672 怒り
ルクトリアは、昇り始めた朝日に照らされながら思わず息をのんだ。
宝石のように輝く精霊の森の樹木、その生い茂る葉をかき分けて奥へ奥へと進んだその先にあった光景。
それが。
ボロボロに荒れ果てた、荒れ地だったのだから。
美しく輝いていたであろう、草花は......どれも千切れて萎び。
木々は滅茶苦茶に折れて、倒れ転がり。
地面は、そこかしこが抉れ、穴だらけ。
どす黒く変色した何かの木片が、散らばっている。
......ここで、凄まじい戦いがあったのだ。
昨晩......精霊の森の中にいたルクトリアは、おそらくこの地から鳴り響き続けた激しい戦闘音を、聞いていた。
星明かりと精霊の森の木々に照らされる、突如現れた巨大なシルエットも、見ていた。
だからこそ、その事実を、すぐさま理解した。
パキ、パキ、パキ......。
転がる萎びた小枝を踏み折りながら、ルクトリアは呆然とした心持ちのまま、荒れ地を進んだ。
これ程の、大破壊......それをなしたのは、一体どれ程の存在なのだろうと。
考えれば、考える程......恐ろしい。
でも。
「あはっ」
思わず、笑みが浮かぶ。
愉快でも、あったから。
何故なら、今やこの森に、精霊はいない。
あれだけ殺意と憎悪を燃やしながら森を進んでいたルクトリアだが、結局出会った精霊は下種な鼬一匹だけ。
それ以外の精霊には、出会っていない。
と、言うことは、おそらく。
精霊たちは......この大破壊を引き起こした存在と敵対し......皆、滅ぼされたのでは?
そんな憶測も、容易く成り立つ。
もちろん、あくまで憶測でしか、ないけれど......。
それでも、とにかく。
少なくとも、この森に住まう......あの、上位存在を気取る憎き魔構生命体共は、死に絶えた。
それは、確かな事実だ。
悔しいが、年齢不相応に実力はあれど“人間”の枠を出ていないルクトリアが、こうして森の中を奥地まで歩いてこれたのだから。
「あっはははは、ははははははっ!!」
一体、その死に様は......どんなだっただろう!
あの、威張り腐った精霊共は、どんな惨めな最後を迎えたのだろう!
想像すると、ルクトリアは、嬉しくて嬉しくて!
「ははは、ははは......はははははは」
嬉しくて......嬉しかったけど。
「ざけんな......ふざけんなァァーーーーーーッ!!!」
虚しくて......腹が立った。
やけになって森に潜り、結局彼女が狩ったのは、下種な鼬一匹。
たったの......一匹だ。
ルクトリアは、人生を滅茶苦茶にされたのだ。
だから同じように、精霊のことも、滅茶苦茶にしてやらなくては気が済まない!
今でも、胸中にはそんな思いが渦巻いている。
それなのに。
辺りを見回しても、やはりあの腹立たしい精霊共の姿は、一つもない!
勝手に、滅びやがった!
ルクトリアが、爪を立てる前に!
