【36】訪問
今月はもう少し更新したい、気持ちはあります……!
ブロック館長は私が思っていたよりもかなり怒っている。
そんな結論に達した私は戦々恐々としながら夜を越し、どうしたら館長に謝罪の気持ちを示せるだろうかと頭を悩ませていた。しかしお金を渡す以外、全く方法が思いつかない。
だが現金をただ渡すのも、それに相当する作品を渡すのも、どちらもより失礼な態度な気もする。だが私には、ブロック館長に何かしら利点を与えるような伝手がない。
正直満足いく眠りは出来なかったが、多少の寝不足は顔に出ていたとしても、化粧で誤魔化せる。
ジェマたち始め侍女たちにより、出掛けるときのような準備をされる。体に香油を塗り込まれ、当主として相応しい服装を身に纏い、髪を纏め上げられる。
なんだか、こちらの屋敷に来てから雇った侍女たちが心なしか興奮している気がする。分かりやすいわけでもなかったのだが、ライダー侯爵家から着いてきてくれたジェマを始めとした侍女たちが落ち着いていたために、新参の人たちの興奮が分かりやすくなっていた。
やはりカンクーウッド美術館という、名と歴史のある美術館の館長が訪れるというのは特別な事なのだろう。
……今まで館長が届けに来られる事に何一つ疑問を抱かなかった私がやはり悪いのだろうか。もっと早く、こちらから直接来なくて良い事を伝えるべきだった!?
いや悩んでも、もう過去の行為はどうしようもない。なんとか、なんとか謝罪を伝えねば……うう……胸が痛い……。
◆
「お久しぶりでございます、ラングストン子爵! 此度は突然の来訪をお許しいただき、誠にありがとうございます」
やってきたブロック館長は、いつもと全く変わらなかった。
人の好い、優しい笑顔を浮かべ、いつも綺麗に整えられている髭が、館長が喋るために動く。
「あ、え、は、はい。こちらこそ、今日は来ていただきありがとうございますですわ……?」
自分の予想と違い過ぎて、頭が真っ白になってしまった。何を言ったか自分でも分からない。もう言葉がめちゃくちゃだ。
今なんて言った? 私。
そんな事を思いながら応接間で、ブロック館長と向き合って腰かける。館長の後ろには、絵画を運ぶ手伝いをされたのだろう方が一人。けれど美術館館員の制服を着ていないから、恐らく美術館の方ではない……? いや、それにしてもこの方、どこかで見た事があるような……?
「こちらがガーデナーの『リシアンサス』になります」
ブロック館長の言葉にハッとする。
館長に着いてきていた茶髪の従者の方が、ケースに入っていた絵画をそっと取り出す。
「わぁ……」
つい声が漏れた。
リシアンサスという花の絵。白と紫の花弁なので一見、重くなりそうな配色なのに、この絵にはそれがない。光の当たり方のせいだろうか。
「ご満足いただけましたか?」
館長の言葉に数度瞬いてから、頷く。
「ええ。この花弁が、本当に優しくて柔らかくて……けれど悲しさはありませんでしょう。……やはりガーデナーの絵は素敵ですわね」
――「お会いできて光栄です、ラングストン女子爵」
低い、落ち着いた声がよみがえった。
「!!」
反射的に手に持っていた扇を広げて顔を覆った。コホンコホンと空咳をして、誤魔化す。
誤魔化されてくれたのかは分からないが、ブロック館長は表情を崩さない。
「気に入っていただけて嬉しく思います」
「ほ、本当に気に入っていますわ。きっと妹も喜びます」
「おや、こちらは贈答品でございましたか」
「ええ。上の妹が、次の年にデビュタントですの。そうしますと、早ければそれなりの月日で嫁ぐ事もあるかもしれませんでしょう? その時にあの子の……支えになってくれるような物を贈りたかったのです」
絵画は心の支えにもなるし、――もし本当に困った時は、生きていく支えとする事も出来る。
もちろんそんな事はないに越した事はないのだけれど、人生は何が起きるか分からない。
特に不自由のなかった、幼子だった頃。
父親の様々な失策により、狭い家へと引っ越し、不安だったり。
夢のように年上の貴公子に口説かれ、のぼせ上げて結婚したかと思えば、その相手からはただのお飾りの妻だと言われたり。
そこからどうしてか、自分に有利な形で離縁する事になったり。
……うん。やはり、人生は何が起こるか分からない。だからこそ、ジェイドがどこでどう生きるにせよ、困ったときに助けになる物があるには越した事がないだろう。
「そうでしたか。ご家族への贈り物として選ばれるとは、きっとガーデナーも光栄に思う事でしょう!」
光栄に……? わ、分からない。光栄な事、なのだろうか。そういうのって。
私は扇で口元を隠したまま、曖昧に微笑んだ。
『リシアンサス』の受け渡しは終了した。だからと言ってすぐブロック館長が帰るわけではない。よほどこちらに事情があれば謝り倒して帰ってもらうし、向こうが用事を抱えていてすぐ帰る場合もあるけれど、わざわざ訪ねてきて下さった方を用事が終わってはいさようならと追い出すのは失礼極まりないからだ。
私たちはジェマたちが用意した紅茶とお菓子を口につけながら、しばらくの間会話を楽しんだ。ブロック館長は相変わらずお話がお上手で、聞いていて楽しい。
さて、ある程度話が盛り上がり、そろそろ帰られる頃かな……という雰囲気がお互いに流れ始めた時、私の背後にいたジェロームが突然とんでもない発言をした。
