241 邂逅
ラナーが呪い子の噂のことを知ってから、数日が経った。
あの日、夫のパーリーロットが帰ってきたのは、イケランジェルがすっかり寝付いた後のことだった。
依頼されていた役所の魔灯修繕に時間がかかったうえ、商工会青年部の連中につかまり、その会合からなかなか抜け出せなかった、ということらしかった。
頬を赤らめながら少しだけ酒臭くなった夫に......ラナーは呪い子の噂について、何か話したりはしなかった。
いつも通り彼を抱きしめて帰宅を喜び、苦笑しながら帰りが遅いことを責めて、その日の息子の様子だとか売り上げの話だとかをして、寝た。
パーリーロットは陽気なお調子者だが、優しい男だ。
飲んだくれの暴力を振るうクズとは違う。
噂の話を聞けば、きっとラナーが何に怯えているのかをすぐに理解し、彼女の心に寄り添って、慰めてくれるだろう。
しかしラナーは、それを良しとしなかった。
それでは、パーリーロットの心もまた、傷ついてしまうから。
これは、ラナーの罪なのだ。
その罪から目を背け、逃げ続け、意識に蓋をする。
しかしそれでも時折襲い来る、強烈な罪悪感。
それは全て、ラナーが引き受けるべきものであると、彼女は考えていた。
パーリーロットは、きっかけに過ぎない。
彼が苦しむ必要などない。
◇ ◇ ◇
さて、この日パーリーロット魔灯店を早めに店じまいにし、ラナーはセレリリンの町の市場まで買い出しに来ていた。
くすんだ薄黄色の壁に挟まれた路地にはいくつも勝手に木箱が並べられ、野菜や肉、魚などが売られている。
セレリリンはそれなりに人口規模が大きい町であり、市場に並ぶ商品も様々だ。
先日降った雪は未だその全てが溶けきらず、この市場でもそこかしこに雪山が残っているのが見受けられるが、そんな寒さなどお構いなしに店員たちは客の呼び込みを行う。
その熱気たるや、今が冬であることを忘れさせるほどだ。
「トポポロック肉、塩サッケ、冬伸び菜っ葉に拳豆......」
この先1週間の献立を考えながら、ラナーは必要な食材を次々と買い物かごに入れていく。
「おう!ラナーちゃん、今日もかわいいね!」
「やだわぁ、おじさんたら!......あら、それは何?」
「これかい?これは乾燥酢ヅタだな!スープなんかに入れると、爽やかな酸味が広がる新商品だぜ!買ってくかい?」
「ええ、一束いただこうかしら?」
ラナーがこのセレリリンの町に住み始めてから既に数年が経ち、この市場の人々とも彼女はすっかり顔見知りだ。
明るい彼らと話をすることが、ラナーは大好きだ。
暗い気持ちは吹き飛び、気分転換になる。
ついつい買いすぎてしまうこともあるが、こうして顔つなぎすることで魔灯店への依頼も多くなろうというものだから、それは必要経費である。
「......あら、もうこんな時間?」
同年代の八百屋の奥さんとすっかり話しこんでしまったラナーは、街並みの向こうに日が沈みこもうとしていることに気づき、口に手をあて驚いた。
「ありゃ、ごめんねラナーちゃん!時間とっちゃって!」
「いいの、いいの!今日も楽しかったわ!お喋りしてくれて、ありがとう!」
「あはは、どういたしまして!それじゃ、うちもそろそろ店じまいねぇ......あ、ほらラナーちゃん、これオマケね!ガグゲ芋!甘いよ!」
「うわぁ、イケが喜ぶわぁ!」
八百屋に手を振り背を向けて、ラナーは足早に家路を急ぐ。
夫は、今日も遅いと言っていた。
イケランジェルは、おそらくもう帰って来ているだろう。
あまり晩御飯を待たせては、かわいそうだ。
「......少し近道、しようかしら」
だからラナーは、いつも使っている大通りではなく、入り組んだ細い路地へと経路を変えた。
この道を使えば、少しは早く家に着く。
セレリリンは治安の良い町であり、人気が少ない道だからと言って、犯罪に巻き込まれる危険性はほとんどない。
いつもこの道を使っていない理由は、単純に、何となく物寂しくて好きではないからだ。
既に夕日が沈みかけているため、あたりは少し薄暗く、古ぼけた路地の狭さ、人気のなさも相まってなんとなく不気味だ。
市場でお喋りをして少しは上向きになったラナーの心の中で、再び不安がその鎌首をもたげる。
「............」
しかしそれを、ラナーは無理やり押さえつけ、前へと進む。
嫌な気持ちに、思い出したくない記憶に蓋をする。
いつもやっている彼女の得意技だ。
不安から目を逸らすため、ラナーは今晩の献立を必死になって考えなおす。
ガグゲ芋があるのだ。
茹でて潰して、パンに挟もうか。
それとも、炒めて肉とあわせようか。
どちらにせよ、イケランジェルは喜んでくれるだろう。
必死になって、息子の笑顔を脳裏に思い浮かべる。
夫の笑顔を、脳裏に思い浮かべる。
皆、笑顔で食卓を囲む。
幸せな、3人家族。
「うわあーーーーーーっ!!」
しかしそのラナーの幸せな想像は、良く聞き覚えのある少年の叫び声によって、中断させられてしまった。
場所は、路地と路地が交わる、建物のせいで見通しの悪い四つ辻!
