【39】来ない連絡
「連、絡、が、来ない」
ラングストン子爵邸の庭にある小さなガゼボで、私は頭を抱えた。対面にいるメラニアは口を着けようとしていたカップをソーサに戻しながら驚いた様子で言った。
「まだなの!?」
「まだなの!」
いつも会っていた外ではないから、メラニアは躊躇いなく大きな声を出したし、それにつられて私も大きな声で主張した。
「待って。え? アナベル御免なさい。私の記憶違いだったら指摘して欲しいのだけど――三か月ぐらい経ってない?」
「そうなのよ……」
何がと言えば――爵位授与の儀式の日程の、正式な決定の連絡が、である。
スケルディング大臣補佐がブロック館長と共に我が家に初めて訪れてから、およそ二週間が経過している。その間、大臣補佐は三回ほど屋敷に来て、正式な儀式の時の行動などを教えて下さった。お陰で今の私は、一番初めの、言葉での説明だけだった時よりも自信がついている。
やはりある程度は行動して、体で覚える方が良いらしい。
それと並行して、私はメラニアとライダー夫人に助力をお願いした。儀式で着ていく服と、お披露目パーティーで着用する服についてだ。
元々ある程度はメラニアと話していて、大まかな形は出来上がっていたのだが、私たちはお互いに貴族女性としてはひよこで、常識とかには疎い。そのあたりをライダー夫人に助けていただこうとお願いしたのだ。夫人は快く引き受けてくださり、日程を調整して二人でドロシアーナに赴いた。
既に出来上がりつつある服は夫人の目から見ても問題はないという事で、私やメラニア、ドロシーは胸をなでおろした。
その上でフリルや今から入れる分の刺繍についての助言を貰い、更に合わせる装飾品の助言まで貰ってしまった。
その後はお披露目パーティーで着る衣装についてもあれこれと助言を貰った。
当初の目的が終わった後は、ドロシアーナにある服を夫人にも着てもらったりと、年齢と性別の垣根を越えて私たちは洋服で盛り上がった。自分の服だと何を着ても「似合っているのかな?」と首をかしげてばかりになってしまうが、他人の服を選ぶのはとても楽しい。
ライダー夫人は最初「聊か若すぎるわ」と苦言を呈していたような気がするけれど、声色からして本気で気分を害した様子はなかった。それに、私、メラニア、ドロシーたちの提案で色々服を合わせていらっしゃったから、結構気に入ってくださったのだと思う。最終的にはいくつか購入して帰られていたし。
――という感じで、儀式の準備は順調だ。服も、万が一急遽日程が決まっても間に合うようにとドロシーたちが急いで仕上げてくれている。
ところが肝心の、儀式の日程の連絡が、ない。
未だに、ない。
儀式を行うという話になってから、おおよそ三か月ぐらい経っているにも関わらず、だ!
「経験がないから分からないわね……それほど日程調整に手間取るような、大袈裟なものではなかったのでしょう?」
「そう、だと思うのだけれど……」
「まさか忘れられている?」
「流石にないと思うわよ、流石に……ブリンドル家ならともかく、ライダー侯爵家から独立した家なのよ?」
「そうよねえ……うぅ~ん。催促の連絡とかはしたの?」
「催促まではいかないけれど、日程が決まったかのお伺いの手紙は、一度送っているの。ただその返信もまだなくって……」
「やっぱり忘れられてるんじゃないの」
「でも何度も何度も手紙を送って良いものかしら。うるさいと思わない?」
「それは連絡しないあちらの不手際でしょう。日程がまだ決まっていないにしても、一度お伺いしたんでしょ? ならまだ未定です、ぐらいの返信あってしかるべきじゃなくって?」
「……それは、そうね。せめてね」
とはいえ、私は王宮について詳しくない。
ご迷惑だろうけれど、スケルディング大臣補佐におたずねしてみようか。次来られる日程は、まだ立っていないので、直接来られた時を待って尋ねると、かなり時間がかかってしまうかもしれない。
でもその間に王宮から返信があったりしたら申し訳ないし……。
「困るわね。いつまでたってもお披露目パーティーの準備の目途が立たないじゃない」
