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【書籍化】お飾り妻アナベルの趣味三昧な日常 ~初夜の前に愛することはないって言われた? “前”なだけマシじゃない!~  作者: 重原水鳥
第一章 ライダー夫人アナベルの日常

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【05】『デイジー』

 屋敷に帰った時には、既に時刻は夕方近くになっていた。


 ドレスのための採寸だけで話が終わるかと思えば、メラニアは私のいる部屋に服や小物に靴など一式運ばせて、あれが似合うこれが似合う、あの色がいいのではスカートはもっと大人しめに等と話し始めてしまった。ドロシアまでそれと一緒になって話し合い始めてしまったものだから、当事者であるはずの私は大人しくマネキンのように立ちつくすしかなかった。

 本当は私自身も一緒になってどんなドレスがいいというような希望を言えれば良かったのだけれど、今の私の中にはそのような希望もなく。大人しく、友人の気が済むまで耐えるしかなかったのだった。

 最終的には元々着ていた服に着替えなおし、メラニアからプレゼントだと複数の服や靴や帽子などを手渡される事となった。それをずっと付き添っていた従者が馬車まで運び、従僕と共に馬車に積み込む。それなりに量はあったけれど、男性である従者と従僕は軽々と荷物を積み込んだ。


 メラニアとはドロシアーナで別れ、やっと、私は屋敷へと帰ってきたのだ。


「おかえりなさいませ、アナベル様」

「ええ、ただいま」


 顔馴染となった使用人たちと挨拶を交わしながら、外行きのドレスを脱いで室内着になる。コルセットを外す時はいつでも解放感がある。

 着替えを終えた後はすぐに夕食を取った。


 そうしてベッドに戻った所で、やっと私は思い出した。


「そうだわ、お金」


 ベッド脇に置いてある小さなベルを鳴らすと、すぐに侍女が飛んでくる。彼女に執事頭であるギブソンを呼んで欲しいと頼めば、少ししてからギブソンは数人の侍女と共に私の部屋までやってきた。


「お呼びでしょうか、若奥様」


 ギブソンはいつもと変わらない、丁寧な態度でそう尋ねてくる。

 ちゃんと彼と向き合って話をするのは、結婚後ではこれが初めてかもしれない。

 思い返せば彼も、この屋敷のほかの使用人たちも、私をわざと蔑ろにするような事は一度も無かったのに。

 そんな事を考えつつ、ドロシアーナでの一件で忘れていた事を彼に尋ねるのだ。


「突然こんな事を尋ねてしまって申し訳ないのだけれど……私が使えるお金は、今どれくらいある……の、かしら……」


 聞きながら途中で気が付く。

 最初に説明を受けていたのではないか? と。

 結婚後直後の記憶は……あまり思い出したくない。細かい事を思い出そうにも、それ以上に衝撃的な事ばかりが思い出されてしまうから。

 結婚前に説明を聞いていたとしても、正直、そちらも今は記憶が曖昧だ。あの頃の私は浮かれきっていて、世界が幸せそのもので、自分はまるでおとぎ話の主人公になったかのような心地でいた。

 説明を受けていたかも分からず、恥ずかしさから視線を手元にやる。ギブソンの表情は分からなかったが、彼からの返事はすぐだった。


「正確な金銭は、申し訳ございません、確認しませんと……」

「ああ、大体、大体でいいのよギブソン。そんな詳しくしなくて大丈夫なの」


 ギブソンが付いてきていた侍女の一人にサッと視線をやっていたので、慌てて止める。もう夜になっているのに、この時間帯からあれこれと資料を探させるのは申し訳なかった。


「大体でよろしいのでしょうか? それでしたら……そうですね、王都で屋敷を二つぐらいは問題なく買えるかと」

「…………ごめんなさいギブソン、もう一度言ってもらえる?」

「はい、屋敷二つ分ぐらいのお金はございます。何かご購入したいものがおありですか?」


 私はギブソンの質問に、すぐ答えられなかった。

 屋敷……屋敷、二つ分?

 王都で家を簡単に買える……そんなにお金があるの? 私。


「……冗談などではないのよね?」

「勿論でございます。若奥様は結婚から暫くの間、あまりお金を使われませんでしたので、その分のお金が余剰分として、若奥様個人の資産として残っております」


 侯爵家、恐ろしや。


 確かに結婚から半年間ぐらい私は何もしていなかったし、そのあとも多少服を買ったぐらいで、特にお金のかかる舞踏会やら茶会やらには参加もしていないから、多少はお金があるとは思っていた。それでもそのあとは美術館にいったり演劇を見たり、それなりにお金も使っていたはずだ。それでも普通に屋敷が買えるぐらいのお金があるのだ、私が自由に使っていいお金として。


「一応確認させて頂戴。その…………このお金を使って、ブライアン様は怒られないかしら?」

「そのような事は有り得ません。こちらは、若奥様がお使いになられるためのお金ですので」


 ギブソンは不思議そうな顔をした。それもそうだろう。今まで特に気にせずお金を使ったのに、今更使う事に怯えるなんておかしな話だ。私は少し恥ずかしさを感じながら、夜遅く呼び出した事をギブソンたちに詫びてから、一人ゆっくりと寝た。



 ■



 次の日の朝、起きた直後に世話に来てくれた侍女に出かける事を告げた。


 食事を取り、侍女たちに手伝ってもらって着替える。昨日ドロシアーナで買ったばかりの青いドレスに袖を通した。新しい服だったから、なんだか別人になったような気持ちがする。


