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3.信じられない川下り

 ヌートリア、それは大きなネズミのような動物でした。


 砂漠の砂のような色をした毛をしていて、いかにも呑気そうな目をしてます。そのヌートリアが、鯉の一団と一緒に川辺に待っていました。コンクリートで補強された岸のちょっとした段差の下です。


 サクラはボーダーコリーから降りて、岸の上から彼らを見下ろしました。


 餌が来たと勘違いしたのか、コイはパクパクと口を開けたり閉めたりしています。それは、人間でいる時にはなんてことのない光景でしたが、今のサクラには、かなり恐ろしく感じられました。コイの口は巨大で、あの中に飛び込んでしまったら、一飲みに呑み込まれてしまいそうです。


「ここまで無事で良かったな、嬢ちゃん。こっからは俺の仕事だ。俺たちはここから川を下って、川と川の――」


 と、そこまで言いかけてヌートリアは、脇から顔を出してパクパクと口を開けるコイの頭を殴りつけてどかした。


「説明してる最中だろうが、鬱陶しい!」


 殴られたコイは、口をぱくっと開けたままゆらっと少し離れ、「すみませーん」とヌートリアに謝るのでした。その様子が可笑しくて、サクラはくすくすと笑ってしまいました。


「いいかい嬢ちゃん、勝負は、川の合流地点までだ。川が合流して一本の大きな流れになったら、そこで俺は交代、そこまでだ。ただ、それまでは危ない道が続く。川が細いうちは、かなり危ない。まぁ、そのために今回は、コイの一個小隊を連れてきた。こんな連中だが、役に立つはずだ。質問は?」


 サクラは小さく手を上げて、ヌートリアに聞きました。


「私あの、今は水、危ないんですけど」


「おぉ。そうだった!」


 ヌートリアぱしゃんと水面を一つ打ち、近くにいたニシキゴイの口の中に手を突っ込んだ。そうして口の中から苔色をした丸い丸薬のようなものを取り出し、それをサクラに投げよこしました。


 丸薬、といっても、今のサクラにとってはそれは、バスケットボールほどの大きさのものです。


「へぇ、それが水弾きの薬ですか。初めて見ました」


 後ろに控えるボーダーコリーが、しっぽを振りながら答えました。サクラが振り返ると、ボーダーコリーはサクラに教えました。


「その薬を、体中につけてください。そうすれば、水がかかっても平気になります」


 サクラは言われた通り、丸薬握りました。


 すると丸薬は、思いのほか簡単に、ボロっと崩れ落ちました。するとその粉は、きらきらと宙に舞いました。サクラは息を止めながら、丸薬を砕いては擦りあわせて、きらきらの粉をたくさん出させて、体中にまんべんなく振りかけました。


「ようし、上出来だ」


 ヌートリアはそう言うと、自分の身体をコンクリートの岸辺にくっつけました。そうして見下ろすヌートリアの背中は、平たく頑丈で、戦艦のように見えました。


 サクラはヌートリアの首元に座ると、手綱を着ける場所を探しました。


 ヌートリアは首輪が無いので、どうしようかと思いました。


「糸、よこしな」


 サクラは、ヌートリアに言われた通り、手綱の糸を、ヌートリアの眼前に放り投げました。するとヌートリアは、それを自分の二本の頑丈な前歯に括りつけました。


「これでばっちりだ。小隊出港準備」


 ヌートリアが言うと、鯉たちが一斉にばしゃばしゃと鰭を動かし始めた。


「それではサクラさん、気を付けて行ってきてください」


 岸辺からボーダーコリーが鼻を突き出して言いました。サクラは、「うん、行ってくるね」と言いながら、ボーダーコリーのしっとりとした鼻先を撫でました。


「鰭、オールグリーン。鱗損傷なし、水温水質規定値です。いつもで出航できます」


「よし、結構。ではこれより、オペレーションを開始する。出航! 両コイ、前進強速!」


「パクパクパクパク」


 こうしてサクラを乗せたヌートリア小隊は、皮の合流地点に向けて出発したのでした。




 ヌートリアは、ほとんど水しぶきも立てることなく進みました。サクラは首から上だけを、ヌートリアは目と鼻だけを水面から出し、コイはヌートリアの側面と後ろ、そして下から、ヌートリアを支えるように泳ぎます。