「............!」
ルクトリアは怒りのあまりに歯を食いしばり、ギリギリと音を鳴らした。
その上、だ。
ルクトリアは正直に言えば、やけになっていた。
命を投げ捨ててでも、精霊共に一矢報いる。
そのつもりだったのだ。
それなのに。
どん詰まりだと思っていた森の奥地にあったのは......これからも続く、彼女の人生であった。
喜ばしくも、彼女は死に損なった。
望む程の、戦果をあげられぬまま。
嬉しくて、腹立たしくて、悲しくて、虚しくて......。
「ああ、あああ......」
ルクトリアの胸からあふれ出した、名前のつけられないごちゃまぜの感情は、涙に変わって彼女の頬を伝った。
(少し、落ち着こう。気持ちを、整理しよう)
しかしルクトリアは、あの下種鼬いわく『英雄の器』。
拳で涙をぬぐうと深く息を吸い、すぐに精神を落ち着かせた。
脚を止め。
明るくなり始めた空を見あげ、息を吸ったのだ。
静かに......静かに。
故に。
<<<......おい!>>>
彼女はそんな、声を拾った。
あまりにも微かで小さく、歩いていては聞き取れないほどの【念話】だ。
ルクトリアは驚いて、声の出どころを探した。
するとそれは、存外すぐに見つかった。
それは。
どす黒く変色した木片に膨らんだ......小さな瘤だった。
いや、もちろん、ただの瘤ではない。
その瘤には、本来は美麗であっただろうと思われる......皺々に萎びた人面が。
それも......ルクトリアの、見覚えのある顔が、浮かびあがっていたのだから。
<<<おい、ようやく我の声が届いたか、ニンゲンよ!>>>
その人面木片は、目を大きく開いたルクトリアに、相変わらず小さな声で......しかし傲慢さを微塵も隠しもせずに、【念話】を送り続けた。
<<<聞こえているのだろう!?早く、近くに寄れ......我は、神!かつての、森の精霊王......世界樹オドオカト・セ・ココリリオンであるぞ!>>>
◇ ◇ ◇
ココリリオンは、生きていた!
エミーによって伐採され、ほぼ全ての力は失った......が、しかし。
彼は今や、植物......しかも世界樹だ。
彼は意識を失う直前、自らの自我を木片の一つに封じ込めた。
時間が経ったら目覚めるように、細工をして。
それが、今この時、覚醒したという訳だ。
一か八かの死んだふりであったが、ココリリオンは賭けに勝った。
あの邪悪な存在......エミーも近くにはいないようだ。
見事に、死んだふりに騙されてくれた。
しかし困ったことに、この木片に残存する魔力量は、少ない。
このままでは遅かれ早かれ、魔力が枯渇して本当に滅んでしまう。
どうしたものかと、ココリリオンが思案していたその時......彼は見つけたのだ。
みすぼらしい服装をした、しかし朝日に金髪碧眼を輝かせる、傷だらけの少女の姿を。
この少女は、どうしてこんなところに?
そんなことを、ココリリオンは気にしなかった。
魔力枯渇が、近いのだ。
彼は必死だった。
<<<我は、神!かつての、森の精霊王......世界樹オドオカト・セ・ココリリオンであるぞ!>>>
その顔に驚きの表情を浮かべつつ近寄って来た少女に、ココリリオンは威厳たっぷりに名乗りをあげた。
己は、ニンゲンの超上位存在である。
弱みを見せるなど、考えられないことだからだ。
「............なんと......これは失礼を致しました、精霊王陛下。私、ルクトリアと申します」
するとその少女は、囚人のようにみすぼらしい恰好をしているにも関わらず、まるで貴族令嬢の如く微笑んで優雅に頭をさげた。
ココリリオンは、その身の程をわきまえた振る舞いに若干の感心を覚え、ヒュプエトの民に施して来た躾けが身を結んでいることに、満足した。
<<<今から貴様には、命令をくだす!光栄に、思うが良いぞ......我を今すぐに、近くに転がる水晶の上へと運べ!>>>
そしてココリリオンは、超上位存在としての振る舞いのままに、ルクトリアと名乗る少女にそう命じた。
水晶とはもちろん、ミシュティレが封じられた水晶のことだ。
それは世界樹と化したココリリオンの体内に取りこまれてはいたが......異物であり、彼の体と一体化はしていなかった。
故に、彼の体の大部分が崩壊した際にも......それは、外界へと排出されただけで、無事だった。
ココリリオンは......不足する魔力を、ミシュティレの魂で補おうと、考えていた。
愛し子と一つになることは精霊にとって幸福だし、精霊神ピーリースユが転生させた魂であるミシュティレには、多くの魔力が備わっている。
ミシュティレの魂の、捕食......それはココリリオンにとって、幸福と魔力を同時に得ることができる一石二鳥の手段であった。
ところが。
「申し訳がございません、精霊王陛下......それはできかねます」
ルクトリアは、そんなことを言うのだ。
「私は、罪に塗れた卑しい身でございますれば、尊き御身に触れることなど、とてもとても......」
と。
<<<罪だと!?>>>
ココリリオンは、泡を食って叫んだ。
<<<そんなものは、どうでも良い!許す!罪など、我が許す!だから我を、早く水晶の上に運べ!>>>
「許す......?まあ、それはまことでございましょうか?」
ルクトリアはその言葉を聞いて......嬉しそうな声をあげた!
