【42】竹馬の友の苦悩03(パーシヴァル視点)
正直に言って、ブライアン・ライダー子息とアナベル夫人の離縁は有り得る事だと思っていたので、最初にその話を耳にしたときは驚かなかった。
実際に離縁する以前は、そう考えていつつもあえて報告する事もないと思いジェレマイア様には伝えていなかったが……ブライアン・ライダーの周りでは不穏な噂がいくつかあった。
悪事を働いたというタイプではなく、愛人を囲っているとか、あれほど熱烈に迎え入れた妻を冷遇しているのではとか、そういう類である。
勿論、妻を冷遇しているからと即離縁する話になる訳ではない。むしろ、一般的には妻が不遇な立場でも、婚姻状態を継続する方が多いだろう。やはり権力や金を持っているのは、女性より男性の方が多いのが現実的な話だ。
だから普通であれば、どれだけ結婚前は熱烈だったとしても、ブライアン・ライダーが夫人に飽きてしまったのだろうと思って終わりだった。
これは俺が個人的にブライアン・ライダーに失望したとか、評価を下げているとか、そういう話とは別の話だ。そもそも俺はライダー家の人間ではないので、俺がブライアン・ライダーを見下げたところで、彼の人生には何の影響だって出やしない。
とはいえ、いくら冷遇していても妻に暴力をふるったりしていたら話も変わってくるだろうが……アナベル夫人もあまり冷遇されている感じがなかったので、俺は「上手く仮面夫婦としてやっているのだろう」と思っていたし、そういう風に解釈して見て見ぬふりしていた貴族もそこそこいたのではないか、と思う。
実際、ブライアン・ライダーのごくごく身近な人間の中では、彼の行為を肯定する動きもあったようだ。本当に小さなコミュニティではあるけれど、人間にとっては目で見て声が聞こえる世界が全てだ。気付かないところで自分に不利なことを言われていて、気が付ける方が少ないのでブライアン・ライダーが気が付かなかったのも致し方ないだろう。
ブライアン・ライダーの考えには大きな落とし穴がある。恐らく、彼はそこを失念していた。
仮面夫婦生活をしながら愛人を抱えるような権力を持つのは、家の当主ぐらいのものである、という点をだ。
なにせブライアン・ライダーはライダー侯爵家の嫡男でしかないのだ。とうに成人してもいまだに、実家から爵位の一つも譲り受けていない身なのだ。それは殆ど、幼い子供と同等の力しか持っていないようなものである。
最終的に侯爵家を継ぐとはいえ、殆どの家は余分に持つ爵位があれば、嫡男に箔を付けるために嫡男に爵位を与える。なのでどこかの男爵だとか子爵を名乗る事が多い。ジェレマイア様もウェルボーン子爵という地位を得ている。
名家なら、嫡男が伯爵を名乗るような家もあるだろう。
そうした一般的な考えから、ライダー侯爵家はややずれた家だった。
あの侯爵家は代々、それはそれは武門で名を上げた家であり……彼らは初陣を果たして男児が一人前になったとみなす決まりがあるらしいのだ。
これがもう百年とか戦争がないような平和な時代であれば、そうした慣習も形骸化していたかもしれない。だが現侯爵が若いころは近隣諸国との争いが活発で、侯爵自身が初陣して初めて正当な跡継ぎとして認められたような御仁なので……当然のように、ブライアン・ライダーにも同じ価値観があてはめられていた。
彼にとって不幸だったのは、ここ数年、大きな戦は殆どない事だ。
平和は良い事だが、ブライアン・ライダーはその余波で初陣をしておらず、ライダー侯爵家の嫡男でありながら、いまだにただの子息という立場でしか名乗れない状態が続いていた。
(彼の現状――妻を冷遇し愛人に入れ込んでいる事を、ライダー侯爵家が許さなかった場合、全てがひっくり返る)
というのは俺も事前に考えている事だった。
……俺の記憶が正しければ、ライダー侯爵は血の気が多い武系の貴族でありながら、夫人以外関係のある女性を持たぬ愛妻家だ。
彼が、ブライアン・ライダーの行動を容認するようにも思えず……少しだけ調べたところ、侯爵夫妻はここ暫くの間王都には全く足を踏み入れていない事が分かった。
(あの生活が子息の独断なら、そのうちあの関係は破綻するな)
その時にアナベル夫人がどのような扱いを受けるかは予想できなかったが、最悪、離縁にまでなるだろうという予想は立っていた。
まあ、アナベル夫人が離縁後に侯爵家から慰謝料として爵位や領地まで貰っていたのはいささか予想外であったが、俺は「珍しいな」ぐらいの気持ちしか抱かなかった。
――が。
アナベル夫人が人妻でなくなった事を知ったころから、ジェレマイア様はあからさまにそわそわするようになった。
言葉で何かを言った事はない。
だがある時、仕事ではなくただ好きで描いていらっしゃったデッサンの絵が――以前遠目で見た事のあるアナベル夫人の顔だと気が付いた時、俺は二度見する事となった。
(は? は!?)
