240 靄纏う怪人
今晩の夕食は、メケナーのスープだ。
メケナーとは黄色と黒のまだら模様をした獣であり、足が3対、翼が2対生えており、大きい。
しかしその性格は温厚で、ナガンアハテ国周辺では牛の代わりに家畜として飼われているのだ。
そしてメケナーのスープはこの辺りの地域に伝わる伝統料理であり、火を通しやすいよう薄く切った各種根菜をメケナーミルクで煮込んだものだ。
大抵の子どもの大好物であり、例に漏れずラナーの息子イケランジェルも、このスープの甘くコクのある味が大好きだ。
......その、はずなのだが。
イケランジェルは目の前に運ばれてきたスープを上機嫌で口の中に運んだ後......首をひねった。
「ねぇ、ママ......今日のスープ、なんだかおいしくないよ......?」
そして、そんなことを言うのだ。
「ええ......?」
ラナーは鍋から自分の皿へスープをよそいながら、背中で息子の文句を聞いた。
急ぎ自分も食卓を囲み、スプーンに一すくい、スープを持ち上げる。
未だ夫のパーリーロットは帰宅していないが、暮れるのが早い冬の空はもう真っ暗だ。
当然、室内には魔灯が灯されており、その光を浴びて、薄黄色のスープに浮かぶトポポロック肉の脂がきらきらと輝く。
見た目は、問題ない。
「......あら、ごめんなさい、私、お塩を入れるのを忘れていたみたい」
「えーーーっ?」
しかし味には、問題があった。
一口食べて問題を見抜いたラナーは慌てて立ち上がり、台所から調味料を持ってきて、それを息子と彼女のスープに振りかける。
「はい!これで大丈夫!」
「ええ......雑ぅーーー!」
文句を言いながらもイケランジェルは笑顔だ。
そして笑顔のままスープを口に運び......困惑して眉を下げた。
「ママ......今振りかけたの、多分お塩じゃなくて、お砂糖だよ......?」
「あら......?」
「ねぇ、ママ、どうしたの?具合でも悪いの?」
なんだか、いつもと違ってぼんやりとしている。
よく見れば、顔色も悪い。
そんな様子を見せられれば、さすがに幼い息子にも母の不調は理解できようというものだ。
「そんなこと、ないわよ?」
「嘘をついちゃいけないって、ママがオレに言ったよね?」
「............」
ラナーは、笑顔を取り繕うのをやめて、ため息をついた。
こんなにも幼い息子に心配されて、自分が情けなかった。
「何か困っていることがあったら、言ってね?オレにできることなら、オレ、何でもやるよ!」
「困っていることは、ないのよ。ただ......気になっていることは、あるのだけれど......」
「何?何?」
母への心配、というよりも好奇心を大いに刺激された様子で話を聞いてくる息子を見て、ラナーは余計なことを言ったかと、少し後悔した。
しかしこの期に及んで、『やっぱり何でもない』では、息子は納得しないだろう。
だから、ラナーは思いきって、イケランジェルに聞いてみることにしたのだ。
子どもたちの間で広まる、呪い子の噂について。
◇ ◇ ◇
「呪い子の噂?もちろん、オレも知ってるよ?」
どこか不安げな様子で噂のことを問いただした母ラナーに対し、息子イケランジェルはきょとんとした顔をしてそう答えた。
一方のラナーはドキリと大きく心臓を鳴らし、ゴクリと小さく喉を鳴らす。
「うんとね、一番最初にその呪い子を見つけたのはね、確か......干物屋のカッピテットロンなんだ」
「えっと......あの、短髪で丸めの子?」
「そうそう!」
そしてイケランジェルは得意げに、噂話の詳細を語り始めた。
「その日、学校が終わってカッピは......一旦家に帰ってから、遊び場に向かっていたんだ......サッケトーバーをかじりながらね」
サッケとは中型の魚の魔物であり、トーバーとはその干物のことだ。
サッケは生まれた瞬間から同族同士で激しい生存競争を行うことが知られている魚であり、自らが生まれた川を縄張りにできるのは、何十万もいる兄弟姉妹のうち、たった一匹だけであると言われている。
縄張り争いに敗れた稚魚たちは川から海へとくだり、そこで力を蓄えるのだ。
数年後、身も心も大きく成長したサッケたちは、徒党を組んで生まれ故郷の川を遡上する。
