640 【森の精霊王の愛し子】転
導入第3話です。
ここで語られるのは、愚かな者たちの末路です。
ブルートム伯爵は、酷い男でした。
見た目は良いが浮気性で意志が弱く、自制心がなく、甘ったれ。
そんな男でした。
そして、その性質故に、最悪なことにこの男は......伯爵夫人の妊娠とほぼ同時期に、屋敷で働くメイドを無理やり襲い、子を作っていました。
ルクトリアより数日早く生まれたその子どもこそ......『ブルートム伯爵家の長女』。
森の精霊王に抱かれていた、あの銀髪の少女ミシュティレだったのです。
かつて、ミシュティレの母の妊娠を知ったブルートム伯爵は、パニックを起こしました。
ブルートム伯爵は、どうしたら良いかわかりませんでした。
妻と同時期に別の女を妊娠させるなど、外聞が悪すぎます。
妻や両親にバレるのも嫌です。
怖すぎます。
だから、彼は。
誰の声も届かぬ屋敷の地下牢に、妊娠したメイドを放りこみました。
そして鍵を閉め、無視を決めこみました。
食事の手配だのなんだの、そんな面倒を見るような真似はしません。
つまりは、結果的にはそのまま衰弱死させようとしたわけですが......混乱しているブルートム伯爵は、そこまで考えていませんでした。
とにかく、自分にとって不都合な見たくないものを、目の届かないところに置いた。
そういう認識でした。
そして、自分の精神の安定のため......ブルートム伯爵は妊娠したメイドについての記憶に、蓋をしました。
無責任にも、すっかり忘れてしまったのです。
ある種の、自己防衛的な仕組みが働いた上での忘却であったと推測されますが......妊婦を地下牢に放りこみ放置するなど、あまりにも非人道的な行為であると言わざるを得ません。
とにかくこうして、ミシュティレの母は地下牢に入れられました。
そしてその中で、自らが契約していた精霊の力を借り、自力で出産を果たしました。
彼女は没落した元貴族という出自であり、精霊契約を行っていたのです。
しかし、精霊の力と言えど、万能ではありません。
執念で娘を出産した彼女は、しかしながら産後に体力を回復させることができず、死に至りました。
残された娘、ミシュティレは......狭く薄暗い地下牢の中で、精霊の助けによって、生き残ることになります。
◇ ◇ ◇
意識を失ったミシュティレを抱きかかえた森の精霊王は、ブルートム伯爵の所業を余すことなく皆に伝え、そしてミシュティレと共に姿を隠しました。
王がいくら呼びかけても、もはや返事も返しません。
愛し子を粗雑に扱われたのですから......森の精霊王の怒りも当然であろうと、ヒュプエト精霊国の貴族たちは頭を抱えました。
古の盟約の継続すら、このままでは危ぶまれる状況です。
故に。
このような状況を引き起こしたブルートム伯爵家には、王の名のもとに罰がくだされました。
まず、爵位は剥奪。
資産は全て、国が接収。
そして、ブルートム伯爵夫妻と、ルクトリアは......。
死罪。
......とは、なりませんでした。
彼らに与えられた罰は......ブルートム夫妻と契約した精霊を引きはがした上で、森の精霊王に謝罪に向かうこと、と定められました。
これは全くもって、温情ではありません。
まず、精霊契約の途中解除は、人間側にあまりにもペナルティが大きい。
これを行ったことで、ブルートム夫妻はすっかり魔力と若さを奪われ、体力も衰えてしまいました。
明らかに、長くは生きられない状態です。
そしてさらに、森の精霊王の住まう精霊の森は、危険な場所です。
精霊たちの住処であるが故に魔物は少ないと言われていますが、その代わりに知能の低い小精霊たちが大勢います。
彼らは概ね本能に従い行動し、面白がって人間を襲うケースも多い。
故に契約精霊を引きはがされたブルートム夫妻、そして未だ精霊契約を結んでいないルクトリアに、森のどこに住まうともわからぬ精霊王を探し歩けと命じることは、『苦しんだ後、死ね』と命じることと同義なのです。
ブルートム夫妻とルクトリアは、王城の牢から出された後、乱暴に精霊の森の畔に放り投げられ、前述の罰を告げられました。
