【41】竹馬の友の苦悩02(パーシヴァル視点)
はっきり言って、俺はジェレマイア様が画家になるのには反対だった。直接伝えた事はないから、ジェレマイア様はもしかしたら気付いていないかもしれない。
ジェレマイア様に才能がないとは思わない。
あれだけ熱中出来るほど絵が好きだし、ジェレマイア様が描く絵は素敵だと思う。
だけどそれだけで、なんとかなるような分野ではないのだ、芸術というのは。それはジェレマイア様がブロック館長を見ているのなら、分かるはずだ。
あの方はある意味で、ジェレマイア様の未来のような人だった。
幼い頃から芸術に魅せられ、芸術家としての活動に熱中して若い頃を過ごし、家族からの反対を押し退けて活動を続けて――。
(ブロック館長の作品を見た事があるが、それらも良い作品だった)
――それでも彼が芸術家として生きていく事は出来ず、結局彼は芸術に関わる別の仕事を片手間でしているに留めているではないか。
「実力はあるという者は沢山います。けれど世に名が残るのは、本当に少ないのです」
ブロック館長自身がかつて俺やジェレマイア様に語ったその言葉が、やはり芸術家の全てなのだと思う。本気でそれだけを生業とするのは、極めて難しい世界なのだ。
ジェレマイア様は、公爵家の子供だ。しかもコーニッシュ公爵家という、この国でも特に高い地位を持つ公爵家の子供だ。
幼い頃から何不自由なく育ってきた。これからも、下手な欲を掻かず、公爵家の利になる事をするように心がければ、死ぬまで困る事はないだろう。父君から爵位を譲り受け、独り立ちする事は随分前から決まっていたし。
画家になるという夢は、それを捨ててまで選ぶ道なのか?
爵位を譲り受けて貴族当主として生きて、その片手間で芸術活動を趣味で行うというのが一番良いじゃないか。
そう思ってしまう俺は、何かおかしいのだろうか。
……まあ、俺はそんな事は心の中に留めて、ジェレマイア様に直接言うような事はしなかった。だって俺が言うまでもなく、ご家族から、周りの人間から、痛いほどジェレマイア様は叱責されていたのだから。
そして何より、ジェレマイア様は自分の夢がどれだけ難しい道か知った上で、画家になると主張を続けていたのだ。
乳母兄弟として、俺が彼に出来る事は、彼の手助けをする事だけだった。
そうして長い親子喧嘩が続き、最終的にはジェレマイア様が爵位を継ぎ、最低限の仕事をするのであれば画家として活動する事を許すと公爵様は仰られた。
絵を描く事だけに集中する事は出来ないが、最初のころに全面的に反対されていたころと比べれば、とてつもない譲歩をしてくださったと思う。
そうしてジェレマイア様は諸悪の根源……ごほん。芸術の師であるブロック館長の開いている展示会などに、作品を出すようになった。
ちなみにこの展示会も、ブロック館長が認めた作品しか出せなかったのは余談である。
◆
――そんな訳で絵を描き続けるジェレマイア様であったが、中々彼が画家として注目される事はなかった。
ある種のパトロンであるブロック館長の助力を得て人気の高い展示会に絵を並べても、一枚も売れない日々。
余った絵は置き場がなく、安く安く画廊に買いたたかれるしかなかった。
ジェレマイア様があれほど情熱をこめて描いた絵が、殆ど紙の値段だけで買われていく状況は、かなり衝撃的だった。傍で見ていただけの俺でそうだったのだ。実際に絵を描いたジェレマイア様がどれだけショックを受けた事か……。
「成功すると啖呵を切ったのだ。認められるまで描き続ければいい」
ジェレマイア様はそう言っていたが、長年傍にいた俺は、その言葉が虚勢だとよくよく分かっていた。
虚勢を張っていなければ、彼はとっくの昔に倒れていただろう。
絵を描いても描いても素晴らしいと認められるず、売れず、溜まっていく日々。保管場所には限りがある。売れないのに無計画に保管場所を増やしていくわけにも行かず、溢れる作品は買いたたかれると分かっていて画廊に持っていくしかなかった。
「ブロック館長。どうしたらジェレマイア様の絵は売れるのでしょうか……」
どうしたらいいのか分からず俺がそう言えば、ブロック館長はあっさり答えた。
「そうだね。彼の身分を明らかにすれば、買う人間は増えるだろうね」
「っ、そんなの! ジェレマイア様に……コーニッシュ公爵家にごますりしているだけではありませんか!」
予想外の言葉に俺がそう叫ぶと、館長は驚くでもなく淡々と「そうだとも」と頷いた。
「絵を売りたいのであれば、それが最善だよ、パーシヴァル。絵が売りたいだけならば、ね」
「!」
ジェレマイア様は自分の本名では活動していなかった。ガーデナー。そういう名前で活動していて、身分は伏せていた。画廊に売る時もあくまでその体で言っていたので、平民の名の売れていない画家の絵を買うように買いたたかれていた。
