236 露呈 16時41分
『紫ノ二ツ輪』からの刺客は、その全てがあっという間に返り討ちにされた。
枯葉をわずかに纏う森の木々に身を隠しながら、アンビシャスはその様を、ぽかんと口を開けながら見つめていた。
......そのアンビシャスの様子を、その横にふわふわと浮かびながら黒い球は......闇精霊は、じっと見つめていた。
わざと目の前で視界を邪魔するように漂ってみても、ぐるぐると彼の体の周りを回ってみても、アンビシャスは反応しない。
目の前で己の手駒が壊滅したという事実を受け止めきれず、呆然自失としているのだ。
つまり、こうなってしまってはもう、今からこの男があの呪い子に挑みかかることはないだろう。
即ち、依頼は失敗である。
(ちぇ~~~っ!だからウチ、言ったんだけどな。どうせ失敗するって!)
闇精霊は心の中で可愛らしく舌打ちをして、ぷんぷんと黒い煙のようなものを吐き出した。
(こんな連中使ったって、あのバケモノを倒せるわけないのに!ガイっちってば、ウチの話を聞かないんだから......)
街道脇に刺客たちの埋葬を始めた呪い子を眺めながら、闇精霊はため息をついた。
この闇精霊は、あの呪い子を暗殺せよとの命令を受けて、ザマーゴの森の拠点で彼女をずっと観察していたのだ。
だからこそ、知っていた。
あの呪い子は、自分がどうこうできるような存在ではないということを。
『紫ノ二ツ輪』程度の連中では、おそらくは太刀打ちできないだろうということを。
しかし、それをいくら言ったところで、闇精霊の主である冒険者ギルドの副総帥ガイストフェナンジェシリアードは、聞き入れようとはしなかった。
そして成功するはずもない暗殺指令を、『紫ノ二ツ輪』にくだしたのだ。
闇精霊はその暗殺指令を、彼らに届けるように命令された。
いくら無駄だとわかっていても、そう命令されてしまえば、闇精霊は従わざるを得ない。
特定の場合を除いて、闇精霊はガイストフェナンジェシリアードに絶対服従する。
このような酷く闇精霊にとっては不利な“契約”を、60年程前よりずっと、結んでいるからだ。
この世界に少数ながら存在する、精霊の力を借りそれを行使する“精霊使い”と呼ばれる人々がこの契約内容を聞けば、そのあまりの劣悪さに憤慨し、闇精霊に若干の同情を寄せることだろう。
何故、この闇精霊は、このような奴隷契約にも等しい契りを、副総帥と結んでしまったのだろうか?
騙されたのだろうか?
何やら脅迫されて、無理やり結ばされたのだろうか?
(あ~あ、そいじゃ、ウチもそろそろ帰ろっかな!ガイっち、怒るんだろうな~......)
答えは、そのどちらでもない。
(ま、いっか~!ぷりぷり真っ赤になって怒るガイっちも、マジプリティ~だしっ!)
答えは。
(最近しわしわになってきたお顔を、さらにしわくちゃにさせて怒るガイっち!ウチにしか見せないプンプン顔で怒鳴りちらすガイっち!怒りすぎてその後少し心臓が痛み胸を抑えるガイっち!全部全部プリティ~!)
......この闇精霊が、ガイストフェナンジェシリアード副総帥のことを、愛しているからなのだ。
◇ ◇ ◇
まだ副総帥が若かりし頃、精霊たちが住まう精霊の森にやって来た副総帥(当然、当時はまだいち冒険者である)に、この闇精霊は出会った。
そして、一目ぼれをしたのだ。
嘘くさい笑顔!
ねっとりと絡みつくかのような粘着質な魔力!
ぷるぷると可愛らしく震えている小さくて臆病な魂!
全てが、闇精霊の好みだった。
(このヒトは、ウチのものだ!絶対に、他の精霊になんか、渡すもんか!)
そう感じた闇精霊はすぐさまガイストフェナンジェシリアードに襲いかかり、半日にも及ぶ死闘の末打ち倒され、彼専属の契約精霊となったのだ。
その際に結ばれたのが、先述した不利益な契約である。
当時のガイストフェナンジェシリアードは、このような精霊契約を行えた理由を己がこの闇精霊を完璧に打ち負かしたからだと勘違いしていたが、事実はそうではない。
(はぁ~~~っ!ガイっち、好き好き!大好き~~~っ!)
この闇精霊がガイストフェナンジェシリアードを好きすぎたのが、その理由であったのだ。
なお、契約前の死闘にガイストフェナンジェシリアードが破れた場合、その魂は闇精霊によって奪われ、とりこまれていたことだろう。
精霊契約とは、命がけの儀式なのだ。
さて、こうして契約が結ばれて以降、闇精霊はガイストフェナンジェシリアードの影となり、様々な命令をこなしてきた。
当初その命令は、『共に戦って魔物を倒せ』といった、精霊使いとしてはごく一般的な内容であった。
闇精霊は頑張った。
闇精霊が頑張ると、ガイストフェナンジェシリアードは嘘くさい笑顔を見せてくれた。
(嬉しい!その嘘くさい笑顔、大好きっ!)