「え......きゃっ!?」
その叫び声に気づき、声の方向を......己から見て右手の路地を振り向こうとしたラナーは、全速力で走って来たと思しき声の主とぶつかり、尻餅をついた!
そのはずみで買い物かごを落としてしまい、ガグゲ芋がころころと転がっていく。
「いたた......ちょっと、気を付けなさい、危ないわよ......って」
「あ、あれ!?ママ!?」
ラナーは尻餅をついた己の腹に抱き着くような形で倒れこんだ声の主......少年の姿を見て、驚いた。
何故ならそれは、時間的にはもう既に帰宅しているはずの、自分の息子、イケランジェルであったからだ。
「ちょっと、イケ!あなた、何をしているの?もう暗いというのに、まだ遊びまわっているの?」
ラナーはため息をつきながら、いつものようにお小言を言った。
しかし、それを受けるイケランジェルの様子は、いつもと違っていた。
まず、その恰好がおかしい。
父親が仕事に使う防護帽子を頭にかぶり、これまた父親の仕事道具である、金属製の工具がたくさん入った道具袋をその背に背負っている。
そして息が荒く、ぶるぶると震えている。
顔が真っ青だ。
まるで、何かとてつもなく恐ろしいものに、出会った後のような血の気の引きようだ。
「マ、ママ!そんなこと、言っている場合じゃないんだ!に、逃げよう!はやく、逃げなきゃ!!」
「はあ?イケ、あなた、どうしてしまったのよ?」
「お、怒らせちゃったんだ!!オレ、会ったんだよ......噂の、呪い子にっ!!!」
その息子イケランジェルの言葉を聞き、ラナーがひっと息をのんだ......その時だった!
「............」
ころころ、ころころと転がっていたガグゲ芋が、何者かの足にぶつかり、止まった。
小さな足だ。
しかも冬だというのに、冷たい石畳の上だというのに、それは素足だった。
夕日を背に負い逆光になっているが、それでもその肌は雪のように白いことが見てとれる。
「う、うわあっ!来たーーーーーーっ!!」
イケランジェルが走って来た方向の路地に突然現れたそれを見て、彼は震えあがり悲鳴をあげて、強く強くラナーに抱きついた。
つまり、それこそが、彼が怒らせたという存在なのだ。
ラナーは息をするのも忘れて、その存在を、見つめていた。
今、彼女の耳には、どくん、どくんという、己の心臓の動く音しか届かない。
徐々に、徐々に、恐る恐る、ラナーはそれの足元から頭の方へと、視線を動かす。
それは、素足であったが、その上には普通に若干裾のほつれたズボンをはいており、さらにその上には......良くわからない、どす黒い岩のような、トゲトゲとしたものを着こんでいるように見えた。
そのトゲトゲには時折錆びたような赤色が浮かびあがっては、消える。
不可思議で、悍ましい。
見ているだけで、不安にかられる姿である。
しかし、それよりも、何よりも。
そのどす黒い岩のような何かの上から、ぴょこんと飛び出た、その頭部。
黒髪黒目。
呪い子だ。
呪い子である。
しかし、ただの呪い子ではない。
一度見れば忘れられないほどの、異常なまでに整ったその容貌。
ラナーは、それを。
ラナーは!
覚えていた!!
忘れようと、いつも忘れようとしていた!!
しかし、忘れられなかったのだ!!
面影が、あるのだ!!
彼女は、それこそ、乳幼児の頃から、異常なまでに美しかった!!
絶対に、間違いがないのだ!!
ラナーは、知っているのに!!
あの村は、魔物に襲われて滅んだと、知っているのに!!
あの子は、既に死んでしまったと、そう思っていたのに!!
ラナーは、確信してしまったのだ!!
そんなこと、あり得ないと、そう信じたいのに!!
あの子は!!
あの子は!!
......あの子は!!
かつて、己が捨てた......娘であるのだと!!
「エ......ミー......」
ラナーの口から、思わずその名前がこぼれた。
それを聞き、その呪い子は......それまで追っていたイケランジェルに向けていた視線を、ラナーへと移した。
その深く深く黒い瞳で、じっと、じっとラナーを見つめる。
表情は、全くの無表情。
無機質で、何の感情も読みとれない眼差し。
どれほど時間が経っただろうか。
しばらくして、呪い子は、ようやく口を開いた。
そして。
「こんなところに、いたのか」
そう、小さくつぶやいたのだ。
追っていた、イケランジェルではなく。
はっきりと、ラナーの瞳を、見つめながら。
夕日によって長く長く伸びた呪い子の影が、ラナーたちの影と混じりあい、一つになった。