自分たちを追い出した縄張りの主に......復讐するために。
まあ、それはさておき。
「そこでカッピは......出会ったんだ。その......呪い子の、女の子に」
イケランジェルは声を潜め、真面目な顔をして噂話を語る。
『呪い子の“女の子”』。
その言葉を聞き、ラナーの鼓動が速くなる。
「そいつは......呪い子だから、当然黒髪黒目で」
体が震える。
「肌は雪のように白く、少し釣り目で」
冷や汗が止まらない。
「完全に......暗黒トゲトゲ岩石マンだった......」
「............はい?」
息子の口から突然飛び出た、意味のわからない言葉。
ラナーは思わず、呆けた声を出した。
「暗黒トゲトゲ岩石マン......?」
「いや、オレも詳しくは知らないよ!?でもカッピとか、そいつを見た連中はそういう見た目だったって必ず言うんだ!そう言わざるを得ない恰好をしているんだってさ!......とにかく!」
ごほん!と咳払いをして、イケランジェルは慌てて話を戻す。
「そいつは道の真ん中に突然現れて、一人で歩いていたカッピの前に立ちふさがり、サッケトーバーの袋を指さして、言ったんだ......『それ、ちょうだい』って」
イケランジェルはゆっくり喋ったり、早く喋ったり、小さな声を出したり大きな声を出したり、緩急つけて話を盛り上げる。
話し上手なところは、おそらく夫のパーリーロットに似たのだろう。
「得体の知れないそいつの雰囲気に恐れをなしたカッピは、震えながら袋ごとサッケトーバーを差し出した。その呪い子は表情を変えずに頷いて、かわりにカッピに、なんだかきれいな......食えないチュロスを手渡し、消えたらしい」
......食えないチュロス?
食えない時点で、それはチュロスではないのでは?
「カッピの話は、これで終わりさ。でも、この話には続きがあってね?」
徐々に混乱し始めたラナーの思考をよそに、イケランジェルはなおも話を続ける。
「カッピからこの話を聞いたガキ大将のゴウギンダッツはカッピのことを馬鹿にした。『お前、呪い子なんかにびびってんじゃねえよ!』ってね。そしてゴウギンはお菓子をたくさん持って、町の中を歩き回ったんだ。その呪い子をおびき出して、いじめてやろうと思ったみたい」
ゴウギンはかなりの自信家で乱暴者だ。
ラナーもその少年のことは悪い意味で家庭の話題にのぼるので、良く知っていた。
「そしたら、ゴウギンの前にも、やっぱり呪い子は現れた。そしてお菓子の袋を指さして、『それ、ちょうだい』って言ったんだ。でもゴウギンは呪い子の目の前でお菓子を食い散らかしながら、呪い子を嘲笑った。『誰が呪い子なんかに、やるかよ!死ね!消え失せろ!バーカ!』と口汚く罵った」
ゴウギンなら、確かにそれくらいのことは言うだろう。
彼は町一番の金持ちの息子であり、親の威を借り増長しているのだ。
「すると、次の瞬間!呪い子の雰囲気が一変して、なんか......もの凄く、恐ろしくて悍ましい気配を発し始めたんだって!」
「悍ましい、気配......!?」
「そう......そしてそれと一緒に何か、黒い靄みたいなのも、呪い子の体から噴き出したらしい......」
(それはもはや人間ではなく、魔物か何かなのでは!?)
「とにかく、その気配を浴びただけでゴウギンは腰を抜かし、立てなくなった。取り巻きたちに担がれて家まで運ばれて......そこで緊張の糸が切れたのか、気絶したらしいよ?そしてそれからゴウギンは、夜に一人でトイレに行けなくなったんだって!」
他にも何例か、その呪い子に遭遇した子どもたちの話を続けて、イケランジェルの語りは終わった。
全てを聞き終えて、ラナーは言った。
「......ねぇ、イケ」
「何?」
ラナーは真面目な顔をして、イケランジェルをまっすぐに見つめた。
「私はふざけた怪談話じゃなくて、噂話を聞きたかったんだけど......」
「いや、これが呪い子の噂話なんだって!」
イケランジェルは憤慨した。
◇ ◇ ◇
さて、息子から呪い子の噂話を聞き終え、ラナーは少しだけ、安堵していた。
何故かと言えば、その噂話はあまりに荒唐無稽で、間違いなく子どもたちの作り話なのだろうと判断できたためだ。
変な恰好をしていて、体から黒い靄が吹き出る?
