【34】だだこね
随分遅くなってしまい申し訳ありません。かなりゆっくりの予定ですが、更新再開していきたいなと思っております。アナベルは暫くもだもだします(予定)。
久しぶりにメラニアと会ってリフレッシュしてから数日。
「……はぁ」
私はそう溜息をついた。室内にいるのはライダー侯爵家から付いてきてくれジェマとジェロームだけなので、私もやや張り詰めていた気を緩める事が出来た。
「どうしましょう」
最近は、独り言が増えた。勿論、私が返事を求めればジェマもジェロームも他の人々も答えてくれるけれど、子爵位を得る事になり、新しい屋敷に移ってからというものの、どうにも独り言が増えてしまっている。
私の今の悩みは……主に、三つ。
一つ目は最も重要であり、同時に、緊張してしまう事……爵位授与式と、それに伴う国王陛下への謁見だ。
爵位とは、始まりをたどれば国王より貴族に与えられている物だ。そのため、爵位を別の人間に譲る時は国王の認可が必要となる。この認可自体は、書類で行われるため、ライダー侯爵から私への子爵位の譲渡は既に書類上行われており、既に認可されている。しかし貴族としては、それだけでは新しい子爵を名乗る事は出来ない。
私は新しくラングストン子爵を名乗る者として、陛下の下に行き、忠誠を誓わなくてはならないのだ。
この儀式は謁見の間で、国王陛下と私が二人で――勿論傍には護衛もいる筈だが、この場合彼らは人数には数えない――行う。余程の大貴族の授与式や、英雄的行動によって爵位を授与されるのでなければ、大々的に行われる事はないので、その点は安心出来る。
だが儀式には覚えなければならない手順があり、万が一私が間違ったとしても、助けてくれる人はその場にはいない。
手順について調べられる事は、既にジェロームが調べてくれている。なので文字の上でしなければならない事は分かっているが……一度も王宮に行った事のない私では、文字を読んでも想像すらできない事も多い。長く語ったが、つまり、不安が拭えない。
普通であれば、その手順に精通する人物に教えを請うべきだが……父はそのような細かい事を覚えているとは思えない。そして元義父であるライダー侯爵にはただでさえ様々な面でお世話になっていて……追加でお世話になりたいと、言い出しにくい。勿論声を掛ければ応えて下さるのではと思うのだけれど、既に夫と別れて義娘でもないのに……と思ってしまうのだ。どうしても、手紙を送る事が出来ない。
二つ目は、新しい領主として、領地の人々へ挨拶をしなければならない事。
私はまだ、ラングストン子爵領がどんな土地で、どんな人々が暮らしているかもよく分かっていない。ただ、ライダー侯爵が子爵位も合わせて持っていた頃は、基本的には代官という役職を設けて、別の人間に領地運営をさせていたとは聞いている。その人はもともと子爵領出身の方らしく、爵位の持ち主がライダー侯爵から私に変わった後も、変わらず代官を務めてくださる予定でいる。元義母であるライダー夫人からは、私が直接領地運営をする必要はないとは聞いているが、少なくとも代官の方には会いに行かねばならないだろう。
……ここで、不安なのは、私がライダー侯爵とは違い、当主として不足ばかりの人間であるという事だ。長年安心出来る主だっただろうライダー侯爵を領主様と接していた彼らが、侯爵と比べれば年端も行かない、実力もない、特出した才能もない女を主と思ってくれるのだろうか、という事である。
会った事もない彼らに対して、勝手な想像をしているとは思う。だけれど、そこが一番不安だった。無言で見下されるぐらいならまだ良い。だが反発したり、もし、私を舐めた結果領地の状況が悪化したりしたら……子爵位を譲ってくださった侯爵夫妻の顔にも泥を塗ってしまう。
そして三つ目は。
……三つ目、が。
――「ラングストン女子爵。貴女への感謝は、言葉だけでは到底足りません。どうか形として、行動としてもお礼をすることをお許しいただけませんか……?」
……私が勝手に気に入って贔屓にしていた画家、ガーデナー。彼の人の正体だという、ウェルボーン子爵。
その人とただ出会っただけならば、まあ、彼を贔屓にして作品を購入していたのだから、いつか訪れる事だったのかもしれないと思うだけですんだ。
だが彼から、何故か共に出掛ける事を望まれた。……どうして私はあの時、受け入れてしまったのだろうか。そう後悔ばかりしている。
ウェルボーン子爵が嫌いだという理由ではない。そもそもまだ一度しか会っていない相手なので、好きも嫌いもない。だが……あの時の彼の言葉を信じるのであれば、私がウェルボーン子爵と共に出掛ける先は、コーニッシュ公爵家が行きつけとする店のはず。
