【25】飾られて三年目の日常
ここから一章ラストまでの流れは短編版と一緒です。早く先の展開が読みたいという方は短編版をご覧ください。流れは一緒ですが設定は異なる部分があります。
三度目の春は、結婚してから最も明るい春だった。
私の誕生日には家族やメラニアからも祝いの品が届き、ギブソンやアーリーン、ジェマにジェロームたちという使用人の皆に祝われて、私は二十歳になった。
冬が終わり春が到来すると共に、夫の関心は私から外れたらしい。もしかしたらギブソンが上手く執り成してくれたのかもしれないが、彼は細かい事は教えてくれなかった。
結論として、私はまた好きに劇場や美術館へと出掛ける事が出来るようになった。
三度目の夏も、楽しい日々だ。
絵画を見て回り、演劇を観賞し、音楽会で音に埋もれる日々。
とにかく私には、時間と金があった。
時間は言わずもがな。貴族夫人の仕事である茶会や夜会に出掛ける事も一切ないうえ、屋敷を取り仕切る仕事もギブソンたちや家令のソラーズたちが実質的には行っている。客を呼ばないので、屋敷の中は私の好みに整えるだけでよく、仕事らしい仕事は特にない。
お金の方も……昨年は夫の不興を買ったのだから、使えるお金を減らされるのかもと思ったのだが、特にそのような事はなかった。お陰で私は芸術三昧出来たし、家族に御祝いの物を贈る事も出来た。
素人の芸術鑑賞も三年目になれば、少しは好みというものも出てくる。女優や俳優、歌手たちに応援の気持ちを少し込めて花を贈ることを継続していた。
最初は画家で選んでいなかったのに、今ではもう素敵な絵画が同じ画家のものだったのか、それとも好きな画家だから素敵に見えるのか……どちらが先か分からないほどだ。
人によっては、それでも使えるお金が少ないと感じる人もいるのかもしれないが……元貧乏伯爵令嬢でしかない私にとっては、本当に湯水のごとくお金がある状況で。しかも、冬の間は一切動かないでいた事もあってお金は溜まる一方だったから、多少の散財で痛む腹もなかった。
それから……私の趣味とは関係ないけれど、服も随分と量が増えてきた。
社交もしないのに新調する意味があるのかと思っていたのだが、シーズンが変わる前にはドロシアーナから狙ったように手紙が来ているマメさに応えたくて、毎度買ってしまっている。何せ毎度わざわざ私の屋敷までやってきて採寸などを行いたいと言ってくるのだ。こちらから赴くと言っているのに、お客様に御足労頂くなど出来ないと言われてしまっている。どうして……? まあドロシアの真面目な性格はさておき、世間の流行など知らない私なので時折「これが流行りなのね……?」と思う事はあれど、彼の作るドレスはどれも素敵だ。最近、演劇や音楽会に来ている人々もドロシアーナのドレスを着ているらしく、よく見かける。きっと売り上げも好調なのだろう。
「アナベル、こちらよ」
少し先を行くメラニアに続いて、私も案内された座席に入る。
今日はメラニアに誘われて、劇場アデラのボックス席で演劇を観賞する事になっていた。二人用の座席は狭い。普段はもう少し広くて余裕のある座席を選ぶ事もあるのだけれど、今は社交シーズン真っ盛りという事もあり王都に滞在している人がとても多い。それにつられて、どこの劇場も席を取るのが一苦労という状態であった。
メラニアはいつの間にかアデラでいつも演劇を披露している劇団と懇意になっているらしく、今回の新しい劇の席を二人分取ってくれて誘ってくれたのだ。
「ふふ、ドロシアもすごいやる気に満ちていたのよ」
懇意にしている内容の一つに、劇団に演劇用の衣装を提供した事があるらしい。
すべての衣装ではないが、特に女性のドレスはドロシアがデザインしたという。そこも楽しみの一つだ。
「始まるわね」
メラニアの言葉と共に、会場中に拍手が満ちる。観客たちは誰もが舞台の上に今から広がる架空の世界に集中した。
――演劇の流行の主流は、まだ白い結婚を強いられた貴族女性の奮起物語から変わっていない。ただし定番の物語の展開は最早皆見過ぎている事から、少しずつ切り口が変わったり、主人公の女性に異なる設定がついていたりと面白い。
そう、面白いと思えるぐらいに私はなっていた。
最近ではもう、「この話はこんな風なのね」と思うぐらいである。この主人公の立場は私よりマシだなとか。私の状況は彼女より酷いなとか。この主人公が私の立場だったらきっと早い段階で暴れて戦いになっていたなとか。そういう風に思いながら、笑えるようになっていた。
