216 復讐者は立ち返る
喜ばしい!
ああ、なんと、喜ばしいことでしょう!
本日、あなた様の、一欠片は。
エミーの魂は。
新たな覚醒を果たしました。
こんなにも、嬉しいことはありません!
黒く美しい輝きはその苛烈さを増し、ますます私を魅了します。
ほとんどの力を失い、絶望の中、それでもしぶとく己を生きながらえさせていたかつての私の努力は、今まさに報われつつあると言えるでしょう。
......とは言え。
改めて、気合を入れねばなりませんね。
慎重に、慎重に私の魂を広げ、今回の覚醒で破け、穴があいてしまった部分を埋めなおします。
私の魂で形作った膜により、改めてエミーの魂を包み込むのです。
彼女の魂から漏れ出る、あなた様に由来する気配を、遮るために。
エミーは、まだまだ生まれたばかりの雛鳥のようなもの。
かつてのあなた様が一つの宇宙であるとすれば、今の彼女はほんの小さな一つの砂粒。
だからこそ、彼女のことは、まだまだ隠し続ける必要がございます。
幸いなことにこの世界はまだ年若く、愚かな神々はあなた様のことを知らない。
うふふ。
この隙に、育て上げてみせましょう。
大きく、大きく!
いずれは、あなた様にも、届きうるほどに!
うふふ、ふふふふ。
これは、少し、不遜でしたかね?
それにしても。
覚醒の末手に入れた力が、あの男の【見えざる手】の形状に引きずられている。
これは非常に、非常に腹立たしいことです。
妬ましい。
しかし、それは、エミーの努力が実を結んだ結果。
いくら妬ましくとも、受け入れざるを得ません。
しかし。
名づけくらいは、その権利を私に譲っていただきましょう。
もはやあれは、【見えざる手】とは似て非なる異能。
似て......すらもいないかもしれませんね。
ばっちり、誰にでも見える手、ですし。
だから、あれは、【黒腕】です。
うん、シンプルでわかりやすい。
良いですね。
戦いの後に、そう、提案することにしましょう。
◇ ◇ ◇
悍ましい。
仇敵である悪魔の肩から新たに伸びた黒い腕を見た黄金熊がまず感じたのは、魂が震えるほどの嫌悪感だった。
次いで、畏怖。
すぐにでも、あれから離れたい。
逃げ出したい。
そのような感情に囚われた。
ああ、何故己は、先ほどとどめを刺さなかったのか、と。
そう、後悔した。
すっかり彼は、目の前の異形の悪魔にのまれていた。
だがしかし、ここで彼の脳裏に、母の顔がよぎる。
愛情深く、彼を守り育ててくれた、母。
強く勇ましく、彼を守り続けた、母。
賢く見識高く、彼を教え導いてくれた、母。
そんな、永き時を生き続けた、敬愛すべき山の王者を殺したのは誰か。
目の前の、悪魔だ!
己は復讐者だ。
己はあれを、殺さなければならない。
仇を討つのだ!
黄金熊の瞳に、再び復讐の炎が燃える!
バチッ、バチッ!
彼の体には闘志が満ち満ちて、体表を白い稲光が走り始める!
「オオッ!グオオオーーーーーーッ!!!」
そして黄金熊の口から【白雷】が放たれる。
何よりも素早く敵を穿ち、焼き殺す雷の槍!
悪魔は弱っている。
しかも、今回の【白雷】は特に力を込めて放った。
これまでの、2倍の威力だ!
つまり悪魔は為す術もなく焼け焦げて、死ぬ!!
そのはずだった!
そのはずだったのに!
バチィンッ!!
激しい音を立てながら彼の【白雷】は、音もなく動いた悪魔の【黒腕】により、防がれた!
どうやらあの腕には、雷に対する耐性があるらしい。
「グオオオーーーーーーッ!!!」
ならば、と黄金熊は四つ足に力を込め、猛烈な勢いで駆けだし始める!
どこに?
彼はこの期に及んで逃げ出すような、臆病者ではない。
当然、目指す先に立つのは黒い悪魔である。
悪魔は、相も変わらず満身創痍だ。
両こぶしを眼前に構えてはいるが、足元がふらつきおぼつかない。
死にかけているのは一目瞭然!
雷が効かなくなったのであれば、物理攻撃で押しつぶす!!
黄金熊は勢いに乗って跳びあがり、空中で右腕を高く掲げた。
雷の力を乗せた剛腕で、悪魔を叩き潰すために!
