239 不吉な噂
「これで、良し......と」
ラナーはすっかり店の前の雪かきを終え、冬だというのにじわりと滲む汗の不快さに服をつまんでぱたぱたとさせながら、頭上を仰ぎ見た。
そこにあるのは、店の玄関扉の上に誇らしげに飾られた、『パーリーロット魔灯店』という木製看板だ。
暗闇を明るく照らす魔灯を扱う店らしくしたいと、その看板の文字は明るい黄色で描かれており、それが真っ青な冬の空に良く映える。
“魔灯”とは魔道具の一種であり、端的に言えば魔力を注ぐと光るランプだ。
原始的な魔灯はある種の魔物素材を少し加工するだけで作成可能であり、それ故に魔灯はこの世界では古くから人々に愛され、利用されてきた。
現在では、それなりの規模の町であれば、各家庭の部屋を照らすだけでなく街灯としても使われるほどには、魔灯は普及している。
その魔灯を取り扱うのが、ラナーが夫のパーリーロットと共にこの町で始めた、パーリーロット魔灯店だ。
提携する魔道具工房から取り寄せた各種魔灯の店頭販売のほか、魔灯の設置工事や修理等も請け負っている。
夫の明るく人に好かれやすい陽気な性格、そしてラナーの美しい容姿も手伝い、現在セレリリンの町の3分の1程の人々は、この魔灯店のお得意様だ。
つまり、そこそこ忙しく、商売的には軌道に乗っていると言って良い。
もともと行商人であった夫パーリーロットが、蓄えた財貨をもとにこの町で魔灯店をやると言い出した時は、さすがにラナーも二の足を踏んだものだ。
何しろ、行商で魔灯を扱ったことはあっても、それが専門であったわけではないのだ。
異業種への挑戦であったと言っても良い。
しかしラナーは夫を信じ、彼の決断を支持し、夫婦一丸となってこの店を盛り立ててきた。
その結果としてあるのが、今の忙しくも幸せな生活だ。
看板を見上げるラナーの顔が、自然と笑みで綻ぶ。
「すみません、もう開いてます?」
「あ、はい、寒い中お越しいただき、ありがとうございます。火も焚いてますので、中で暖まっていってください」
早速訪れた本日一人目の客に声をかけられ、我にかえるラナー。
彼女はにこりと笑って店の扉を開いた。
◇ ◇ ◇
「こんっちゃーーー!カナンティール魔道具工房だよーーー!」
来客を知らせるベルの音と共にそんなだみ声が店内に響いたのは、一旦客足が落ち着く昼過ぎのことだった。
「あぁ、はい!今行きます!」」
声に気づき、店内の入り口までぱたぱたと駆けていったラナーを待っていたのは、寒さで頬と鼻を赤くした恰幅の良い中年女性だ。
「奥さんこんにちは、いつもありがとうございます!寒かったでしょう?」
「いやー、本当にね!寒いのは勘弁してほしいわねー!」
この女性はカナンティール魔道具工房の工房主の妻、ベラーサトーだ。
カナンティール魔道具工房はパーリーロット魔灯店と提携している工房の一つで、主に一般家庭用の小型魔灯を店に卸している。
この日もベラーサトーは、魔灯のつまった木箱を2つほどソリに乗せ、ここまで時間をかけて運んできてくれたのだ。
「......はい、はい、確かに。注文の通りですね。ありがとうございます」
ラナーは木箱の中身を素早く検品してから、その木箱を2つに重ね、ひょいと持ち上げ店内に運び入れた。
彼女は比較的細めの見た目とは裏腹に、それなりに力持ちだ。
「ちょっとラナーちゃん、私も手伝うのに......無理しないでよ?腰をやっちゃうと、辛いよー?」
「あはは、大丈夫ですよー!」
心配げにラナーを見つめるベラーサトーに、彼女はにこりと笑顔を向ける。
かつては魔物を狩って生計をたてていたこともあるラナーだ。
この程度の肉体労働は苦ではないのだ。
「それよりも、奥さん、どうです?少し暖まっていきませんか?」
そう言ってラナーは、店内に置かれたストーブの方を指さした。
中で赤々と炎を燃やすその黒い筒の上では、やかんが口から湯気を吐き出している。
「あらー、へへ、悪いわねー!ならお言葉に甘えちゃおうかしら!?」
ベラーサトーはそう言ってソリを店のわきに立てかけ、雪をほろってから店内に足を踏み入れた。
暖かな空気がむわりと彼女の頬をなで、少し残っていた白い粒を水滴に変える。
彼女たちはストーブを囲むように椅子を並べ、そこでお茶を飲み始めた。
彼女たちにとってこのお茶会は休憩時間のようなものであり、情報収集の場でもある。
とにかく、いくつかのとりとめのない噂話を、彼女たちは存分に楽しんだ。
しかし......この日のお茶会は、ただ楽しい時間として過ぎ去りはしなかった。
ベラーサトーのもたらした噂話のうちの一つに......ラナーの胸の内をどうしてもかき乱す内容のものが、あったからだ。
◇ ◇ ◇
「子どもたちの......噂ですか?」
子どもたちの間で広まっている噂を知っているか?
