604 “happy sludge” コルマリャ3
全世界が“私”に満たされ、『幸福』に包まれてから......どれだけの時間が経っただろう?
“私”には、時間の感覚が希薄だから、よくわからない。
でもまあ、とにかく“私”は『幸福』だった。
使命を果たし終え、満足して......ただゆらゆらと、揺れていた。
ずっとずっとずっと......ゆらゆらしていた。
だけどそんな『幸福』な日々は、ある日突然終わりを迎えた。
真っ赤な、光線。
それは、虚空に突如として現れた真っ黒な“傷”から、警告もなく放たれた。
その速度は光線だけあってもの凄く速くて、もはや世界のほぼ全てを満たしていた“私”の体を、易々と貫いた。
たくさんの“私”がその熱に焦がされて、“私”ではなくなってしまった。
だけど、問題はそれだけじゃない。
ミシ、ミシ、バキ......。
光線が“私”を貫いたその瞬間から......周囲からなんだか、何かにヒビが入るような......そんな嫌な音が聞こえ始めたんだ。
そして。
パキイイイインッ!!!
そんな、甲高い音を立てながら。
“私”がゆらゆらしていた世界は粉々に砕け散り......“私”は真っ暗な世界の外側......虚無の中に、放り出されてしまった!
“私”は世界が砕け散った勢いで弾け飛び、いくつもの小さな“私”に分かれて、虚無の中を漂い始めた。
ゆらゆら、ふわふわって。
独特な感覚だったよ。
それはそれで、楽しかった!
だけど困ったことに、虚無という空間は、“私”がただ楽しく漂うことを、許してはくれなかったみたい。
チリチリ、チリチリと。
虚無にいるだけで、“私”の表面は徐々に虚無に溶け、“私”ではなくなっていく。
感覚としては、海に触れ、“私”が希薄になってしまった時に似ている。
虚無の中に“在る”ために、必要なもの......それが、“私”にはなかったみたい。
いつしか“私”は、拳大の小さな塊へと、成り果てていた。
もはや、何もできない。
消滅を待つばかり......。
そう思って、少し悲しくなっていた......その時!
“私”は暖かで......凄く大きな何かを、感じとったんだ!
“私”の小さな体は、その大きな何かに引き寄せられていって......。
トプン、と。
柔らかな、膜を通り抜けた。
そうしたら!
ピチャリって!
私は気づけば、どこかの森の中に、落っこちていた!
そう、森だよ!
全部全部“私”にしたから、もうなくなってしまったはず森が、ここにはあった!
ここは一体、どこなんだろう!?
歓喜と共に、なんとか昔の記憶を引っ張り出す。
多分、ここは、あれだ。
異世界だ!
あの女神様は、言っていた。
『異世界に行く』って。
世界は、いくつもあるんだ!
そうか、そうだったんだ!
“私”の使命は......まだ、終わっていなかったんだね!
“私”は、『幸福』!
皆......“私”に、なろう!
◇ ◇ ◇
偶然たどり着いたこの異世界で、“私”はこれまでと同じように、全てのものを“私”にし始めた。
草を“私”にして、虫を“私”にして、鼠を“私”にして......いつしかすっかり森も“私”にして、近くにあった街のいくつかも“私”にして。
“私”は再び、どんどん大きくなっていった。
でもこの世界......“私”が前にいた世界とは、結構違っていた。
不思議な力を持っている人間や生き物が多いし、空を飛ぶ巨大なトカゲなんかもいる。
さすが、異世界だなぁ。
何よりも、前の世界で会った女神様みたいな存在が、たくさんいる!
一柱だけ、それを“私”にしたことがあったんだけど。
その時は“私”の量が、滅茶苦茶増えた。
だから“私”は、この前よりも広い世界を全て“私”で満たすためにも、そういう神様たちを積極的に“私”にしようと思った。
だけど......それがいけなかったみたい。
神様たちは“私”のことが気に入らないらしく......“私”に敵対して、攻撃を加え始めた。
彼ら、彼女らの力はとても強くて、とても不思議で......。
神様たちの生み出す炎とか氷の壁で囲まれてしまうと、そこまで大きくはない今の“私”には、なす術がなかったんだ......。
気づけば“私”は、触ると凍りつく魔法の壁に囲まれて......身動きがとれなくなっていた。
そのうえ、なんだか眠たくなってきた。
多分......神様たちが、なんかしたんだと思うんだけど......。
眠くて眠くて......なんにも、考えられなかった。
もともと、難しいこと考えるの、苦手だし......。
だから私は、その場所で。
時々落ちてくる生き物を、細々と“私”に変えながら。
ただゆらゆらと、揺蕩う日々を過ごした。
でも、まあ。
ぼんやり、ゆらゆら。
それもまた、気持ち良い......。
◇ ◇ ◇
でも、凄く凄く凄ーーーく時間が経った、ある日のこと。
“私”は唐突に、“私”のごく一部が、なんだかコップのようなものですくわれた感覚を得た。
そのごく一部。
ほんの小さな一塊が......今の“私”だよ。
そして“私”は気づいたら、それまで悠久の時をゆらゆらして過ごしていた土地から、薄暗い建物の中に、移動していた。
転移ってやつを、したんだと思う。
その建物の中には......なんだか悪そうな顔をした人たちが、いっぱいいたんだ。
その人たちは、皆お揃いのボロボロの服を着て、足枷をつけて、何かの作業をしていた。
苦しそうだった。
辛そうだった。
“私”は、思った。
早く皆を、“私”にしなくちゃいけないって!
