです。それが。ヘビともなればなおさらです。
「だけど、虹の橋のふもとまでは、あと少しなんだよね?」
「そのはずで、ございます……」
ツクツク法師は、自信を失っているようでした。
サクラは、そんなツクツク法師の肩を軽く叩きました。
「たぶん、ヒナちゃん、ドジなところあるから、伝え忘れちゃったんだよ。きっと、この森を抜けたら、あるよ、八又の杉」
「行く、おつもりですか」
「うん、行くしかないよ。ヘビは怖いけど、ここで引き返したら、全部夢になっちゃうんでしょ?」
「左様。しかし、怖い思いはしなくて済みます。ヘビの牙の痛み、丸呑みにされる息苦しさ……」
「嫌なこと言わないでよ。大丈夫。というか、私、今日の事、夢にしたくない。夢にしたら、起きた時、忘れてるかもしれないんでしょ?」
サクラがそう言うと、ツクツク法師は、苦々しく、といった調子で頷きました。
夢になる、と言うのはそういう事でもありました。夢の出来事は、夢の中にいる時には覚えていますが、起きたら、その中で起こったほとんどのことを、いえ、大抵は、その全部を、すっかり忘れてしまうものなのです。
「きっと私、ここで引き返したら、たぶん、ここまでのことぜーんぶ忘れちゃって、気づいたら、布団の中なんでしょ? きっと夕方過ぎの薄暗い部屋で起きて、やっぱりヒナちゃんは、死んじゃっていないんだって、また悲しくなって」
ツクツク法師は、サクラの言うことを黙って聞いていました。
ツクツク法師は、精霊ですから、蛇に噛まれてもいたくはありません。ふわりと、消えてしまうだけです。そうしてまた、セミの幸せな眠りの中に戻るだけなのです。だからツクツク法師には、サクラがとても勇敢に思えました。もし自分が成虫になっったら、このサクラのように、カラスの襲撃なんて怖がらずにたくさん鳴いて、必ず結婚するのだと心に決めました。
「ヒナちゃんが、もうすぐそばにいるんだから、やっぱり私、行くしかない。もう一回、ヒナちゃんに会いたい!」
サクラの決意を聞いて、ツクツク法師も心を決めました。
「わかり申した。では拙僧、この身に代えても――」
と、ツクツク法師の言葉が終わらないうちに、のそっと、近くで何かが動きました。
その何かは、いつの間にか、縄のように二人を丸く囲んでいたのです。
帯のような長い体。隙間なくその体を覆っている銀の鱗。
それは、蛇に間違いありませんでした。すうっと、蛇の身体は二人を囲みながら動いて、やがて、その頭が現れました。逆三角形の、巨大な顔。丸い目に、口からちろちろと出し入れを繰り返す、細い舌。それが、落ち葉を押しのけて、二人の正面に出てきたのです。
蛇の頭はクレーン車のように持ち上がりました。
首をもたげたヘビは、眼下のサクラとツクツク法師を見下ろします。
サクラとツクツク法師は、もう、声も出ません。
「どうしたもんかね」
ヘビが、初めて声を発しました。
艶のある、思わず〈姉貴!〉と呼びたくなるような声です。
「ここで、食っちまってもいいが、、食っても、大して旨くなさそうだ」
ヘビは、視線だけはしっかりと二人を捉えたまま、ひとりごちます。
サクラは、緊張でからからの喉を、ごくんと唾をのんで湿らせて、それから、ヘビを見上げて言いました。
「私たち、八又の杉に行きたいんです」
ヘビは、微動だにせず、舌だけをちろちろ動かします。
相変わらずその目だけは、隙なく二人を見たままです。
「行けっこないよ。血気盛んな若いヘビどもは、ちょうど昼寝が終わったばかりさ。あんたらみたいなのがひょっこり、ここから一歩でも入ってごらん。あっという間に丸呑みさ」
ぞぞぞっと、二人は背筋を凍らせました。
確かに、そこかしこから、風のせいではないような気配がするので。ごそごそ、がそごそと、葉が微かにこすれ合う音がします。
「しかしヘビ殿、拙僧らを喰っても腹の足しには――」
「そんなことは、喰ってから考えるのがあたしらの流儀さ。まぁ、あたしゃもう少し、喰う前に考えるんだけどね。そうでなきゃあんたらは、もうとっくに、あたしのこの腹の中さ」
そんな事を言われると、サクラも、寿命が縮まる心地でした。
けれど、このヘビは、魔女の手先ではなさそうです。
「ヘビさん、私たちを、案内してくれない?」
「嫌なこった。あたしゃこれから昼寝だよ。まぁ、ついてくるなら、一緒に来ればいいさ。ここにいるよりは、まだマシだろうね」
ヘビはそう言うと、もたげていた首を降ろして、すいいっと、倒木のトンネルの中に入って行きました。サクラとツクツク法師も、慌ててその後を追いかけました。彼はの隙間や木のうろから、ヘビたちの黄色い目を見た気がしたのです。