......そういう切り口でベラーサトーが語り始めたその話を聞いて、ラナーはまずはじめにきょとんとした。
「知らないかい?うちのおチビ二人が学校で聞いたと、騒いでいたんだけどさ......」
ベラーサトーはそこまで言ってからザマーゴ豆茶をずずりと啜り、一呼吸おいてから、小声でつぶやいた。
「......この町に、どこからかさ、呪い子が、流れて来たらしいよ......」
「!!!」
呪い子!
周囲に不幸をもたらすとされる、黒髪黒目の子ども!
ベラーサトーのその一言を聞いて、その一言を聞くだけで、ラナーは固まってしまった。
「何でも、へんてこな恰好をした呪い子らしくてさ......ん?ラナーちゃん?」
ラナーの顔から、血の気がひく。
冷や汗が、噴き出す。
体が、震える。
息をすることさえ、忘れている。
ラナーは今、頭が真っ白だ。
何も考えられない。
ただただ、心臓の音だけが彼女の耳に届く。
「ラナーちゃん!?ちょっと、ラナーちゃん!どうしたんだい!?」
ラナーの尋常ならざる様子を見て、ベラーサトーは慌ててザマーゴ豆茶のカップを近くの机に置き、彼女の目の前でパンパンと手を叩いた。
「あっ......はっ、は、はぁ、はぁ......」
「はいはい、落ち着いて、落ち着いてねラナーちゃん。はい、深呼吸してー......」
「はぁ、はぁ......あ、あの!大丈夫です!奥さん、もう大丈夫ですから!」
我を取り戻したラナーはそう言って慌て、ぎこちない笑みを浮かべた。
「大丈夫なわけあるかい!まだ顔が青いよ?一体、どうしたってんだい?」
「本当に......本当に、大丈夫ですから。ただ、その、不吉だなって、思っただけですから......」
「......何か知らんけど、無理すんじゃないよ?」
ベラーサトーはそう言って、再度椅子に腰かけた。
特に、彼女の事情について、探ったりはしない。
それが、ご近所付き合いをしていくうえで必要な、慎み深さだ。
「まぁ、でもね、それはあくまで、子どもたちの噂だからね?そもそもこんな季節に、よそからこの町に子どもがたった一人で流れてくるなんて、現実的じゃないだろう?呪い子が不吉で恐ろしいのはわからないでもないけど、そんなに深刻に受け止めるもんじゃ、ないよ?」
「えぇ、あはは、そうですよね......」
ラナーは無理やり笑いながら、そう同意した。
その後もラナーとベラーサトーはいくつかのとりとめのない噂話をしてから、このお茶会は解散となった。
しかしラナーは、その後どんな話をしたのか、ちっとも覚えていない。
それどころか、このお茶会の後の仕事中も、心ここにあらずといった様子であった。
気づいたら、あたりはすっかり暗くなり、閉店時間になっていた。
青い顔をしながら店内を掃除し、店の扉の鍵を閉める。
住居スペースの方を覗くと、いつの間にか彼女の息子イケランジェルが帰宅しており、机に頬杖をつきながら宿題を睨みつけ、むーむーと唸っていた。
騒々しいやんちゃな息子が帰宅していたことにも、ラナーは気づいていなかった。