名前を晒せば、そんな事はないだろう。画廊たちも展示会の客たちも、公爵家と縁が持てると期待を持って、場合によっては高値を付けるかもしれない。
「そんな事は……ジェレマイア様の望みではありません」
「そうだろう。私もそう思うよ」
館長は優しい表情をされていた。
「私にできる事は、あの子の作品を展示会に出してあげる事だけだ。そしていつか来るその日を待つだけだよ、パーシヴァル。……君には君で、出来る事があるだろう?」
「……はい」
彼が絵を描き続けるにしろ……もしいつかその筆を折る日が来るとしても、彼を支えていく。今更その人生を変える心算など、更々ない。
ジェレマイア様は絵を描き続けた。
◆
ジェレマイア様の限界は、少しずつ近づいているようだった。
描いても認められず、それでも描く事を止められない。
ある時、彼は自分が描いた絵を突然燃やした。全てではないが、保管場所に貯めこんでいた絵の何枚かを持ち出して、突如火をつけたのだ。運良く俺がすぐに気が付いて消火出来たが、もうその絵たちは……飾ったりすることは出来ないだろう状態だった。
「ジェレマイア様。どうしてこのような事を……」
俺の問いに彼は答えなかった。ただ、黒く炭となった絵を見下ろしながら、彼は泣いていた。
(もう限界だ)
無理にでも彼の筆を折らなければ……彼がどうにかなってしまう。
そう、思っていた時だった。
ジェレマイア様も俺もどうしたらよいか分からないでいた暗闇に、突如差し込んだ光……それが、ライダー侯爵家の若夫人であったアナベル夫人だった。
ジェレマイア様のアトリエ用の建物を訪れたブロック館長は、明るい調子で「絵が売れた」と告げた。
「……かわれた? えが?」
虚ろな声で聞き返したジェレマイア様に、館長は希望額十二万デルで売れた事を告げた。
俺にとっては値段も中々に驚きであったが、きっと、ジェレマイア様にとっては値段なんてどうでも良かった。
ただただ、売れた事が――認められた事が嬉しかったんだろう。
彼の中で、アナベル夫人の名前はその時にきっと特別なものになったのだ。
……ちなみに補足させて欲しいが、この時点ではただただアナベル夫人への感謝から特別になったのであって、変な意味合いはなかった。何せ相手は既婚者だ。夫がいる相手に横恋慕するような人ではない。
この一回だけでも彼女は特別だったろうに、アナベル夫人はそれからもジェレマイア様の絵を購入していった。もしやどこからかガーデナーがジェレマイア様だと広がったのではと疑ったが、広がっているのであればガーデナーの作品を買うのがアナベル夫人ばかりの筈がない。
ついでに調べた限り、アナベル夫人はそうした噂や最先端の流行などからは離れた所で活動している「陸の孤島」のような人物だったので、どこからか正体が漏れた……という可能性は限りなく低いようであった。
「パーシヴァル。あの方はただ、ガーデナーの花が好きなんだよ」
俺の動きを気が付いていたらしい館長にそう小言を言われ、俺はそれ以上アナベル夫人個人について調べる事はなくなった。
その頃にはアナベル夫人は唯一の購入者ではなくなっていたというのも大きい。
そう。これまで長い事路傍に転がる小石のように誰からも見向きもされていなかったガーデナーの絵が、次第に他の人からも購入されるようになっていたのだ。
それだけではない。絵が売れだして暫くすると、ブロック館長伝で絵の依頼が来るようになった。
最初はブロック館長に仲介を頼んでいたが、次第に数が増えて行った事で絵の注文を受け付けたりする担当の人間を雇う事になったりした。
あっというまに、ジェレマイア様は所謂売れっ子作家になった。あまりにあっという間だった。
依頼を受けた絵を描き続けながら、空いた時間で気分転換に好きな絵を描く。そうした絵は基本的にカンクーウッド美術館の展示会に並んだが、それも飛ぶように売れた。
依頼を受けての絵画制作は、向こう数年先まで予約が埋まってしまった。
この状態がずっと続くとは限らないが……この成功も、アナベル夫人が最初に購入してくれた事から始まったのかもしれない。そんな風に考えると、アナベル夫人はジェレマイア様にとっては、まさに救いの天使であった。
これだけ売れっ子になってもなお、アナベル夫人は時折展示会の絵を購入したいと希望する。そうすると、どれだけ他の人物が高値を付けていたとしても、ジェレマイア様は彼女に絵画を売るようにブロック館長に頼んでいた。
彼の中で、アナベル夫人という存在がどんどん強く、特別なものへと変化していた。
「そこまでは、別に良かったんだけどなあ……」
アナベル夫人が、夫であったブライアン・ライダーと離縁した。
それが、ジェレマイア様が今のような状態に陥った最初の切欠だったと、そう思う。




