237 結末 12時37分(23時48分)
彼は、孤児であった。
物心がついた時には、とある町のスラムで少しだけ年上の仲間たちと共に暮らしていた。
時に残飯をあさり、時に盗みを働き......必死になって日々を生き抜いていた。
心無い町の大人たちからは“ドブネズミ”と呼ばれていたこのスラムの子どもたちは、愛おしみ育むべき対象ではなく、駆除対象として見なされていた。
故に、殺人嗜好を持つ人間が彼らの住処......ゴミを集めて作った小さなあばら家のようなものに侵入し、殺戮を開始したとしても、それを助けようとする町の住人など、誰一人としていなかったのだ。
一番喧嘩が強かった意地悪な少年も、一番足が速かった嘘つきの少年も、いつもぼんやりとしていた少女も。
彼の周りにいた子どもたちは、皆その人間に笑いながら斬り殺されたのだ。
彼は、最後まで、残された。
何故かと言えば、子どもたちの中で一番体が小さく、その時はちょうど病気をして弱っており、逃げ出すこともできないだろうと判断されたからだ。
しかし『最後まで』とは言っても、所詮は数人のグループにおける『最後』だ。
彼の番は、数分もしないうちにまわってきた。
「フ~フ~フ~ン、フ~ン、フンフン、フ~ン」
その殺人鬼は体を揺らし、今ここで起きていることがなんてことない日常の一幕であるかのような自然体で、気持ちの悪い鼻歌を歌いながら彼の前に立ちふさがり、血まみれの鉈を振りあげた。
避けることはできない。
逃げ出す体力はない。
彼は、せめて痛くありませんようにと願い、ただただぎゅっと目をつぶった。
“より良い来世を願う”こともできなかった。
来世とかいう概念すら、彼は持ち合わせてはいなかったから。
しかし、彼が予期していた己の死という未来は、何故かやっては来なかった。
ゆっくりと目を開くと、そこには呆けた顔で宙に浮かぶ、殺人鬼の顔があった。
その体はどういうわけか首と切り離され、血だまりを作りながら地面に転がっている。
どういうことなのか。
日々の生活ですっかり摩耗しきっていた彼の心は、恐怖なんてものを感じない。
一体今何が起きているのか。
まず、その答えを求めた。
そしてその答えは、冷静に状況を観察すれば存外簡単に導き出せるものだった。
殺人鬼の首は浮かんでいるのではなく、その髪を後ろから捕まれ、宙ぶらりんの状態になっていたのだ。
つまりは、どうやったのかは知らないけれど、その首を掴んでいる人物こそが殺人鬼を殺し、彼の命を結果的に救ってくれたのだ。
「フンフン、フフ~ン」
その人物は、今ここで起きていることがなんてことない日常の一幕であるかのような自然体で、美しい声で鼻歌を歌っていた。
女性だ。
彼は必死になって目を細め、住処の入り口から差し込む日の光で逆光になっている女性の姿を、命の恩人の姿を、その瞳に映した。
その時の感動を、彼はこれまでの人生で、一度たりとも忘れたことなどない!
日の光を受け、きらきらと輝く金色の髪!
この世の美を凝縮したがごとき、その容貌!
ただのスラムの子どもであった彼にも感じとれてしまうほどの、その体に秘められた圧倒的な力!
その女性は何よりも、美しかった!
その女性は何よりも、神聖だった!
その女性は何よりも、強大だった!
その時住んでいた町の名前も、スラムの仲間たちの顔も、今となってはちっとも思い出せない。
しかしそんな灰色の思い出の中で、この感動だけは今もなお燦然と、黄金色に輝いているのだ!