彼らをここまで運んできた兵士たちは、必要な通達のみを行った後、さっさと王城へと戻っていきました。
森の畔に残されたのは、ブルートム夫妻とルクトリアの3人です。
ブルートム夫妻は、ここに運ばれる前からずっと継続して、言い争いをしていました。
「なんで私まで!こうなったのは、あなたのせいでしょ!?」
「お前だって......!」
兵士が去った後も、聞くに堪えない罵詈雑言の応酬が続きます。
ブルートム夫人としては、浮気された上に夫の罪を連座で適用されたわけですから、たまらない気持ちだったことでしょう。
しかし彼女も、将来の森の精霊王の契約者、そして王太子妃の母としての立場を悪用し、横暴な振る舞いをしていましたので......誰も助けてはくれませんでした。
ついでとばかりに、切り捨てられてしまったわけです。
夫妻は言い争って、言い争って、言い争って......急激に老いた肉体がヘトヘトになるまで言い争ってから、その争いをじっと見つめていたルクトリアに一つの命令を下しました。
「老いた私たちでは、精霊の森は歩けない。森の精霊王様の愛し子を“騙っていた”お前が、謝罪に行くのが筋というものだ!」
一方的にそう喚き散らしてから、夫妻はまたしても言い争いをしながら、勝手に王城の方向へと戻っていってしまったのです。
王からの命令を、無視して。
ルクトリアは眉間に皺を寄せて、ため息をつきました。
王命を無視して城に戻るなど、許されるわけがないからです。
彼らはおそらく道中で、影から監視を続けていた兵士たちに殺されてしまうでしょう。
しかしルクトリアは、彼らを止めようとはしませんでした。
何を言っても聞かないだろうし......ほとほと愛想もつきていたからです。
「............」
ルクトリアはしばらく、道の向こうから聞こえてくる両親の醜い言い争いを聞いていましたが......それがすっかり聞こえなくなると、精霊の森へと向き直りました。
時刻は、夜。
見あげれば、満点の星々。
精霊の森にはいくつも小川が流れていたり、数えきれない程の泉が湧いていたりします。
ルクトリアの眼前にもくるぶし程に浅い泉がどこまでも広がり、その鏡面に星空を映し出し煌めいています。
精霊の森に生える樹木は特殊なものが多く、その樹皮や葉は、宝石のように輝きます。
夜だというのに、光り輝く森。
それは、この世の物とは思えない美しい光景。
......ルクトリアは、この幻想的な精霊の森の光景に、死を見出しました。
「............」
ルクトリアはじっと押し黙り、うつむき、それでも......。
その顔を陰で隠したまま、精霊の森へと足を踏み出しました。
ちゃぽ、ちゃぽ、ちゃぽ......。
浅い泉の中を進む水音が、しばらく続いてから。
ルクトリアの姿は森に吸いこまれ、すっかり見えなくなりました。
その後、ヒュプエト精霊国において、彼女の姿を見た者は誰もいません。
ルクトリアは、森の精霊王に出会うことが、できたのでしょうか?
王に命じられた通り、謝罪をすることができたのでしょうか?
それは、わかりません。
ただ一つはっきりしていることは、森の精霊王の怒りはおさまらなかった、ということでしょう。
ルクトリアが精霊の森へと向かったその夜、精霊の森の奥深くから......正体のわからぬ地響きが、何度も聞こえたそうです。
広大な森の中心部付近に、巨大な影が立ちあがったのを見た、という人もいます。
何があったのかはわかりませんが......これらはどちらも、森の精霊王がおさまらぬ怒りを発散するための、癇癪であったと言われています。
そして気づけば古からの盟約は破棄され、ヒュプエト精霊国の貴族たちは、従来のように容易く精霊契約を行うことができなくなりました。
故にこの国は、他国からの干渉をはねのけられず......徐々にその規模を落としていくことになります。
傲り高ぶった人間、そしてそれを放置してしまった国の、末路。
それを伝える一つの教訓として、この顛末は周辺諸国にて語り継がれていくことになりそうです。
次話で導入は最終話です。