「ところでアナベル様。ブロック館長にご相談されなくてよろしいのですか?」
「ジェローム!?」
何を言うのだと私は貴族女性としてのポーカーフェイスも忘れて、後ろに控えるジェロームを振り返ってしまった。ジェロームはきょとんと、どうして私がこうも大袈裟に非難するような声を出したのか分からない、という顔をしている。
どうして今そんな事を言ったのだと目で訴えるが、ジェロームは何もわかりませんという顔で首をかしげるばかり。
「何かお話があるのですね」
ハッとしてブロック館長に目線を戻せば、先ほど腰を浮かせようとしていたブロック館長が、椅子に深く座りなおしていた。
ブロック館長は、ニコリと微笑んでいた。
「お聞きしますよ、ラングストン子爵」
「い、いえ。何てことない事ですの。お気になさらないでくださいませ」
「いえいえ! この老体がお役に立てる事があるのでしたら、是非お話しください」
「いえ、そんな。ブロック館長はご老体等という言葉を使うようなご年齢ではありませんわ」
「はは、嬉しいお言葉です。……それはさておき、今ラングストン子爵の御心を悩ませるような問題ともなれば、爵位授与の儀式の件か、或いは領主として領地経営をどのように解決なさるか、というあたりでしょうか。ああ、もしやウェルボーン子爵の誘いに悩んでおられますか?」
ブロック館長はあっさりと私の悩みを全て言い当ててしまった。グッと押し黙ると、自分の推測が当たっていたとブロック館長は納得されたようだった。
だが、本当に、私はもう、ブロック館長に個人的なご迷惑はおかけしたくないのだ!
「館長。お気持ちは本当に有難いばかりですわ。ですが、予期しなかった事ばかりとはいえ、これも子爵となった以上、自分で解決しなければならない事と思っておりますゆえ」
だからブロック館長の時間を奪うつもりはないのだと訴えたのだけれど、それをくみ取ってくれたはずのブロック館長は、優しい笑顔のままこう答えた。
「ラングストン子爵。老婆心ながら申し上げます。お気持ちを害したら申し訳ありませんが、どうかお聞きください。――当主となったからこそ、他人を利用する事を覚えなされ。当主となった以上、社交からも、政争からも、完全に逃げる事は出来ませぬ。だからこそ、他人を利用するのです。他人を利用できない者は、利用され、使い潰され、切り捨てられて終わります。そうすれば貴女一人ではなく、この家で働く者、その関係者、血を分けた者にも多大な迷惑をかける事となりますから」
館長の言葉に、ゾッとした。
「わ、わたし」
私はメラニアに館長に頼れば良いと言われた時、何故それを拒絶したのか。
だって、これまで沢山迷惑をかけた。これ以上迷惑をかけるなんて失礼で……。いや違う。
迷惑をかける人間は、嫌われるから……。
迷惑をかけて嫌われ、見下された人を知っている。……父は、あっさりと周りから見捨てられ、残ったのは家族だけだった。
だから私は……あの人みたいになんてならないようにしなければならない。あの人と同じことをしたら、やはりあの男の子は皆そのような人間なのだと言われるから。弟妹たちにまで、悪評が続くから……。
でも私は、父と違う人間であれたのだろうか。
父が詐欺師たちにあれこれと言われて良い気分になってお金を失ったという話と、元夫に口説かれてあっさり有頂天になった自分とは、同じではないだろうか。
すぐ良い気分になって、裏切られて、落ち込んで。
結局一番あの人に似ていたのは――。
「子爵」
館長の声に、我に返る。
この方はいつも通り、微笑を浮かべて私を見ていた。
暫く何も言えなかった。黙って、悩んで、心がぐらぐら揺れて。
それで結局、口を開いた。
背中を押されたのだと、流石に分からなかったわけではなかったから。
「私、どうしたら良いか分からなくて……」
一度口を開けば、止まらなかった。
「国王陛下への謁見なんて、したことがありませんわ。デビュタントの時は、王太子ご夫妻が主催であられましたし……失敗は許されませんし、その、どんな事が行われるかも、全然分かりませんの」
「ええ」
「ライダー侯爵夫妻には恩があります。この爵位を下さったのはお二人なのですから、お二人に尋ねるのがきっと正しいのでしょう。ですが私は既に離縁していて、もう、別の家の人間となりました。いつまでもあれこれと尋ねるのは、ご迷惑――いえ、ご機嫌を損ねるのではと思って、二の足を踏んでしまって……」
「なるほど」
「でも、そういう相談なんて、どなたにしたら良いか、さっぱり分かりません。……領地経営も、今までした事もありませんから、今更一から学ぶのも、何からしたら良いのか……それに、今まで侯爵様を領主として、安心していた方々からすれば、私が新しい領主なんて、受け入れられると思えませんわ。それから」
ウェルボーン子爵との、関係、なんて。
「ウェ、ウェルボーン子爵にそういう意図がない事は分かっておりますの。でもあまりにメラニアが騒ぐから、私、変に意識してしまって。そんな事を考えているなんてわかったら、嫌われてしまうかも。変な事を考える女なんて……そ、そうしたら、もうガーデナーの絵で欲しいものがあっても、手に入らなくなってしまうかもしれませんわ……! そ、そんなの嫌です……!」