これが彼......ガイストフェナンジェシリアードと、彼の母であり師であり想い人たる現冒険者ギルド総帥ライリーン・ルーンの出会いであった。
◇ ◇ ◇
「............ふう」
昼食を食べ終わり、己の執務室で休憩をとりながら、冒険者ギルド副総帥ガイストフェナンジェシリアードは海を眺めていた。
彼は海が好きだ。
日の光を受けて煌めく水面の美しさは、その雄大さ、力強さにおいて、ライリーンと通じるものがある。
つまり、素晴らしいということだ。
手に持った紅茶のカップから立ち上る湯気が、鼻腔をくすぐる。
芳醇な香りを楽しみながら、深く、深く柔らかな執務椅子に腰かけ、脱力する。
彼はそうやってリラックスしながら、ライリーンとの思い出をゆっくりゆっくりと反芻する。
これが彼のルーティンであり、こういった穏やかな時間が、彼の生きる活力の元となるのだ。
「さて、と......」
紅茶を楽しみ終えたガイストフェナンジェシリアードは、机上の書類に目を落とす。
午後の執務の始まりだ。
「ふむ、ネボの町近く、アハテ川上流で謎の遺跡を発見......年代不明......ちぐはぐな構造......?」
ちょうど彼が書類をそこまで読み進めた......その時だった!
......ドッ!!!
凄まじい怒りの波動が、衝撃となって彼の体を貫いたのは!
パパパパパパパァン!!!
ミシミシミシィッ!!!
彼の背後の大窓のガラスが粉みじんになって外に吹き飛び、継ぎ目のない冒険者ギルド本部の白壁には大きな亀裂がそこかしこに走る!
「な、一体、何がッ......!?」
腕をかざして吹き飛び舞い散る書類から顔を守りつつそんな一言をつぶやいたその瞬間、彼の直感は死の危険を感じとった。
咄嗟に横跳びし、回避をするガイストフェナンジェシリアード!
すると1秒遅れて執務室の扉が廊下側からもの凄い衝撃を受けて吹き飛び、彼の執務机を巻き込んでなおその勢いを衰えさせず、壁を突き破りそのまま外へと落ちていった。
冷や汗を流しながらその様を見つめた後、ガイストフェナンジェシリアードはゆっくりと、まるで錆びついたおもちゃの人形がごとく、執務室の扉が元あった場所を振り向いた。
そこにいたのは、粉塵舞う中においても美しく煌めく、女神様だった。
つまりは、彼の母であり師であり想い人である冒険者ギルド総帥ライリーン・ルーンが、そこには立っていたのだ。
両手をポケットにつっこみ、扉を蹴り飛ばしたまま動いていないのだろうと思われる片足立ちの姿勢で、彼女はそこにたたずんでいた。
「これはこれは、総帥。いかがなさいましたか?」
ガイストフェナンジェシリアードはすぐさま襟首をただし、微笑みを浮かべ、胸に手を当てて一礼する。
「............」
対するライリーンは、無言だ。
表情がすとんと、抜け落ちている。
......ガイストフェナンジェシリアードの脳内に、警鐘が鳴り響く!
「......タイチェちゃんはさぁー......真面目な子だよねぇー......」
ライリーンは足をおろすと、表情の抜け落ちた美しい人形のような顔をガイストフェナンジェシリアードに向けたまま、そんなことを言い始めた。
「タイチェ特務事務官、ですか......?」
「あの子はねぇー......私のこと、怖いだろうにねぇー......謝りに来てくれたんだよぉー......『エミーさんのこと、再び見失ってしまいました』ってねぇー......」
「!!」
ガイストフェナンジェシリアードは、その一言で何が起きたのかを理解した。
女神様が、何故お怒りになっておられるのかも。
「私、何も報告、受けてないんだけど?」
「ぐ......あ......!!」
ドスの効いた声とともに、ガイストフェナンジェシリアードに凄まじい【威圧】が襲いかかる!
ミシミシと、空間が軋む!
もしも慣れている彼でなくば、それだけで心臓発作を起こし死んでもおかしくないほどの......そうでなくとも精神に異常をきたし後遺症が残ることは間違いのない程の、【威圧】だ!
「おい、エミーちゃん見つかったって、何で黙ってた?書類、止めてたよな、お前。エミーちゃんに、エミーちゃんに会いたいって、私言ってたよな?ずっとな?言い訳、聞いてやるよ。何で黙ってた?何で情報止めていた?言え。何で?何で?何で?」
「情報をッ!!精査するためですッ!!」
ガイストフェナンジェシリアードは思わず膝をつきたくなる脆弱な己の精神を無理やり奮い立たせ、全身全霊でもってその場に立ち続け、叫んだ!
