【06】服山盛り
カンクーウッド美術館の展示会で絵の購入を試みてからひと月が経過した。
先日、展示会が無事に終了した事を知った。そうなると、順次どの購入希望者に作品を渡すかが製作者たちと相談されて、決まり次第連絡と共に作品が届けられる事になっている。
『デイジー』は買えたのだろうかと不安を覚えて仕方ない。
『デイジー』に思いを馳せていた時、ギブソンが部屋に入ってきて私に声をかけた。
「若奥様。ドロシアーナの者が到着致しました」
「……今日だったわね」
デイジーの事を考えすぎて、たまに近い記憶が飛んでしまうのは問題だろう。私は頭を軽く振って、ギブソンに「今行くわ」と返事をした。
ドロシアーナのドロシアから、服をお届けしたいと連絡があったのが数日前の事。
メラニアとドロシアが服を仕立てるとか選ぶとか言っていたけれど、まさか本当に選んで持ってくるとは思っていなかった。
あの日ドロシアに見立てて貰った青いドレスは私も結構気に入っていて、定期的に袖を通している。だから普通にドロシアーナに買い物に行くか、持ってきてくれるように頼むつもりでいたのだが、私の動きよりも相手の動きの方が早かった。
侍女たちと共にギブソンに案内された部屋へと向かう。
「…………」
「まあ、凄いですわ」
部屋に足を踏み入れた私が言葉を失ったのに対して、近くにいた侍女たちは感動したように声を上げる。
通された部屋は、ダンスなどの練習用として用意されている板張りの部屋だ。そこに無数の服や帽子、靴、傘を始めとした付属品などが所狭しと並んでいる。持ち込まれた量故に、いったんここに持ち込まれたようだ。
「これ……は……」
「ライダー夫人、突然の訪問をお許しいただき、ありがとうございます」
「ドロシア様」
「私に敬称は不要ですよ、ライダー夫人」
呆然としていた私の目の前に、赤毛が飛び込む。
ドロシアーナのデザイナー、ドロシアがそこに立っていた。彼はうやうやしく私に一礼する。
「こちらは当ブランドのオーナー夫人より、ライダー夫人へと贈らせていただく服一式でございます」
一式というレベルではない。それにとてもではないが、贈り物の範疇も超えている。ここにある服だけで小さい服屋が十分に開けるレベルだ。
「主に夫人が美術館や劇場などに足を運ばれる事を想定し、外を歩くのに相応しい装いをご用意いたしました。全てをオーダーメイドではご用意出来ず……力不足で申し訳ございません」
「力不足なんて、そんな…………待ってください、ドロシア、さ……。……ごほん。先ほどメラニアからと言いました?」
「はい。こちらは全て、メラニア様よりライダー夫人への贈り物となります」
なんてこと。
服というのは安くない。平民の多くは出費を抑えるために、新しい服を買うのは一年に数度だけにしている家も少なくはないという。軽々しく新調するのは金銭的に厳しいと、何度も繕うのだ。
私の実家も、一番酷い時はそうしていた。貴族としては恥ずかしい限りだが、そうでもしてお金を浮かせなければ生活も厳しいぐらいだったのだ。まあ、そのレベルの困窮をちゃんと覚えているのは兄弟の中でも私ぐらいだし、今はライダー侯爵家からの支援もあって持ち直しているけれど。
私は数度呼吸をしてから、ギブソンに視線を向けた。声をかけずとも、彼はすぐに反応してくれる。
「ギブソン。お金の準備をして頂戴」
「かしこまりました」
ギブソンはすぐ部屋から出ていく。ドロシアは私とギブソンの会話を聞いて少し慌てた様子で物申してきた。
「ライダー夫人。いけません。お代の方は、メラニア様からいただきますので」
「いいえ。お支払いさせていただきます。必ず、代金は持ち帰ってくださいませ」
「ライダー夫人。お気持ちは嬉しいのですが、そのような事をすれば私どもがメラニア様から叱られてしまいます故」
ドロシアからすれば困った話だろう。反対の事を言う私とメラニアに挟まれる立場な訳だからだ。彼に迷惑をかけたい訳ではない。それでもこの量を、何の力もない私が無償で貰っていいはずがない。この服を社交界で着て見せて、外に広めるというのならともかく……それが出来ないのなら、せめてお金はしっかりと払うべきだ。
ギブソンが戻ってきた。
「金額が分かり次第、お金の方は準備できます」
「ありがとう、ギブソン。……ドロシア。ドロシアーナの服はどれも素晴らしいものですわ。それを無償で頂くなど、ライダー侯爵家の名に瑕がつきかねません。メラニアには私からも手紙を用意いたしますので、それを持ち帰りお渡し下さいませ。それでもと言うのなら、次に会う時に私が直接説得致しますが……」
私個人としても申し訳ないし、ライダー侯爵家としても無償で貰うなど許されない。
メラニアの性格から考えて、ドロシアたちがお金をもらって帰ってたとしても怒る事はないだろうが、それでも彼らが安心できないのならこう付け加えよう。
「……そうですわね。もし納得しないのなら、メラニアにはこうお伝えくださいな。ライダー侯爵家が、これらの服を即支払える甲斐性もないと言うの? と」
お義母様やお義父様を思い浮かべながら、真似するつもりでそう言うと、ドロシアは観念したように頭を下げた。
「畏まりました。メラニア様にはそのようにお伝えいたします」
「ええ、よろしくね」
良かった。これで丸く収まったと言えるだろう。
細かい値段は聞かず、金額のやり取りはギブソンに任せたけれど、大丈夫だと思う。何せ家を二軒ぐらい買えるだろうお金を私は自由に使える筈なのだから!