 しばらく進んだところで、側面のコイがヌートリアに一報を伝えました。


「隊長、カワトンボより報告がありました。本隊の背後にイタチの強襲部隊が迫っているようです」


「魔女め、イタチを味方に付けたか、厄介な。しかし……」


 ヌートリアはそう呟き、何かを考えはじめました。


「イタチって、プレーリードックみたいの、ですよね? 可愛いやつ」


 サクラはヌートリアに聞いてみました。


 強襲部隊と言われても、サクラには、イタチには可愛いイメージしか持っていません。


「そのなんとかドッグって言うのは知らないが、イタチってのは、可愛くはない。あの連中はギャングだ。相手がペリカンだろうが、タヌキだろうが、好かない奴には関係なく喧嘩を吹っ掛ける。一匹でいるうちはまだ良いが、隊を組んだとなると、厄介だ」


「水の中、入れるんですか?」


「勿論入れる。が、あいつらの狩りは追い込み漁だ。小さい水溜まりが専門で、流れる川じゃ滅多にやらない。すばしっこい連中だが、逃げ場がある場所じゃあ、仕留めきれないはずだ。まして、この小隊は」


 ヌートリアの言葉を少し考えてから、サクラは言いました。


「他の誰かと、手を組んでるなんて言うことは、ありませんかね?」


「例えば?」


「鳥、とか」


 サクラは、先ほどのカラスのこともあって、どうしても空が気になっていました。今はカラスはいませんが、その代わりに、猛禽類らしい鳥が、くるくると数羽、上空を飛んでいるのです。


 ヌートリアはサクラの意見を少し考え、それから、はっとしたように、コイに命令を飛ばしました。


「陽動だ、隊列を乱すな! 前方、警戒を厳に!」


 パクパクと、鯉たちは了解の合図を送ります。


 その直後、ヌートリアより先行している一匹のコイが報告しました。


「橋脚に複数の鳥影あり! サギです! アオサギです!」


「アオサギのコースを避ける! 奴らが橋脚から飛び降りたら二手に分かれる。俺は荷物を乗せて陸路を、お前たちはそのまま水路を行け! 橋向こうで落ち合う!」


「隊長、ダメです! 後ろからイタチが来ました!」


 コイの報告に、サクラは後ろを振り向きました。


 すると、五匹ほどのイタチが、狭い川の両岸を、草の茎を倒しながら疾走しているではありませんか。しかもその顔は、可愛らしいなんてものじゃありません。眉間と頬に深く皺が寄った、恐ろしい顔つきなのでした。その開いた口には白く鋭い牙が光り、口の中は今まさに血を啜って来たかのような赤、苺のような真っ赤です。


「今陸に上がったら、奴らの餌食です!」


 コイの意見はもっともでした。


 ヌートリアだけなら平気でしょうが、背中のサクラは、噛みつかれたら一巻の終わりです。


「むぐぐ」


 ヌートリアは、悔しそうにブクブクと水中で泡を立てました。


 川幅が少し広がり、正面に、アオサギの待ち構える橋の柱が見えてきました。アオサギは、その石柱と、上にかかる鉄橋のポケットのようになった凹んだ部分にいました。その姿は、もうサクラの目にも見えます。


 アオサギは、長い脚と長い喉を持った水鳥です。翼の青みがかった灰色はモモイロインコに似ていましたが、同じ鳥でも、形は全く違うのです。アオサギの嘴は黄色くつんと長くとがり、獲物であるヌートリア一行が近づいてくると、長い首を折りたたんで、肩を怒らせたような形で、鋭い眼光をサクラたちに突き刺します。


 土手の遊歩道を歩く人間たちから見れば、アオサギの姿は、ともすると優雅で、美しく見えた者でした。サクラも、もとの大きさだったなら、アオサギを見て怖いとは思わなかったでしょう。しかし今、アオサギの嘴は大きく、その、川魚を丸呑みにできる喉は、サクラなど簡単に呑み込んでしまえるのは、間違いありませんでした。


 アオサギが、いよいよ、ヌートリアたちに逃げ場はないとみて、橋脚のへこみから川の中に降りてきました。四羽のアオサギは、つんと尖った嘴を獲物に向けて、小さくカタカタと音を鳴らします。