「確かに私は、エミーという少女らしき人物を発見したという報告を、受けてはいました。そしてそれを、総帥にはお伝えしなかった!しかしそれは、あなたを思ってのことなのですッ!!」
ガイストフェナンジェシリアードの情報隠しが、総帥にばれる。
その可能性など簡単に想定できることであり、彼も当然その場合に向けて準備をしていた。
彼は必死になって“事情”を説明する。
「もし、その報告が誤報であったのなら、総帥の悲しみはいかばかりかッ!!それを思うと私は、その正誤が不確かな情報をあなたにお伝えするわけにはいかないと、そう思ったのですッ!!その少女を再び見失ったという情報をお伝えしなかったのも、あなたを悲しませないためですッ!!もちろん、彼女のことは私も目下捜索中であり、新たに情報が入り次第、次こそはその身柄を保護し、総帥にお伝えしようと!!そう思っていたのですッ!!」
襲い来る総帥の【威圧】に耐え、ほぼ絶叫しながら、副総帥は用意していた“事情”を説明した。
一息に喋りきり、己が息を吸っていないことに気づき、慌てて呼吸する。
心臓が痛い!
思わずせき込むガイストフェナンジェシリアード!
「......『私も目下捜索中』ってのは、あの闇精霊を使って?」
「はいッ!!その通りですッ!!」
「精霊を使って、あの子を見つけて」
「はいッ!!」
「殺しちゃう気だった。私に気づかれる前に」
「はッ......えッ!!?」
ライリーン・ルーンはポケットに突っ込んでいた手を、おもむろに引き抜いた。
その手に握られているのは......黒い球。
......闇精霊ヒメタル!!
「全部、聞いている」
「あ......」
「だから、怒っている」
「あああ......」
「そして、失望している」
「あああああ......」
ガイストフェナンジェシリアードは、もはや立ってはいられなかった。
無様に膝をつき、土下座の様な姿勢となる。
そんな彼にゆっくりと歩み寄ったライリーンは、無表情のまま彼の頭をぐりぐりと踏みにじる。
「......お前は、そこそこ強くなったし、周りと比べれば、長生きもしそうだった。“大魔導”程度には。仕事もできた。良い拾いものをしたと、思っていた。それなりに、愛着の湧くくらいには」
ミシ......。
ガイストフェナンジェシリアードの頭から、嫌な音が鳴る。
「あああああ......ああううう......」
涙と鼻水とよだれでその顔面をべたべたに汚しながら、ガイストフェナンジェシリアードは呻く。
「それなのに......これだ。悲しいよ、私は」
一つため息をついて、ライリーンはガイストフェナンジェシリアードの頭から足をおろし、すっかりガラスのなくなった大窓へと歩いていく。
彼女の視界いっぱいに広がるのは、きらきらと輝く南国の海。
暖かい潮風が彼女の金色の髪をなでる。
ザァン......ザァン......。
波の音が届く。
小さく、静かに、控えめに。
「だって......だって......」
海を眺めるライリーンの後方で、床に頭をつけたままのガイストフェナンジェシリアードは、ぶつぶつとつぶやき始めた。
「だって、母上が、その子のこと、“家族”だなんて、言うからぁ......!母上には、ボクがいるのにぃ!ボクが、ボクがッ!ひぐっ!ボクが、いるのにぃッ!!ボクはッ!ボクは母上からッ!!“そんな感情”ッ!!向けられたこと、ないのにぃッ!!!」
その老人はぐずぐずと泣きながら、つぶやいていた。
しかしその声は次第に大きくなり、最後にはもはや、絶叫していた!
そんな老人の叫び声を受け、その若々しく美しい女性は振り返り......。
「気持ち悪い」
そう、つぶやいた。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!」
泣き叫ぶ老人に再度近づきながら、美貌の女性は語る。
「今回のこと、決して私は許さない。お前のこと、絶対に許さない。今すぐにでも、殺したい。ぐちゃぐちゃにして」
しゃがみこんで、老人の髪を掴み、無理やり頭を持ちあげる。
顔を近づけて、目と目を合わせる。
「でもそれじゃあ、お前への罰としては、ぬるすぎる。物証もなくそんな処罰をしては、外聞も悪い」
「あう......」
老人は間近に迫った想い人の美貌を直視できず、頬を染め目を逸らす。
女性はそんな老人の様子など気にも留めず、淡々と語り続ける。
「だから、私はこう決めた」
ぱっと、髪を掴んでいたその手を離す。
どしゃりと、老人は床に顔面をぶつける。
「命令だ」
その言葉には、力がこめられていた。
慌てて、老人は体を起こす。
目の前にあるのは、金色の髪が煌めく女神様の背中。
生物としての格が違う、圧倒的上位者。
尊き存在。
一度上げた顔を、慌ててまた床にこすりつける。
伏してそのお言葉、拝聴しなくてはならない。
「自死をするな。これまで以上に、冒険者ギルド副総帥として、職務に励め」
「!!?」
老人は驚きのあまり、再度顔をあげ大きく目を見開き、女神様を見つめてしまった!
