【07】収集したら飾る
「長らくお待たせいたしました、ライダー夫人。こちらが夫人が購入された、ガーデナーの『デイジー』でございます」
あの日私が声をかけたアッシュグレーの短髪の男性がライダー侯爵家に訪れたのは、ドロシアーナから大量の服が届けられた数日後の事であった。事前にしっかりと来訪の連絡があり、カンクーウッド美術館からやってきた男性は、そう説明しながら丁寧に運んできたのだろう平べったい形の箱を差し出してくる。
私の方へと差し出された箱にしまわれた小さな絵画を、ギブソンが受け取る。そして箱の中から絵画が取り出された。
あのデイジーだ。
黄色の花が私の顔を見つめている。
「……間違いありませんわ。お届け下さり、ありがとうございますブロック館長」
そう声をかけると、男性――カンクーウッド美術館のブロック館長がニコリと笑う。
「先日は申し訳ございません。私、失礼ながらお顔を存じ上げず、まともなご挨拶もせず……」
「お気になさらないでください、ライダー夫人。自分で言うのもなんですが、あまり特徴のない顔の男ですので、気が付かれないのは当然の事でございますよ」
先日声をかけた時、私は彼がカンクーウッド美術館の館長だと知らなかった。館長のお名前がブロックというのは聞いていたのだけれど、お顔を存じ上げず、自発的に知ろうともしていなかったのだ。
後日、私が外出時にいつも付いてきてくれる従者の彼がアッシュグレーの短髪の男性の素性を把握してきて、私に報告してくれたのだ。何度も足を運んでいる美術館の館長に対して、まともに挨拶一つしなかった……なんて事だろうと顔が蒼くなってしまった。付き従っていた侍従の方は、何故把握していないのだとギブソンから叱られていて申し訳なかった。
私の謝罪にブロック館長は両手を体の前で横に振りながら、カラリと冗談も口にする。心中はともかく、彼が大事にするつもりはないと態度で示してくれたのは嬉しかった。
「それにしても、館長ご自身がわざわざ届けてくださるとは思わず少し驚いてしまいました。私、展示会で絵を購入するのはこれが初めてだったのですけれど、いつも館長がお届けされているのですか?」
「まさかまさか。普段は美術館の館員や、作家本人が責任をもって購入者の方にお届けしておりますよ。ただこの絵は私も少し思い入れがありましてね……必ず、無事にお届けしなければと思っていたのでございます」
「そうなのですね。素敵な絵ですものね……」
そう言いながら、私はデイジーを見つめた。
……暖かい花弁の光が、私に向けて輝いている。
ああ、いけない。今はお客様の対応をしている所だもの。
「大切に致しますわ。ありがとうございますブロック館長」
「こちらこそ、此度は『デイジー』をご購入いただきありがとうございます。これからもカンクーウッド美術館に足を運ばれてください」
ブロック館長が帰った後、私は黄色のデイジーの絵を、寝室の壁に飾った。メラニアが、寝る前や起きてすぐに見れたら……と言っていたのを思い出してだ。
■
この出来事以降、私は様々な美術館の開催する展示会に足を運び、その中で欲しいと思える作品を購入するようになった。
「素敵な絵だわ」
「この花瓶、白い花に合いそうね」
「この絵画を購入しましょう」
勿論、何でもかんでも買う訳ではない。
展示会を全て見て回って、それで二度見たいと思ったものを二度見て、それからさらに欲しいと思ったもの、家でも見ていたいと思ったものを買うように努めている。家に持ち帰ってから、必要でなかったと思ったりしたら、その作品を真剣に作った作家さんに申し訳ないから。
展示会での購入だから、必ず買える訳ではない。
欲しいと思っても、手に入らない事もあった。でもそれも展示会の醍醐味だ。
きっと私よりもずっとその作品を欲しいと熱烈に思った人の手に渡ったのだろうと思うと、手に入らなかったからと苛立つこともない。