結局のところ演劇は演劇でしかない。同じ物語でも演じる俳優女優の違いで雰囲気が異なってしまうのも面白い。同じ歌でも、どこに力を入れるかで全く別の歌のようになってしまうのだから、本当に演じている人々は凄いと思う。
演劇を見ている内に思ったのだが、やはり私はかなりマシな扱いを受けている白くない結婚だろう、という事だ。――うん。白くない結婚。最近私の中で流行っている言葉だ。誰にも使えないので、心の中で一人で使っているだけだが。(劇場などで)流行りの白い結婚――と殆ど同じ状況だが、夫と行為を行い処女ではないので、白くない結婚という訳だ。面白いと思う。中々面白いと思う。……面白いよね? とたまに誰かに確認したくなるのが良くない所だ
話を戻すが、夫の機嫌が上下するポイントは今でも分からないしそれをコントロールするなんて能力は私にはないのだが、どちらにせよ殆ど放置されている。帰ってくる時があっても、私に会いに来る事はない。もし疎まれている相手と毎日顔を合わせて悪意ある言葉をぶつけられなくてはならないとしたら、きっととっくに私は心が駄目になってしまっているだろう。
それから、夫の本命である恋人に未だに会った事がないという事も恵まれている点だ。ちなみにギブソンたちも会った事がないらしい。……夫の事を愛していた結婚当初ならば違う風に考え判断したかもしれないが、今となってはこのまま会わないままでいるのが一番平穏である。一人の男性の愛を求めて複数の女性がいがみ合うなんて、物語の中ならば良いが現実にしたくない事だ。
何より一番嬉しいのは、やはりお金に自由があるという事だろう。夫は約束通り生家への金銭的援助も続けてくれている。
『そういえば、子供はまだなのかしら』
……劇の中で、主人公が義理の両親から詰め寄られているのを見て、私はその問題はあったな……とメラニアからは隠れて額に手を当てる。後ろにいて、付いてきていたジェロームが動きそうだったので、問題ないと手を振る。
そう。子供。これでも結婚して三年目だ。一部から、そろそろ子供を……と望まれ始めている。
劇では義理の両親から主人公は問い詰められていたが、今私は自分の家族から尋ねられていた。誰かと言えば、妹たちである。
弟のフレディは社交シーズンでとても忙しくしているので最近やり取りをしていない。両親は子供に関しては天からの恵みだからというスタンスで、催促らしいものがない。一番に子供を望むはずの義両親からの手紙は夫が回収しているようなので、どう言っているかは分からない。分からないので特に催促されていないに加えて良いだろう。
一方で、妹たちは私が幸せな結婚をしていると信じているようだった。二人ともまだ社交には出ておらず一日家にいるから、社交界での私の話も聞いていないのだろう。それもあり、子供はどうなの? と尋ねてきている。友人関係ならば逆に尋ねにくい話題だから相手から避けているだろう(実際、メラニアから子供について聞かれた事はない)。だが姉妹であるが故に、そのあたりの躊躇いがなく手紙でまっすぐに聞いて来られている。
「どうしたものかしら……」
『どうしたものかしら!』
おっと。意図せず主人公と同じ言葉が漏れてしまった。もう少し劇に集中しよう。
――劇は素晴らしかった。物語の大筋はそこまで特別ではなかったのだが、やはり演者だろう。
「グレンダの歌、良かったわ」
「ジョルジーヌとのデュエット、過去一の出来だったわ!」
私とメラニアは二人でそんな事を言ってはしゃいだ。
かつて音楽会で意識したグレンダ・サムウェルは今回、主役の役を手に入れていた。メラニアが応援しているジョルジーヌは今回の舞台での助演のような立場で、二人は嫁いできた嫁と義母という関係だ。最初は敵対していた二人だが、次第に嫁いできた女同士、友情のようなものが芽生え始め……という物語である。
「それにしても」
とメラニアが話を変える。
「最近思うのよ。なんだか嫌な男ばかり見過ぎて、素直な物語が見てみたいって」
「気持ちは分かるわ」
とてもとてもわかる。私は深く頷いた。
そろそろ、そう、そろそろこの白い結婚ブームと言っても良い流行、終わっても良いのではないかと思うのだ。もう、それこそ丸三年ぐらいはこの流行が続いていると思う。
言っては悪いが殆ど悪人とされているのは男性だ。貴族男性からの受けがかなり悪いのだと思うのだけれど……。
