602 “happy sludge” コルマリャ1
私の目の前が、真っ白になった。
その、次の瞬間だ。
......良く、わからないことが起きた。
私は、灼熱の砂漠の中に、いたはずだけど。
気づけば、私は。
ひんやりと冷たい、金属製のバケツの中に放りこまれていた。
......その中で、“私”はゆらゆらと、揺れていたんだ。
“私”の体はけっこう小さかった。
バケツの中に、体の全てがすっぽりと収まるくらいなんだもの。
......体?
ここまで考えて、私は少しだけ違和感を感じた。
そしてその違和感は、すぐに混乱へと繋がった。
“私”の体は、こんなにもドロドロで、不定形だったかしら?
手があって、足があって、顔があって、目があって、耳があって......?
そんなでは、なかったかしら?
目?
耳?
それらがないのに、どうして今の“私”は、ぼんやりと見たり聞いたり、できるのかしら......?
次々に、疑問は湧き出してくるけど。
不思議と“私”の混乱は、長くは続かなかった。
だって、すぐにどうでも良く感じてしまうのだもの。
どうやら今の“私”は、難しいことを、長く考え続けていられない性質らしい。
だから、“私”は、ゆらゆらと揺れた。
冷たいバケツの中でゆらゆらしながら、あんまり物を考えずに、どこかへと運ばれていった。
でも。
“私”は一体、何なんだろう?
そんな漠然とした疑問は、ずっと心に残っていて。
凄く、不安だった。
◇ ◇ ◇
そんな“私”のゆらゆらする旅は、それほど長引かずに終わった。
ふわりと、浮遊感を感じた後に。
ガンッて。
“私”の体が入っていたバケツが、何かに当たった。
多分放り投げられて、地面に落ちたんだと思う。
バケツが倒れて、“私”が零れる。
なんだろう、なんだろう。
何が起きたのか不安で、私はもぞもぞと動いた。
「......驚いた。搾りかすの汚泥だってのに、生きてんのか......?」
そうしたら、声が聞こえた。
声のする方に意識を向けて“見あげる”と、そこにはおじさんが立っていた。
白くてぶかぶかな、防護服を着た、おじさんだ。
太っていて、ちょっと頭が薄くて、賢そうだ。
きっとこのおじさんが、バケツに入れた“私”を、どこかからここに運んで来たんだろう。
......防護服って、なんだっけ?
まあ、良いや。
おじさんは腕を組み少しだけ考えてから、ポケットから小さなタブレットを取り出して、何かを打ちこもうとしたけど。
「......面倒くさい」
あくびをしてからそうつぶやいて、タブレットをポケットに戻した。
そして、にっこりと“私”に笑いかけて。
「意識があるのかないのか、知らんが......まあ、お前さんも本望だろう?お前さんの肉体は、我々が作りあげた世界を統べるべき美しき“女神様”の、一部となったのだから」
と、ちょっと長くて、“私”にとっては難しいことを、言った。
そうしてから、私に背中を見せて。
「お前さんは、『幸福』だよ」
って、言って。
扉を閉めて、どこかに行ってしまった。
◇ ◇ ◇
扉の向こう側から漏れていた光が届かなくなり、薄暗くなってしまった部屋の中で。
“私”はずっと、さっきのおじさんの言葉を、心の中で繰り返していた。
お前さんは、『幸福』だよ。
その言葉はとっても簡単で、今の“私”にも、しっかりと理解できた。
だから。
“私”は、嬉しかった!
そうか!
“私”は、『幸福』なのか!
“私”は一体、何なんだろう?
その答えが、これだ!
だって、今の“私”は多分、馬鹿だから。
“私”が何かだなんて、わかりっこない。
でも、あのおじさんは違う。
凄く、賢そうだった。
ならきっと、間違っては、いないんだろう。
“私”は、『幸福』!
そうやって、自分のことを考えていると。
それまでは、水気と一緒に乾いてどこかに飛んで行ってしまいそうだった“私”というものが。
なんだか凄く......“しっかりしたもの”になったという感覚が、あった。
それも、“私”は『幸福』であるという事実の、裏付けであるように思えた!
“私”は、『幸福』!
“私”は、『幸福』!
“私”は、『幸福』!
“私”はもう、嬉しくて、嬉しくて!
ドロドロの体を、みょんみょんと揺らした!
......でも、その時。
「何が、『幸福』だ......狂人共が......」
そんな、微かな声が、聞こえたんだ。
声のした方に、注意を向ける。
小さな非常灯が少しついているだけの薄暗い部屋の中でも、“私”は何故だか、そこにある物が見える。
だから、わかった。
そこには、大きな鳥の翼とか、見たこともない形の骨とか、紫色をした何かの肉に、埋もれるようにして。
お姉さんが、転がっていたんだ。
強そうな、お姉さんだった。
褐色の肌で、筋肉もしっかりついていて、とても美人な人。
でも、お姉さんはボロボロだった。
理由は知らないけど右手と両足は既になく、血がだらだらと流れている。
ひゅーひゅーと、辛そうな息をしている。
かわいそうって、思った。
そして、とても、悲しい気持ちになった。
“私”は、『幸福』なのに。
このお姉さんは、凄く辛そう......。
“私”はズリズリとお姉さんの方に這っていった。
「は......私のこと、心配してくれてんのかい?」
お姉さんは近寄って来た“私”に対して、苦しそうに笑いながら、そう声をかけた。
うん、そうだよ、お姉さん。
“私”は、お姉さんが、心配だよ。
だってそんなにも辛そうで、不幸せな顔を、しているもの。
“私”は、こんなにも『幸福』なのに......!
“私”はお姉さんのそばで、“私”に何ができるのかを、考えた。
みょんみょんと動きながら、考えた。
お馬鹿なりに、考えて、考えて、考えている内に。
一つ......思いついた。
“私”は、『幸福』。
なら、お姉さんも、“私”になれば!
お姉さんも、『幸福』!
「な、何をッ!?やめッ......」
“私”は頑張って体を動かして、まずはお姉さんの頭を“私”の体で包みこんだ!
小さな“私”の体だけど、それくらいのことはできる!
「ガ、ガボ、ゴホ......!?」
お姉さんは初めの内はもがいていたけど、すぐに動かなくなった。
そして、しばらく待つと、お姉さんの頭は、すっかり“私”になっていた。
不思議だよね。
“私”、“私”以外の物を、“私”にすることができるみたい!
これは、“私”がバケツの中で目を覚ましたその時から何故だか理解していた、“私”の持つ能力!
何のために、“私”はこんな能力を持っているのか......さっきまでは、さっぱりわからなかったけど。
今なら、はっきりとわかる。
“私”は、『幸福』。
だから“私”は、全てを“私”にして......。
全てを、『幸福』にしなければ、いけないんだ!
それがきっと、“私”の、使命なんだ!
その事実に気づいた以上、“私”はのんびりしては、いられなかった。
まずは動かなくなったお姉さんの体もすっかり“私”にして。
周囲に転がっている骨とか肉も、“私”にする。
そうやって、どんどん“私”を、大きくした。
“私”が大きくなればなるほど、“私”はたくさんのものを、“私”にできるんだから!
途中で、金属や鉱石等も“私”にできることに気づいてから、“私”が大きくなるのは、さらに早くなった。
熱いのとか、冷たいのとか、乾いているのはちょっと苦手だけど......。
色んなものを“私”にして。
色んなものを、『幸福』にして。
“私”は、どんどん大きくなった!