闇精霊は、もっともっと、その笑顔が見たくなった。
だから、自分が人型を模した時の姿を、『ガイストフェナンジェシリアードが一番好きな人の姿』に固定した!
今でも闇精霊は、初めてその姿をガイストフェナンジェシリアードに披露した時の様子を、ありありと思い出せる。
あの時ガイストフェナンジェシリアードは、闇精霊を見てまず顔を真っ赤にして、その後すぐに今度は顔を真っ青にし、げえげえと胃の中身を吐き出した。
そしてそれまで聞いたこともないような怒気をはらんだ声で、叫んだのだ。
「やめろッ!!!貴様如きがッ!!!そのお姿をとるなッ!!!」
しかし闇精霊は、もうこの姿を人を模す時の生涯の形であると、定めてしまっていたのだ。
故に、苦肉の策として、人の姿になる時はその形に黒い布をぐるぐると巻きつけた姿をとるように命じられた。
(せっかく、喜んでもらおうと思ったのに......)
闇精霊は、想像と違うガイストフェナンジェシリアードの態度に困惑した。
彼はそれ以降、闇精霊が愛していた嘘くさい笑顔を見せてはくれなくなった。
その代わりに向けてくるのが、憎悪に満ち満ちた眼差しだ。
闇精霊が結んでいる精霊契約は、精霊側にとって酷く不都合な内容ではあるのだが、それでも直接的に闇精霊の命を脅かす命令はできないようになっている。
もしそんな命令ができたとしたら、彼は真っ先に闇精霊に自決を命じていただろう。
それが良くわかる、激しい激しい憎悪だった。
普段はどろどろした己の内面を取り繕い、決して外には見せない男が、自分にだけは、その憎悪をさらけ出してくるのだ。
だから、闇精霊は......。
(ウチは......ウチは......!ついにガイっちの“特別”に、なれたってことね!!)
......大いに、喜んだ。
日に日に酷くなるどんな暴言も笑顔で受け入れた。
無理難題にも思える命令だって、自分の命に支障がない限りは必ず遂行した。
それがどんな汚れ仕事であろうとも。
(ウチってマジ、尽くす女~~~っ!)
闇精霊は、ガイストフェナンジェシリアードのことを愛していた。
故に、彼から発せられたどんな憎悪も暴言も無理難題も、その全てが愛おしかった。
闇精霊が自我を獲得してからおおよそ150年......その中でも、この60年程は、最も幸福な時間であったのだ。
......この闇精霊に、とっては。
◇ ◇ ◇
(おっと、こうしちゃいられない!早くガイっちに、怒られてこなくちゃ!)
さて、闇精霊は呆け続けるアンビシャスは放置し、冒険者ギルド本部へと帰還すべく行動を開始した。
夕日により長く伸びる森の影にその身を沈ませ、地の底に向けて深く深く、潜っていく。
そこにあるのは、この世界の“血管”。
即ち、大地を潤す大いなる魔力の流れだ。
年を経て力を付けた精霊たちはこの魔力の流れにその身を潜り込ませることで、超古代魔導文明の崩壊以来魔力の流れが滞っている暗黒大陸サーディサンヌを除く世界各地へと、移動することが可能なのだ。
(よいしょっと、到着~~~っ!)
数時間後、闇精霊は常夏の島アーベ島にある冒険者ギルド本部の、3階にある副総帥執務室のそばにある観葉植物の植木鉢の影の中から、ひょっこりと顔を出した。
執務室への直接の移動は副総帥により禁じられているため、この植木鉢の影は闇精霊の通用口の一つとして重宝されていた。
ちなみにこちらの時刻は、ちょうど職員たちが昼食をとるため、昼休憩をとっている頃合いである。
窓の外に広がる、日の光を受けて煌めく大海原が眩しい。
(ガイっち、ガイっち!)
しかし、そんな風景など闇精霊にとってはどうでも良いものだ。
愛する男の顔を見れる喜びに浮かれながら、闇精霊は執務室の扉をノックするために人型をとろうと変形を開始した。
しかし、その時だった!
「わぁー!キミ、ちょうど良いところに帰ってきたねぇー!」
そんな間延びした女性の声が廊下に響いたかと思うと、闇精霊の体は、もの凄い力で拘束されてしまったのだ!
闇精霊は慌てて変形を取りやめ、後ろに意識を向ける。
そこにいたのは......闇精霊を砕き殺さずちょうど苦痛だけを与え続けるのに適切な力加減でその黒い球状の体を握りしめているのは、腰まで届く美しい金髪を煌めかせる華奢な女性だ。
<<<あ......お......お義母様......>>>
この若々しい女性こそ、冒険者ギルド総帥という地位に50年以上も君臨する世界最強の冒険者、“不変”のライリーン・ルーンその人である!
