296 霧の岬の先端で
第16章を始めます。
第1部最終章目前......ということで、軽く書けて軽く読める、作者にも読者にもノンストレスなお話づくりを目指します。
夏だからね、海のエピソードだよ。
オマケ様も、多分、いっぱい喋るよ!
......今話と次話には出てこないけど、それは勘弁してください。
それでは、またしばらく、おつきあいくださいませ。
辺り一面、霧である。
数メートル離れてしまえば、おそらく何も見えなくなってしまうであろう程に、濃い霧である。
しかしながら、潮の香り、そしてざあん、ざざあんと、寄せては返す波の音。
それがあるためにわかることは、即ちここが海の近くだということだ。
「はぁ......何だって、こんなことに......」
「............」
さて、そんな深い霧の中を、歩く二人の人間がいた。
先を進むのは、黒く日焼けした筋骨隆々の若者だ。
先程ため息をついていたのは、この男である。
そして、その後ろを行くのは、白くなった長い髪を後ろで一つにまとめた、厳めしい顔つきの男である。
その顔に刻まれた皺の深さだけを見れば、この男がかなりの高齢であることは明らかだが、その肉体は先を行く男に引けをとらないほど逞しい。
足取りもしっかりしており、全く老いを感じさせない。
「そう言ったところで、どうにもならんぞピュンチャポン」
老人は先を行く若者......ピュンチャポンの愚痴をたしなめた。
「だってよぉ......ひでぇ話じゃねぇか、トッピパップゲン村長......最近じゃ、ただでさえ税のとりたても厳しいってのに、それに加えてこれだもんよぉ......」
それでも、ピュンチャポンのぼやきは止まらない。
老人......トッピパップゲン村長も、ピュンチャポンの気持ちは良くわかる。
というか、同じ気持ちでいる。
しかし、それでもだ。
「嘆くな......嘆いても、何も変わらん。気が滅入るだけだ。それに......いつ、どこで、不用意な言葉が、ダイチーブ公爵様の耳に入るか、わからん。そうなったら、ことだぞ......」
「へぇへぇ......まぁ、お役人様がよぉ、こんな岬の方まで来るこたぁ、ないと思うがね。村の中でさえ、『魚臭い』とか言って鼻をつまむ連中だぜ?」
「だから黙らんか、馬鹿者!」
それから先も、ぽつりぽつりと言葉を交わし合いながら、二人の男はひざ下まで伸びた草をかきわけ、先へと進んで行く。
霧が濃いにも関わらず、その足取りには迷いが無い。
二人は、この近くのパネッモ村に住んでいるのだ。
多少見通しが悪かろうと、この辺りのことなら手に取るようにわかる。
さて、波の音が強くなってきた。
相変わらずの霧で分かりにくいが、彼らはついに、村から少し離れた位置にある岬の先端へと、たどり着いたのだ。
「さぁて......持ってきたぞぉーーーッ!!」
ピュンチャポンとトッピパップゲン村長は、それぞれが背負っていた風呂敷状の布に包まれた大きな荷物をずしんとその場におろすと、大声で叫んだ。
すると、そのすぐ後のことだ。
ズズズ......ズザザ......ザザザザアアアアンッ!
岬の崖下の海が渦巻き、大きな波音を立てながら......巨大な......そう、あまりにも巨大なバケモノの影が、鎌首をもたげるようにして、海の中からぬらりと現れたのは!
「ひッ......!」
「............!」
その巨大さたるや、人間などその大きな口で容易く一のみにしてしまえるほどであり、逞しい大の男である若者ピュンチャポンが恐怖のあまり腰を抜かしその場に座りこんでしまうのも、無理の無い話であった。
その隣で腕組みをして微動だにしないトッピパップゲン村長も、その額に浮かぶ冷や汗を見れば、決して平常心ではおらぬことは容易に見てとれる。
「ピュルルルルル......」
霧でその姿をぼんやりと隠すバケモノは、奇妙な甲高い鳴き声を鳴らしながら、パネッモ村の二人が持ってきた荷物をくんくんと嗅ぐと......。
「ピュルルルルーーーッ!」
そう、一際大きく鳴いて、その長い首を天に向かってまっすぐに伸ばし......。
「ピュルーーーッ!」
勢いをつけて、二人が持ってきた荷物にかぶりついた!
「ピュルッ!ピュルッ!ピュルッ!」
そしてバケモノはその荷物を、何度も何度も執拗に咀嚼した後、器用に布だけを吐き出してから中身を飲みこんだ。
べちゃり。
バケモノの唾液にまみれたその布が、たまたま腰を抜かしたピュンチャポンの頭上に落下する。
「ひゃわわーーーッ!?」
それまで、歯を鳴らしながら必死に恐怖と戦っていたピュンチャポンは、この偶然の事故に耐えきるだけの精神的余裕を持っていなかった!
彼は奇妙な悲鳴をあげながらその布を振り払った後、ぐるりと白目をむいて、気絶してその場に倒れこんだ。
「ピュルルルルーーーッ!」
しかしそんな哀れな若者のことなど、当然バケモノは意にも介さない。
甲高い鳴き声をあげながら、ゆらゆらと踊るように揺れてから、バケモノは再び、海の中へとその長い体を沈め、消えていった。
ざあん、ざざああん、ざあん......。
その後の岬は、静かなものだ。
ただ、崖下から寄せては返す波の音だけが、辺りに響いている。
「............」
トッピパップゲン村長は、無言だ。
腕を組み、その体を強張らせながら......じっと、霧で先の見通せない海を、睨みつけていた。
音が出る程に強く、その歯を食いしばりながら。