しかしここで、またしても彼の攻撃は潰されてしまう。
悪魔の【黒腕】が、予想だにしない挙動を見せたのだ。
彼はこの先の展開として、二つの可能性を予想していた。
一つは、彼の攻撃が無事悪魔を叩き潰し、復讐を成し遂げるという可能性。
そしてもう一つが、彼の攻撃が【黒腕】によって防がれるという可能性である。
後者の場合、彼はすぐに体勢を整え悪魔の側面へと移動し、再度攻撃をしかけるつもりだった。
だがしかし、現実に起きたのは、そのどちらでもなかった。
では、何が起きたのか。
......伸びたのだ。
悪魔の【黒腕】が!
悪魔の【黒腕】には手のひらがあり、肘らしき部分もあった。
おおよそ人体を模した作りをしていた。
故に、黄金熊は見誤った。
人体を模した動きをすると、思い込んでしまった。
だがしかし、あの【黒腕】は魔力により形作られたものだ!
それは異能であり、あまり詳しくない者が見れば魔法であり......とにかく、不思議な力によって、この世界へと顕現させられている何かなのだ!
例え伸縮自在であっても、何らおかしくはないはずなのに!
黄金熊はその可能性に、思い至らなかった!
悪魔の【黒腕】は、それまで見えていた可動範囲を大きく超える長さまで、ゴムのように伸びた。
そして跳びあがり、振り上げた黄金熊の右腕を、凄まじい力で握りしめた!
「グオオオーーーーーーッ!!?」
あまりの痛みに絶叫する黄金熊!
しかしこれで終わりではない!
今、黄金熊の右腕を握り砕いているのは、悪魔の左腕だ。
あの悪魔が、余っている右腕を遊ばせたままでいるわけが、ないのだ!
次の瞬間、左腕同様に伸びた黒い右腕が、猛烈な勢いでがら空きになった黄金熊の腹を、思いきり殴りつけた!
「グオオアアアッ!!?」
白目をむき血反吐を吐きながら、黄金熊は握りしめられた右腕を中心に、ぐるりと一回転する。
ボキボキボキッ!!
腕の骨が折れる!!
しかし恐ろしいことに、攻撃はまだ終わらない。
黄金熊の右腕を握りしめた【黒腕】は、そのまま彼を地面へと叩きつける!
ズドオオオオオオオオオンッ!!!
鳴り響く轟音!
舞う土煙!
「グ......オ......」
仰向けに転がり、空を見上げる黄金熊。
意識が朦朧とし、もはやろくに動けない。
土煙が、風に吹かれてどこかに運び去られたその時。
彼の視界に、飛び込んできたのは。
己の首元めがけ、空から振り下ろされる、【黒腕】による手刀であった。
◇ ◇ ◇
かくして、黄金熊はその首をはねられた。
しかし、彼の保有する凄まじい生命力は、膨大な魔力は、首だけになった状態でも、彼を生かし続けていた。
とはいっても、何かできることがあるわけではない。
もはや雷も生み出せない。
彼はただぼんやりと、切り離された己の胴体を眺めていた。
ああ、ああ、ああ。
なんと、この世は不条理なのだろう。
彼は嘆いた。
崇敬する母は討たれ、己もあと一歩届かず復讐は潰えた。
何故、自分がこんな目にあわなくてはならないのか。
自分が、母が、何をしたというのか。
悔やんでも、悔やみきれない。
あの悪魔が、憎らしかった。
恨めしかった。
彼が生首となり、残りの生を恨みつらみを嘆くことに費やしていたその時、彼の胴体に向けて、悪魔の【黒腕】が伸びてきて、それを握りしめた。
何を、するつもりなのか。
黄金熊がそれを注視していると、【黒腕】は徐々に、徐々に短くなっていく。
そして短くなるそれに地面を引きずられながら、悪魔が彼の胴体に近づいてきた。
悪魔は【黒腕】を体の中に引っ込め消し去ると、黄金熊の切断された首の断面まで這いずっていき、そこで......彼の血肉を、食らい始めた。
瞬く間に、悪魔の腹の中へと収められていく彼の肉体。
明らかに、悪魔の体の許容量を超えているはずの血肉が食われているのに、不思議と彼女の腹は膨れない。
どんどん小さくなっていく、己の肉体。
その様を見て、黄金熊は。
すとんと、腑に落ちた気分だった。
ああ、なんだ。
弱い者が食われて、強い者が生き残った。
己の死は、つまりは、そういうことなのだと。
悔しい。
悔しいが、納得は、できた。
それは少しだけ、彼にとっては救いとなったのだ。
そして、その後、ほんのちょっとしてから。
彼は逝った。
エミーは一欠片。
そして“あなた様”。
第3章でも言及された、謎ワードですね。
気にしなくても良いです。