それはその通りで、儀式の日程が決まれば、その先にあるお披露目パーティーの日取りも決定出来る。パーティーの日取りが決まらないと、お呼びする参加者へのご連絡というものが出来ない。
ちなみにお呼びするお客様は、基本的にはライダー侯爵家から頂いたリストと、ブロック館長からもらったリストを使って大体決めている。大半がライダー侯爵家と縁ある家になってしまうのは、致し方ない事だろう。私の実家周りでわざわざ呼ぶほどの関係値がある家は、ほぼない。母の実家とか、父方の親戚とか、いない事はないけれど……まあ、形式上だけの招待状になるだろうなと予想している。
「まあ、服とかその他の必要な物を揃える事は出来ているから、そういう意味で焦る必要は殆どないのだけれどね」
「それはそうね。――あらやだ。私としたことが、一番大事な用事を忘れてたわ」
メラニアが両手を合わせてそういうので、儀式とお披露目パーティー以外で大事な用事なんてあっただろうかと思いながら、紅茶に口をつける。
「ウェルボーン子爵とのデートよ」
口に含んだ紅茶を吹き出すところだった。
意地で吹き出しはしなかったが、変わりに鼻に紅茶が少し逆流して、私はゲホゲホと咳き込んだ。少し離れた位置で様子を伺っていたジェマがサッと近づいてきて、綺麗なハンカチーフを渡してくれたので、それで顔を軽く拭ってから、メラニアを睨む。
「な、な、なっ」
「ウェルボーン子爵にはご連絡はしているのよね?」
「い、いや、その、それは……」
「まさかしていないの!?」
「て、手紙が! 手紙があちらから来た、から、お返事はしたわ!」
メラニアの責めるような声に慌てて答えると、彼女は目を丸く開いてから、にんまりと笑った。い、嫌な予感のする笑い方である。
「へえ。お手紙。へえ~? どんな内容だったの? ねえねえ。ここだけの話にするから教えて頂戴よっ」
「メラニアが期待しているような内容じゃないわよ。出掛ける日程についての相談的なもので……私の方は、儀式がせめて終わって、お披露目パーティーもすんでからでないと、悠長に出掛ける事を考える余裕がないとお答えしたの」
「もうっ。私と出掛ける事はたまにあるんだから、一日位捻出したって良いでしょう?」
「お披露目パーティーも未だなのに異性と出掛けたりしたら、変な噂になるでしょうっ」
なんて事言うのだと私がキュッと眉間に力を入れながら主張するが、メラニアはどこ吹く風という態度だ。
「デートこそ、あんまりに時間を置いて待たせると、期待値上がっていく気がするけれど?」
「え」
「だってそうでしょう。本当に裏がないなら、サクッと時間を作って会って終わりにすれば、本当に礼をしただけなんだ~って思えるけど、どんどん待たされてたら、なんだか大事なのかもしれないってならない?」
「う」
「まあそのあたりは? アナベルが好きなようにしたらよいと思うけど? アナベルの恋路だものね」
「恋路じゃないから!」
「でもアナベル。貴女、子爵家の当主になったのよ? しかも貴女の死後に爵位をライダー侯爵家に必ず返却、っていう決まりがある訳でもないのでしょう?」
メラニアの言葉に頷いた。
確かに、私が万が一結婚もせず子供も作らず亡くなった場合はラングストン子爵位をライダー侯爵家に戻すという話はあるが、結婚して子供を作った場合は、普通に子供に引き継げる扱いだ。
「という事は周りは貴女はそのうち再婚するのだろうと思っているだろうし、婿入りしたいと思ってくる未婚男性は結構いると思うわ。あ、貴女が再婚だという問題を気にする人も確かにいるでしょうけど、政略的な事を考えれば貴女との結婚が利になるって考える男性は多いと思うわよ。だって貴女の背後にはライダー侯爵家がいる訳でしょう」
私は結婚に失敗した女なのだから――と言おうとしたら、メラニアに先に制されて、そんなことまで言われた。
でもまあ、それは、確かに……。
ライダー侯爵家は嫡男の醜聞に現在晒されているものの、それで揺らぐような柔な家ではない。長い目で見れば、侯爵家と縁付ける事を求める人もいるだろう。
