264 ケヌちゃんは、さておき
初夏を思わせる青空の下、青々と茂る草原をかきわけて心地よい風が一吹きし、私の髪を揺らした。
つばの広い帽子が飛ばないよう、左手でとっさにおさえる。
息を吸い込めば、青くてほのかに甘い、草の香り。
「お茶をしましょー?」
そう言って私を誘った新しい私の母を名乗る女は、ゆっくりと紅茶を口に含み、その苦みと香りを楽しんでいる。
その間も彼女の視線は、じっと私を捉えて離さない。
美しく微笑みながら、飽きもせず私を見つめている。
......私が今座っているのは、ライリーンの屋敷の庭にある、東屋だ。
<ガゼボです>
......さて、封印島ヴェラ・ケヌの災厄オドオカト・セ・ケヌ復活事件から数日が経った。
え、何、事後なの?
そう思われるかもしれないけど......。
......そう、事後なのだ。
◇ ◇ ◇
空が赤く染まり、大地が揺れたあの後......オドオカト・セ・ケヌはお屋敷前の草原を砕きながら、その巨大な体の一部を地中からひねり出した。
あまりにも巨大であり、その一部が厄災の体のどこの部分だったのか......頭だったのか、あるいは指先だったのか、はたまたあの厄災特有の部位なのか......私にはわからない。
ただそれは、真っ黒でぬるりとした、お屋敷と比べても遥かに大きな体を持っていた。
そしてその体表には人間の物に似た無数の巨大な瞳が無造作に散りばめられ、あたりをぎょろぎょろと見回していた。
さらにはそれだけでなく、瞳程ではないけど、そこかしこに薄汚れた歯の並ぶ大きな口がいくつも開いており、まるで陸に打ち上げられた魚のように、ぱくぱくと開閉を繰り返していた。
不気味な怪物。
そうとしか、表現できない。
それが厄災オドオカト・セ・ケヌの姿だった。
その怪物の瞳はしばらくぎょろぎょろとあたりを見回していたが、しばらくして。
「............!!」
一斉に、こちらを向いた。
<<<オア......オア......オアアアアアアーーーーーーッ!!!>>>
そしてそれと同時に轟く、悍ましい咆哮!
生臭い風と共に、私たちへの敵意と害意が一気に押し寄せる!
「く......!!」
その酷い臭いに思わず鼻と口を腕で抑えつつも、私は厄災を睨みつけた。
なめんなよ。
負けてたまるか......!
己よりも遥かに強大な敵を前にして、私の闘争心が燃えあがる!
怯えても、無駄だ。
逃げ場はない。
戦うしか......ない!!
私がそう覚悟を決めた、その瞬間だった!
「うるっせぇーーーッ!!くっせぇんだよテメェーーーッ!!!」
私の隣に立っていたライリーンはそう叫んだかと思うと、突然天高く跳びあがった!
「は!?」
そしてくるくると回転しつつ濃縮された黄金色の魔力を身にまといながら、身をよじりつつさらに地上へと体をひねりだそうとしている厄災に向かって、思いきり......踵落としを放った!
<<<オアアーーーーーーッ!!?>>>
その一撃を食らいゴムボールのように体をへこませた災厄は、悲痛な叫び声をあげ、そして。
<<<イテエエエ......>>>
そう情けなく嘆きながら、まるで映像が逆再生されているかのごとく地中へと再び引きずり込まれていった。
いつの間にか頭上には澄みわたる青空が戻り、砕け、ひび割れたはずの草原は不思議と元通りの大地に戻っていた。
つまり災厄は......再び封印されたのだ。
後でライリーンがぺらぺらと教えてくれたことだけど、災厄が地上に出てくるのはこれが初めてじゃないらしいのだ。
そのたびに地中へと殴り返していたので、ライリーンはいつも通り落ち着いて対処をできた、というわけだ。
いかに災厄と言えど、超長期にわたる封印処理のせいでその力はかなりそぎ落とされており、ライリーンにしてみれば大した相手でもない、とのことだった。
また、あの厄災が完全に地上にはい出てきたとしても、完全に結界を破壊して外の世界に解き放たれるまでは、結界が弱まった今の状態でも1年以上の時間がかかるらしい。
だからこそライリーンは普段はこの島の封印を放置して、今でも冒険者ギルド総帥として仕事をしているんだと。
それと、ライリーンはたまにストレス発散のため、わざと災厄を呼び出してはサンドバックにしているらしい。
それも含めての、ライリーンへの『依頼』なのだということだけれど......。
なんというか、それはケヌちゃんがかわいそう。
私はそんなことを思った。
◇ ◇ ◇
さて、そんな情けない厄災ケヌちゃんのことは、置いておこう。