<<<ああ、そうだ!だから......>>>
「陛下は......」
ココリリオンは、しかし。
次に続く、ルクトリアの言葉を聞いて。
思わず、絶句してしまった。
「陛下は、卑しくもあなた様の愛し子を“騙った”私ルクトリアを......お許しになると、仰るのですね?」
ココリリオンは、ひゅっと息をのんだ。
ルクトリアは、微笑んでいた。
高位の貴族令嬢の如く、優美に、しかし。
そこに、まるで感情というものを表現せずに。
「お優しい陛下のお言葉に、私、胸が張り裂けそうな思いでございます」
ここで、ようやくココリリオンは。
このルクトリアとかいう少女が何者であるのかに、気づいた。
「しかしながら」
こいつは、“悪役”だ。
「例えお優しい陛下にそう仰っていただいたとしても、罪は罪でございましょう」
“断罪対象”だ。
「やはり私が御身に触れることなど......」
ココリリオンが、ヒーローになるための。
「許されませんわ」
そういう“役”を、彼が押しつけた少女だ。
「ですから......とっとと、死に晒せやボケがよォォーーーーーーッ!!!」
次の瞬間だ!
突如として、ルクトリアが淑女の仮面をかなぐり捨てて叫んだ、その時!
<<<ウギョボーーーーーーッ!?>>>
ココリリオンの宿った萎びた木片が......突如真っ赤な炎に包まれ、燃え上がった!
<<<あ、熱いッ!!熱い熱い熱いッ!!燃えるッ!!燃え果ててしまうーーーーーーッ!?>>>
ココリリオンのわずかな残存魔力すら燃料にして燃え上がるそれは、まさしく魔力で生み出された炎だった。
「あら......」
詠唱もなしに、魔法のように炎が燃え上がった。
つまりルクトリアは、爆発的に感情が高まったことをきっかけにして......炎の異能、あるいは魔導に、今この時、目覚めたのだ。
そのことを本能的に察知したルクトリアは、燃え盛るココリリオンから目を離し、指先に炎を灯すなどして自らの力を確認し。
「あはっ......あはははははっ!」
歯をむいて、獰猛に笑った!
<<<あ、ああ......ああああああ......>>>
一方のココリリオンは。
熱に苛まれ、魔力の枯渇に苦しみながらも。
何とか、生き延びようともがき。
でも、どうしようもなくて。
<<<あ、あ......ミシュティレ......我が、最愛......>>>
目玉をギョロリと動かし、歪む視界の中......朝日に輝く水晶を何とか視界に収め。
<<<一つに、なり......たか......>>>
何やら......未練をつぶやいていたが。
あっという間に、真っ黒な燃えカスとなり......それすらも風に吹かれて、どこぞに散っていった。
「キモ」
ルクトリアはそんなココリリオンの思いを一言で片づけると、視線を動かし目を細めた。
そこにあるのは......太陽が木々の隙間から届ける黄金色の光に照らされる、水晶だ。
実はこれまでも、大小様々なヒビが入り、ペキペキと音を立てていたそれが、ここに来て。
パキン、と。
大きな音を立てて、割れたのだ。
その水晶の中に入っていたのは、ルクトリアとよく似た顔立ちの銀髪の少女......ミシュティレである。
ミシュティレは、水晶が砕け、どういう訳かジュウジュウ音を立てながら煙になって消え去ってからも、しばらくは身じろぎ一つせず、その場に横たわっていたが。
ついに......数十秒が、経った頃。
「う......ん......?」
小さく、呻いてから。
ゆっくりと、その青色の瞳を開いた。