「それに、ラングストン子爵領って結構裕福じゃない。それを知っている、婿入り先がない貴族家の次男三男なんか、貴女と結婚したくってたまらないかもよ」
子爵領は確かに裕福だ。比較対象が零細の実家で申し訳ないが、普通に暮らして、かつ、趣味の芸術鑑賞や演劇鑑賞などにお金を使っても困らない程度に収入があるという事だけは今の時点でも理解している。
そうよね。お金は皆欲しいものね。お金があれば人生の苦労は半減するものね。
「お披露目パーティーもどうなることやら、よね。きっと男性が群がってくるわよ~。まあ、ライダー侯爵夫妻が参加してくださるのなら、お二人の傍にいたら大丈夫そうかしらね」
今の時点で参加が確定している関りのあった方々は、ライダー侯爵家からは、当主ご夫妻。
私の実家からは両親とフレディ。
他だと、ブロック館長。
あとスケルディング大臣補佐も、時間の都合が会えば顔を出させて欲しいと言ってくださった。私としても儀式について教えて下さっているお礼がしたいので、招待状を送る予定だ。
それから平民であるが、メラニアとショーン様も参加して下さる事になっている。
私としては普通に友人枠で参加をお願いしたのだが、ショーン様はとてつもなく感激したような感じで、感謝をされた。メラニアからは、参加者の大半が貴族な場に、平民の商人が参加するというのはそこそこ難易度があるらしい。アボット商会は現在貴族相手にも商売を広げているものの、まだまだ参加出来る貴族のパーティーは小型のものばかりらしく、今回は貴重な機会だと言われた。
……私のお披露目パーティーも、たいして大きいものではないのだけれど……と思ったのは、ここだけの話だ。
出来る事ならば、侯爵家の嫁だったころにパーティーの一つでも開いて、メラニアたちを呼んであげたかったな、なんて今更すぎる事を思ったりした。
「それにしても、本当にウェルボーン子爵にそういう感情は持ってないの?」
「一度しかお会いしてない方なのよ」
「一目惚れってものもあるじゃない」
「あらメラニア。貴女は一目惚れの経験者?」
「……違うけど。まあいいわ。ウェルボーン子爵が違うなら――例の大臣補佐サマとは、どうなの?」
貴女最近恋愛思考が強すぎないかしら。
「考えたこともないわよ本当に」
「ええ~! だって二人きりで練習しているのでしょう、儀式の!」
「メラニア。二人きりなわけないでしょう。ジェマもジェロームも、他の侍女たちも一緒よ。それにあちらは、先生として来てくださっているのだからそんな話になる訳がないじゃない……」
「せっかく人気な文官と一緒に過ごせているのだから、少しぐらいアタックしても良いと思うけれど」
「人気?」
首をかしげる私に、メラニアはそうよ、と力強くいった。
「シルヴェスター・スケルディング大臣補佐と言えば、今の若手で一番の出世頭って有名なのよ! 美しい銀の髪の毛に透き通る青の瞳の貴公子って、私たちの所まで噂が回ってくるぐらいなんだから!」
口がぱかんと空いてしまった。
そ、そんな有名な方だったの!?
いやだって、ご本人はいつも気さくで、「この前も使い走りで王宮内を走り回る羽目になりましたよ。ははは」と笑っていらっしゃって……。いやでもそうか、自分の業績を堂々と語らない方もいるわよね。スケルディング大臣補佐が自分の事をあれこれ自慢する様子は思いつかない。
「どんな方なの? 直接会ってる感想としては」
「とても親切な方よ。でもそんな有名だったなんて……」
「良いなあ。私も会ってみたいわ~」
「会うだけなら、たぶん出来るけれど。日程にもよるけれど、私のお披露目パーティーに来てくださる事になっているから」
「……嘘ッ!!! 本当に!?」
メラニアの大声に私は首をすくめつつ小刻みに頷いた。
「もうアナベル。貴女って子は本当にすごいわよ! 参加者がとんでもない事になるんじゃない? お披露目パーティー!」
「そうはいっても、殆どライダー侯爵家とブロック館長の功績よ」
「そこは私の人徳が凄いって誇りなさいよ!」
メラニアはもうもうっと私の肩を掴んで揺らしたが、無理だ。私はそんな変な嘘は付けない。