そうして展示会を回りまくった結果、購入された作品によって私の部屋の壁は埋まり、部屋のスペースも多くが侵食される事となった。
「若奥様……ご購入された絵画や彫刻や陶芸ですが、屋敷内に置いてはいけませんか?」
「……そうした方が良いかしら……?」
「一つ一つは素敵な作品でも、これほど集中してしまうと目が散ってしまって、ゆっくりと鑑賞出来ない状態になると思います。若奥様が集められた素敵な作品を、屋敷の様々な場所で落ち着いて鑑賞できる状態に致しましょう!」
そう私に物申してきたのは、主に私の身の回りの世話をしてくれている侍女のジェマだ。後頭部で一つに纏めて結い上げているダークブロンドの髪が、彼女の力強い頷きと共に揺れる。
彼女の言う通りだ。
寝室も、私室も、購入した作品で埋まってしまっている。目立つのはサイズの大きなものだけで、せっかく購入したけれどサイズの小さな作品は目立たなくなってしまっている。
どれも欲しいと思ったものだけれど、これでは可哀想だ。
「そうだけれど……でも……」
でも屋敷の中に置けば、突然帰ってきた夫がそれを見る事になる。気にしなければいいけれど、もし夫が新しい絵画に興味をもって、それで誰が購入したのかとか考えだしたら…………。
黙り込んでしまった私に、ジェマが声を控えめにしながら問いかけてくる。
「若奥様は何を気にかけておられるのでしょうか。どうかジェマに教えてくださいませ。主人のお悩みを解決するのも、傍仕えの仕事です」
ジェマの言葉に私は俯く。私の不安の理由は夫なので、彼らに気軽に話す事は難しかった。
私が話さないと考えたからか、ジェマは別の提案をしてくる。
「若奥様。現在使っていない部屋に一部を移すというのはどうでしょうか?」
「……使っていない部屋?」
「はい。こちらのお屋敷は広いですので、普段使われていない部屋の方が圧倒的に多いのです。そちらの部屋でしたら、若奥様も見たいときに自由に見に行けますし、普段は誰にも見られません。全てを移すのではなく、いくらかそちらに移してはどうでしょうか。それから、定期的に部屋に飾る絵画を交換するのです」
それは良い提案に思えた。
ジェマはもしかしたら、私が独占欲が強く手元に置きたがっているとでも思ったのかもしれない。
実際はそうではないが、普段使っていない部屋ならば、夫が行く可能性も低い。
夫は今では殆ど屋敷には帰ってこない。私が歯向かう事はないと考えているのだろう。
帰ってきたとしても、私が出掛けている日を選んでいるそうで直接出会う事は一度も無かった。その時も屋敷でなければ処理が難しいような書類の処理だけが目的なので、一直線に執務室へ向かい仕事を行い、終わり次第すぐ帰っているとギブソンや家令らから聞いていた。
普段は丁寧に管理する時以外は部屋に鍵をかけたりすれば、良い感じに夫を避ける事が出来る気がした。
「……それなら良いかもしれないわ」
「本当ですか、若奥様」
「ええ。絵画が傷んだりしない、ちゃんとした部屋に置きたいわ」
「お任せ下さい、侍女頭に相談してすぐに部屋を選別致します!」
ジェマは元気よく返事をして、部屋を出て行った。
その数分後にはアーリーンを伴って帰ってきたので、あまりの速さに驚いてしまった。
「ジェマから話を伺いました。絵画を飾るのに相応しい部屋をいくつか選んでおります。よろしければ、移す前に若奥様にも確認していただけますでしょうか」
そういってアーリーンやジェマに案内された部屋は様々な種類があった。使われていないゲストルームもあれば、普段はいくらかの家具が保管されている部屋などもあった。本当に余っているらしく何も置かれていない部屋まであった。
そのどれも、風通しも良いし、絵画を飾る場所は太陽光にもさらされない。ライダー侯爵家の使用人たちならば、普段の手入れもしっかりと行ってくれるだろう。部屋から移動するのに不安はなくなった。