「平民に人気が高すぎて、止めるに止められないみたいなのよね」
メラニアが語るところによると、敵をやり込める痛快な物語の展開が、貴族社会で繰り広げられているという所が平民的に面白い所のようだ。
どの物語も貴族の常識や貴族だからこそ知りえている知恵などを一ひねりして扱っている事が多いので、そのあたりも人気が高いらしい。
何より、大概の場合嫌な奴をやり込める強い味方がいるか、自力でやり込める事が出来る女性が主人公なので、ハッキリキッパリやり込めてくれる。
「たぶんそこが一番重要なのでしょうね」
とメラニアが言っていた。
……敵をやり込める、か。
私の場合は夫をやり込めてコテンパンにしてしまう訳だけれど……正直、そんな事思いつきもしない。
一番の理由は……やり込めた先を、私は想像できない事だ。
幼い頃から、嫡男がいたので私が家を継ぐという未来はなかった。商売を行って独立するような才覚もない。どこかに嫁いで、嫁ぎ先で迷惑をかけずに夫人の役目を全うし、実家を助けられたら……位でしか考えた事がなかった。
意図せず、愛する人と幸せにお金に困る事もなく結婚出来た――と思いきや、その内情は白くない結婚である。妻としては蔑ろにされてまっとうな社交は一つも許されない。
馬鹿にされている。それは分かっている。だが夫をやり込めて、今の一般的に不遇な立場から回復したとして……夫と離婚して……どこへ行けば良いのだろう?
実家? 今更出来る訳がない。
むしろライダー侯爵家と離縁した後実家に帰ったら、余計に迷惑がかかってしまう。
他の人間関係だって……ブロック館長や、他の館長たちとの関わりだって、私の力で結ばれた物は何一つないのだ。私にライダー侯爵家が持つ財力という後ろ盾がなくなれば、きっと関わる事だってなくなるだろう。
修道院等に行くのも、簡単ではない。ある程度お金を必要とするだろう。そうなれば実家に頼るのは難しいから、今手元に集めた絵画や像も、お金がないと売り払わなくてはならない。……いや、そうならなくても修道院に入るなら保管しておけないし、売り払うしかなくなるだろう。
「ふふふ……お金のことばっかりね」
「何か言った?」
「いいえ。独り言」
なんてことはない。どこへ行けば分からない……なんて少し詩的な事を言う前に、一番の理由は出ている。
お金だ。
私は、妻として蔑ろにされる事よりも、その条件で手に入れているお金を失う事の方が恐ろしいのだ。
あまり醜すぎて、なんだか笑えて来る。
だが、醜い自分について卑下して悦に入るなんて、一人で出来る事だ。今メラニアと共にいる時間を、そんな事に使うのはもったいない。
私は自分の思考をそっと頭の中で布に包んで封をして、時間一杯メラニアと会話を楽しむことを優先した。
「そうだわアナベル。帰る前にカンクーウッドに行かない?」
「構わないけれど……ああ、展示会を観に行くの?」
「ええ。私まだ観に行ってないのよね。アナベルは?」
「私もまだよ」
「珍しいわね。貴女なら初日に行っているかと思っていたけど」
「初日は……混雑するでしょう?」
今は社交シーズンという事もあり、美術館に訪れる人の数も多い。だから自然と、来訪する時期が展示期間の後半になっていた。購入できる展示会の場合では、いつ購入を希望しても問題ないので、急いで観に行く必要もなかった。
そういう理由でまだ行っていなかったのだが、久しぶりにメラニアと訪れるのも悪くないだろう。ちらりと後ろのジェロームの顔色をうかがうと、彼はニコリと微笑んだ。問題無さそうだ。
そんな訳で私たちはカンクーウッド美術館に入館した。
最早美術館で働いている人の殆どとは顔見知りだ。完全裏方の方以外は、私も顔を把握している。いつも入口に腰かけている中年男性は、私たちの姿を見ると笑顔を浮かべた。
「ライダー夫人、アボット夫人、ご来館ありがとうございます」
「展示会を観に来たの」
「西四番ホールが会場となっております」
「ありがとう」
私たちは中央ロビーを横切り、西四番ホールを目指した。比較的夕方に近くなっていたとはいえ、まだ美術館の中には人の姿が多い。
ちらりちらりと、視線を向けられる気もするが、あまり気にしない事にする。私は女性にしては背が高いからか、こうして他人から視線を向けられる事が多々あった。
私とメラニアは展示会をぐるりと一巡して楽しんだ。購入したいと思った絵画はあったものの、今はメラニアと一緒に過ごしているから、彼女との関わりを優先したい。メラニアはここ最近、アボット商会の仕事が前と比べても忙しいようだったから、私個人の話は後からでも問題ないと考えたのだ。
