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【書籍化】お飾り妻アナベルの趣味三昧な日常 ~初夜の前に愛することはないって言われた? “前”なだけマシじゃない!~  作者: 重原水鳥
第一章 ライダー夫人アナベルの日常

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【08】実家からの突然の連絡

 ブリンドル伯爵家から、私に対して会いたいという連絡が来たのは突然だった。

 ブリンドル伯爵家――つまりは私の生家なのだけれど、家族とは結婚後、一度も会っていない。夫からすれば私が真実を吐き出してしまう危険性が最も高いのが家族だ。だからこそ手紙での連絡こそ取っていたが、実際に会う事は一度も無かった。出す手紙の内容も、夫がチェックしている。それは今でも変わらないので、私が家族に手紙を出すときは一度夫の書類に交ぜなくてはならない。夫が確認し問題なければ、そのまま使用人たちの手で手紙が送られるのだ。


 そんな調子だったので会いたいという連絡が来た時、どうしようと思ったのが最初だった。勝手に会って良い訳がない。勝手な事をすれば夫は怒り狂うだろう。

 でも急に会いたいと言ってくるのだから会わなければという気持ちがある。何せ手紙の差出人はブリンドル伯爵家の中でも、父でも弟妹でもなく、母なのだ。父や妹たちならば、ちょっとした事で大問題だと騒ぐ事もあるかもしれない。弟はそういう事はしないだろうが……絶対しないとは言いにくい。

 だが母がわざわざ言ってくるのだから、何か起きたのだと思う。


 少し心がざわついて嫌な予感がした。

 どうせ毎日暇なのだ。すぐに行きたい。


 でも夫が許す訳がない……。


 どうしようかと悩んでいると、いつの間にか揃っていたギブソンとアーリーンが私を見ながら言った。


「若奥様。御家族に会いに行かれてください」

「ギブソン……でも、…………勝手に屋敷を空けるなんて、夫が許さないわ」

「その事でございますが、既に若様から許可を得ています」

「えっ?!」


 驚いてギブソンの顔を凝視してしまう。彼は私を安心させるように頷く。


「ブリンドル伯爵家からのお手紙は、まず若様に届きました。そして恐らく若奥様にお会いしたい理由などを説明されたのでしょう。その上で若奥様宛のお手紙も届いたのです。若様は、若奥様がご実家に出向かれる事をお許しになられました。ただし、泊まる事は許さないとの事ですが……」


 日中、出掛けるだけならば許すという事か。


 勿論今の私と夫の関係については話してはならないだろう。もしそれを尋ねられても、私は絶対に説明できない。家族ならば特に。

 だってブリンドル伯爵家は、今もライダー侯爵家から支援をしてもらっている。やっと人並みな貴族の生活を送れている状態だ。もし私が夫との事を……実は妻として全く愛されてもおらず、社交も許されずに貴族の妻として蔑ろにされている等と家族に伝えれば、彼らは怒ってくれるだろう。そして恐らく侯爵と夫人に訴えてくれるはずだ。いくらなんでもそこまで蔑ろにされるなんてと。

 体が震える。そんな事になれば、夫は必ずブリンドル家への支援を打ち切る。我が家が完全に独り立ちするにはまだ時間が必要だ。……もし時間が経過して独り立ちできる状態だったとしても、ライダー侯爵家のような名門貴族の家門と敵対した我が家に手を差し伸べようとする者は殆どいないだろう。歴史こそあるが、現在の国内の力関係において、ブリンドル伯爵家は何の強みも旨みもない。


