【15】ライダー若夫人03 (“ブロック”視点)
展示会終了後、無事に『デイジー』を引き渡した私は、ライダー夫人に売ったことは正しかったと感じた。
数度訪れた覚えのあるライダー侯爵家の屋敷は、侯爵夫妻が暮らしていたころより随分と静かで物寂しい雰囲気を纏っていたが、屋敷の若き女主人であるライダー夫人の姿はそっと咲いた花のようでもあった。
何か心境の変化があったのだろう。それを表すかのように、彼女が身に纏う服も化粧も、以前と雰囲気が違っている。
私が館長と知らなかったらしい件について謝罪されたが、私にとってはそれは些細な話だ。全く重要でない。
私にとって重要なのは、『デイジー』を差し出した時の、夫人の様子だった。彼女の目には一か月ちかく時を経ても、『デイジー』に対する熱い感情があった。そのまなざしから、きっとこの絵は大切にされるだろうという確信を得られたのだ。
――それからの事は、まさに驚きの日々だ。
何かをきっかけに、目覚めでもしたように行動する人間はいるが、ライダー夫人にとって『デイジー』を手に入れたのは、そのきっかけだったらしい。
それから彼女は様々な展示会に足を運んで、そこで気に入ったものを購入するようになったのだという。
やれうちの展示会にきてこの作品を買った。うちではこれを買った、と極めて小さなコミュニティの中で美術館の館長らが話し合った。金を渋る様子は特になく、たまにおすすめの作品を紹介してみた者もいたが、夫人がそのような物を買う事はどうやらなかったようだ。
カンクーウッドで次に開かれた展示会にも夫人は現れて、いくつもの作品に購入希望を出した。以前より本人も従者もかなり手馴れていた。
ある程度の話を聞く内に、一つ分かった事がある。
世間一般での評価というものを、彼女は全く気にしていないという事だ。
恐らく彼女にとって唯一大切な指標は、自分が心惹かれるか、ただそれだけなのだ。作家の名前を気にしている様子は殆どなく、時には届けた後に「あら、これもガーデナーの作品なの?」などと呟いているのを耳にしたこともある。変な言い方になるが、どこまでも個人の趣味として彼女は作品を集めているようだった。
『デイジー』を渡してからたった二か月ほどの間に、ライダー夫人は熱心な芸術を愛する貴族として、私が所属するコミュニティに認知されていた。それを好意的にとらえる者も、そうでない者もいたが、それこそ私にはどうでも良かった。
この二か月の中で私はライダー夫人に対して極めて好意的な感情を持つに至っていた。
それは彼女が購入していく作品の傾向から、彼女の感性――芸術の好みが、私と近しいと分かったからだ。
ガーデナー、ネイザー、クラックスを始めとした幾人かの芸術家たち。
才能は間違いなくある。私はそう信じている。
だが、世間に広く認められはせず、中々作品が売れないでいる者が多かった。特に、名前を上げた三名はその傾向が強かった。展示会で見向きもされず、最終的に画廊等に安く売るしかなかったりと……不遇な日々を送ったりしていたのだ。
良い作品だと思っているのだから私が買えばいいのかもしれないが、彼らが望むのはそういう形でもない。……いや、クラックスの場合は、ただ作りたい彫刻を作っているだけだろうが、ガーデナーにしろ、ネイザーにしろ、少なからず認められたいという感情があった。だが自分の作品は中々売れないという状況に苦しんでいた。
そんな彼らの作品を、ライダー夫人は気に入り、手を伸ばしていった。彼女が気に入った作品がある時は、見ていてなんとも分かりやすい。立ち止まり、目が輝く。素敵なプレゼントが渡された子供のように浮かれた様子になったりもする。
最初のころはライダー夫人がそんな風に購入していることを告げても、ガーデナーたちは半信半疑だったが、自分の作品を繰り返し購入するという実績を通して、一人の熱烈なファンが出来たという事を認識していったらしい。
不思議な話だが、定期的に売れ始めると、彼らの作品に手を伸ばすのはライダー夫人だけでなくなった。ぽつぽつとその他大勢の人間が、ガーデナーらの作品に目を向ければ、画廊に置かれていた過去の作品も価値が上がっていく。気が付けば、王都の芸術愛好家たちの中ではある程度の知名度を得るまでになり始めていた。
……やはり、自分と好みが似ている人間というものには、好意的になる。
彼女が同性であったり、もう少し年齢が近ければ、芸術について長く語り明かしたりもしただろう。
流石に親子以上の年齢差もあるだろう若い女性とそんな事はしないが、私が勝手に彼女に好意的になったり、親切にしたいと思ったりしても、何か問題が起こる訳ではない。
既にカンクーウッドの中でライダー夫人は重要な、優先すべき客の一人となっているのだから。
■
過去の記憶から意識を戻した私は、独り言ちた。
「…………断られたものの、私が勝手に伝手を使うのを禁じられた訳でもないな」
使用人を呼び、私は手紙を書き記す。宛先は、私が頼る事の出来る幾人かの人間だ。
私に相談を持ち掛けられた事を嬉しく感じると同時に、去っていく時のライダー夫人の表情は気にかかった。彼女の表情は、あまりに諦めに満ちていた。……他人に助けてなんてもらえないと、絶望している人間の顔だった。
前々から少し後ろ向きな所は見えたが、ここ数か月はそういう面が消え、明るい雰囲気を取り始めていたように思う。特に、アボット若夫人と共に歩いているのを見てからの夫人は、みるみる内にエネルギーに満ち溢れていた。きっと本来の彼女はそういう人なのだろうと感じたものだった。それが一瞬で消えてしまった……そんな風に思えて、とてもではないが放置は出来なかった。
確かにドリューウェットの『小麦畑』の本物を手に入れる事も、それに代わる作品を用意する事も難しい事だ。無理難題として諦める気持ちは分かるが、ライダー夫人の諦めは、そちらへの諦めではない。人間に対する諦めだ。
何。これはただ、個人的な趣味の問題だ。
虚ろに芸術を見つめていた頃よりも、輝く瞳で芸術に目を向ける姿の方が遥かに良いと思っただけ。
価値ではなく、絵そのものに眼差しを向ける姿が、惜しいと私が思った。だから勝手に、行動をしているだけの話だ。
「年を取ると、お節介になっていけないな」
などと呟きながら、そのお節介を止めるつもりなど、サラサラない。
このような性格のために、一部の若者からはうざがられるのかもしれないなと思いながら、私は書き終わった手紙を、朝一番に届ける準備を整えるのだった。