 前にはアオサギ、後ろと陸にはイタチ。


 絶体絶命の中で、ヌートリアの隊長は言いました。


「強行突破だ! 両翼を広げ戦闘態勢! 一番から四番魚雷、準備!」


 ブクブクと、コイたちはヌートリアにしかわからない返事を返しながら、速やかに隊形を変えた。水中のコイたちは、ヌートリアを中心にエイのシルエットのような形に展開した。


「方向そのまま、速度第三戦速、両舷活性最大!」


「パクパクパク」


 ヌートリアの指示のすぐあと、翼のように左右に展開したコイたちが、バタバタトひれの一部を水面に出して、水しぶきを上げ始めました。速度も、ぐんぐん加速してゆきます。


「アオサギ左から一番、二番、三番、四番、マーク。魚雷、二番、三番ロック、エラ開けぇー――、撃てぇ!」


 ヌートリアが指示を出すと、両翼の下から、それぞれ一匹ずつのコイが、しゅうっと正面のアオサギめがけて泳いでいきました。それはまさに魚雷です。コイの魚雷は、音もたてずに水中を進み、そして――バッシャアアン!


 アオサギの足元ま泳ぎ出ると、その大きな体を水中から空中に投げ出し、アオサギに体当たりをしたのです。これにはアオサギも参って、空に逃れるしかありません。コイの巨体が、細い脚にぶつかったり、大事な翼が傷ついたりしたらかないません。


「一番、四番アオサギ、ロック、魚雷、三番、四番、撃て!」


 ヌートリアの命令で、さらに魚雷が発射されました。


 魚雷は再び、まだ川に残っていた二羽のアオサギ目掛けて進み――そしてこれも、しっかりと、ターゲットのアオサギの正面で飛び出しました。アオサギは空に逃れます。


「両舷最大戦速! この水域を離脱する!」


 ヌートリアが号令をかけると、ヌートリアたちはコイの推進力を借りて、さらに加速をしました。一度は空に逃れたアオサギたちでしたが、すぐにまた体勢を立て直して、二度目の攻撃を準備しました。


 しかし、ヌートリア小隊のほうが、一足先を行っていました。アオサギたちが空中で準備を整えた時には、すでにヌートリアたちは橋の下まで進んでいたのです。アクロバティックな飛行を得意としないアオサギたちは、橋を避けて橋の日陰に飛び込んでいくのは、躊躇われました。


「失敗したな」


「そうだな」


 アオサギたちは口惜しそうに短いやり取りをして、河原に降り立ちました。


 そうしてそこから、トンネルのようになった橋の下を覗きました。そこにはもう、微かな水しぶきの後しかありませんでした。




 イタチとアオサギの罠を脱し、橋を抜けた後、川は次第に、広く、深くなっていきました。もうイタチも、アオサギも追って来ません。イタチが追うには岸までが遠く、アオサギの長い脚でも、このあたりの水深では立てません。


 ついに、サクラとヌートリアたちは、川の合流地点にたどり着いたのです。


 ゆったりとした流れの真ん中で、ヌートリア小隊は速度を緩めました。


 サクラは後ろを振り返り、そうして本当に誰も追ってきていないのを確認すると、ふつふつと、笑いがこみ上げてきました。普通の川下りだってやったことないのに、こんな川下り初めて! と、サクラは、随分遅れて来た興奮で、ついに声を上げて笑い出しました。


 サクラの笑い声はヌートリアにも、コイたちにも伝染して、皆でゲラゲラ笑いました。コイたちの笑い声はぶくぶくと泡になって浮き上がり、ヌートリアの周りは泡だらけになりました。しかし大きな川の真ん中、どんなに大きく笑っても、その笑い声は、岸には少しも届きません。まして、遠くの土手を行き交う人間たちは、そこで、そんなことが起こっているとは金輪際知らないのでした。


「だけど、あの魚雷のコイたちは、どうなったの? まさか――」


 ひとしきり笑った後で、サクラは心配事を口にしました。


 するとその言葉が終わらないうちに、四匹の大きなコイが、ぴょこっとサクラの左右に顔を出しました。


「大丈夫だ、こいつらはそうヤワじゃない。だろう?」


 ヌートリアが言うと、その四匹は、頷くようにばしゃばしゃと水をはじき、エラを動かして水の中に戻っていきました。コイたちはそれから、他のコイたちも、イルカショーのように水面からジャンプしたり、水しぶきを上げたり、大きなじゃんうをして、わざとその着水の水がサクラにかかる様にしたりして、サクラを楽しませました。サクラが拍手をしたり、大きな声で声援を送ったりすると、コイたちはいっそう派手に動きました。