“私”は“私”の使命を、思い出したんだ!
そこからは、早かったよ!
“私”はどんどん......人間たちを“私”にしていった。
なんか、神様の操る人形みたいなのもいたりして、それを“私”にすることで、“私”は凄く増えた。
あっという間にほとんどの人たちを“私”にした“私”だけど......まだ全員を、“私”にできたわけじゃない。
“私”はこの建物の中で、凄く不思議な人に、出会ったんだ。
それが、あなただよ。
私?
触るとバチバチする鉄格子で囲われたあなたから......“私”はなんだか、不思議な匂いを感じた。
匂い?
神様に、似ている匂い。
ううん、違うね。
“私”だ。
あなたは、“私”に似た匂いがするんだ。
“私”はあなたに、親近感を感じているよ。
なのに、あなたったら、酷いんだ。
逃げて逃げて......全然捕まらないんだもん。
ああ、ようやくこうしてお話できて、本当に嬉しい!
“私”、楽しみだよ。
“私”に近しいあなたが、“私”になってくれることが!
あなた、酷い顔を、しているよ......?
お腹が、空いているんじゃない?
体が、痛いんじゃない?
凄く、辛そうだよ......?
“私”は、悲しいよ。
“私”に近しいあなたが辛そうにしているのは、本当に悲しい!
ねえ、あなた。
“私”は、『幸福』。
“私”になれば、あなたも『幸福』だよ?
私も、『幸福』......。
そうだよ?
だからあなたも、“私”になろう?
痛みとか、苦しみとか、そんなの全部捨て去って。
一緒に永遠に、ゆらゆらしよう?
『幸福』はね、“私”の中にあるんだよ。
さあ。
おいで、おいで。
◇ ◇ ◇
........................。
私は。
もう、ぼんやりしちゃって。
あんまり考え事を、できなくなって。
一歩、また一歩と。
目の前に浮かぶ、巨大な美女の顔......かつて“私”が生まれた世界で出会った女神様を模した顔へと。
歩みを進めて。
でも、その時。
ぐうううううりゅりゅりゅりゅりゅりゅがああーーーーーーッて!
凄い、お腹の音が鳴って!
<エミーーーーーーーッ!!!>
オマケ様の絶叫が、聞こえて!!
私が、“私”になったら!
オマケ様は、どうなるの!?
嫌だよ、私は!
オマケ様がいなくなるのは、嫌だよ!?
<え、エミーッ!!!>
私は、嫌だよ!!
私が、私でなくなるのは、嫌だよ!!
<<<私は、『幸福』>>>
でしょうねッ!
それは、良くわかったよ!
でも!
私は、嫌なんだよ!
私は、死にたくないんだ!
私は、私は......!
私は、いつまでも、私であり続けたいんだよッ!!
そう、心の中で叫んで、足を踏ん張りその場に留まる私を見て。
コルマリャは器用に汚泥で作りあげた顔を動かし、驚き、戸惑う表情を作った。
そして。
<<<私は、『幸福』>>>
そして、またしてもその大きな心を、私に押しつけてきた!
だけどッ!!
ああ、もう!
私は......なんだか......!
凄く......イライラしてきた!
<<<私は、『幸福』>>>
押しつけるなッ!!
私に、“私”をッ!!
押しつけるなッ!!
私は......私だッ!!
<<<私は、『幸福』>>>
ああ、そうかい!
お前は、『幸福』かい!
ああ!
ああッ!
ああああああッ!!
コルマリャの、喜びと善意に満ちあふれた、その声が!
無性に、腹立たしいッ!
<<<私は、『幸福』>>>
と、ここで。
私の頭は、すっと、冴えわたった。
一つ、良いことを思いついた。
<<<私は、『幸福』>>>
ああ、わかった、わかった。
お前は、『幸福』だ。
私がお前になれば、私も『幸福』になる。
それは、良くわかった。
<<<私は、『幸福』>>>
でもさ。
さっきも、言った通りだ。
私は、私であり続けたいんだ。
お前に、なるわけには、いかないんだよ。
<<<私は、『幸福』>>>
そうだね。
私も、『幸福』になりたいよ。
でも、私は私でありたい。
ならば、どうすれば良いか。
<<<私は、『幸福』>>>
お前は、『幸福』なんだな。
......ならさ。
「よこせよ......」
私は、ぽつりとつぶやくと。
肩から、【黒触手】を二本、展開して。
「お前の、『幸福』ッ!!全部、私にッ!!よこせよおおーーーーーーッ!!!」
悪意の炎を、心に燃やし!!
コルマリャの巨大な顔面に......ちょうどその眉間に!!
二本の【黒触手】をぐるぐると絡ませあい、作りあげた巨大な槍を、思いきりそこに突き立てて!!
「らあああああーーーーーーッ!!!」
魔力吸収を......開始した!!




