84 ヨシャンカの夜風は冷たい
魔灯の明かりこぼれる暖かな宿、“海風亭”。
他の家々と同じく石によって建てられたその外観からは年季が感じられる。
ヨシャンカの町では一番人気の宿屋であり、巨鳥トーゴードの肉や卵を使った料理が自慢。
冒険者や行商人が主な客層であり高級感はない分、親しみやすい庶民的な雰囲気が売りの一つだ。
そして宿の女将は明るく朗らか。
どんな客でも暖かく出迎えてくれる。
暖かく、出迎えてくれる、はずなのだが......。
「さぁ、とっとと出て行っておくれ!うちを潰す気かい!?あんたみたいなのがいると、商売の邪魔なんだよ!」
そう言って玄関から外に出てきたふくよかな女性が、“海風亭”の女将ハリンナ。
首根っこを掴まれ、冷たい秋の夜風が吹きすさぶ屋外へ放り投げられたのが、黒髪黒目の旅の少女、エミーである。
冒険者ギルド出張所を出た後、ひとまず宿をとろうと“海風亭”を訪れたエミー。
はじめのうちは、遅い時間の訪問にも関わらず、女将ハリンナはエミーに対し、丁寧で暖かな対応をしてくれた。
幼い身の上でありながら旅をしているというエミーに、同情すらしてくれた。
しかし、エミーが頭に巻く布から零れる黒髪に気づいた瞬間、態度が急変。
あっという間にエミーは宿から追い出され、夜のヨシャンカをさまよう羽目になってしまったのだ。
びゅうびゅうと、ヨシャンカ特有の強い海風がエミーの体を冷やす。
その後、エミーは他の宿屋や食事処、食材を扱う商店などを回ってみたが、どこも対応はハリンナと似たり寄ったり。
夕食すらまともにとれず、エミーは現在ヨシャンカ中央にある公園にて、休憩をとっているところだった。
判断が、甘かった。
ちゃんと髪を隠せていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
布一枚では、鏡を持たないエミー一人で肩の下まで伸びる黒髪を隠しきるのは難しい。
町に来る前に、もっと短く切っておけば良かった。
エミーは反省した。
でもだって、せっかくキレイな黒髪なんだもの。
もったいないなと、思ってしまったのだ。
なまじ男爵家で人らしい扱いを受けていただけに、黒髪黒目がここまで拒否反応を受ける容姿なのだということを、割と失念していたエミーなのであった。
今日一日でエミーが呪い子であるという事実は町に広がってしまっただろう。
今更髪を切っても、もう遅い。
まぁ、四の五の言っても仕方がない。
パンパンと頬をはったエミーは気持ちを切り替え、とりあえず眠ることにした。
公園の生け垣の横に、ちょうど海風から体を隠せる場所を見つけ、エミーはリュックを枕に、そして頭に巻いていた布を毛布代わりに睡眠をとり始めた。
ごつごつとして冷たい石畳の上だが、野宿に慣れているエミーにとってはさほど気になるものでもない。
魔物に襲われる心配がないだけ、この公園は上等な寝床であると言えた。
◇ ◇ ◇
「......おい、起きろ。起きろ!」
何時間くらい眠っただろうか。
辺りは、まだ暗い。
頬を棒のようなものでけっこう強めにつつかれたエミーは、目を覚ました。
エミーを起こしたのは、若い男だ。
星々は曇り空に隠されあまり見えないが、ヨシャンカは小さいながらも、町である。
街灯が設置されており、その男の姿をぼんやりと照らしていた。
安っぽい鎧を着て、警棒のようなものを持っている。
その格好は、町の門に立っていた門番と同じものだ。
「......衛兵?」
「おう、そうだ。公園で浮浪児が寝ているって、詰め所に通報が入ったから、来てやったぞ」
誰かがエミーのことを心配し、通報してくれたらしい。
世の中捨てたもんじゃないなと、エミーは思った。
「通報までされてほっとけねぇからな。ほれ、さっさと立て。こっちに来い」
衛兵に警棒でつつかれながら誘導され、エミーは再び町の門までやってきた。
門の横に建っている衛兵詰め所は、今も明かりがついている。
急に起こされてイライラするけど、ここで寝かせてもらえるのは、ありがたい。
そんなことを、エミーは考えていた。
「眠いんだよ、こっちは。なんでオレが深夜番の時に、浮浪児なんて湧きやがる......」
あくびをしながらその衛兵は、がちゃがちゃと扉の鍵を開ける。
その扉は......詰め所の扉、ではない。
門の横にある、小さな通用口。その扉だ。
びゅう。
通用口が開くと、音を立ててそこから町の外へと風が抜けていった。
「ほれ」
あれ?
私、保護されたんじゃないの?
詰め所で寝かせてもらえるんじゃないの?