「......ねぇー、『オカーサマ』ぁー?そう呼ぶこと、私、許可したっけぇー?......現在、この世界で、私のこと、そう呼んで、良いのは......“今やたった一人”だけなんですけどぉー?」
<<<ひぇ、あ、痛い痛い痛いッ!!申し訳、申し訳、ございませんっ!!>>>
ライリーンはにこにこ笑顔のまま、闇精霊をつかむ力を徐々に増していく!
ミシ、ピキと、己の魂にすらヒビが入る音を聞き、闇精霊は必死になって謝った!
闇精霊は知っている。
この女は......ガイストフェナンジェシリアードの母であり師であり......闇精霊の人間態のオリジナルであるこの女は、慈悲というものを持たない。
気に入らない存在があれば、あくびをしながらそれを、周囲一帯ごと消し飛ばしてしまえる存在なのだ。
普段、例えギルドの職員が失態を犯したとしてもそれをにこにこしながら注意するだけに留めているのは、そもそもその存在に興味関心を持っていないからだ。
ただそれだけの理由なのだ。
「反省したなら、それでよぉーし!それで、突然なんだけどさぁー、私さぁー、キミに聞きたいこと、あるんだよねぇー!」
<<<はいっ!答えますっ!ウチ、何でも答えるっ!>>>
自分を握りしめる力が弱まり、ようやく助かりそうな見込みが出てきたと感じた闇精霊は、ライリーンに対して食い気味にそう答えた。
そもそも、今回のように脅迫されなかったとしても、闇精霊はライリーンに対して反抗することはできないのだ。
ガイストフェナンジェシリアードは、闇精霊との契約に際しては、己よりもライリーン・ルーンの命令を優先するように取り決めをしているからだ。
闇精霊自身の命に関わる命令は無効、そしてライリーンの命令が優先。
この二つが、ガイストフェナンジェシリアードへの絶対服従を謳う奴隷精霊契約における、『特定の場合』なのだ。
ライリーンは闇精霊のその言葉に満足したのかにっこりと笑顔で頷き、そして......。
「お前、今まで、何してた?」
その美しい顔立ちから、突然すとんと表情を消し去り、底冷えするような低く恐ろしい声で、そう問いかけたのだ。
<<<あ......>>>
「言え」
ライリーンの命令は、ガイストフェナンジェシリアードの命令に優先する。
答えなければ、ならない。
<<<あ、あ、あ......>>>
「言え」
答えなければ、ならない。
殺しに、行っていたのだと。
<<<あ、あの、あの......>>>
ライリーンが邂逅することを心待ちにしている少女を。
呪い子エミーを。
殺しに行っていたのだと。
......ガイストフェナンジェシリアードの、命令で。
「おい、聞いているのか。言え......殺されたいのか、ヒメタル」
ヒメタル。
ここ数十年、誰からも呼ばれたことのない、闇精霊の名前。
冷たくその名を呼ばれ、ヒメタルは、己の魂にナイフを突きつけられているような感覚に陥った。
もはや、隠し立てできない。
契約的にも、それは許されない。
そしてそもそも契約がなくとも、明らかに格が違う、力に満ちあふれた上位存在とでも言うべきライリーンの命令に、逆らえる訳がないのだ。
だから、ヒメタルは、言った。
何もかも、全てを。
次の瞬間、冒険者ギルド本部から、凄まじい殺気が迸った。
一瞬でギルド本部の白壁にはそこかしこに亀裂が入り、窓ガラスはその全てが砕け散った。
一部を除いて職員はそのほとんどが気を失い、アーベ島を住処とする竜たちは一斉に飛びたち、死に物狂いでその場から逃げ出し始めた。
ライリーンは、怒った。
200年ぶりに、本気で、怒ったのだ。
【ザマーゴの森】
第12章の舞台。
魔境ランラーナンガ山脈の西の端。
最近開拓拠点が作られた。
【ガイストフェナンジェシリアード】
冒険者ギルド副総帥。
表面上は穏やかな人格者を取り繕う老人。
第6章及び第12章の最後の方にちょっとだけ登場。
やたらと長い名前を持っているが、これは彼と総帥の会話から、総帥が付けた名前であることが判明している。
姓はない。
【精霊の森】
精霊が住んでいる森。
ガイストフェナンジェシリアードとヒメタルの出会いのエピソードから察するに、人間にとってはかなり危険な場所である。
第2部登場予定。
【超古代魔導文明】
第10章でもオマケ様によってちらりと触れられた、ロマンあふれる響きの古代文明。
【冒険者ギルド】
現冒険神ドーラントスが複数の神々に命じられ作り出した、国際組織。
妙に現代的な職場環境が整っている。
各章に登場。
なおドーラントスは神になってから千年程しか経っておらず、神界ではまだまだ若輩者であり、どこぞの立方体にもぞんざいな扱いをされていた。
【ライリーン・ルーン】
冒険者ギルド総帥。
300年以上生きる、謎の存在。
最強の冒険者であり、その二つ名は“不変”。