そんな訳で二人で見た美術品の話をしつつ、美術館であまり長く会話する訳にも行かないのでまた別のお店に寄って少し会話を楽しもうか、それともここで解散にするか、なんて話をしながら出口に向かって歩いている時……遠くから、良く知った声が飛んできた。
「アボット夫人、ライダー夫人!」
私たちが振り返ると、そこにはブロック館長がいた。どうやら今日は館長がいらっしゃる日だったようだ。
館長は騒がしくはならないぐらいの速度の早足で私たちに近づいてきて、それからいつも通りの笑顔で軽く頭を下げられた。
「本日は当館にお越しいただき、誠にありがとうございます!」
「ブロック館長。ご丁寧にどうも」
「今回の展示品も素晴らしいものばかりでしたわ!」
私が簡易的に礼を取るとメラニアもそれに合わせて軽く礼をして、それからいつもの通り明るい調子で話し出した。まだ美術館の中なのであまり大きな声を出さないよう、そっと手に持っていた扇でメラニアの背中をつつく。メラニアもそれに気が付いて、そこから声のトーンが数段落ち着いた。
館長はそのあたりは特に気にしていないようで、心から嬉しそうな笑顔のまま話す。
「ありがとうございます。全てはお二人からのご支援あっての事でございます」
「ブロック館長はいつも腰が低すぎますわ。今回の展示品は全て館長の目利きで選んだと聞き及んでおりますわ。館長がいる間は、カンクーウッドは安泰ですわね」
「滅相もないことでございます。……もし何かお気に召した物などございましたら、どうぞ我が館員にお声掛け下さいませ。お二人のご希望でしたら、優先してお渡しする所存でございます」
ブロック館長の言葉に、メラニアは目を丸くする。
「まあ本当? ――と言いたいのだけれど。この前夫に叱られてしまいましたの。良い物を身近に置きたい気持ちは分かるが、飾るところが無いほど手に入れてどうするのだと。飾らないのでは芸術家に失礼だと。御免あそばせ」
「いいえいいえ! アボット夫人にわたった美術品は幸せでございます」
今回はメラニアは何も購入しないつもりのようだ。勿論必ず買わなくてはならない訳ではないが、買うつもりがないものを低額で指定して、「今回は購入しないが展示会には興味があります」と主張する事もある。今回、言葉は婉曲とはいえ断ったという事は、本当に夫にそう言い含められてしまったのかもしれない。
ブロック館長の視線がこちらに向く。
本当は今日、購入しようと動くつもりはなかったのだけれど……このような流れになったのなら、わざわざ隠す必要もないだろう。
本日美術館に展示されていた様々な芸術品――その中で、一等心に残った絵画を思い出す。
「ガーデナーの、小さなバラのような花が描かれた絵画がありましたでしょう? 花弁の色は白と紫でしたわ」
「展示No.45『リシアンサス』でございましょう」
私のあいまいな記憶から、館長はあっさりと作品を言い当てた。作者名は記憶していたとしても、ガーデナーは花や風景を中心に描く画家で、今回も展示している作品数が結構多かったのに、流石だ。
確認として、いつの間にか館長の後ろにいた館員の方が美術品一覧を見せてくれたが、間違いない。小さな花瓶にバラに似た紫と白の花が愛らしさと気品さを兼ね備えて咲いている。サイズも恐らく0号で、そう大きい物ではない。
「それを私の名で、そうね、15万デルで予約してくださいな。他に購入希望の方がいなければ頂きたいわ」
「いえいえ! 『リシアンサス』はライダー夫人にお渡しいたします」
「まあ、よろしいのですか?」
「勿論でございます。お屋敷に送るよう手配する形で宜しいでしょうか?」
「お願いしますわ」
「畏まりました」
館長と別れて、外につけられている馬車を目指して歩く。
「本当に好きねぇ、ガーデナーの絵。何枚目?」
「うぅん、枚数を数えてはないから分からないけど……でも、あの絵は私用じゃないわ。贈り物にしようと思って」
「贈り物?」
「ええ。少し気が早すぎるとは思うのだけれど……ジェイドの、デビュタントの祝いにしようと思っているの。来年の事だけれどね」
「ああ! そういえば、確かにそんな年齢だわ」