「あぁ、わかったわかった、もう充分だろう。コイ小隊、良い仕事だった、今日は解散!」


 ヌートリアから解散命令が出ると、コイたちは、イルカがそうするように、水面と水中とを交互に縫うように泳いでヌートリアから離れてゆき、やがて、川のどこかに消えてゆきました。


「ヌートリア隊長、ありがとう」


 サクラが言うと、ヌートリアは目だけを微かに動かして言いました。


「なぁに、これが俺の任務だ」


「だけど、私を運んで、何かいいこと、あるの? 危ないのに」


「さぁ、他の連中のことは知らないな。だが、俺にとっては、これが生き方だ。何があるとか、ないとかじゃないんだよ」


 それからヌートリアは、人間には聞き取れないくらいの低い声で、次にサクラを運ぶ動物を呼びました。すると、岸に会った大きな岩が、ぐらりと動きました。


 思わず、サクラは口元に手を当てました。


 のそっ、のそっと、岩は水辺まで歩きます。


 雑草が押しのけられて、その体全体が見えるようになった時、サクラは、それが岩ではなく、カメだとわかりました。それにしても立派なカメです。カメは、甲羅干しをしてサクラの到着を待っていたのです。


 岩のような甲羅の亀は、岸辺から川に入ると、すいーっと、ヌートリアに甲羅を並べました。そうして、緑の濃淡模様のお洒落な首と顔を水面から出しました。


「乗り換えだ、嬢ちゃん、ほら、行った行った」


 サクラは、もう少しヌートリア隊長の話を聞きたかったのですが、急かされては仕方がありません。手綱を解いて、ヌートリアの硬い毛並みの背中から、今度は本当に硬いカメの甲羅に飛び移ります。


 サクラがカメの甲羅に飛び移ると、ヌートリアは水の中でくるんと横に一回りして言いました。


「それじゃあ嬢ちゃん、達者でな」


 ヌートリアはそれだけ言うと、水中に姿して岸まで泳ぎ、岸に挙がったかと思うと、草の中に姿を消しました。


「行っちゃった……」


 サクラは呟きながら、草むらに小さく手を振りました。


 それからサクラは、いつの間にかカメが、もう泳ぎ始めているのに気が付きました。まるで新幹線です。新幹線ですら音はあるのに、カメの泳ぎは本当に静かなのでした。蜘蛛の手綱は(本当に丈夫な手綱です)持っていますが、手綱で体を括る必要もありません。


「あ、あの、よろしくお願いします」


 サクラがカメに声をかけました。すぐに返事はありませんでしたが、しばらく進んだ後で、カメは答えました。


「お客さん、初めてですか」


「え?」


 サクラは、カメの言う〈初めて〉の意味が最初はわかりませんでした。まさか、何度もこんな経験をするような人がいるなんて、思っていなかったのです。しかしすぐに、この旅の大事なことを思い出しました。


 魔女に掴まったら、全部、夢ということになってしまうのです。だからもしかすると、夢になってしまっただけで、前にも、こういう経験が自分にもあったのかもしれないと思ったのです。


「覚えてる限りでは、そうです。でもたぶん、初めて」


 カメはまた、少し泳いでから、サクラに聞きました。


「どうですか、この旅は」


「すごい! ちょっと怖いけど、すごいことばっかりで――ちょっと、疲れちゃった」


 サクラはそう答えると、ぺたっと甲羅の上に座りました。


 甲羅は、固そうな外見とは違い、ほどよく柔らかい絨毯の様でした。良く見れば、本当に苔の絨毯になっているのです。きっと上手に育てているのだろうなと想像力を働かせて、サクラはその苔と甲羅を掌で撫でました。


「だけど、わからないことばっかり。聞いても、魔女は魔女だって言うし、私の飼ってた――私の友達だったモモイロインコが、私を呼んでるって言うし……。虹の橋のふもとって、何なのかな」


 カメは少し泳いでから、ゆったりとした声で応えました。


「行けばわかりますよ。人間にとっては、それは、居心地の悪いことかもしれませんけどね」


「どういうこと?」


「そうですねぇ。例えば私が、私の甲羅のことをお客さんに説明したとします。お客さんも、あぁ、お客さんは人間だから、私のことも、甲羅のことも、少しは知っているでしょう?」