■
侍女たちが私の衣装部屋に、購入した服を運び込んでいく。ちなみにこの衣装部屋、季節に合わせて一つずつ用意されている。今回ドロシアが持ち込んできたのは殆ど今の季節と次の季節にかけて着れそうなものだったので、今主に使っている衣装部屋に一式は運び込まれた。
そこで気が付いたのだけれど、一時期意味もなく靴や帽子を中心に買い込んだから、衣装部屋には既に結構な量があるという事だ。実家で暮らしていたころの私が見たなら感動して騒ぐぐらいの量であるが、侯爵家の女主人として考えるとまだまだ量は少ないだろう。
でもそれも、社交を常日頃からするなら、という前提付きの話。
勿論外に出る以上は人の目を気にする必要があるが、社交界ほど張り詰める必要はない。
そう考えると、これほどの量の服を買った今、二度と着ないような服や、二度も履かない靴、使わない傘や帽子など沢山のものがあぶれてしまうだろう。
それでも気にしない貴族夫人は沢山いるだろうが、私は少し気にしてしまう。
「アーリーンを呼んでくれる?」
「かしこまりました」
すぐ傍にいた侍女に声をかければ、少ししてこの屋敷で侍女頭を務めるアーリーンが現れた。アーリーンは第一印象からして生真面目そうな人だなと思った人で、実際、この屋敷の侍女頭を長年生真面目に勤め続けている女性だ。
「お呼びでしょうか、若奥様」
「ええ。服のね、選別をしたいの。それでね、私が使わないと思った服や靴なんだけれど……もし欲しいという人がいれば、使用人のみんなに譲ろうと思っているの。……良いかしら?」
使わないものを捨ててしまう人も少なくないが、同じように要らなくなったからとその家で働く人に渡してしまう話も良く聞く。ただ、ライダー侯爵家でそのような事が行われていたかどうかが分からない。お義母様にわざわざそんな事を尋ねるのも気まずいので、長く務める彼女に許可が貰えれば譲っても大丈夫だろう。
アーリーンがどんな反応をするか内心少しドキドキしていたが、私の話を聞いたアーリーンはあっさり頷いたので、どうやら問題無かったようだ。
「かしこまりました。服の選別はこの後行いますか?」
「ええ、アーリーンたちの手が空いていれば、すぐに」
「問題ありません」
アーリーンが服を普段管理している侍女たちを呼び集める。既にしまい込まれているドロシアーナの新品の服たちは殆ど固まってしまい込まれていた。ありがたい。
まずドロシアーナが本日持ち込んできた服にどんなものがあるかを確認する。ドレスの種類、色、後はどのような場面で着ていけそうか。それに合わせられる靴や帽子に鞄など。それからネックレスやイヤリングなども確認する。
それを確認してから、元々持っていた服や靴を見ていく。
まず思ったのが、ドレスの数よりはるかに靴や帽子、鞄などの小物が多い事だ。
服よりもそうしたものを買っていたという自覚はあったが、こうして改めて見ると数が多い。服が一だとすると、靴は三ぐらいあるし、帽子は四か五ぐらいありそうだ。多少気に入って使っていたものもあるが、殆どが買うだけ買って一度も使っていない。
まずはそういう品から、譲るものにすると決めた。
靴となると足のサイズが合わなければ履けないと思うが、なんとかなるだろう。
足の大きさは背の高さに比例するなんて話もあるが、私の場合はあまり当てはまらない。私は背丈こそそこらの女性よりあるけれど、足の大きさは普通ぐらいなのだ。だからオーダーメイドをしなくても、店頭で簡単に靴が買えた。
沢山の靴が衣装部屋から運び出されていく。
次は帽子だ。
こちらもやはり、買ったは良いが、一度もかぶっていない物が多い。色とりどり、様々な形の帽子があったけれど、ここまで沢山は必要ないと思う。
ドロシアーナが持ってきた商品の中にも帽子は沢山あって、これから先あちらの服を主に着るのならばあまり合わせる事もないかもしれない。
そう想いながら、被った記憶もない帽子たちは侍女に手渡していった。
同じ要領で鞄や傘も、繰り返し使うぐらいには気に入ったものを除き、殆ど全てを衣装部屋の外に出してしまう。
仕分けが終わってそれらを見ると、靴や帽子の専門店でも開けそうだ。商品に偏りが随分あるけれど。
「アーリーン、後はお願いするわ」
「かしこまりました」
なんだか疲れてしまった。思ったより体力を消費したようだ。
いや、私の体力が落ちただけかもしれない。
昔は普段から生活するのにある程度、自分でしなくてはならなかった。
今は朝起きてから夜寝るまで、自分でする事と言えば歩く事や食べる事ぐらいか。社交界に積極的に出る人ならば、長時間歩き回ったりダンスをしたりするために体力を維持する事も出来るだろうが、私のように一日座るか歩くかしかしないのなら、体力が落ちるのも当然の事だろう。
今日はもうこれで休んでしまおう。そう考えた。