「そう……分かったわ。ありがとうギブソン。アーリーン、出掛ける準備を整えてくれる?」

「勿論です。すぐにお着換えいたしましょう」

「ありがとう」


 立ち上がり、足を進める。

 部屋を出る直前に私は立ち止まり、ギブソンに振り返った。


「ギブソン。一つ夫に言付かってくれる?」

「勿論でございます」

「問題は起こしませんし、伯爵家の問題事も侯爵家には関わらせませんわと」


 逆もしかり。侯爵家の事情に、家族を関わらせるつもりもない。

 私は溜息をつきながら着替えるために、今度こそ部屋を出て衣装部屋へと向かった。



 ■



 今日は濃い紫のドレスを身に纏い、実家に向かうべく馬車に乗り込む。

 勿論だがドレスに帽子に靴に鞄にと、全てドロシアーナで買ったものである。

 以前大量に服が送られてきた以降も、私はドロシアーナに足を運んだり彼らに来てもらったりして服を作ってもらっている。


 馬車に乗り込む際、いつも付いてきてくれる従者のジェロームが手を差し出してくれる。彼の横では仕事を取られた従僕(フットマン)が所在なさげに立っている。


「ありがとう、ジェローム。突然でごめんなさいね」

「構いませんよ若奥様。足元に気を付けられてください」

「ええ」


 そう答えて乗り込もうとした私だったけれど、何故かジェロームが凄い笑顔で、違和感を感じる。勿論彼は普段から他人に妙な感情を抱かせないように笑顔でいるが、それにしても凄い……凄い笑顔だ。


「何かあった?」

「ああ……申し訳ございません。初めてお名前を呼んで頂けたものですから」


 そうだっただろうか。……そうな気がする。

 彼の名前を知らなかった訳ではない。ただ、個人名を呼ぶというのは……少し気安い対応過ぎる気がしていたのも事実だ。ギブソンやアーリーン、そしてジェマなどは、日常で接する事が多かった。でもジェロームは外に出る時しか関わらなかったから、最初のころは話しかけ辛くて…………よく外に出かけるようになってからも、それが続いてしまっていた。


「ごめんなさい。貴方の事を蔑ろにしていた訳ではないの」

「そのようには思っておりません! 申し訳ございません、余計な事を申しました」

「そんな事を言わないで。尋ねたのは私なのだもの。……手を貸してくれる? ジェローム」

「勿論でございます、若奥様」


 彼の手に体重をかけながら、馬車に乗り込む。私が椅子に腰かけたのを確認すると、ジェロームはドアを閉めた。それからジェロームは従僕と共に馬車の後ろにある座席の方へと移動したのが音で分かる。


 もう乗り慣れたけれど、ライダー侯爵家の馬車は家格に見合う立派なものだ。前方に馬を操る馭者がいるのは勿論のこと、貴人が馬車を乗り降りする際に手伝う事が主な仕事である従僕も普段から付いている。それに加えて、ジェロームのような外回りに付く従者も乗るので、常日頃三人から四人の人間が前後に座っている状態になる。

 安い馬車だと、馭者と従僕が一人乗るのがやっとなスペースしかないし、もっと安ければ馭者が一人乗れるだけだ。それに合わせてサイズも小さくなる事が大半だ。

 馬車というものはある意味で貴族の顔でもあるので、立場が大きい家であればあるほど大きな馬車を持つ事が多い。そしてあまり目立ちたくない時にはわざわざ小型の馬車を使うのだ。


 ライダー侯爵家を出発してからだいぶ走り、次第に光景が見慣れたものになってくる。


 ライダー侯爵家は王都の中の、貴族たちの屋敷が並んでいる地区にある。地区といっても密集して立ち並んでいる訳ではない。それぞれの家が庭やら池やらを持っているので家と家の間隔は広いが、周辺には同じように身分の高い貴族の家しかないので、変な馬車や馬が走っていればすぐにわかるという。むしろ屋敷で働く使用人たちは見覚えのない人間が通っているのに気が付かなければならないらしく、働き始めと共に付近の家の馬車や馬などもある程度見分けられるように教育されるとも聞く。