そんな怪人がいてたまるか。
そもそもそんな怪しい人物がいれば、子どもたちに接触する前に衛兵が飛んできて、それを捕まえるはずだ。
そしてこんな寒い季節に、呪い子の子どもがどこかからこの町に流れてくること自体、現実的ではない。
ベラーサトーの言う通りなのだ。
これは、ふざけたただの噂話だ。
空を飛ぶミミズを見たとか、そういうのと同じ類の話なのだ。
ラナーはほっと息を吐き、スープを一すくい、口に含んだ。
「ねぇ、ママ......この噂話が、どうして気になったの?」
そんな母の様子を見ながら、イケランジェルは首を傾げて聞いた。
「んー......別に?ちょっと不吉だなって、そう思っただけよ?深い意味などないわ」
そう言いながら、ラナーは次々にスープを口に運ぶ。
笑みを浮かべてはいるが、俯き机を見つめたまま、決してイケランジェルと目を合わせようとはしない。
全く無意識に行われたこのラナーの素振りに、イケランジェルは違和感を覚えた。
このような様子の母を、彼はこれまで見たことがなかった。
だから年齢の割に聡い彼は、気づいてしまったのだ。
母は、何か隠し事をしていると。
「ねぇ、ママ......何か、不安があるの?」
息子からのその問いかけを受けて、ラナーはぴくりと一度だけ震え、動きを止めてから、ゆっくりと顔をあげて、困った笑顔でようやく息子を見つめた。
息子は、スプーンをスープ皿の上に置いて、眉を下げ、への字口でラナーを見つめていた。
心配させてしまった。
ラナーは己を恥じた。
「そりゃあ、呪い子がこの町にいるかもしれないって、聞いたんだもの。不安にもなるでしょう?でも、それだけ。あなたが気にすることなんて、何もないのよ?」
ラナーは微笑みを浮かべて、イケランジェルに優しくそう言ったが、彼はその言葉だけで納得はしなかった。
大好きなママを困らせる何かを、男の自分が何とかしなくてはならない。
彼の心の中に、正義の炎が燃え始めた。
だからどんと胸を叩いて、自信満々にこう言い放ったのだ。
「ねぇ、ママ!もしママが呪い子のことが怖くて不安になるんだったら、オレがそいつを退治してあげるよ!何てったってオレ、将来は冒険者になるんだからね!」
「やめなさいッ!!!」
それに対するラナーの返答は、突然の絶叫だった。
聞いたことのない、母の大声。
見たことのない、必死な、睨みつけるような母の表情。
それを受けてイケランジェルは、思わず少し身を引き、息をのんだ。
「ねぇ、お願い。お願いだから......変なことは、しないで......」
ラナーはゆっくりと立ち上がり、よろよろとイケランジェルに近づいて......彼のことをぎゅっと、抱きしめた。
「呪い子って、とても不吉なものなの......関わると、不幸になるの......!絶対に、絶対に、それが例え作り話の噂だったのだとしても......絶対に、関わらないで」
静かに、ゆっくりとイケランジェルに語りかけるラナーの声は、震えていた。
ぎゅっと抱きしめられているので、イケランジェルには母の顔は、見えない。
しかしその瞳には、涙が浮かんでいるのだろう。
彼にはそれがわかった。
だからこそ、彼は許せなかった。
母をこんなにも不安がらせる、呪い子のことが。
故に母の言葉は、息子には届かなかった。
どういうわけか、母は呪い子の噂を作り話だと思っているらしいが、そうではないのだ。
呪い子は、いるのだ。
彼の友だちが、何人もその呪い子を、見ているのだ。
母の懇願とは裏腹に、イケランジェルの決意は固まった。
自分が、母の不安を、取り除くのだ。
呪い子を、倒すのだ。
彼の幼い心の中では、正義の炎が赤々と燃え続けていた。




