【37】頼れる館長
「まさかガーデナーも、そこまで不安がられているとは思ってもみない事でしょう。それはさておき、ガーデナーが貴女を嫌い、絵を売らなくなるという事はないでしょうから、御心配には及びませんよ」
「そう……でしょうか……?」
私だったら、気もないのにやたらとこちらに対して色目を使ってくるような人は嫌だと思う。……いや。私は自分が思っているよりもかなり単純だし、結構コロリと相手に惚れてしまうかもしれない。あっさりとブライアンの手管に嵌った前科があるので、あまりあれこれと言えない。
わ、私の事はどうだっていいのだ。問題はウェルボーン子爵の件で。
「それでは、ウェルボーン子爵のお話をいくつかしましょうか。まだ一度顔を合わせただけですから、人となりが分からず不安を感じてしまう面もあるやもしれません。どんな人間か分かれば、少しは気が楽になるでしょう」
そう、かもしれない。
「そういえば、館長はウェルボーン子爵と昔からお知り合い……だった、のですよね?」
そもそもウェルボーン子爵はガーデナーとしてブロック館長と関係が長いはずなのだから、変な事を聞いたと思って頬が熱くなったが、ブロック館長はたいして気にした風もなく話を続ける。
「ええ。元々、私はウェルボーン子爵の父君と友人だったのです」
ウェルボーン子爵の父親――という事は、それはコーニッシュ公爵家のご当主という事だ!
そのような身分の高い方とも縁深いなんて、流石ブロック館長である。館長は偉ぶった所はないけれど、身分の高い方々と話していても、全く違和感がない、そんな不思議な方だから、多少の驚きはあっても、するりと納得出来た。
「コーニッシュ公爵は厳格な方でしてね。とはいえ、他者の在り方に無遠慮に口を出すほど凝り固まった思考の男でもありませんでした。長らく友として過ごす内に、コーニッシュ公爵家の御子息たちの家庭教師のような事をしていた時期がありまして、ウェルボーン子爵とはその時に知り合ったのです」
公爵家の御子息の教育係なんて、下手すれば王族に接する人と同等だ……。
「ウェルボーン子爵とその兄君、どちらにも芸術の基礎を教えました。ですが兄君が制作より鑑賞を好んだのと異なり、ウェルボーン子爵は描く事を好かれた。ふふ、親に言えば一流の道具が揃えられるというのに、幼いウェルボーン子爵は私の道具と同じ物を使いたがりましてね、一点物だから他にはないと伝えても、それでなければいやだと泣かれて仕方ありませんでしたので、私が使っていた道具を彼に譲ったのです」
「まあ」
実家の弟妹を思い出すエピソードだ。どうにも、年下というのは、年上と同じ物がよいらしい。頻度に差はあれど、フレディ、ジェイド、レイラ、どの子たちからも「お姉様と同じがいい」と駄々をこねられた記憶がある。
あの、凛々しく、精悍なお顔からは泣く姿が想像出来ないが、幼い頃のウェルボーン子爵はさぞ愛らしかったのだろう。
だって、ブロック館長の瞳が、本当に優しい。
きっとまだ館長の背丈よりウェルボーン子爵が小さかった頃からずっと、子爵の成長を見てこられたのだ。一点物の愛用していた道具を渡すほどに……実の子供ではなくても、きっととても大事な存在なのだ。
「それからというもの、絵画、彫刻、時折版画みたいなものまで手を伸ばして、あれやこれとしていました。…………ただ、ウェルボーン子爵が社交界に出るようになった頃から、彼は父親と折り合いが悪くなっていきましてね」
父親と折り合いの悪い息子……フレディの顔が浮かんでしまう。なんだか、他人事に思えない。
「先ほど申し上げたように、公爵は凝り固まった思考はしていない男です。ですがただの友に対する在り方と親子での在り方は、必ずしも同じではありませんでしょう?」
分かる。家族と友人ではまた変わる。
家族の中でも、また、親と弟妹でも対応は変わる。
「コーニッシュ公爵としては、息子に、己が一番幸福と思う人生を歩ませたかっただけなのでしょう。跡継ぎは早々に、ウェルボーン子爵の兄君となっておりましたから……公爵家が所有する爵位と領地を譲るとしても、もっと活躍出来る道を与えてやりたいと思っていたに違いないのですが…………まあなんとも、ウェルボーン子爵は頑固でしてね。ええ。私の道具でなければいやだと粘った子ですから、分かってはいたのですが……コーニッシュ公爵が用意した縁談も、職の斡旋も、何もかも拒絶して、絵を描いていたのです。次第に社交にも出なくなり、それがまた父親との対立になり……」
聞いているだけでも胸が……い、痛い。
「ウェルボーン子爵は、親から一生許されなくとも……仮令勘当されたとしても、絵を描き続けるという覚悟を見せました。私はそんな彼の描いた絵に、価値があると見た。そうして、カンクーウッドの展示会に、彼の作品を出すようになったのです」
「そうだったのですか……」
「はい。彼の描く花も木も、よく喋るでしょう」
館長の言葉に私は大きく頷いた。
「ええ、ええ! ガーデナーの描く花は、とてもお喋りだと思いますっ。でも不思議で……私の言葉を無視するわけではありませんのよ。私の言葉は、しっかりと受け止めてくれます」
「私もラングストン子爵と同意見です。ガーデナーの絵は……特に花は、花そのものの美しさを描くと共に、そこにある喜び、悲しみ、嬉しさ、苦しみ、それらを描き……そして同時に、観る人間との語らいを望む」