貧乏伯爵家の娘として育ち、侯爵家に嫁いだ後も美術館などを巡る以外は屋敷に籠っていた私には、あまりに……あまりに難しすぎる、行先だ。だって、簡単に想像できてしまうのだ。店に入り、場違い過ぎる場に来てしまったと気を遠くする自分が。
「でも今更……」
お断りできるはずもない。一度受けたのに、用事があるわけでもなく断るなんて……失礼過ぎる。
それにそんな事すれば、ウェルボーン子爵と私の共通の知人でもあるブロック館長の顔を潰してしまうのではないか。
だが、やはり私なぞと行ったら、ウェルボーン子爵の顔すら潰してしまうのではないか。
最早どう対応したらよいのか、何も分からない。三つ目の悩みに比べれば、まだ手順がはっきりしている国王陛下との謁見の方が簡単かもしれないと一瞬混乱してしまったほどだ。冷静になれば、陛下との謁見の方が遙かに重要で失敗が許されない事なのだけれど。
そんな風に、主に三つの悩みに加えて、小さな事を拾い上げてはあれこれ悩むのが、最近の私になってしまった。落ち着いて芸術を観賞する余裕もあまりないが、今まで購入した作品たちを無心に見つめるのは、数少ない私の落ち着ける時間でもある。
■
自分でも飽きないのかというほど悩み続けていた私の元に、メラニアが商品の納品という名目でやってきたのは、更に数日後の事。
納品ついでにお茶を飲まないかと誘ったのは私だったが、相変わらず人をよく見ているメラニアに「何をそんなに悩んでいるの?」と尋ねられ、ついつい素直に喋ってしまった私が悪かった。
「あらアナベル。そんなに頭を悩ませているのなら、ブロック館長にご相談すれば良いわ」
「メラニア……」
メラニアは私の悩みに対して、簡単にそう言い放った。
額を押さえる私が目に入っていないのか、メラニアはどこか楽し気な様子で言葉を続ける。
「ブロック館長であれば、きっと良い考えを出してくださるわ。流石に、爵位授与式の儀式を教えられる伝手は私のところにも……探せばあるかもしれないけれど、気軽に頼める方はいないし。領民との付き合いもそうね。ああでも、ウェルボーン子爵とのデートは任せて! ドロシアにも言って、最高のドレスを用意してあげるわよ! それか、今持っているドレスの中から最高の組み合わせを見繕っても良いわね。ドロシアの作ったドレスはアナベルの魅力をより際立たせてくれる物ばかりだもの、ウェルボーン子爵も気に入られるわよ!」
「メ、メラニア! もうっ、やめて、本当にやめてっ」
一人で勝手に盛り上がっているメラニアに、私は頬が熱くなるのを感じながら首を振った。あまりに激しく首を振ってしまい、ジェマがまとめてくれた後ろ髪が顔に当たった。
「あら。私、アナベルがすぐに打てる手で、一番堅実な事を提案していると思っているわよ?」
メラニアはジェマが用意した紅茶を飲みながらそう言った。
「そ、それはっ…………」
頷いてしまいそうになって、慌てて、もう一度首を振る。
「だめよメラニア。ブロック館長には、あれほどご迷惑をおかけしたのよ?」
忘れられる訳もない。
私の実家の、父親の愚行から始まった贋作問題。完全に父が悪いだけの我が家の事情について相談した結果、心の広いブロック館長はとても危険な形で私の実家を助けて下さった。
一生の恩だろう。どうすれば恩返し出来るのかすら分からない現状なのだ。だというのに、更に個人的な理由で迷惑などかけたくない。
そう説明してもなお、メラニアは「館長に相談するべきだわ!」と主張した。
「いつまでもあれこれ悩んで無駄に時間を消費して良いの? 儀式も領民への挨拶もウェルボーン子爵様とのデートも、悩んで動けないでいるうちに期日が迫ってくるのよ? 貴女が困っているという話を聞いてあれほど親身になってくださった方なのだから、貴女から相談を受ければブロック館長の問題のない範囲で答えを下さるわ」
「わたっ、私は善良な一客でいたいのよ、メラニア! もう遅いかもしれないけれど。少し遅いかもしれないけれど、今からでも良いから館長に何のご迷惑もかけない、良いお客でいたいの!」
「まあっ。それで駄々こねて貴女自身が大恥かいたら意味ないでしょっ。そもそも炎夫人を借りてこられるほどなのよアナベル、貴女館長から気に入られているのだし、絶対ご相談するべきだわ!」
「好意に縋って重りになんてなりたくないのっ!」
きゃんきゃんと私たちは言葉を交わす私たちの言い合いは、ジェマが追加で持ってきてくれた茶請けのお菓子を食べるまで続いた。美味しいお菓子に私たちはコロリと先ほどまでの言い争いなど忘れて、また次の雑談へと話は移動していったのだった。




