【03】些細な自問自答
メラニアの事を勝手に見下し、勝手に彼女に負けた気分になった私の心など知らず、彼女はそれからも私をよく外出に誘ってきた。
実の所、最初以降私はメラニアにもう会いたくないと思っていた。
幸せな彼女を見るたびに自分の現状と比較して卑屈になりそうであったし、お喋りな彼女とはいえ話している内につい、自分の事を喋ってしまうかもしれないとも思ったからだ。
……何より、彼女と会う事で自分の中の醜い、汚い、弱い自分をこれ以上直視したくなかった。
だがメラニアはそのような事気にしない。
次から次へと送られてくる誘い。それを断ってどこかに出かける事も出来ず、結局一回、また一回と彼女と出掛けた。
最初は次で止めよう、なんでまた来てしまったのだろう、もう来るのは止めよう、次は断ろうなどと考えていたのに……ズルズルと付き合いが続く。
再会してから三か月ほど経ち、その間にも彼女といくつかの美術館を見て回り、音楽祭に参加し、劇を見た。
何もすることのない私と違い、メラニアには嫁ぎ先での仕事がある。だから毎日彼女に会っていた訳ではないけれど、私の体感では、二日に一回ぐらいはメラニアに会っていたような気がしていた。実際には、週に一回ぐらいだっだのだけれど。
メラニアのお陰か。以前よりもずっと気が楽だった。
屋敷にいても、外にいても、自分のこれから先を悲観してばかりだったけれど…………最近は、あまり考えなくてすんでいる。……考えていないから、解決する方法も見つからないんだけど。
そんなある日、いつものようにメラニアから出掛ける誘いの手紙が届いた。
――親愛なる アナベル
今度、カンクーウッド美術館で展示会があるの。私、買いたい絵があるのだけれど、良かったら一緒に絵を観に行かない?
――貴女の友 メラニア
最初のころは形式をよく守っていた手紙も、最近では結婚前、デビュタントをしてすぐの頃を少し思い出す手紙となっている。お互いに結婚した身である事を考えれば良くないのだろうが、私個人としては今よりも過去の気分になれて、こちらの手紙の方が好きだった。
使用人に用意してもらった用紙に了解の返事を記し、出してほしいと言付けて手紙を渡すと、出掛ける日付を尋ねられる。今では私がメラニアと出掛けるのは日常になっていて、使用人たちにとって主人の行動を把握するのは重要な事だ。なので勿論、隠す事なく日付や時間帯、向かう場所も伝えておく。
■
カンクーウッド美術館は王都有数の美術館で、規模は勿論の事様々な歴史ある美術品も見る事が出来る。私も既に何度か足を運んでいる。
初めて赴いた時は、普段から展示している作品全てを一巡するのに半月ぐらいかかってしまった。勿論、当時の私は一つ一つの作品の前で腰かけて考え込んでいたというのが、その長期間の原因の一つだけれど。
その時以外でも、度々私はカンクーウッド美術館は訪れていて、その間に展示会は何度も見かけていた。
展示会というのは、名前の通り、美術館が主催している芸術作品の展示を行っている場な訳だけれど、カンクーウッド美術館の展示会は特に有名だ。
規模は勿論の事、集められる作品の多種多様さが理由だろう。
古い有名な作家の作品や、ある程度名の知れた作家の作品だけを展示している美術館は多いが、カンクーウッド美術館では権威のある作風の物から現代の流行の物、有名な者から無名な者まで、幅広く作品が集められ、展示されている。
週末、私はメラニアと共にカンクーウッド美術館を訪れた。
入ってすぐの背の高い中央ロビーを横切り、メラニアと共に展示会場となっている西四番のホールを目指した。展示会そのものは何日か前から行われているからか、来客の波はそこそこに落ち着いている印象だ。
今回の展示は絵画がメインのようで、殆ど絵画が並んでいる。作品の大きさは様々で、0号や1号などの女性でも楽に持てそうな小さいサイズの絵画から、30号や50号に届くだろう大型の絵画まで壁に並んでいる。
