648 精霊鼬と狂犬姫
ルクトリアは心の中に憎悪を燃やしながら、しかし慎重に......精霊の森を進んでいた。
途中、フワフワと飛ぶ小精霊を何度か見かけたが、それらは全て魔法で駆除済みである。
故に彼女がこの森の中を密かに進んでいることは、未だ力ある精霊たちには露見していなかった。
彼女が......大樹の洞からひょっこりと顔をだした中精霊と、鉢合わせするまでは。
◇ ◇ ◇
「あッ、ぐぅッ......!」
意識の外......真横からの【風弾】が、ルクトリアを襲う。
【風弾】とは、魔力で作られた風の砲弾だ。
その勢いは強く、軽い体のルクトリアは......なす術なく吹き飛んだ。
ドンッ、ゴッ......ガッ!
そして彼女の体は、吹き飛んだ勢いで光り輝く苔の上を弾み、サファイアのように青く輝く樹木の幹に、強かに打ちつけられる。
その際頭部を打ったらしく、額から頬にかけて......彼女の白い肌に一筋、真っ赤な血が滴り落ちる。
「ちぃッ......」
しかし彼女は、幼い身ながら持ち前の暴力と頭脳で政敵たちを打ち倒して来た、『狂犬姫』!
この程度の傷で心が折れる、か弱き深窓のご令嬢では、ないのだ!
ルクトリアは血をぬぐいながらゆっくりと立ちあがって舌打ちをし......己を風の力で攻撃した“敵”を、殺意をこめて睨みつけた!
<<<おお、こわい!さすがは狂犬姫......迫力だけは、満点だ。でもそんな薄汚れた囚人服では、その威厳も台無し......キキキキキキッ!>>>
だがしかし敵は......偉そうに宙に浮かぶ緑色の体毛を持つ、小型のイタチ......鼬の中精霊は、そんなルクトリアの殺意など全く気にも留めず、彼女を高い位置から見下しつつ嬉しそうに嘲笑った。
見た目だけは、愛らしい小動物の姿をしているこの精霊は......その心持まで、かわいらしいわけではないようだ。
ルクトリアを痛めつけるのが、心底楽しいらしい。
そんな鼬の中精霊を、まっすぐに睨みつけながら......ルクトリアは。
「......あなたこそ、その厭らしい笑い方、直した方が良くってよ。せっかくの可愛らしいお顔立ちに、薄汚れた性根がにじみ出て......台無しですわ」
そう言い返し、彼のことを鼻で笑った。
<<<......【風弾】ッ!!>>>
精霊は、人間のことを見下している。
取るに足らない下等生物だと、信じ切っている。
故に鼬の中精霊は......ルクトリアのその“反撃”が、心底気に食わなかったらしい。
一瞬きょとんした後に顔を真っ赤に染めあげ、すぐさま次の攻撃を放った!
しかしルクトリアは、貴族令嬢らしからぬ戦闘訓練すらこなしてきた天才児。
直感的に魔力の動きから攻撃を察知し、横跳びで風の砲弾を避けた。
ドオンッ!!
......怒りに任せた精霊の【風弾】は、先程のそれよりも勢いよく、青く輝く樹木に直撃しその幹をへし折った!
ミキミキ、ミシミシ、ドオオンッ!!
光を失いながら倒れゆく大樹には目もくれず、ルクトリアはすぐさま体勢を立て直し、鼬の中精霊へと走り寄る!
そして......!
「『炎よ、解けぬ鎖となりて、敵を縛れ!【ファイアチェーン】!』」
魔法により、その手に“炎の鎖”を生成......そしてそれをブンブン振り回してから、鼬の中精霊に向けて思いきり投げつけた!
これは敵を縛りつけその動きを止めつつ熱でダメージを与える、ルクトリアの得意魔法である!
しかし......!
<<<ギギッ!【大風壁】ッ!!>>>
次の瞬間、鼬の中精霊を中心として、強烈な突風が放たれた!
避けようのない、面攻撃!
「きゃあッ!?」
ルクトリアは突風によって再度吹き飛ばされ、光り輝く苔の上をゴロゴロと転がった。
魔法で生み出した炎の鎖は、すっかり霧散してしまっている......!
<<<ギーーーッ!!ギーーーッ!!たかがニンゲンがさ、調子、乗るなっての!>>>
ドンッ、ドンッ!
鼬の中精霊から、何発も小規模な【風弾】が放たれ、ルクトリアの体に直撃!
その衝撃でルクトリアは、青あざを作りうめきながら苔の上を転がされた。
そんなルクトリアの無様を見てもなお、鼬の中精霊の怒りは収まらないらしい。
彼はギーギーと威嚇するような鳴き声をあげながら、叫んだ!
<<<大体、ルクトリア!オイラは昔からお前のこと、気に入らなかったんだ!>>>
......と!
