【書籍発売記念小話①】アナベル様の一日(ジェマ・ダウソン視点)
時間軸は1章のどこか。アナベルの何もない一日です。
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本日、書籍版発売になります。よろしくお願いいたします!
(発売日までにもっと更新するつもりでしたのに、全然更新ができておらず申し訳ないです……!)
「失礼いたします」
「おはよう、ジェマ」
「おはようございます、アナベル様」
私が主人であるライダー侯爵家の若夫人、アナベル様の寝室へと足を踏み入れると、既に目を覚まされていたアナベル様がこちらに二コリと微笑まれた。
アナベル様は殆どの場合、私たちが起こしに来る前に目覚められている。
本来であれば主人が起きる前に準備が出来ていない私たちのあり方には問題があるが、アナベル様ご自身が「実家にいた頃の名残なのよね。無理に私に合わせて早く朝の支度をする必要はないわ」と仰られた結果、毎日同じ時間に入室するようになっていた。
私と共に入室した侍女たち一人ひとりにも、アナベル様は朝の挨拶をかけられる。その後、濡れた布で顔を洗っている間に、別の侍女によって髪を梳かれる。
アナベル様はご自身の御髪の色をはっきりしない色彩の茶色なんて卑下されるが、とんでもない! アナベル様の御髪は美しい亜麻色の髪である。私たち傍付きの侍女が日々丁寧に髪を梳き、香油などを塗りこんで整えている努力の成果も多少はあると自負しているが、それも、元が良くなければここまで美しい亜麻色にはなるまい。
顔を洗われた後は、アナベル様は服を着替えられる。今日はどこにも出掛けられないから、装飾などがあまり華美ではない服に袖を通された。
全ての服が『ドロシアーナ』で作られた、アナベル様のためのオーダーメイドの品だ。
似合わないはずがなく、アナベル様によくお似合いだった。
『ドロシアーナ』は今、若い女性を中心にとても人気が高いブランドである。貴族平民問わず、『ドロシアーナ』の服に袖を通したい、という女性は少なくない。
そんな人気ブランドのデザイナーが定期的に屋敷に来て、季節ごとにオーダーメイドの新作が届けられるアナベル様を主人としている事は、私たち侍女にとってはとても自慢な事である。
服を着替え終わったアナベル様は、私たちを見て小さく微笑んだ。
「ありがとう、みんな」
準備を整えられたアナベル様が、朝食を食べるために立ち上がられる。
一人は食堂の者にアナベル様の行動を伝えるためにそっと部屋から出ていき、私はアナベル様のすぐそばに付き従った。他の同僚たちは朝の準備のための道具の片付けなどがあるので、ここで一旦のお別れだ。
廊下を歩き始めてすぐ、アナベル様は廊下の隅におかれた台座の上の小さな花瓶に目をやられた。
そこにはまだ開ききっていない花がつぼみのまま、一輪、生けられていた。
「今日の花は、一段と綺麗な色ね。咲くのが楽しみだわ」
「朝食後には咲いているかもしれませんね」
廊下の花瓶に生けられている花は、その日の朝に庭師が厳選した花を、侍女たちが大切に生けている。アナベル様はいつもこのお花を見ると、必ず何か一言おっしゃられる。
その言葉を耳にしたら、必ず庭師や本日生けた侍女に伝えるのが日課だ。
恐らくアナベル様は、花がお好きだ。
アナベル様の寝室、ベッドのすぐ傍には、アナベル様が初めて購入された花の絵画『デイジー』が大事に飾られている。私たちが時間になって入室するまでの間、アナベル様は一人静かにその『デイジー』を眺めておられる事が多い。
アナベル様は様々な美術品を集めておられるけれど、『デイジー』の作者であるガーデナーの作品は、サイズや値段が比較的手ごろである事もあり、かなりの数を所持されている。現在は『デイジー』以外の作品は、季節や天気に合わせて交代でアナベル様の私室などに飾られているため、私をはじめ使用人たちもガーデナーの作品を目にする事は多いのだ。
アナベル様が朝食を食べられている間に、同僚たちにメモを作る。
庭師や本日の花を生けた侍女には先程のお言葉をメモし、アナベル様の食の進みを見ては調理場へのメモを記す。
小さい気付きを共有する事が、より良い仕事に繋がると、私は考えている。
今日は出掛ける予定がない事から、外回りに付き従うジェロームさんなどは休みを頂いている。
そうした休みの方にも、今日のアナベル様がどのように過ごしたかを伝えられるように、主人の様子を観察しながらメモを貯める。
――この日はアナベル様は一日、ゆったりと過ごされた。
庭を散策されたり、お部屋に戻られてからはお好きな女優などに贈る手紙などをしたためたり。軽い夕食を取られた後には、早々と寝室に戻られた。
寝室では、アナベル様は屋敷の書庫から持ってこられた本をお読みになられていた。どうやらそれは詩集のようで、アナベル様はその詩集を一字一字大事にお読みになられた後、「そろそろ寝るわ。ジェマも休んで」と声をかけてくださった。
「畏まりました。何かありましたら、ベルでお呼びくださいませ」
「ええ。ありがとう」
アナベル様の前を辞し、夜の番を務める侍女に、日中のアナベル様の様子をお伝えする。
夜の番の侍女は、万が一にも不審者がアナベル様のお部屋に入らないように見張りをする、重要な役目だ。
その後もこまごまと情報伝達などをしている間に随分と時間が経ってしまい、私室に戻り仕事着を脱いで寝巻に袖を通した頃には、外は真っ暗であった。
「今日もアナベル様がお幸せそうで良かった」
主人が幸せに過ごせるように働くのが私たちの仕事なのだ。それを成せたという満足感が、私の胸に広がった。
全ての日課を終えてから、私はベッドに入る。どうか明日も明後日も……アナベル様のお心を苦しめるような事が起こらなければ良い。一介の侍女でしかない私は、そんな事を願いながら眠りに着くのだった。




