69 たまには前世の夢もみる
ぱちりと、目を開ける。
視界に飛び込んでくるのは、最近お世話になっている男爵様のお屋敷の一室......じゃないな、これ。
黒カビが生えた、汚い壁。
紙魚がそこらで遊んでいる。
隙間だらけの板張りの床。
窓のない部屋。
だけど、壁や天井の隙間から光が差し込むので、意図せぬ採光によりぼんやりと明るい部屋。
あぁ、これ、前世の私の部屋だ。
藍原瑠奈が、最後に預けられていたおうちの、物置だ。
と、いうことは、あれだね。
これは、夢だね。
明晰夢というやつだ。
私、というか藍原瑠奈は硬い床で寝たことによりカチカチに固まってしまった体を、うーんと伸びをしてほぐす。
ほこり臭い空気を思い切り吸い込み、深呼吸。
薄いタオルケットをたたんでのけて、もそもそと制服に着替える。
そして、そのまま学校へ向かう。
母屋には、顔を出さない。
酷い目にあわされるのが、目に見えているから。
とことこ、とことこ。
足が勝手に動く。
なんか、不思議な感じだなぁ。
この夢、藍原瑠奈の目線で進んでいく。
私は体を動かせない。
かつての記憶を追体験している、そんな感じだ。
今は、この夢の世界も夏の終わり、そんな季節なんだろうか。
夏休みが終わって、学校がまた始まった、そんな感じの季節かな。
すみきった青空。むこうにはもくもく入道雲。
時折吹く風が涼しくて、心地よい。
昨晩は雨が降っていたらしく、ところどころに水たまりがある。
瑠奈はおうちで鏡を使えないので、水たまりを使って手櫛で髪を整える。
無駄な抵抗だ。
いくらいじっても、頑固な寝ぐせはすぐに元通り。
ぼさぼさの髪、荒れた肌、細い手足、しわしわの制服。
華の女子高生とは思えないほどのみすぼらしさだ。
ま、仕方ないか!
にっこり笑って、諦める。
そうだ、そうだった。
私は藍原瑠奈であったときは、笑うことができていたのだ。
笑っていると、幸せになれるとかなんとか。
そんな感じのぼんやりとした風説をどこかで聞いてから、常に笑顔でいるよう意識していた。
結局、そのせいで周りからは不気味がられていたような気がする。
学校に行く途中の公園の水道で、顔を洗う。
うーん、すっきり爽快!
コツン。
うん?
「あ、やべっ!気づかれたぞ!」
「逃げろっ逃げろーっ!」
どうやら、ランドセルをしょった生意気小学生に、石を投げられていたみたい。
まったくもう、しょうがないなぁ!
藍原瑠奈は寛大な女の子であったので、そういうやんちゃも笑って許す。
抗議したって、どうせ無駄だからね。
学校に着く。
上履きがない。
しょうがないから来客用のスリッパを使う。
公務補のおじさんに見つかり睨まれたけど、気づかないふりをする。
教室に行く。
私の机の上に、花瓶。
うわぁ、誰か知らないけど、お花を活けてくれたんだねぇ!
きれいだなぁ!その辺の草花!
にこにこ。
誰が飾ったんだろう?
取り扱いには注意しなくてはいけない。
片づけたいけど、下手にさわると
「せっかく飾ってやったのに、なんで片づけるんだ?」
とかいって、責められちゃうかも?
どうしよう。
「おはよー!」
「美咲ちゃん、おはよう!」
クラスメイトたちは、にこにこしながら朝のあいさつ。
私もにこにこ。
空気の読める女の子だからね、瑠奈ちゃんは。
一人だけ辛気臭い顔して、教室の空気を悪くするわけにはいかない。
誰も私には話しかけてくれないけど、とりあえずにこにこ!
「うーっし、朝礼やるぞー」
担任の先生がやってきた。
先生の名前は、なんだっけ。忘れた。
「......おい、藍原ァ。なんだその机の上の物は」
あらら?先生に目を付けられちゃった。
「お花です」
「そんなもん、みりゃわかんだよ!なんで机の上に花なんか飾ってんだァ?お前、ふざけてんのか!この野郎!!」
野郎じゃないんだけどなぁ。
「ごめんなさい」
「『ごめんなさい』じゃねぇだろ!?」
「申し訳ありません」
「そうじゃねぇ!!」
先生は肩をいからせながら教壇から瑠奈の席につかつかと近づき、そのぼさぼさの髪の毛を掴んで、無理やり椅子から立たせる。
「謝る時はこうだ!クソが!テメェふざけた真似して、許されると思ってんのか!?あぁ!?」
そして、力任せに頭を押さえつけ、無理やり瑠奈に土下座をさせる。
「1時間目は、日本史だ。オレの授業だ。ちょうど良いからお前、ずっと土下座な。動くんじゃねぇぞ」
そして、先生は教壇に戻り、何事もなかったかのように生徒の点呼をとる。
クラスメイトたちも、私が誰に何をされたって、どこ吹く風。
これが藍原瑠奈の日常だった。
物心ついてから、異世界に魂を収穫されるまで、こんな毎日が続いていた。
瑠奈の父親は犯罪者だ。
たくさん人を殺したらしい。
犯罪者の娘が後ろ指を指されるという話は、聞いたことがある。
だけど、だからと言って、藍原瑠奈の日常はあまりにも過酷だった。
全方位、誰もが敵だった。
毎日肉体的にも精神的にも痛めつけられ、必死でにこにこしていた。
なんだったのだろう、あの毎日は。
人権意識もそれなりに発達していたはずの現代日本で、私だけは誰からも守ってもらえなかった。
今思うと、ちょっと異常な状況だったと思うな。
結局、瑠奈は土下座をやめることを許されず、そのまま日本史の授業も終わった。
休み時間。
珍しいことに、瑠奈に話しかけてくる男子生徒が一人。
クラスのリーダー、鈴堂翔太くんだ。
「藍原さん、話があるんだけど」
「何?」
にこにこ。
「昨日から、佐々木さんの国語の教科書がないんだよ。......君が盗んだんだろう?」
「は?」
鈴堂くんの後ろには、震えながら私を睨みつける小柄な大人しい女の子、佐々木さん。
「藍原さん、はやく返してあげてくれ。次の授業に間に合わないじゃないか」
「そうだぞ藍原!返してやれよ!」
「佐々木さん、かわいそう......」
そんなこと言われても?