「ど、どうかな。でも、たぶん、少しは」


「でもねお客さん、それは、甲羅のある私の生活がわかったことにはならないのですよ」


 サクラは少し考えてから言いました。


「でも、魔女のことは?」


「魔女もそうです。虹の橋のふもとのことも。人間は、知っていることや、理解している、ということを大事にしている。でも、まぁ、そうですね、私たちカメの間じゃあ、知っているなんて言ったら、馬鹿にされますね」


「え、どうして? 知っていることが?」


「知っているということは、知らないことを、知らないという事ですからね」


 サクラは首を傾げて、カメの言ったことを少し考える必要がありました。


「なぁにお客さん、簡単な事ですよ。私たちは今、この川の、水の中を泳いでいるでしょう」


「うん」


「だけどそれは、水のことを知っているからじゃない。確かに私たちは、水と共に生活をしていて、水の特徴の少しを知っているかもしれない。だけどこの水には、私たちの知らないことがきっとたくさんある。水について、タニシやシジミなら、また違うことを言うでしょう。私にとっての水と、彼らにとっての水は、違うものですからね」


 カメの言葉は川の流れのように、ゆったりとしていました。その言葉はまるで、この川の中から響いてくるかのようでした。川面は黒い鏡のように、空に浮かぶ雲を映しています。


 時折、ポクン、ポクン、チャプン、チャプンと、魚か何かが音を立てます。


「あの鳥は、大丈夫なの?」


 甲羅にぺたりと坐りながら、サクラは空を見上げて言いました。


 空には、やはり茶色く見える鳥が二羽ほど、くるくる弧を描く様に飛んでいます。カラスやハトや、それよりも小さい鳥たちとは違う、独特の飛び方です。翼を広げて、風のままに優雅に飛んでいます。


「あぁ、トビですか」


 カメは相槌を打つように応え、それから、続けました。


「彼らには彼らの神様がいます。魔女も、彼らには頼まないでしょう」


 カメはサクラを乗せて、川を下って行きました。


 川はだんたんと、いっそうたっぷり、こんもりとしてきて、そのうちに、サクラの背丈だと、岸が見えなくなってきました。川はやがて、海へとつながります。川が海に流れ込む場所――サクラを乗せたカメは、河口にやってきました。


 サクラの眼前に、海が広がります。


 サクラはカメの背に立ち上がりました。


 今、サクラの目に映る海は、これまで見て来たどの海の景色より、壮大でした。


 潮風に負けないよう踏ん張りながら、サクラは、息を吸い込みました。


 今自分は、ここにいる、海の前にいるという実感が、ふつふつと沸いてきます。


「おーい、こっちこっち!」


 張りのある高い声が、二人を呼びました。


 鳥でした。


 胡桃色の大きな翼の片方を伸ばして、海面に浮かびながら、手を振っています。


 カメは、河口から飛び出す離岸流の流れに乗って、その鳥の元へと泳ぎました。岸はあっという間に離れていき、いつの間にかサクラは、もう自分が海の領域にいることに驚きました。


「無事で良かった、怪我はない?」


 鳥は、オオミズナギドリでした。


 長く黄色い嘴の先は丸みを帯び、いかにも優しい印象ですが、溌溂とした黒目は、好奇心を隠しもせず、サクラを見ていました。オオミズナギドリの周りには、白い綺麗な顔の海鳥――カモメたちが、ぷかぷか浮かびながら毛づくろいをしています。


「ささ、次は私。乗って乗って」


 サクラは、カメの首筋を軽く撫でてお礼を言うと、オオミズナギドリに促されるまま、今度はその背に乗りました。ふわり、ふわりと、彼女の身体は柔らかく、歩いても大丈夫か心配になってしまうサクラなのでした。


 サクラは手綱をオオミズナギドリの首に回し、糸を体に巻き付けて、準備完了です。


「それじゃあ、カメさんもお疲れ様ね。今日はもうおしまい?」


「うんにゃ。これから竜宮までの往復便がある」


「あらそう。お姫様によろしくね」


 オオミズナギドリとカメはそんな会話をしてから、一足先に、カメの方が海中に潜っていきました。

「ありがとね、カメさん!」


 サクラは、海に向かって大きな声で言いました。

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