焦ってそのデッサンを拾い上げた。白黒の絵なのだが、大して関りがあった訳でもないのにアナベル夫人だと分かる絵だった。流石ジェレマイア様は絵がお上手――ではなく!
(なんで顔をご存じで――いやまて。前に会ったな!?)
振り返ると一度だけ。たった一度だけ、ジェレマイア様はアナベル夫人と会った事があった。
それは以前、偶然にも絵を持って行ったときに美術館で起きた遭遇だった。
とはいえアナベル夫人は画家ガーデナーとすれ違ったなど、ご存じないだろう。だってほんの数秒、すれ違っただけなのだ。ただたまたまその時にジェレマイア様と会話をしていた美術館員が「おや、ライダー若夫人だ」と口にしなければ、ジェレマイア様は振り返りもしなかったはず。
俺だって大して印象に残らなかったすれ違いでしか、ジェレマイア様はアナベル夫人を見ていないはずだ。その、はずだ。
(それにしてはリアリティがある上にやたら美化されているような……!?)
アナベル夫人が不美人だというつもりはないが、絶対に本物を二倍ぐらい美化している。
普段のジェレマイア様の絵は実在する物から更に美しさを引き出すような描き方をしているから、どちらかというと上から厚塗りで美しく描いたみたいな描き方は異様で……この絵を見た瞬間、俺はすぐに気が付いた。
(ジェレマイア様、まさか……!!)
ジェレマイア・コーニッシュ。
名門コーニッシュ公爵家の御令息で、現在は子爵家当主。
肩書きは大層立派だがこれまでの人生、芸術芸術芸術で脳内が支配されており、絵、一本に情熱を注いできた、親族以外の女性との関りがない人生を歩んできた男だ。
以前は本人も、芸術と結婚すると言っていた。
彼の師たる人物が現在そういう状態なので、それを真似したいという気持ちがあったのだと思う。
ところが……ところがである。
俺はハッとして、ジェレマイア様が最近描いたであろう絵をあれこれ漁った。基本的に作品の管理は俺がしているが、ジェレマイア様が気分転換に描いただけのデッサンなどの多くは、雑に部屋に積まれているのだ。そのデッサンをひっくり返した俺は、頭を抱えた。
(あ~~~~~!!!!)
出てくる出てくるアナベル様がモデルだろうデッサンが。しかも殆どがお顔以外ジェレマイア様の想像で描かれたのだろうな、という絵が!
完全に恋している。
芸術に人生を捧げていた男が、ここにきて、遅すぎる初恋(対人間)をするなんて、誰が思うんだ!
(ジェレマイア様、人間の女性にそんな感情抱けたんだなぁ……?!)
◆
「なんて、頭抱えてた頃が懐かしい」
ハハ、と俺は乾いた笑いをこぼした。
大分、かなり時間をおいて戻った俺の目の前では、ジェレマイア様がいまだに贈り物をどうするか、悩んでいた。
仕事はしている。絵の方も、子爵としての仕事も。だから誰にも言えないのだ、俺一人がジェレマイア様の初恋騒動に巻き込まれる羽目になっているのだ。辛い。誰か俺の苦悩を分かち合う友が欲しい。俺は心の底からそう思った。