「......あら、奇遇ですわねファルウィーゼル。私もあなたのこと、大ッ嫌いでしてよ」
対するルクトリアは、どうか。
彼女は、全身が痛いだろうに......よろよろと、立ちあがりながら......しかしその痛みなど微塵も感じさせぬ不敵な微笑みを浮かべ、そう言い放った!
<<<ブルートム伯爵とは違って、お前には昔からかわいげってもんがなかった!ただのニンゲンのガキの癖に、賢そうなふりをしやがって!>>>
「ごめん遊ばせ?父の......あの男の元契約精霊様にそんな風に思われていたとは、露知らず。確かにあなたには、『かわいげ』だけは、ありますものね」
<<<ムギーーーッ!!>>>
そう......鼬の中精霊ファルウィーゼル。
彼は、ルクトリアの父であるブルートム伯爵の、契約精霊であったのだ。
故に彼らは、お互いのことをよく見知っていた。
<<<ペラペラペラペラと、よく回る口だ!そういうトコだぞ!そういうのが、ムカツクんだよ、ニンゲンの癖に!大人しく、伯爵みたいに!操り人形になってりゃ良かったものを!>>>
「......『操り人形』?」
しかしよく見知っているとは言え、ルクトリアが知らないこともある。
それは、ヒュプエト精霊国の人間には知らされない、精霊契約の裏話。
ファルウィーゼルは激昂しているが故に......その一端を、軽率に漏らし始めた。
<<<そうだよ!伯爵は......本当に良い契約者だった!ちょっと甘い言葉を囁けば、楽な方に楽な方にと、簡単に堕落していった!どんどんオイラ好みの魂へと、育っていった!>>>
「............」
<<<あと、ちょっとだったんだ!不摂生で、あいつもうすぐ死ぬと思ってたのに!もうすぐであの魂を、収穫することができたのに!......ああーーーッ、もうッ!なんだよ精霊契約の破棄って!なんだよ精霊王様の愛し子って!オイラの時間、返せよーーーッ!>>>
ファルウィーゼルは頭を抱え、宙に浮きながらも地団駄を踏むような動きをした。
彼の感情の乱れを反映してか、周囲には無茶苦茶な風が吹き荒れ、木々の枝をざわざわと揺らす!
それをルクトリアは、隙と見た。
あの鼬に対しては、様々に問いただしたいことが生まれたのは事実だが......彼女の戦闘勘は、すぐさま攻撃に移るよう、彼女の体に促した!
「『炎よ、礫となりて......』」
<<<【風弾】ッ!!>>>
が、しかし。
いかに天才と言えど、詠唱せねば魔法が使えぬ人間たるルクトリアには、その隙を活かせない。
彼女は、思うだけで発動するファルウィーゼルの【風弾】によって、またしてもその体を吹き飛ばされた......!
これこそが、精霊が人間を見下す根拠の一つ!
魔力操作における、圧倒的な種族差......!
<<<だからよー、お前だ、ルクトリア!お前が責任とれよ!>>>
「ゲホ......責任......?」
<<<そうだ、それが良い!名案だ!お前は、あの伯爵の代わりに、オイラに魂を寄こせ!娘だろ?親の不始末の、責任をとれよ!>>>
「責......任......」
<<<まさしくお前とオイラがここで出会ったのは、運命であったというわけだー!キキキキキキッ!>>>
ファルウィーゼルは勝手なことを言って空中をくるくるとまわりながら、上機嫌に笑い声をあげた。
対するルクトリアは......震えていた。
抑えきれぬ怒りで、震えていた。
責任。
幼いルクトリアが、散々負わされてきたものだ。
未来の王太子妃として、背負い。
罪ある伯爵家の娘として、背負い。
それを、この、目の前の、鼬は。
またしても、己に、押しつけようというのか。
「ふッ......ざけんなッ、ボケがァァーーーーーーッ!!!」
次の瞬間!
ルクトリアは理性を手放し、怒りのままファルウィーゼルに突撃!
そしてその、右拳を放った!
精霊の肉体は、魔力で構成されている。
故に、通常の物理攻撃は、通用しない。
だから、ファルウィーゼルはルクトリアの激昂に驚き、少し身をすくめただけで......その拳を、避けようともしなかった。
人間の拳は、精霊の体をすり抜ける。
効くはずが、ないからだ。
しかし!
ルクトリアの拳には......無意識のうちに!
魔力が!
振り切れた、激烈な怒りの込められた魔力が、まとわれていた!
つまりは、奇跡的に......威力は弱いながらも【魔撃】が、再現されていたのだ!
<<<ギキェーーーーーーッ!?>>>
そして【魔撃】は、精霊の肉体を傷つけ得る!
ルクトリアの右拳は、見事、ファルウィーゼルの顔面を真正面からぶん殴り!
ファルウィーゼルは、無様な悲鳴をあげながらクルクルと吹き飛び......ルビーのような樹皮を持つ大樹に衝突した!