「ずっと……ずっと傍にいてくれますの。……辛い時も、私を見てくれる。私に……そのままの私を、何もない私を見てくれた……そんな気がしてならないのです」
ハッと我に返る。館長のお話を聞くはずだったのに、気が付けば自分の事を語ってしまった。
「も、申し訳ありません。自分の感想を長々と」
「謝罪は不要です、子爵。芸術とは、長く、長く……時を超えて人の心を揺さぶり続ける物ですから」
長く――そう思って、ふと、『デイジー』を始めとした、私が集めた芸術品たちの事を思った。出来る事ならば、あの作品たちが壊されたり捨てられたりする事なく、私が死んだ後も大事にされたら……どんなに素敵な事だろうか。
「ウェルボーン子爵は……本当に絵を描く事がお好きな方なのですね」
「ええそうです。そして芸術を愛する男ですから、ラングストン子爵とは話が合うかもしれませんね」
話が合うかという部分に関してはさておき、ブロック館長の話を聞いている内になんだか、私の中にあった不安や恐怖みたいなものが和らいだような気がする。
「さて」と館長は話を次の物に変えた。「爵位授与の儀式についてですが……こちらは典礼について詳しい知り合いがおりますので、私の方からお声がけをしておきましょう。恐らく問題なく対応出来るかと」
「よろしいのでしょうか……?」
「勿論ですよ。儀式を行う方の手伝いもその知り合いにとっては仕事のようなものですから」
……儀式をする人間の手伝いも仕事? 一体どんな立場の方なのだろう。
想像はつかないが、ブロック館長のお知り合いなのだから、きっとしっかりとした方なのだろうと思う。よろしくお願いしますと言いながら私は頭を下げた。
「そして最後の領地運営に関してですが……先ほど子爵は迷惑をかけるのが申し訳ないと仰いましたが、むしろ、爵位と領地を譲ったばかりの段階では、頼った方がよろしいかと」
「で、ですが……」
「言い辛い。そのお気持ちは分かります。ただこれは、ライダー侯爵家とその先も関係性を悪くしないために頼るのだとお考え下さい」
「…………頼らないと、関係性が悪くなるのですか?」
逆ではないのか。頼って、相手の時間を奪って、迷惑をかける方が、関係が悪くなってしまいそうだけれど……。
私の疑問を察したように、ブロック館長は頷いた。
「貴族は総じてプライドが高いですが、地位が高くなるほど、そのプライドも高くなるとお考え下さい。そういう方々は己の対面や名誉が損なう事を許さないものです。ライダー侯爵家としては、ラングストン領は長らく己の所有物だったものです。その扱い方について、ライダー侯爵以外を頼るというのは、長らく治めていた侯爵家に対して、貴方の治め方は信用ならないので他所に相談すると言っている事になりかねません」
血の気が引く。
「或いは、侯爵家がそう取らずとも、周りがそう取る可能性もあります。周りからの評判が落ちたとなれば、後々、侯爵家からラングストン家への心象が悪くなる可能性もあります」
「そ、そのような、つもりでは」
「ええそうでしょうとも。ですが周りはそう見るのです。それであれば、素直にライダー侯爵家にどのように領主として振る舞うべきか、教えを請う方がよろしいかと」
「ジェローム。て、手紙の準備をお願い」
「かしこまりました」
私の言葉にジェロームはすぐ部屋の外に控えていた他の使用人たちに声をかけてくれた。
「ご、御不興を、もう買ってしまっていたら……」
恐らく血の気が引いて顔色が悪いだろう私の顔を見て、ブロック館長は柔らかい声で続けられた。
「侯爵家も、ラングストン子爵の状況は分かっておいででしょうから、気にされていないと思いますよ」
「そ、そうでしょうか……?」
「はい。何せ今は、陛下にお会いする儀式もまだの状況ですから。そうですね……手紙の中で、大っぴらに教えを請うのは儀式が終わった後にお願いしたい、という風にしておけばよろしいかと。子爵は気持ちを整える余裕が生まれますし、侯爵家としてもどのような段取りで子爵に領主業務をお伝えするかを考える時間も出来ますよ」
確かに!
急に明日教えてくれと言われたとしても、こちらの事情があるのに……という風に困ってしまうだろう。教えていただくのは半分ぐらい決定事項だとしても、その細かい日程に関しては未来の事……という風にすれば、双方にとっても都合がよさそうだ。
「実際の領主業にしてみても、今まで領主としての教育をされていない方が突然座るのですから、スムーズな引継ぎが難しいという事は侯爵家側はよく理解されているはずです。子爵はあまり気負い過ぎず、分からない事を恥と感じず、一つずつ覚えていかれれば問題ありませんよ」
館長はそうして私の悩みに答えを与えて下さってから、紅茶を一杯飲んで、帰って行かれた。
私はブロック館長が帰って行かれた後、すぐ、手紙をしたためた。
一通はライダー侯爵家に対する物。中は領主業務に関してどのようにしていけばよいかの助言が欲しい旨を綴り、館長から頂いた助言に従い、諸々の儀式や手続きが全て終わってから話をさせて頂きたいと書いた。
もう一通は……メラニアに対する物である。あれだけメラニアに館長に相談しろと言われて、それを拒絶し続けていたというのに、実際の私はこうもあっさり相談してしまった。私が愚痴だけ零したものだから、メラニアはきっと気にしてくれている。なのである程度悩みがなんとかなりそうな事を書き記し、それから、メラニアの話を聞こうとしなかった事を詫びたのだった。