瑠奈ちゃんは盗みとかしたことないし?
全くの濡れ衣である。
なんで瑠奈が犯人と決めつけられたのか、それは不明だ。
大抵、なにか都合の悪いことは瑠奈のせいにされる。
瑠奈の周りの世界は、そんな風にできていた。
全く心当たりもなく、佐々木さんの国語の教科書のことなんて知らないので、瑠奈は困惑しながらとりあえずにこにこ。
あぁ、思い出した。
そういえば、こんなこともあったっけ。
私はこの後、生徒指導室に呼び出されて、生徒指導の先生にぼこぼこに殴られて。
でも教室に帰ってみると佐々木さんの教科書はちゃんと彼女のロッカーに入っていて、それを彼女が忘れていただけで。
あぁ、なんだ良かったね、めでたしめでたし、で、この話は終わっていて。
私に対する謝罪とか、そういうのは当然なくて。
まぁ、仕方ないのでとりあえずにこにこして。
そのあとは廊下で上級生に因縁をつけられて、また暴力をふるわれて。
帰り道、ぼろぼろになった私を警察官が見つけて、私が誰かと喧嘩をしたとか、そんな話になって。
で、私が補導されて。
で、“家族”にまたボコボコにされて。
そんな感じの一日だった。
藍原瑠奈の一日としては、それなりに過ごしやすい部類の一日だった。
とにかく、私の前世はいつもこんな感じだった。
誰も味方がいない中、少しでも前向きに生きようと、にこにこ努力していた。
味方......。
あぁ、そういえば一人だけ、私を助けてくれた子がいたっけ。
すぐに行方不明になって、会えなくなっちゃったけど。
あの子の名前、なんていったっけ......?
◇ ◇ ◇
ぱちりと、目を開ける。
視界に飛び込んでくるのは、最近お世話になっている男爵様のお屋敷の一室......だな、これ。
カビなど生えていない、掃除の行き届いた壁。
紙魚という生物は、少なくとも私はこの世界で見たことはない。
少し古臭いけど、隙間なんてない板張りの床。
小さいけど、窓のある部屋。
窓から光が差し込むので、しっかりと明るい部屋。
目が覚めた。
「ふわぁ......」
ベッドから体を起こし、一伸びする。
思わずこぼれるあくび。
いやぁ、嫌な夢をみたなぁ。
最悪の目覚めだよ。
今世に生まれ変わって、やっぱり迫害されて、それなりにつらい人生を歩んでいるとは思うけれども。
前世に比べたら、はるかにマシだと実感したよ。
だって、今世には、少ないながらも味方がいる。
オマケ様がいる。
師匠がいた。
サラちゃんだって......。
「ッ!!?」
そうだ!サラちゃん!
サラちゃんはどうなった!?
男爵様は!?みんなは!?お屋敷は!?
<......む、ふわぁ......はッ!?あ、エミー!目が覚めたんですね!?>
お、オマケ様!
ねぇ、私クイーンを倒して、毒を受けて倒れて、そのあとどうなったの!?サラちゃんは無事なの!?
<お、落ち着いてください、エミー。私もあなたと感覚を共有しているのです。あなたが倒れてしまった後のことは、私にもわかりませんよ!>
慌ててベッドから飛び降りる。
私は、キレイな寝間着に着替えさせてもらっていたみたい。
ちょっと屈伸して、手のひらをぐーぱー。
うん、問題なく動く。
ってか、むしろ絶好調?以前よりなんだか、はるかに調子が良い?
<あれだけの戦いを経験しましたからね。また肉体が変質したのでしょう。どんどん強くなりますね。おめでとうございます、エミー>
ありがとうオマケ様!
でも、今はそんなことはどうでも良い!
サラちゃん、最後に見た時には倒れてたけど、どうなった!?
あ、あ、あと、それとッ!!
ぐぎゅるるるるるる......。
何!?なんなのこの、圧倒的な空腹感!?
<以前も説明した、肉体の変質に伴う副作用ですね。今回は命の危険を伴う死闘を経験し、クイーンの血肉を取り込み、魔力もほとんど空になるまで使い切りました。肉体が成長しないはずがなく、またそれに伴い強烈な副作用も......>
あぁぁ、もう、そんな説明はどうでも良いよぉぉ!お腹、お腹減ったよぉぉ!
とりあえず、目についた花瓶に生けてあるお花を貪り食う。花瓶の水も飲み干す。
うん、まずい!そして全然足りない!!
......ってか、違う!
お腹空いているのはどうでも良い!後でしこたまご飯をもらおう!
サラちゃんはどこにいる!?
私は耳をすます。
どうやら、2階、サラちゃんのお部屋に人が集まっているようだ。
とりあえず、そこに向かおう。
私は寝間着のまま、部屋を飛び出した。