「若奥様、よくお似合いでございます!」

「ありがとう」


 侍女の言葉に少し恥ずかしくなりながらそそくさと用意されていた馬車に乗り、私はカンクーウッド美術館を目指した。

 昨日と同じく、人はいるもののそれぞれの作品の前に一人いるかどうか。四、五人集まると人が多いなぁと感じる程度だ。入口に行けば覚えのある顔の人が入館の手続きをしてくれた。対応するのは私ではなく、私が外を出歩く時にいつも付いてきてくれる従者さんだ。


 目的は勿論、展示会。


 連続で通ってきた一つの理由は、昨日はそこまでゆっくり見ていないからだ。メラニアの目的の絵画までほぼ一直線で進んで、それが終わり次第すぐにドロシアーナに向かった。だからちゃんと見れた絵画は本当に少なかった。

 もう一つの理由は、何か絵画を買ってみようと思ったから。画廊などに足を運んでも良かったのだけれど、絵画を買おうと思った最初の切っ掛けがカンクーウッド美術館の展示会だったから、ここの絵画の中で何か買ってみようと思った。

 実際に買えるかは分からないけれど、手に入らなかったらまた別のものを買ってみれば良いから。


 そうはいっても、実のところ、私は良いものとか悪いものとか、よく分からない。

 沢山見ている内に分かるようになるものかと思っていたけれど、そういう訳でもない。未だに絵を見て思うのは、綺麗だなとか、それぐらいの感想だけだ。或いは好きとか嫌い……いや、そこまで行くものに出会った事はないけれど。

 そんな風な事しか感じられないからか、美術館に行くときも、欲しいという感情を持った事は一度もない。……無理してほしくもないものを買っても意味がないけれど…………メラニアと会話をして、買ってみたいと思った。だから何か、買えたらいいな、という気持ちで私は展示会の作品を見ていった。

 いつもの通り、入り口の絵画から順番に。


 大分時間が過ぎていき、半分ぐらいの絵画を見た。

 王都の街並みを、王家の人々が住む宮殿を中心として描いた巨大な絵画は流石に圧巻だった。細部の壁の質感も、まるで本物の石のよう。作者の名前は、よく見た事のある名前だ。今の王都でもかなりの人が知っている有名な画家で、その人の新作だろうこの絵画を展示できるカンクーウッド美術館の力や影響力等の凄さを感じる。

 その隣にも、王都の絵と同じ大きさで、こちらは港町を描いた絵が飾られている。濃い青に惹かれて歩く私は、その巨大な二枚の絵の間に、ポツンと小さな絵が飾られている事に気が付いた。この展示会の中でも特に大きいだろう二枚の絵に挟まれていたから見落としそうだった。どうしてこんな見落とされそうな所にこんな小さな絵が飾られているのか。不思議に思いながら、その絵画に目を向ける。


 光るような黄色が目に飛び込んでくる。


 黄色い花の絵画だった。


 暗い濃い緑の壁に、赤褐色の机が置かれている。その上に、白い花瓶が置かれていた。その中に、数輪の黄色い花が飾られている。細長い花弁が一枚一枚少しずつ違う開き方をしている。花に詳しいとは言えないけれど、それでも私はデイジーの花だと理解できた。

 窓から光が注いでいるのか、花弁の一枚一枚が、まるで黄金に輝くかのようで。


 その花は、私に声をかけてくれたような気がした。あと少しで花に気が付かず通り過ぎようとした私に、ただ優しく挨拶をしてくれたような。無責任で、勇気もない、力もないちっぽけな私を見つめて、声をかけてくれた。


 どれぐらいその絵の前に立っていたか分からない。


 私はゆっくりとあたりを見渡した。美術館の人を探した。そして一番近くにいたアッシュグレーの短髪の男性に声をかけた。


「ごめん下さいな」

「はい、なんでございましょうか」


 ニコニコと笑顔を浮かべた男性は私の呼びかけにすぐ反応をしてくれて、私に近づいてきてくれた。


「この……その」


 そういえばなんという言い方で買えばいいのだろう。考えが及んでいなかった。

 メラニアのやり方を考えれば、恐らく事前にどのぐらいの金額かを記入して渡すのだろう。

 でもどれぐらいの金額がいいのか。それも考えていなかった。


 黙り込んでしまった私に、男性は笑顔のまま説明を続け始めた。


「こちらのデイジーはガーデナーという絵描きの描いた絵なのですよ。ガーデナーは自然、そして花を愛する画家でございましてね。色々な花や自然の風景を描いております」

「…………そうなのですね」


 ガーデナーという名前に覚えがあった。今まで特に意識したことはなかったけれど、何度か参加したカンクーウッド美術館主催の展示会で見た記憶がかすかにある。確かに、そのどれもが自然を描いたものだった……ような気がする。


 そんな事を考えていた時、そっと私の斜め後ろから従者が囁いてくる。


「購入なさいますか」

「そ、そうね。ええ、そうしたいわ」

「ありがとうございます、夫人。ガーデナーも喜びます」


 私と従者の声が聞こえたのだろう、男性はニコニコとそう言った。

 従者が私の後ろから、男性の横へと移動する。二人は私から三歩分ほど離れた位置で何かを話し始めた。何を話しているかは分からないけれど、私は彼らの会話が終わるのを待っている間、またデイジーの絵を見つめる。


 この絵を見つめていると、なんだか心が力を抜いて息ができるような気がした。どうしてそう思うのかは自分でも分からないけれど。

 メラニアは好きな絵を毎日見られたら素敵だろうと言っていた。その気持ちが今は想像出来る。この絵を毎日見る事が出来たなら、私の心はもう少し穏やかな気持ちでいられると……そう思った。

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[良い点] アナベルとデイジーの出会いの瞬間
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