どうでも良い。
私にとって問題なのは、ケヌちゃんの封印のせいで、私がこのお屋敷から逃げられないという事実なのだ。
「............」
「?」
ずず、とお茶をすすりながら、じっとライリーンを睨みつける。
ライリーンは小首を傾げながら、笑みを浮かべている。
東屋の中を風が通り抜け、お互いの髪がサラサラと揺れる。
<ガゼボです>
私はあれ以降、ずっと苛立っていた。
目の前の女は師匠を馬鹿にしたことを、謝りすらしない。
私が怒りをぶつけても、どこ吹く風だ。
そして私は、この家から逃げ出せない。
変わらない現状、そして現状を変えられない自分に、ずっと苛立っていた。
......そもそも結界があるのに、どうやってこの島から出ていくのか。
それについては、実はもう見当がついている。
このお屋敷の地下には......実は転移魔法陣がある。
オマケ様が以前話をしていた、貴重なワープ装置だね。
それがあるのだ。
ライリーンや......そしてほとんど私の目の前には姿を現さない使用人たちは、どうやらその転移魔法陣を使って、外部と行き来をしているらしかった。
私もこのお屋敷に連れて来られた時は、この魔法陣を使っていたのだろう。
意識を失っていたから、わからなかったけど。
さて、では、なぜこれまでその事実に気づかなかったのかといえば、その魔法陣が設置されている地下室には鍵がかけられていたからだ。
鍵がかけられていたから、これまではわざわざその中を調べようとも思わなかったのだ。
でも昨日、イライラにまかせてお屋敷を破壊していた時、偶然その存在に気づいたってわけ。
その魔法陣が転移に関わるものであると、オマケ様はすぐに看破した。
私はすぐにそれを使って逃げ出そうとしたんだけど......だめだった。
小癪なことにこの転移魔法陣、使用するためにはライリーンの許可がいるらしいんだ。
『ユーザー登録が、されていません。本製品のご利用に当たっては、まずは管理者の使用許可を得てください。繰り返します......』
室内に無機質に響く妙に現代的なアナウンスを聞きながら、私は地団駄を踏んだ。
◇ ◇ ◇
「ねぇー、エミーちゃんどうしたのぉー?私の顔に、何かついてるぅー?」
さて、舞台は再び東屋に戻りまして。
<ガゼボです>
じっとそのむかつく顔を睨みつけていた私に気づき、ライリーンは照れて頬を染めながらそんなことを言った。
「............」
落ち着け。
どんなに奴の発言に精神を逆なでされたとしても、激昂に身を任せてはいけない。
それでは、話が先に進まない。
落ち着け。
「ふぅー......」
いったんうつむいてから深呼吸しつつ、ティーカップをテーブルの上に置く。
爽やかな風が吹き、私の頬をなでる。
落ち着け、落ち着け。
草の香りを胸いっぱいに吸い込みながら、深呼吸だ。
力み過ぎで粉々に砕けてしまったティーカップの持ち手が砂のように風に吹かれどこかに飛んでいくのを見送ってから、私は顔をあげた。
「............ねぇ」
「んー?なぁにぃー?」
......今日、私は。
状況を、先に進めるんだ。
「............ふぅー......」
結局これまで一度もとってこなかった、アプローチによって。
「うふふ、どうしたのよエミーちゃん?なんだか緊張していない?あ、ついにお母さんの美人さに、気がついちゃったのかしらぁー?うふふ!」
落ち着け、落ち着け。
正直、苦手なアプローチではあるんだ。
だけど、それでも、やるしかない。
これまで、どれだけ殴りかかっても、ライリーンに私の想いは通じなかった。
なら、もはやこうするしかない。
......もう、これしかないんだ。
ライリーンを、まっすぐに睨みつける。
覚悟を、決めろ!!
「お願いが、あり、ます」
立ち上がり......頭を、下げるッ!
腰を、折るッ!!
その角度たるや......もはや90度と言っても過言ではないッ!!!
私が、これから行おうとしていること。
それは、力なき人類が悠久の歴史の中で編み出してきた、英知の結晶。
......すなわち!
口頭による............交渉ッ!!
“お話し合い”だッ!!!
「私を......島の外に、出してください!!」
混迷極める第14章の迷子構成のせいで、さておかれてしまったケヌちゃん。
ごめんね、ケヌちゃん......。
でも君が輝ける場面は、きっとあるから。
今はしばらく、おやすみなさい。
さあ、第14章も、もうすぐおしまいです。