だって、だって、だって!
それでは、これまでと、何も変わらない!
罰でもなんでもないではないか!?
......許された?
何故ならば、母上は。
ボクのことを、愛しているから!
そんなことを、老人は思った。
女は振り返り、呆けた顔をする老人の顔を見つめ、にっこりと、微笑んだ。
「そのかわり、私、あなたのこと、“すっかり忘れる”ことにするねぇー!」
「........................は?」
「あらぁー?おじいちゃん、お顔ぐしょぐしょよぉー?ほら、ごしごしぃー!」
女は、胸ポケットからハンカチを取り出し、その老人の顔を優しくぬぐった。
「え?は?え?」
「ほらほらぁー!なんで床に四つん這いになってるのさぁー!しゃんとしてぇー!」
にこにこ笑いながら、老人の脇の下に両手を差しこみ、まるで首のすわった赤子を持ち上げるかのように軽々と、女は老人を立たせる。
しかし老人は混乱のあまり、力が入らない。
へにゃりと、女の顔を見つめて呆けたまま、その場に座りこんだ。
「あれぇー?もぉー、仕方ないなぁー!お疲れなのかなぁー?」
女はそんな老人の様子を見て苦笑して、今度は彼を、執務机や扉とは異なり未だ無事のままで原形をとどめる応接椅子へと運び、そこに座らせた。
「おじいちゃん、お仕事忙しくても、無理しちゃだめだよぉー?ちゃんと休憩、してねぇー?」
「あ、あの......あの!は、母上!母上......!?」
事態がのみこめず、慌てふためく老人。
女はそんな彼の様子を見て、かわいらしく首を傾げ。
「......ははうえ?おじいちゃん、何を言っているの?」
きょとんと、心底不思議そうな顔をして、そう言った。
「あ、闇精霊ちゃんー!ちょっと私、手伝って欲しいことあるから、付き合ってねぇー!」
老人を心配し彼に近寄ろうとする闇精霊であったが、女はそれを素早く捕まえて、副総帥執務室から共に退室していった。
「キミにはね、私を導いて欲しいんだぁー!キミなら、わかるんでしょー?この世で、たった一人の、私の“家族”の......“娘”の、居場所がぁー!あ、もしかして、将来的には、“恋人”どうしかもぉー!?きゃーーーっ!」
楽しそうな声が、遠ざかっていく。
それを、老人は、呆然としながら、ただ聞いていた。
すぐに声は聞こえなくなり、彼の耳に届くのは、静かな静かな、寄せては返す、波の音。
彼への、罰。
それは、彼の最も大切にしているものを、粉々に砕き壊すこと。
彼の最も大切にしているもの。
それは、関係性。
彼の女神様は、もう二度と彼のことを、『ガイストフェナンジェシリアード』とは、呼んでくれないのだろう。
他に誰もいなくなった部屋の中で、彼はうずくまり、胃の中の物を全て床にぶちまけてから、叫んだ。
第13章、完結!!(本当)
副総帥ですが、物語的には本章にて退場となります。
第1部のラスボスをやっても良いくらいの人ではありましたが、残念、その役はもう別の人に決まっているんだな。
読者の皆様におかれましては、本章も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
『オマケの転生者』はまだまだ、まだまだ、本当にまだまだ続きます。
皆様の暇つぶしにでもなれば、幸いです。
次章の投稿まで、またお時間をいただきます。
しばらく、お待ちください。
【ネボの町】
第12章に登場。
【赤髪勇者物語】で偽勇者イベントが起こった町。
近くを流れるアハテ川からとれるアハテカワエビが名物。
【大魔導】
各章でその名前を散見することのできる人物。
第2部以降登場予定。