「アナベル、向こうだわ」
ついいつものように入り口にかけられている一枚目から見始めてしまった私に、先に進もうとしていたメラニアがそう声をかける。私は一言メラニアに謝罪をして、彼女と共に奥へと進む。
「あったわ、あれだわ」
メラニアの言う先では、数人の先客たちが一枚の風景画の前に留まっている。そのすぐ横には美術館の館員が一人いて、周りにうるさくない程度の声量でその風景画について説明しているようだった。
どこの風景かは一目でわかる。
チィボン橋だ。
王都の南のカンラ川にかかっている桁橋で、王都南部の入口で、王都を出入りする人にとって、王都の顔でもある。
「よろしいかしら」
館員が他の客に説明を終えたところで、メラニアが話しかける。
「こちらの絵についてですけれども」
メラニアは手元の小さなカバンから、封のしてある手紙を取り出し、館員に渡す。館員はそれを恭しく受け取り、胸元に仕舞い込んだ。
「確かにお受け取りいたしました、アボット夫人」
「えぇ、よろしくね」
メラニアはそれだけで、くるりと絵に背を向けた。
「見ないの?」
「手に入ればいくらでも見れるわ」
メラニアの言葉から、私は彼女があの絵にかなりの額を付けたのだろうと思った。
展示会は普段の美術館と同じく見て回るだけでも特別支障がないが、その中でもし気に入ったものがあれば、美術館の人に自分が買い取る希望金額を伝えておくと、後々買えるのだ。
非売品もあるけれど、展示会に並べられている作品は、売り出しも兼ねている事が多いので、殆どの場合購入できる。
ただし絶対ではない。
もし複数人の買取希望者がいた場合は、展示期間の終了後に作家と美術館が話しあってどの相手に渡すか――売るかが決定する。オークションとは違い、水面下でのやり取りとなるので、あまり表に出たくない人でも作品を手に入れやすい利点がある。
だがオークションと違い、いくらで買い取れるのか……というのは、大体の相場はあっても確実ではない。オークションのように目の前で値段が提示される訳ではないから安心は出来ないのだ。
展示期間が終わった後に連絡が来て初めて買い取れたと分かる……つまり連絡が無ければ買い取れなかったという事。
結果でしか分からないし、誰に売ったのかも教えてはもらえない。そのあたりは欠点と言えるだろう。
思い入れが強く確実に欲しいと思うのならば、他人がつけそうにないほど高価な額を入れるのが安全だ。
そうまでして高額をつけても、買えないこともある。芸術家本人が誰に売るかの決定をするからだ。
ほとんどの場合は最も高額をつけた人に売るが、時折それ以外の理由で売る先を決める芸術家もいる。
展示会で絵にしろ彫刻にしろ買うのは、そんな風に難しい。だから自信満々なメラニアはすごいなぁと私は思った。
「どうかしたの、アナベル。なんだか遠くを見ているわ」
「メラニアが凄いと思っただけよ」
「凄い? ……いやだぁ、展示会に来たら何か買うじゃない。アナベルだってそうでしょ」
「そうなの?」
展示会に、絶対に作品を買わねばならない決まりはない。だから私は普段美術館で作品を観るのと同じ気持ちで眺めていて、買おうと思ったことは一度もなかった。
立ち止まった私に、メラニアも足を止める。私の考えを察したのかどうかは分からないが、メラニアは頬に指先を当てて少し首を傾げながら言った。
「ううん? ……うーん、決まりがある訳ではないわ。でも貴族とか、地位のある人の多くは、何かしら値段をつけて行く事が多いわ。マナー……と言ってしまうと流石に違うわね。暗黙の了解という感じ? 特に貴族は、美術品を沢山持っていて困る訳でもないものね」
普通の貴族夫人は、家に客を招く事が多い。そしてその時にセンスの良さを相手に感じさせるために様々な趣向を凝らす。