既に社交界にデビューしたフレディに続いて、来年は上の妹ジェイドがデビュタントを行う。今年の早い段階から、ブリンドル家の一番の注目ポイントはジェイドのデビュタントになっている。今までより金銭的に余裕がある事から、私の時とは違い新品のドレスも用意出来るだろう。私は母から譲られた古いものを、母と私の二人で仕立て直したけれど、そのせいであのドレスは私ぐらいに背が高くないと使えなくなってしまった。後の事を思うのならばあのように作り直すのはよくなかったけれど、母は後の事を考えずに私のためにドレスを直してくれた。それが凄く、嬉しかった事を覚えている。
ともかく、ジェイドがどんな姿でデビュタントをすませるかは……ブリンドル伯爵家が考えて決める事だ。父……はあまり頼りにならないが、母やフレディがどのようにするかを考えるだろう。私は姉だが、他家に嫁入りした身なので、あまり出しゃばりたくない。
だが妹には色々贈ってあげたくなる。なので、資産になるものを贈れればと考えた。あの子たちもいつか嫁ぐ訳だが、普通に愛されれば良いが、別の理由で後から居所が悪くなる場合もあるだろう。一番考えられるのは子供が出来なかった事か……。ともかく、そういう時、自分の意思で動かせる資産があるかどうかは大きくなると思うのだ。
一つ、この資産の出所がライダー侯爵家である所は、将来的な事を考えた時に不安でもあるが……。一応ギブソンにそれとなく確認した所、私が他所に借金を作るほど散財していた場合はともかくとして、現状のように予め定められた金額内でお金を使うのならば、咎められる理由はないし、購入した分だけお金の返金を求められる事は無いだろうと言っていた。言い方は悪いが、ライダー侯爵家はお金に困っていないから、借金を作って侯爵家の名を貶めたとかでもない限り、怒られる事はないだろうと。
そうでなくても、私は夫の望みであるお飾り妻の役目を果たしている。家族にだって……もしかしたら母には察されているかもしれないが、家族にだって本当の事は語っていない。使用人たちにだって、私から伝えた訳ではなく約束は守っているのだ。指示を守っているのだから、夫人として使えるお金を好きに使って、何が悪いのだ!
もし文句を言われたら、言い返す所存だ。本当に言えるかは分からないが、脳内での練習は万全である。
「アナベルはデビュタントの様子は見に行くの?」
「…………難しいわね。夫は、私が他の男性がいる所に行くのを嫌がるから」
建前だが、未だに「夫は妻を溺愛するが故に一切の社交をやらせない」となっているので、私は夜会にしろ茶会にしろ参加も開催も出来ない。なので最近の社交界の噂とかは、メラニアの方がずっとずっと詳しいだろう。私が彼女より詳しい事と言えば、芸術関連が多少……という所。それも、メラニアが商人の妻として仕事をしている時間も芸術に金を投げ入れているから詳しくなったというだけなので、胸を張れる事でもない。
普段であれば、私がこうして誤魔化すとメラニアはすぐに察したように違う話題をしてきていた。けれどこの日は、違った。
「そう、残念だわ。でも……前から思っていたのだけれど。アナベル、貴女の夫……言いたくはないけれど、少しちぐはぐよね。夫人である貴女を夜会も茶会にも連れ出さない。だけどこうして貴女が一人で外に出れるように、元気だわ。おかしいわ」
それを言われると痛い。
理由だって、私には分からない事でもあるし……。そもそも私はさほど頭が良いほうでもないので、そこを突かれると……苦し紛れで誤魔化すしかなくなる。
「そうかしら? 夜会も茶会も、相手と交流しなくてはならないでしょう? 私も、あまり得意ではないし……」
「アナベルの気持ちを慮ったにしても、貴女の夫も、ここ最近は殆ど社交界に出てきていないみたいだわ。……ねえアナベル、大丈夫?」
「大丈夫よ!」
「…………そう?」
「ええ」
メラニアが首を傾げたのに私は何度も何度も頷いた。お願いだからこれ以上食い下がらないでくれという私の願いが届いたのか、メラニアはそれ以上夫の話題を出すことを止めてくれたのだった。
屋敷へと帰り着いた私は、安堵で息を吐き出した。メラニアからあそこまでハッキリと夫の事を話題に出されたのは久しぶり……いや、初めてかもしれない。周りから聞かれる事も殆ど無くなっていたから油断していたなあと思いながら玄関ホールに足を踏み入れた私の元に、執事のギブソンがすっ飛んできた。
「若奥様、おかえりなさいませ。若旦那様がお待ちでございます」
「……誰が?」
「若旦那様がです」
「……誰を?」
「若奥様をでございます!」