 一方で私の実家、ブリンドル伯爵家があるのはそこから殆ど真反対、旧貴族地区とも言われる地域にある。

 旧とはつくが、今でも貴族は住んでいる。……そのほとんどが地方に領があり滅多に王都には来れない貴族や、王都の中でも落ちぶれて、小さい屋敷しか管理出来ないような家ばかりだが。庭なども管理が行き届かず、草が生えまくっている家が多い。


 ブリンドル伯爵家は元々、先祖代々こちらの地区に暮らしていた。しかし最初に住んでいた家は、父が騙された時に背負った最初の大金の借金をなんとかするために売り払ってしまっている。先祖代々暮らした家から、家族が住めて、使用人も最低限の人数で問題ないような小さい家に引っ越した時の不安な気持ちは……忘れられない。

 父は私に、すぐに帰れると言った。少し我慢して借金を返せば暮らしていた家に戻れると。勿論それは嘘で、あの時点で家は売り払われていたから、借金を返した所で戻らない。きっと子供を安心させたくて咄嗟にあんな嘘をついたのだろう。幼い私はそれを信じたが、気が付けばそのまま、あの小さな家でデビュタントを迎える事になり、そして結婚して家を出る事になった。


「若奥様。もうすぐ到着でございます」


 馭者の声に窓の外を見る。少しカーブした道になっているため、窓を開けなくても実家は見えた。

 貴族の家族六人が――今では五人が――暮らしているとは思えない、小さな家。私が育った実家である。


「アナベル! よく帰ってきたわね」

「お姉様!」

「アナベル姉様!」

「お母様、ジェイド、レイラ」


 今度は従僕の手を借りて下りると、家の前で待っていてくれたのだろう五人の人影の内、真っ先に小さな体が二つ飛び出てくる。

 私の妹たち。ジェイドとレイラだ。二人は丸い綺麗な緑の目を潤ませながら、私の腰に抱き着きながら、私を見上げてくる。


「会いたかったわお姉様……結婚してしまってから、ちっとも会えないのだもの……!」

「ごめんなさいね、新しい環境で……暫くは色々と忙しかったのよ」


 私にしてはサラリとウソをつけたと思う。本当は暇すぎたのだけれど、そんな事を妹たちに言えるはずもない。

 二人が離れると、すぐ傍まで来ていた母が私の頬を撫でた。


「……元気そうで良かったわ、アナベル」

「お母様も、元気そうで良かった」


 私たちはそっと抱き合う。


「まるで別人だ。……侯爵夫人になったんだから、別人のようなものか」

「フレディ。侯爵夫人という名称はお義母様の物よ。私の事を呼ぶのなら、ただライダー夫人と呼ぶべきだから」

「分かってるよ。ただの例えだろ。…………お帰り、姉さん」


 一つ年下のフレドリック――私たち家族はフレディと呼んでいる――は茶化すように言葉を口にしたが、それでも微笑んだ。会えなかった一年と半年ほどの期間の間に、家族は皆様変わりしていた。

 着る服がしっかりと手入れの行き届いた物になっているのは勿論の事、皆の顔の表情からも今の生活が行き届いたものであると分かる。それが分かっただけで、あの新婚半年間の苦しみが溶けて消えて行った。


「あ、アナベル……よく帰ってきたな。立派になって、父様は嬉しいよ」

「お父様もご健康そうで良かったですわ。…………それで、お母様。一体何があったのですか?」


 そう声をかけた瞬間、家族の空気が重くなる。

 父は俯き、母は困り切った顔で溜息をついた。弟は不機嫌そうに顔を歪め、妹たちは年上の家族の雰囲気の変化に、そっと身を寄せ合い不安そうな顔をする。


 やはり嫌な予感は当たってしまったか。すぐ傍にライダー侯爵家の関係者がいなければ、きっと頭を抱えていただろう。後ろに控えてくれているジェロームのお陰でなんとか耐えている状況だ。


「……まずは家に入りましょう。長くなるかもしれないわ。座って話しましょう」


 母の言葉に、私たちはブリンドル伯爵家の家へと入っていった。

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