毎回同じでは当然ダメで、よほどお気に入りのものを除けば、その日の天気や季節、政治の風向き、招待している客などを加味して壁の絵画や招待する部屋のカーテン、敷物、果てはテーブルに椅子に使うカップやなどまで気を使う人もいるという。
私には関わりの無い事だし、屋敷の中にあまり沢山物を増やしても、置くところがない。あれこれといじって、また、ブライアンに怒られたら……。
「あら、そんな不安そうな顔しなくていいわよ。決まりがある訳じゃないのだし、貴族夫人の中には夫の許可のない買い物が殆ど出来ない人だっているもの。でも余裕があるのなら、無理して高額である必要はないから、手軽な物を買って帰るのも良いと思うわ。家の中に新しい芸術品が飾られるのは、雰囲気も変えれてオススメだし。ほら、素敵な絵をベッドの側に置けば、寝る前も起きた時も、素敵な物を見れるでしよう?」
メラニアの言葉にハッとする。私は別に、買い物をする事は禁止されていないのだ。貴族の家の権利は、家長たる当主が握る。つまりは夫が握るということ。
私の状態で言えば、家全体の権限はまだ義父であるライダー侯爵様のものだけれど、今現在王都の屋敷で権利を行使しているのは、ブライアン。だからこそ私はブライアンの怒りをこれ以上買わぬようにしなければと思っている。
けれどそのブライアンが、他でも無い彼が、私に普通の範囲内ならば好きに金は使えばいいと言った。……確かに言ったのだ、彼は。
これまでは彼から本当に愛している人が別にいることなどを告げられてぼんやりしてしまっていたのだけれど、私には今、お金はあるのだ。だって今までも、普通に、買い物をしていたじゃないか、使わない服とかも……。
ブライアンはおそらく私が買った物に気を使っていない。
もし細部まで気にしているのなら、何かしら言ってきてもおかしくないほど、私は買っている。
そこまで考えて気が付いた。
……私が使えるお金って、どれくらいあるのかしら。
全く知らない。知らないでお金を使っていた!
誰にも何も言われていないから大丈夫だと思うのだけれど…………いいえ。記憶が蘇ってきた、突然に。
私にとっては思い出したくもない、屋敷の外に出られなかったあの半年間ぐらいの期間。
あの間、ただただ屋敷にいて何もしないでいた私に、家令の方や、執事のギブソンが、しきりに商人を呼んだらどうだろうと語りかけてきていた。
……あの時はなんと返事をしたのだろう。凄く中身のない「ええ……」という相槌のようなもので返事をしていた気がする。
結局商人が呼ばれる事はなかったから、使用人たちは勝手に商人等を呼んだりはしなかったのだろう。
…………服を買っても何も言われなかったのなら、絵画を買っても、何も言われないだろうか。
「部屋に飾る絵なら、怒られないかしら……?」
ブライアンが、私の部屋に来るとは思えない。夫婦の寝室は埃を被るような状況(実際には使用人たちが掃除をしてくれているので、いつでも使える状態だろうが)であるし、彼は恐らく私の部屋に興味などない。もし私に用事があるのなら、呼び出してきて終わりだろうと思う。
なら買っても…………良いのでは…………?
お金を使う事を禁じられていないのだし…………良いのでは…………?
心の中で自問自答を繰り返す私には、最早近くにいるメラニアや付いてきている従者の声等聞こえていなかった。
「アナベル? アナベル? …………駄目だわ、始まっちゃってるわね」
「気分が悪くなられたのでしょうか。すぐに馬車を前に回します!」
「ああいえ、その必要はありませんわ、従者の方。アナベルの……癖みたいなものですよ。少し深く考え込む時に、周りが見えなくなるんです。そういう時は少ししたら会話が出来るようになりますから、このままにしておいて大丈夫です」
「さ、さようですか……」