「どれを移動しようかしら……」
この二か月間で私が調子に乗って購入した絵画の枚数は…………今何枚か、自分でも分からない。二十ぐらいまでは数えていたのだけれど、それ以降は数えるのを止めてしまっている。
枚数は分からないが、一つ一つの作品はちゃんと覚えている。
例えば今まで購入した中で一番大きい絵画は、秋のデリンヴァ山が描かれたものだ。これはネイザーという名前の画家が描いたものだ。
国内を旅するだけでも大変だが、国外となるともっと大変になる。ネイザーはこの国出身であるが世界各国を旅し、その土地その土地の絵を描く画家で、知らない土地の事を見る事が出来るのが嬉しくて、私はネイザーの絵をいくつも購入していた。デリンヴァ山も、隣国の隣国にある山だから、恐らく私が直接見る事は一生ない。……他にも、川の絵もあるし、遠い異国の村の絵。どこかの国の祭りを描いた絵などもある。それらの場所にも、私が行くことはないだろう。だからこそ欲しくなる。
絵画以外では、いくつか彫刻もある。あまり大きい物ではないけれど、主に動物の彫刻を作っているクラックスの作品ばかりだ。
最初に購入したのは跳ねる魚の彫刻だ。三十センチをゆうに超える魚が、勢いよく跳ねている。彫刻を見ていた時に美術館の方が説明してくれた内容によると、その魚は実際に見た大きさを忠実に再現しているらしい。
クラックスは動物の中でも水生生物が特に好きなのか、絵とかでもあまり見ないものをよく作っている。細長い魚とかもいるけれど……これも実在する魚と説明された時は、信じられなかった。とても細長いし。アナゴ? というらしい。
花の絵は、ガーデナーの絵ばかりだ。
私が初めて買った、デイジーの絵。あれを書いた画家であるガーデナーの描く花の絵は、どれも本当に素敵なものばかりで、いつの間にか彼の絵が増えて行った。とはいっても彼の名前で買っている訳では全くなく、見回って欲しいと思った花の絵の多くが、ガーデナーのものばかりだったのだ。
彼の絵はカンクーウッド美術館でよく見かけるので、カンクーウッドの展示会に出かければ、高い確率で見かけられたのも理由の一つかもしれない。
最初の頃はガーデナーも小さな絵を描いている事が多かったのか、女性でも簡単に持てるサイズのものばかりだった。しかしこの二か月の内にだんだん大きいサイズのものも見かけるようになっている。大きい絵だと、沢山の花が画面に映り華やかだ。
他にも前々から有名だったドリューウェット、ヘインズビー、オートレッドらの絵もあるし、その他多くの画家の描いた絵が、手元にはある。
「デイジーと、デリンヴァ山と、あとやっぱり魚は残しておきたいわ」
それぞれ一目惚れのようにして買ったものだ。デイジーは見ているだけで穏やかな気持ちになれるし、デリンヴァ山は見ていると少し寂しい気持ちになるが、見続けていると優しい気持ちになれる気がする。魚の彫刻は、見ると元気になれるのだ。どうしてかの理由は言えないけれど。
結局、寝室にはガーデナーのデイジーの絵と、数枚の比較的小さな絵画だけが残された。
そして日中過ごす私室の方に、ネイザーのデリンヴァ山を描いた絵画を飾り、それと色合いの合いそうな暖色の絵をいくつか飾る。部屋の出入り口の横に、魚の彫刻を置いた。
他の絵画や彫刻たちは、事前に下見をした部屋たちに飾られた。
今はとりあえず移しただけだけれど、執事のギブソンを始めとした屋敷の管理をしている使用人の人たちに、ある程度の移動は許可している。勿論、あまり人目に付かないところにとお願いはしているけれど。
部屋の物が減った事で、なんだか落ち着いた雰囲気に戻った気がする。
やはり、いくら一枚一枚が素敵な絵でも、集めすぎるのは良くなかったのだろう。特に絵画に詳しい訳でもない素人が勢いで集めすぎたかもしれない。今度からは少し気を付けよう。そう思った。