エミーは寝ぼけていた。
だからそんな都合の良い夢を見ていた。
しかし、現実はいつも通りエミーに厳しい。
衛兵に首根っこを捕まれたエミーはそのままぽいっと、ゴミか何かのように通用口から外へと投げ捨てられた。
エミーは浮浪児であり、呪い子だ。
まともに人間扱いされない。
がちゃん、がちゃがちゃ。
扉は閉められ、施錠された。
深夜に一人、町の外に締め出されてしまったエミー。
呆然と町の門を見上げる小さなその体に、夜風はびゅうびゅうと容赦なく吹き付ける。
ヨシャンカの夜風は冷たい。
世の中ろくなもんじゃないなと、エミーは思った。
◇ ◇ ◇
ヨシャンカの町は周囲を高い石壁で囲まれている。
強い海風から、そして何よりカイセの森からあふれ出してくる魔物から町を守るための、石壁だ。
魔境の近くにある町で良く見られる構造である。
そしてその近隣に広がるのは、強い海風に吹かれ背の高い樹木が育たない荒野である。
エミーは夜風に吹かれながら、石壁に沿ってその荒野をぷらぷらと散歩していた。
すっかり目が覚めてしまった。
びゅう。
ひときわ強い、風が吹く。
それなりに寒い。
身も、心も。
エミーは無表情のまま、一つため息をついた。
ヨシャンカの石壁。
エミーを拒絶するかのようにそびえたつその壁は、実のところ彼女にとってはなんの障害にもならない。
【紙魚】で登っても良い。
【飛蝗】で飛び越えても良い。
あるいは、殴り壊してしまっても良い。
いかようにもできる。
その程度の力であれば、エミーは7歳の小さな体でありながら、既に身に着けていた。
だけど、そんな力では越えられない壁。
心の壁?社会の壁とでも言うべきか。
ヨシャンカには、エミーには越えることのできない壁が、もう一つそびえたっていたのだ。
エミーはその壁に阻まれ、真の意味でヨシャンカの町に入ることは叶わなかった。
「ぐるる......」
夜風の音に交じり、獣のうなり声が聞こえてきた。
石壁から目を離し後ろを振り向くと、そこにいたのは狼の群れ。
緑色の毛色をした、それなりに大きな狼だ。
草原狼という魔物であると、エミーに脳内の声が教えてくれる。
ずいぶんと数が多い。
暗くて正確にはわからないが、30匹ほどはいるのではなかろうか。大規模な群れだ。
増えすぎた群れを維持するには、より多くのエサが必要だ。
そんなわけで、滅多に近づくことのない人間の町のすぐそばまで、やってきてしまったらしい。
彼らにとってエミーは、小さくて量は少ないが、無いよりはましなお夜食といったところか。
「ぐるる......!」
「がう、がう!」
狼たちが、よだれをたらしながらエミーを威嚇する。
エミーは、相変わらずの無表情。全く動じない。
既に、トポポロックのスタンピードすら単身で退けた実績のあるこの少女だ。
今更狼が30匹出てきたところで、何とも思わないのだ。
それどころか。
少し、減らしてあげよう。
何の気なしに、そんなことを考えた。
無造作に、石を拾って、投げる。
それだけで、一匹の狼の頭が破裂し、その後ろの射線上にいた数匹は体を貫かれ、もがきながら苦しんでいる。
「............」
エミーはやはり、無表情を崩さない。
しかし。
なんだか少し......楽しくなっていた。
突然の出来事にうろたえる狼の群れの中に、飛び込む。
狼を、下から上に蹴り上げる。
思いきり、殴りつける。
手刀で、あるいは目には見えない魔力の糸で、斬りつける。
思うがままに暴れること、数十秒。
たったそれだけで、草原狼の群れは全滅していた。
少し減らす、どころの話ではなかった。
辺り一面には血と肉が飛び散り、なかなか酷い有様だ。
「............」
その中に一人たたずみ、エミーは余韻に浸っていた。
昏い喜びに、浸っていた。
......気持ちよかった。
何も考えず、思うがままに力をふるう。
素晴らしく、爽快な体験だった。
しかし、すぐに我に返る。
今の自分は、どんな顔をしている?
もしかしたら、昼間に戦ったラブリーバニーどものような、あんな厭らしい笑顔をこぼしていたのではなかろうか。
エミーは怖くなった。
エミーは、ああいう厭らしい笑顔が、何よりも嫌いだった。
己を強者であると錯覚して、その力でもって獲物を好きなように嬲って良いと勘違いしているあの顔が、本当に嫌いだった。
べったりと血の付いた両手で、ぺたぺたと自分の顔を触る。
相変わらずの無表情であるらしい。
嗤っていない。少し安心する。
あぁ、だめだ。
もうだめだ。こんなこと、二度とあってはいけない。
気を付けよう。
そのまま、また頬を叩いて、気持ちを切り替える。
とりあえず、汚れを落とそう。
そして寝よう。寝床を見つけよう。
エミーは再びとぼとぼと、強い夜風にあおられながら、夜の荒野をさまよい始めた。
若干闇墜ちしかけたエミーちゃんでした。
......闇墜ちどころか、心の中には前世から既に相当の闇をため込んでますけどね。




